×したい
第57話:一部グロテスクな描写を含みます。
「―――え?」
ぼたりぼたりとどろりとした液体がみっともなく尻餅をついた七絆にかかる。その液体は彼女の服をも彩っていく。
七絆の目の前に高く吹き飛んだ少年の頭部が生々しい音を立てて落ちてきた。
『家族』の一人から盗ってきたと言っていた少年の帽子だけがふらりふらりと風に舞っている。けれど、それがあるべき場所は既に地に落ちてしまっている。歪な形に吹き飛んでしまった頭は身体側に口の下半分を残したままだ。そこはちょうど、七絆の首の位置だった。
そして、今まさに意思のなくなった身体が地面に沈んだ。先ほどまでは言葉を紡いでいた舌がでろりと這い出している。綺麗に生え揃った歯の隙間からは血が流れていた。
どんどんと赤色が広がっていく。その中に何も言わずに沈んでいる名前も知らない少年の躯。七絆は呆然と目を見開いたまま、口元を押さえて何も言えなかった。怪我をしたのだろうか、右目が痛くて堪らない。
いつもの七絆だったら、こんな光景を前に平静を保てるはずがない。嘔吐でもしていただろうが、今の彼女は目の前のことを理解することで精一杯だった。脳がうまく処理をしてくれない。先ほどまでの自信は奥底に潜ってしまい、ただひたすらに困惑するだけだ。ここにいるのはただの『嘉翅七絆』という名前の少女だけだった。何の変哲もない、奇跡も起こせない、ただの人間だった。
「……はりと、いと」
回らない七絆の脳はかつて零と出会った日の光景を浮かび上がらせた。針と糸で、零はその傷を縫って、今も生きている。自身のカバンを探ればソーイングセットが入っていた。零に何があってもいいようにいつも持ち歩いているものだ。
―――そうだ。分かれてしまったのなら、縫い合わせれば元通り。
七絆は服が汚れるのも構わず血だまりに四つん這いのまま入り、上顎を失った少年の身体に触れた。そして、ほど近い所に落ちている彼の上顎より上の部分を拾い上げる。切断された衝撃か、落下した衝撃かはわからないが、片目が飛び出して転がり落ちていた。頭から脳漿が流れ出ている。
澱んだ瞳が七絆を見つめている。その頬に触れれば、相変わらず冷たいままだった。七絆は震える手で切断された部位を合わせようとするが、上手く定まらないために歯がかちかちと鳴ってしまう。大きく裂けた口の跡が揃わない。
―――早く、はやく、くっつけてあげないと。
いつまで経っても合わないそれに焦れた七絆が少年の頬に針を突き立てようとした時、大きな手に腕を止められた。七絆はそちらを見もせずに手を振り払おうとしたが、腕がピクリとも動かない。苛立った七絆は大きく叫んだ。
「触らないでっ! はやく、はやくぬいあわせなきゃいけないんだから! ぬって、ぬわないと……。そうしないと、しんじゃうよ!」
「もう死んでるよ」
見上げた先は底冷えする冬の空の色をしていた。言葉の意味が理解できなくて、ぽかんと口を開いてしまう。
七絆の視線の先にいたのは生方叴人だった。ひどく痛ましいものでも見るかのような表情をしている。七絆と視線が合うと、彼女に向かって首を振った。まるで小さい子どもに理解させるかのような単純な仕草だ。
もう、死んでいる。
七絆はうまくその言葉が理解できなかった。だって、あの少年は“ゾンビ”で、死ぬことのない存在なはずだ。だから、死ぬなんてことはあり得ない。それなのに叴人は死んだと言う。七絆の手のひらに収まる少年の瞳に光はない。
どうしようもないくらい、生きていなかった。
「あ、」
ようやく、理解した。
ついさっきまで一緒に笑って、これから先も笑おうとしていた少年はもう笑わない。泣くこともなければ、もう泣き言も言わない。
生きていない。
手の中を見下ろせば、濁った瞳はあらぬ方向を向いている。脱力すれば、少年の頭部は七絆の手から落ちてべちゃりと小さく音を立てた。地面に立ったそれは地面から生えているみたいに見えて、どこか滑稽にも思える。こちらを覗いている舌が生々しかった。ひらりと風に踊っていた帽子はいつの間にか赤い池の中に落ちていた。
かちゃりと頭の近くで何か音がする。ついでに、頭蓋骨に固い感触が響いた。七絆が緩慢な動きで見上げれば、白い銃口と醜い人間の本質がこちらを見ている。それに対して、七絆は何の感慨も抱かなかった。ただ、そういうものだと頭の片隅で理解した。
「やめろ、四代。彼女は“人間”だ」
その言葉とともに叴人から銃口を向けられた四代は七絆の頭につけていた銃口を外した。叴人はそれを見て七絆の横から立ち上がる。銃口は未だに四代に向けられたままだ。そのまま四代と七絆の間に距離を取らせる。
