佰弐拾伍
空港の保安検査でここまでドキドキするのは私か犯罪者くらいだろう。
財布と携帯しか入らないクラッチバッグを受け取ると、検査場の出口でそわそわしながら人を待った。
数分もたたないうちに何事もなかったような涼しい顔で真人が姿を現す。利き手にはいつものビジネスバッグがあった。
黒い本革の鞄をいぶかる。
一体どんな秘密が隠れていることやら。現金か武器か、怪しい取引の道具かーー私にも触らせないなんてやばいものが入っているに決まってる。
いくら渡したら保安局員は見逃してくれるのだろう。
このとき普通のバッグである可能性は頭になかった。
「どうしたんですか? もしかして私に見惚れてます?」
視線を送る私を真人が茶化した。
ほとんど冗談だろう。私が顔に興味がないことは、この数年で嫌というほど理解したはずだ。
仮に好ましい外見だったとしてもいまさら見惚れるものか。美人とイケメンは三日で飽きる。
「いえ……X線検査が物珍しくて」
「サウジアラビアのときは通りませんでしたからね」
真人も振り返って検査場に目をやる。
プライベートジェット旅行がいかに手順を飛ばしているかがよく分かる。
普通の飛行機に乗るときはこんなに忙しいものなのか。
一時間以上前にチェックインをし、荷物を預け、出国検査と保安検査を通過するーー特に今は夏休みだからどこを見ても長い行列がある。
検査場を抜けた先にお土産屋やレストランがそろっているのにも驚いた。
空港のラーメン屋で立ち食いしたい気持ちをぐっと抑え、案内係の後を追ってラウンジに入った。
やはり、こういう場所は空気が違う。
冷えたお酒と香水の香りがした。
聡の姿はすぐ見つかった。
カウンターに一人座り、まるで行きつけの喫茶店にいるように寛いでいる。
スーツを着た友人はいつもと雰囲気が違った。
生地にシルクが織り込まれた光沢のあるライトベージュのジャケットは、遠目から見ても高級品だと分かる。
私に目利きの技術はないが、真人のスーツと値段で競わせたら良い勝負ができそうだと思った。
バーにいる女性たちが誘うような視線を送るが、当の本人はコーヒーとケーキに夢中でまったく気づかない。
彼女たちは互いと顔を合わせると、つまらないとばかりに肩をすくめた。
「西園寺くん」
「うおっ、サリ……黒川さん」
聡は私の背後にいる人の存在を感知し、すぐさま呼び名を訂正した。
私のことを名前で呼び捨てようものなら真人が容赦しない。私が聡のことを呼び捨てても機嫌を悪くするだろう。
これは決して思い込みではない。
私が家でうっかり「そういえば聡がーー」と言ってしまい、真人があからさまに不機嫌になったのはほんの数週間前の出来事だ。
”聡”と呼ぶのはダメなのに”ランス”は良いらしい。真人の基準は気分で決まるので法則性を求めてはいけない。
とにかく、私たちは真人の前にいるとき名字で呼び合うことに決めた。
「真人さん、お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」
聡は立ち上がり、作ったように見えない笑顔で手を差し出した。
真人と並べてみると聡が小さく見える。
聡はティーンエイジャー末期にもかかわらず未だ成長期で、毎年数センチずつ身長が伸びている。あと数年経てば真人の身長に追いつくかもしれない。
いくら嫌いな男が相手でも、公の場で握手を無視するほど真人の器は小さくない。こちらはぎこちない笑顔で手を握った。
後藤さんが吹き出しそうな顔で肩を震わせている。
「二人とも、仲良くしてくださいね」
アヴェリア側は私と聡にファーストクラスの席を用意した。二人で来ることを想定しているため隣同士の席だ。他の日本の来賓は違う便で行くらしい。
友人と話しながらの旅も楽しそうだと思ったが、真人が許すはずがなかった。聡と私の距離が近いことが我慢ならなかったようだ。
彼は聡のチケットを(穏便に)奪取し、聡にその隣の席のチケットを押しつけた。
そうして窓際に私が座り、その左隣に真人、その隣に聡という並びに落ち着いた。
ファーストクラスは個室のように仕切りで区切られているため、肩をつき合わせて座るわけではない。しかし空の上で十二時間も一緒なのだ。
せめて今日くらいは仲良くしてくれ。
「ええ、ええ、仲良くしますよ。一応サリンを預けるわけですから」
青筋を立てながら言われても安心できない。
ウエイターに飲み物を頼むと、飛行場を一望できるカウンターに横並びに座った。
ガラスに映った聡と目が合う。
彼は真人に気づかれないよう小さくウインクした。私は笑い返す。
自尊心と品格を転写したような真人の態度が、まるで商談の場にいるような緊張感を仕立て上げた。ラウンジにいるのに妙にそわそわして落ち着かない。
コーヒーとレモンティーを持ってきたウエイターも萎縮していた。
「真人さんはカテリアに行かれるんですよね。首都の『ケテロ』ってバルが美味いんですよ。仕事のついでにぜひ行ってみてください」
「……その店なら以前行ったことがある。確かに美味かった」
普通に世間話を始める聡にも、それに渋々受け答えする真人にも驚いた。
意外にも聡は物怖じしなかった。
隷従ではなく対等であろうとする姿勢に父親との違いが見えた。真人もそれに気づいたのだろう。感心したように小さく笑みを浮かべた。
私は二人の会話を見守ることにした。
「アヴェリア王室の面々と会ったことは?」
「何度かあります。いろんな意味で”アヴェリアらしい”方々ですよ。もちろん良い人たちなんですが……」
「みなまで言うな」
スペインが『情熱の国』と呼ばれるように、アヴェリアは『愛の国』と呼ばれている。
アヴェリア人は恋に奔放で情に厚く、身内を大事にする国民性と言われている。ランスを見ているとその評判もあながち間違いではないと思う。
王族ともなれば『愛の国』たるアヴェリアらしさを凝縮したような人たちなんだろう。
「国王は言うまでもないが、第二王子は浮名を流すのが趣味みたいな男だからな」
「アレンツィオ王子ですね。でも根は真面目な方なんですよ」
「真面目かどうかは関係ない。良いか、国王と第二王子だけは絶対にサリンに近づけさせるなよ。サリンも!」
とつぜん名前を呼ばれ、反射的に顔を上げた。
「アヴェリアでは常に警戒してください。あそこの男どもは息をするように女性を口説きます。連中を前にするときは心を閉ざしなさい」
「そんな大袈裟な……国王だってかなりのお年でしょうに」
「い、いや、いまだに愛人が三、四人いるって言われてる方だぞ」
それだけいてよく隠し子が一人で済んだものだ。
そう思ったが、必ずしもそうとは言い切れないことに気がついた。
ランスは成人するまで存在を公表されなかった。他にも未成年の子供を隠している可能性は否めない。
王子たちは一体、どういう気分で異母兄弟を迎え入れるんだろう。




