拾弐
「サリン、会わせたい人がいます」
そう言って黒川さんが連れてきたのは、見たこともないくらい綺麗な女性だった。
薄紫色の高そうな着物を着た、上品な女性だ。
まさか愛人かと思ったが、どうやら違うようだった。
「彼女は組の管理しているクラブのママです。そんな不安そうな顔をしないで。サリンの思っているような間柄ではないので!」
別に不安になんてなってませんが。
黒川さんが女性に入れ込んでいる姿なんて想像がつかない。
女性は必死な黒川さんを一瞥すると、髪を耳にかけた。その仕草があまりにも綺麗で私は目が離せなかった。
「お話通りの綺麗な子だわ。初めまして。私は桜桃です」
「こちらこそ初めまして。黒川佐凜です」
「黒川さんに妹ができたって聞いてね。男ばかりで困っていることがあるんじゃないかと思って。私からお会いしたいと言ったんです」
「あ、ありがとうございます」
「うふふ、緊張しないで」
こんな美人と同じ空間にいたら、同性でも緊張してしまう。
クラブのママ、ということは組の店の経営を任されているんだ。黒川さんに話を通せるくらいだし、組の中ではそれなりに重要な位置にいるに違いない。
左手の薬指を見ると、指輪が光っていた。
「私は邪魔ですね。何かあったら呼んでください。……桜桃、余計なことを吹き込むなよ」
「はいはい。承知いたしました」
こんなに黒川さんを軽くあしらえるなんて……!
私が尊敬の眼差しを向けると、桜桃さんは少し困ったように笑った。黒川さんが退出すると彼女は話しはじめた。
「貴女のお兄さんは、本当に面白いお方よ。うちの店に来てもずっと不機嫌そうにしているのに、貴女の話をするときだけ子供みたいにはしゃぐの」
「それは……あはは」
「でも誰彼構わず自慢したいわけじゃないみたいでね。店で貴女のことを話すのは私がお相手しているときくらいだけど。それにしても、凄いのよ」
それにしても、黒川さんがクラブに足を運んでいるなんて知らなかった。
夜が遅い日は仕事だとか言っていたが……そうか、自分の組の管轄している店を回るのも、ある意味仕事か。別に毎晩遊び歩いてくれて構わないんだけどな。
「本当、あの人は貴女のことを愛しているのね」
「そう見えますか?」
「あら、貴女はそう思っていないの?」
いや、死ぬほど痛感しているけど......。
どちらかというとペットだよね、私って……。可愛がり方がペットだもん。
それから桜桃さんは私のいろいろな愚痴を聞いてくれた。
黒川さんや後藤さんに言いづらいような、女特有の悩みや心配事。それから主にあの変態についての純然たる悪口。
桜桃さんはクラブのママというだけあってやはり聞き上手で、話すのが得意でない私もすっかり楽しくなってしまった。
何杯目かの紅茶を飲み干すと、桜桃さんは言う。
「あの人、貴女の前で仕事の話をしないのかしら」
「ええ。最近きな臭い、みたいなことなら聞きましたが」
「……新しいクスリが出回ってるの。安くて依存性の強い、大陸由来のもの。敵対している組が流行らせているみたいで、今ちょっと大変なのよ」
「黒川でもクスリを売ってるんですか?」
彼女は否定も肯定もしなかった。
「女の子の前でする話じゃなかったわね。でも、貴女もこの世界に入ったなら気をつけて。キャバ、ソープ、シャブは彼らの御家芸よ。関わりたくないのなら、早くまともな男と結婚して、この家から出た方が良いわ」
それができたら良かったんだけどね......。
桜桃さんも、それが一番難しいことくらい分かっているだろうに。
もし仮に一緒になりたい相手が現れたとしても、黒川さんが許してくれるとは思わない。
「そうだ、黒川さんも最近、クスリを始めたって言ってた」
「え?」
「貴女っていうクスリだそうよ。ああ、悪い意味じゃないの。もう貴女なしには生きられないんですって」
……もっと良い言い方があるだろうに。私をクスリで例えんでくれ。
せめて水とかにして。
まだ会っていくばくしか経っていない私を、彼が本気で愛しているとは思えない。
きっと金持ちの道楽。ただの気まぐれ。
いつか飽きられる日が来るだろう。所詮私は、ストレス解消の道具に過ぎないんだから。