「やりすぎだ。謹慎処分は免れないものだと思え。上層部には俺から報告しておく」
「……俺は職務を全うしただけだが?」
「バディ及び他班への連絡放棄、近隣住民に対する避難勧告の無実施、一般人への傷害、その他にも多々挙げられる。……お前の問題行動を黙認していた俺にも非がある。だが、今回ばかりは看過できない」
「はっ、報告したところで、お上は揉み消すだろ。俺らみたいな処刑人が何しようが、上は規則に則って処分言い渡すだけだろ。自分たちは高みの見物でいやがる野郎どもだ。何人殺したって変わりやしねぇ」
「ッ、お前は、自分が何をしたのかわかっているのか。一般人を巻き込んだんだぞ!」
「そいつは一般人なんかじゃねぇよ! そこの死体を庇った! これだけで十分な犯罪だろ! 隠匿罪は政府も死刑だって言ってたじゃねぇかよ!」
低く出された叴人の言葉に四代は声を荒げた。叴人に掴みかからんばかりの勢いで告げるが、叴人はそれを冷めた目で見ている。
「それは俺たちの仕事じゃない。そんなことでいちいち人を殺してみろ。誰も生きていけない世界になる。お前は死体の山を築いて何がしたい? そもそも、お前のその“ゾンビ”への攻撃性は目に余る。今回みたいなことをまた起こすつもりか? 何のためにバディがいると思ってる」
「あーあー! アンタにはわからねぇだろうよ、俺たちみたいなやつの気持ちは! “ゾンビ”の一匹すらも撃てない癖に、俺に指図するんじゃねぇ! 俺からしたら仕事を放棄してるアンタの方が罰せられるべきだと思うね! 俺は別にアンタがいなくたって仕事はできるんだッ!」
「……それとこれとは話が違うだろう。俺はお前の行動を改めろと言っているんだ。これ以上は、もう庇ってやれない」
「庇えなんて誰が言ったよ! 手前ができねぇことを俺がやってんだよ! いっつもアンタはそうだ! 勝手に兄貴面しやがって。昔とはもう違う。俺はアンタがいなくたって生きていけんだッ!」
叴人はその言葉に少しだけ息を呑んだ。そんなことは叴人にだってわかっている。かつて自身の庇護下にあった小さな銀髪の子どもは、今や立派な大人になって叴人の手から離れようとしている。
それでも叴人にとっては今でも大切な『家族』であることに変わりない。それを今本人の口から否定されて、叴人は二の句が継げなくなってしまった。冷静であれと努めていた頭の中が一瞬真っ白になる。
「ひとごろし」
何も言えなくなっていた叴人の耳にその小さな声が入ってきた。声の聞こえた方を見れば、返り血に真っ赤に染まった少女が少年の頭部をその手に抱いている。彼女は光の灯らない黒い瞳で亡羊とそれを見ていた。
「ひとごろし」
少年の頭を優しく両手で優しく抱きしめながら、少女はまた一つそう呟いた。その言葉に四代が米神を引くつかせて口を開きかけたのを、叴人は手で遮った。
「『家族』を守りたいって言ってたのに。笑って、ただのヒトみたいに笑って、それだけなのに。帽子、返さなきゃねって、私、言ったのに。こんなことになるなんて、私、私、私―――」
ある単語に触れた四代が一瞬だけ目を泳がせた。けれど、それも一瞬のことだ。すぐに憎悪を宿らせて七絆を見た。叴人はそれを見て僅かに寂しげに瞳を緩ませる。
七絆はまるで何かを思い出すかのようにぶつぶつと呟いていた。赤い血だまりに座り込んだまま、汚れることも厭わずにぼんやりとしている。
「待っている人がいるって。こんな、こんな結末でいいはずがない。何も悪いことなんてしてないのに。いつだってそうだ。何も知らないで、こんなに、後から悔いて。だから、私だって……? 何を迷っているんだ? あ、あれ、ああああああ、あれあれあれあれあれ。これは誰だっけ。誰? だれってなぁに。あれ、私……。私、私、わたし、―――ボク? わ。わわ、私? わ? わたし、わた、わたしたちは」
突如として七絆は壊れたラジオのようにぶつ切りの声を上げ始めた。戸惑ったように頭を押さえたその拍子に少年の頭が血だまりに落ちて、池を跳ぶ鯉のようにぱしゃんと軽やかに音を立てる。
そんな七絆の様子を訝しんだ四代が七絆に近寄ろうと一歩踏み出した瞬間、痛みを感じるほど腕を強く握られて止められる。
「いッ……なにしやが―――」
腕を掴んだだろう叴人に文句を言おうと振り返ったが、四代は彼のその表情を見てその先を紡げなかった。
いつも人を食ったように、何事も飄々と対応していた男が、青褪めたまま冷や汗を流していたのだ。四代の方を向く瞳は空の色を反射している。声もなく、小さな子どものようにふるふると首を振っていた。引き結ばれて、まるで声を出したら殺されるとでも言いそうな雰囲気だ。
