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「最近、きな臭いんですよね」


 黒川さんは時々、家で仕事の話をする。

 とは言っても私に分かる内容ではないため、私に話すわけではない。後藤さん相手か、ただの独り言だ。


 後藤さんがどれほど高い地位についているのかは知らないが、彼は私のお目付役と家政夫さんを兼ねているらしい。

 黒川さんは家にヤクザを入れたがらないが、彼だけは例外だ。

 家事炊事は全て後藤さんがやってくれるし、食卓だって一緒に囲む。黒川さん相手に物怖じしないから、もしかすると古い付き合いなのかもしれない。


 きな臭いとは何事だろう。

 まさか映画やドラマにあるような、ヤクザ同士の抗争でも起こるのだろうか。


「確かに俺もそう思いました。妙に警察が多いし、他の組の動きも怪しい。しばらく派手なことはしない方が良いですね」

「血の気が荒い連中が入ってきたから、そのせいかもしれないな」


 一度誘拐されたせいで、私は再び車で送り迎えされる羽目になった。

 この件に関して私は争うことなどできなかった。

 また誘拐されるよりはマシだ。


「ーーというわけで、サリン。しばらく学校を休んでください」


 おっと。

 関係ないと思って全く話を聞いていなかった。


「しばらくって、どれくらいですか?」

「明日から一ヶ月ほど。その間に不安要素を排除しておきますから」


 どうやら私の外出禁止は、黒川さんの言う”きな臭さ”のせいらしい。

 そうはいっても、学校に行けなくなるのは少し困る。再来週はちょうど期末テスト。もし休んだら今学期の成績に大きく影響するだろう。


「構いませんが……期末テストだけは行かせてもらえませんか?」

「良いですよ。ほら、そんな不満そうな顔をしないで。可愛いですね」


 彼は優しく私の頭を撫でた。

 一ヶ月出席できなかったとしても、期末テストさえ取れていれば成績表には良い評価がつく。高校入試では中学の成績も大事だって言うし、ちゃんとできることはしておかないと。

 尤も、彼が私を高校に行かせてくれるかは分からないが。


「おや、私のことが好きですかそうですか」

「何でそうなるんですか……?」


 私は何にも言ってない!

 この男、時々幻聴が聞こえるらしい。

 それに私の言ったことを都合の良いように解釈する。良く言えばポジティブなのだろうが……本当に勘弁してほしい。


「妹に愛されるのは嬉しいものですねえ」


 黒川さんは急に後ろから抱きついてきた。

 いつものことだが、急に抱きつかれると心臓に悪い。私にも心の準備ってもんがある。

 私が極度の面食い、もしくは彼に恋慕をもっていれば嬉しく感じられたかもしれないが、私はそのどちらでもない。


「今晩はたっぷり癒させてもらいますね」


 気味が悪いほど良い声で囁かれる。

 鼓膜にかすかに響く呼吸音から、彼が興奮して呼吸を乱しているのが分かった。今すぐ耳を塞ぎたい。


 黒川さん、今度等身大の枕を買ってあげるので、それで勘弁してくれませんか。



 ***



 翌朝、私は一人で目覚めた。

 時計を見ると朝の7時。いつも起きる時間だ。

 制服を取ってこようとクローゼットに向かったとき、今日から学校を休むことになったのを思い出した。


 近くのテーブルに手紙があった。


『急用ができたので仕事に行ってきます。本当はゆったり二人きりの朝を過ごしたかったのですがーー』


「もう良いや」


 大したことは書かれていなかったので、途中で真剣に読むのを止めた。

 顔を洗い、部屋着に着替えてリビングに行った。

 既に後藤さんがおり、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。


「おはようございます」

「おはよう、よく眠れたか?」

「まあ……」


 自分でマグカップを取り出し、コーヒーを注いだ。


「昨夜は随分とお盛んだったじゃないの。声が廊下まで聞こえてたぜ。何されたんだ?」


 にやりと、悪戯を仕掛けた子供のように後藤さんは笑う。

 別に下卑た目的で聞いているわけではない。彼は私が抱き枕として扱われていることをよく知っている。

 こんな聞き方をするのは、単に彼が意地悪だからだ。


「最近マッサージを覚えたようで。練習台にされています」

「気持ちいの?」

「結構上手いですよ。変なところを触ってこないなら、毎日やってもらいたいくらい」


 私の言葉に彼は苦笑で返す。


「嫌なら嫌って言って良いからな」

「……本当ですか? 逆らったら父を殺すと言われているので、嫌でも怖くて言えませんよ。でも、今のところ酷いことはされていないので」

「あれでも常識はあるからな」


 あれで常識があるんですか?

 そう言いたかったがぐっと堪えた。


 後藤さんとこんなにコミュニケーションを取ったのは、あの日、私がここに連れてこられた日以来かもしれない。

 普段は私の後ろを黙ってついてきて護衛しているだけだし、休みの日は黒川さんがいるから彼と話す機会はそれほど多くない。

 それに彼の前で他の男性と話すと嫌な顔をされるかもしれないから、なるべく避けていた。


 案外、怖い人ではない。

 よく笑うし、私の嫌がることはしてこない。部下の人たちにも慕われているようだった。

 そうはいっても、彼がヤクザだということに変わりはないのだが。




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