復讐法について。
ーー20✕✕年12月25日、世間がイエス・キリストの誕生日だとか、ムハンマド・アリー・ジンナーの誕生日だとかで浮き足立っている中、とある法律が施行された。
圧倒的な世論を背景に衆参両議院において全会一致で可決された、その法律の名称は『復讐法』。
ざっくばらんにその説明をすると、犯罪に巻き込まれた被害者やその遺族は犯人に対して従来通りの方式で裁かれるのを待つか、その犯人に復讐するーー問答無用で死刑にするーーのかを選べるというものだ。主に殺人罪など国家を始めとした公的な組織が絡まない、個人間や範囲の狭い集団内で起きた人名に関わる様な重大な犯罪に適用される。
8割程度の国民が死刑制度に賛成していることからわかる通り、日本では重大な犯罪を犯した者には比較的冷たい世論が形成される。昨今のインターネットの普及による私刑の横行などもその最たる例であり、そういったものが更に進化して今回の復讐法が成立した。
そんな今回の一連の出来事に大してだが、私は特に何も感じなかった。
私自身が元来死刑制度に反対する訳でもないし、明確に賛成する訳でもない、そんな無関心層だったからだ。もっとも、身近に重大な犯罪が起きた経験がないからだというのもある。が、別にこれからも起きないだろうし、今回できた法律も私には直接関係ないだろう、そう思っていたのだ。
そう、あの時までは……
唐突ながら少し自分語りをさせてもらうと、私はそれなりには幸せな人生を送っていたし、少なくとも自分はそう思っていた。
地方の国立大を出て地元の地方銀行に就職。その後三十路に達する直前に同じ職場にいたOLと職場恋愛で結婚。
そして私の妻になった彼女は身重の身体になっていた。
順風満帆とも言える、絵に書いた様な幸せに満たされた人生。それを私は送っていたのだ。
しかし、復讐法が施行されたあの日、雪ふるクリスマスに全てを奪われた。そう、妻と手を取り合って、幸せそうな顔をした人々が行き交う繁華街を歩いていた時に全てを……
突っ込んだのだ。
車が、けたたましいブレーキ音をあげながら。
その時私は妻を気遣って歩道の車道側を歩いていた。しかし、私の地元は雪慣れしていないということもあり、珍しいホワイトクリスマスに降る雪に少なくない数の車がもたついていた。そして事故をおこした車である、雪景色を微かに反射させた銀色のミニバンも例外ではなかったのだ。交差点の信号が青に変わって、私も、その車も、直進しようとしたとき、その車はゴムとコンクリートが擦り合う耳障りな音を立てながら、私達に突っ込んできた。その瞬間私は急いで妻を庇おうと手をひろげて車のボンネットに覆いかぶさったが、それが故に私は車に轢かれると言うよりも車の上に乗っかる、といった形になり、結果として妻の方へと車は突進してしまったのだ。
刹那、妻は甲高い悲鳴をあげたが、それをかき消すかのような鈍い音がすると、私は動く車の上にいる、という自分の置かれた危険な状況は顧みず、妻のいるはずの後方を振り向く。すると目の前には交差点に面していた郵便局が。受身をとる暇もなく私はブレーキ音を響かせる車と共にガラス窓へと衝突していた。皮膚に数多のガラス片が突き刺さり、痛烈な痛みが押し寄せる。だがそんなことよりももっと気がかりなことがあった。妻のことだ。私は直ぐに辺りを見渡す。しかし、妻の姿はそこにはなく、代わりに赤くて、紅い、そんなトートロジーみたいなものでしか表現出来ない、ドロドロした血が、車の下部から流れ出ていた。まるでダムのように、流れ出した血は飛散したガラス片にせき止められたりして溜まっている。
「ーーっ!」
私はただただ、声にもならない悲鳴をあげるしか出来なかった。
ーー結論から言うと、妻は即死だった。鉄の塊の下敷きとなった妻は、人間としての尊厳を最低限しか保っておらず、病院に運ぶまでもなく、事故現場に駆けつけた救急隊員によって死亡認定されたのだ。
後から聞いた話によると、妻を亡き者にした車の運転手は私と殆ど同じ年齢で、同じ性別で、彼にも出産予定の奥さんがいたようだ。
だから。
だから、彼は妻の遺体安置所で必死に私にせがんできた。『どうか命だけは助けてくれ。私には養わないといけない人がいるんだ』と。つい今日に施行された復讐法を念頭に置いた上での発言だったのだろう。降雪が天気予報等によって想定出来たにも関わらず万全の準備を行わなかったから、とのことで犯人には復讐法が想定する法が適用されるらしい。だから彼は何度も地面に頭を擦り付けた。何度も、何度も、何度も。声を震わせ、涙を湧出させ、ただひたすらに謝り続けた。
しかし妻をなくしたことによる悲しみはまだ現実味がない。私には憤りだけが募っていく。妻の命を奪っておきながら、自分の命は守ろうとするのか、と。そんな状況でも何かを口にしようとしても、理路整然としていない思考回路下では思いついたフレーズは具体的な形を帯びず、結局は声帯を震わすことも無く萎んでいく。
私には彼を睨みつけることしかできなかった。
彼とはまだ1回も目を合していない。
彼はさっきからずっと俯いている。
彼は泣きじゃくっている。
彼は体を震わせている。