それに気圧されて腕を引き戻されたまま、踏み出した一歩分戻る。さらに強く引かれて叴人の背後へと回る形になる。叴人の手には真白の銃が握られていた。四代が叴人と組んでから、彼がそれを抜いたのを見たのは片手で足りるほどで、思わず四代は瞠目する。
「一体どうしたってんだ……」
いつになく緊張状態にある叴人に思わず四代もそれ以上の言葉を呑んだ。掴まれた腕は振りほどけそうになくて、この男が誰かを守る側の立場なことをまざまざと見せつけられた四代は小さく舌打ちをする。それでこの状況が変わるわけでもない。少女は項垂れたまま座り込んでいるままだ。
―――と、四代にはそう見えていた。
七絆の瞳にもう涙はなく、黒々としたそれはじっとあるものを見ている。身体が生命を失って倒れた拍子にか、少年のポーチの中身が赤い地面にはみ出していたのだ。
そこには少年がいつか使おうと思って、そしてその生涯を終えるまで一度も使われることのなかったきらめきがあった。陽の光を浴びて白刃の輝きを、見落とす少女ではない。少年の躯の下に入り込んだそれに手を伸ばす。掴んだそれはひんやりと冷たくて―――
―――殺そう。
殺せる。殺したい。殺さなきゃ。殺せば。殺しましょう。殺したいとは思いませんか。殺そうと思います。殺すべきです。殺したらいいと意見します。殺すことを希望します。どうして殺さないのですか。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。
―――満場一致。反対意見無。二人の殺害を決定しました。実行に移行します。
少女は背後の二人に気がつかれないように、ナイフを握りしめた。注視されているのは肌に突き刺さる視線でわかる。緊張しているのだろうか、指が不随意に、到底生き物とは思えない動きをしてみせた。
たったふたりくらい、殺すのは『それ』にとっては造作もないことだ。
ぐるりと獣が唸れば、頭の奥底で子どもの笑い声が反響する。手の中の刃は鋭く、人間の生命を奪うのなんて容易いほどだ。そのまま意識を二人に集中させたまま、飛びかかろうと腕に力を入れた時―――
『ナズナ』
優しく微笑むきみが脳裏に浮かんでしまった。
「う、」
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」
子どもみたいに泣いた。零の綺麗な赤色を思い出してしまったらだめだった。手の中にあったナイフはいつの間にか泥の中に沈んでいる。
頭を抱え込んで俯いていたかと思えば、突然に声を上げて泣き出した少女に叴人はすぐに銃口を向ける。だが、彼は一瞬眉間に皺を寄せると、次には安堵したかのように手から力を抜いた。するりと四代の腕を撫でて落ちていく。
暫く天を仰いだまま、大声で泣きじゃくっていた七絆だったが、俯いてから数度目元を拭うと立ち上がって振り向いた。振り返った彼女の瞳からはぼたぼたと涙が次々に溢れだしている。擦ったせいか眦は赤くなり、しゃくりあげては肩を上下させていた。
「どうして……どうして、この子、殺したの!」
嗚咽混じりのまま、癇癪を起こした子どものように死体を指差しそう叫ぶと、七絆は四代を涙目のまま睨みつけた。
「あ゛ぁ?」
「普通に生きてきただけなのに! 普通の人みたいに生きたいって言ってたのに! 誰にも迷惑かけていなかった! 誰も害してこなかったのに―――どうしてッ!」
「はぁ? 何言ってんだ、手前」
四代は叴人を押しのけて前に出ると、七絆を見降ろした。その視線には明らかな侮蔑が含まれている。
「“あれ”が生きていること自体が生への冒涜だろ」
瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
気づいた時には男の胸倉を掴み上げて腕を振りかぶっていた。けれど、その腕がふり抜かれることはなかった。七絆の前には胸倉を掴まれているというのに平然と立つ四代がいる。ならば、腕を掴んでいるのは彼しかいない。
「……離してください、生方さん」
「悪いけど、それは聞けない。きみの気持ちがわかるとは言わないが、こちらに危害を加えるとなると見逃せなくなるから。七絆ちゃん、きみの怒りは正当なものだと思うが、それをぶつけることに何か意味があるのかい? きみの立場を悪くすることだと思うけれど」
こんなことをしても意味はない。名前も知らない少年はもう語らない。知らない彼の名前はこの先知らないままで、七絆が願ったところで死んだ彼が生き返るわけでもない。非生産的な行動どころが、七絆に不利益しか生まないような感情の昂りに任せた行動だった。そんなことは七絆にもわかっている。だが、理解と感情は時として乖離する。四代への怒りが七絆の理性を凌駕していたというだけの話だ。