本当にそうしたいのは私だというのに。
それから程なくして、私の前に『借問官』を名乗る男が現れた。どうにも聞き慣れない名前だと思ったが、どうやら復讐法によって置かれている国の役職であり、犯人に対して復讐をするのか否か、その判断を被害者や遺族に直接聞くというのが目的らしい。そしてその判断が復讐であるなら犯人の死を意味し、人の生命を握っているような重い役職で、だから新しく設けたとの事だ。また、私の元へと赴いた理由は、妻は一人っ子であり、両親も既に他界しているために、戸籍上遺族と言える人物は私くらいしかいなかったから、とのことだ。復讐法なんて興味がなかったから何も知らなかったが、なるほど、と腑に落ちた。
「どうしますか?」
借問官が私にそう聞く。皺一つ作らないとても冷静というか、冷酷な表情で。
そして直接明言はしてないが、どうするのか、というのは復讐するのか否か、ということだろう。
私は唾をごくり、と飲み込み、息を大きく吸い、口を開いた。
「復讐で」
と。
そしたら私の目下で蹲っていた犯人は顔を上げ、絶句の2文字が最も似合う顔で私を見つめた。
初めて彼と目が合った。
「畏まりました」
しかしそんな犯人のことは歯牙にもかけずに借問官はそう頷くと、
「連れて行け」
と言った。
するとどこからか制服に身を包んだ警察官複数人が現れ、犯人の四肢をがっちりと掴み、地面にしがみつく抵抗も意味無く連れ去っていく。耳を切り裂くような断末魔が聞こえるが、それも程なくフェードアウトしていった。
復讐を選択した私は一人の人間の生殺与奪権を握り、その上で実質殺したのだ。しかし、別段罪悪感なんてものは発生しなかったし、そんな自分自身に対する違和感だってなかった。妻の命を奪った代償として犯人もまた命を奪われる、というのは等価交換のようでさも当然のことだと思っていたのだ。
それから幾分かの日数がが経過し、年も既にあけた。
そんな朝。犯人の復讐ーー死刑ーーが執り行われたと書簡で届いた。私が希望したことによって行われたことだ。しかし、そこには満足感がないというか、どうにも歯がゆい気持ちがあった。寧ろ犯人が死んだことによって私の感情は犯人への憎しみではなく、時が経ち現実味を帯びてきた妻を亡くした悲しみの方が占める割合が高くなったのだ。考えてみれば当然のことだったのだが、別に犯人が死んだからって妻は戻ってこない。そして憎悪を塗りたくる対象の犯人もいない。
東京ドーム何個分とかいう分かりにくい比喩表現を用いると、とてつもない数になるような広大な砂漠地帯に、ただ一人で佇んでるような漠然とした虚無感。それが私を虎視眈々と狙っている。少しでも油断したら喰われてしまいそうだ。
しかし、私は会社に出勤をしなければならなかった。妻を亡くしたからと言っても社会の歯車には何ら支障がない。私に同情してくる会社がくれた長めの年末年始の休みももう昨日で終わりだ。
身支度を済ませ、車に乗り会社へと向かう。途中赤く灯る信号機を前に停車する。するとあの事故があった時のように、色んな絵の具を混ぜたような空から排気ガスを含む雪が降っていた。それを私はぼんやりと意味もなく眺める。
そうしていたらいつの間にか信号機は私の発進を促してきたためにアクセルを踏む。無音とまではいかないが静かなエンジンの駆動音が私の鼓膜を震わせた、その時。
あの事故を彷彿とさせるようなゴムやらコンクリートやらが衝突し合う雑音が鳴る。それを認識した時には、もう車の操縦権は既に私の手中から零れ落ちていた。そして目の前には人の姿が。
何がなんだか理解出来ず、頭の中がホワイトアウトした。
何やら女性の悲鳴が聞こえた。
何やら鈍い音がした。
私の意識は微睡みの彼方へと旅立った。
それから私の意識が覚醒したのは、空がすっかり物寂しげな、茜色一色に染まっている頃であった。私は見覚えのない部屋、というか病室にいた。私は事故を起こし、それで少し頭を打ち付けて気絶していたからここに運ばれたのだろう。
そして私が目を覚ましたことに病院の先生が気付くと、何やら見覚えのある顔が現れた。
表情筋の存在感が皆無で、どこかおっかないと思わせるような、顔。そう、あの借問官の顔だ。
私が何故この場にそのような人物がいるのか腑に落ちず呆けていると、本人から説明があった。
その内容を端的に言うとこうだ。
私は人を殺した。車での轢殺で。
被害者は新たな命を授かった20代後半の女性。
事故とはいえ、十分な積雪への対策を行わなかった私の責任は重い。
そして亡くなった女性の遺族は私に対してとてつもなく憤りを感じている。
だから、
「あなたは復讐法に基づいて死刑となります」
借問官は相変わらず感情のない声でそう告げてきた。
意識を取り戻し、被害者や遺族の方に対する申し訳なさであったり、自分自身に対する不甲斐なさを感じたりする前に告げられたその言葉。
私の目の前には遺書を書くことを許された時間だけが転がっていた。
しかし、妻はもう居ないし、私自身も一人っ子で両親も死んでいた。そして前述の通りそんなすぐには気持ちの整理もつかない。
だから、せめて事の顛末だけは書くことにしたのだ。
以上を以て私はここに筆を置く。