人として生まれたのなら、せめて生きることくらい平等であるべきだ。少なくとも、七絆は有疵性無死症候群だからと言って誰かを掻き捨てるような真似はしたくなかった。けれど、四代はそうではない。対極の立場に立つふたりがわかりあうことなど、到底は不可能だった。
ここで四代を殴ったところで何かが変わるわけではない。そも、掴まれた腕がそれ以上進みそうになかった。仕方なしに七絆が腕の力を抜けば、叴人は手を離した。四代の胸元からも手を離せば、ぶらりと力なく垂れ下がるそれは七絆の無力さを指し示しているようだ。
その事実に胸の奥底が疼いて、右目がひどく痛んだ。指を這わせれば、その指先には赤色が付き纏った。零の赤色のように綺麗ではなく、酸化したそれはどこかどす黒く感じる。
あちこちが痛くて、もう現実を直視したくない。七絆は心のどこかで何の犠牲もなく、全てが自分の手のひらの上でうまく進むような夢を見ていたのかもしれない。しかし、彼女の目の前に転がるのは確かな犠牲だった。もっと上手くやれれば生み出さなかったもの。あそこであの方法を取らなければ、あの道を通らなければ、後から後から後悔ばかりが生まれてくる。
零とわかりあえて、何でもできる気になっていたのだろう。ただの少女でしかない、七絆は。結果として、返されなかった少年の帽子が彼女を責め立てている。
「七絆ちゃん、“ゾンビ”を庇うことが重罪になることはきみも知っているだろう。それにきみは“ゾンビ”の血を浴びている。執行対象にならないとは言い切れない。……どうしてこんなことを?」
いつもとは違う、どこか固く冷たい言葉が俯いた七絆の頭上から降ってくる。七絆は何も応えなかった。身動ぎ一つせず、地面を見つめ続けている。数分経っても応じない彼女を他所に、叴人が後ろで四代に何かしらの指示を出し始めた。
そこで七絆はゆるりと視線を血だまりに浮かぶ死体に向けた。どうしてだろうか、七絆にはそれが見覚えのある光景に見えたのだ。倒れたその姿に零の姿が重なって見えてきた。
「――― 一緒に話をしたんです」
ぽつりと声が零れた。風の音で消えてしまいそうな声だったが、それは攫われることなく叴人の耳に届いた。
「一緒に話して、笑ったんです。名前も知らなかったけれど、ただ偶々そこで出会っただけだったけれど、それでも縁は紡がれるものでしょう。私はそれを尊ぶものだと思っています」
もう血の海は広がらない。そこに沈んだ少年ももう動かない。
「……きみはたったそれだけのことで、それしかない短い時間のために自分の命を賭けようとしたのかい。名前も知らない少年のために」
「それは客観的に見てるからそうとしか思えないだけですよ。そこに自己が介在したのなら、もう無関係ではいられない。私だって“ゾンビ”の全てを受け入れられるかと言われれば頷けはしないでしょう。言葉が通じないものは恐ろしいし、無関係な暴力を受ければ痛いし、私だって死にたくはないのです。でも、それでも多分、通りすがりの存在だったとしても、―――友だちと、呼べるものだったのだろうと思うのです。それに、……約束を、したから」
「七絆ちゃん? それは一体どういう―――」
七絆は叴人の言葉に応えず、少年の死体へと歩みを進めた。恐らくそう時間は経たずに、少年が生きていた痕跡から死んだ亡骸までなかったことになるのだろう。ちゃぷんと靴の先に赤色が跳ねた。叴人は七絆の行動を止めずに見ている。
彼女はしゃがむと、血を吸って黒ずみ始めた帽子を拾い上げた。彼の尊敬する人の帽子はかつての姿から遠ざかり、重く沈んでいる。それは彼自身も。そして七絆も。
目を閉じさせてあげようにも、あちこちに散らばってしまってそれは叶わない。そもそも瞼に覆われるべき目玉が飛び出してしまっているのだ。仰向けでまるで空を見あげているような彼の手を握る。死後硬直が始まって曲がりもしなければ、血にまみれたその手は粘ついていた。そこに温度もなければ、魂もあるはずがない。
生きていない、ということはこういうことであるべきなのだ。
「ああ、そうか。これが“失敗”というやつですか」
暗い所に落ちていく気持ちとは裏腹に、思いの外、出た言葉は軽かった。重さを感じさせない声はまるで空虚だった。
七絆は血だまりの中に膝をついて、彼の手を己の額へと導いて目を閉じる。死を悼むかのような、何かを誓うかのような行動だった。彼女はその手をゆっくりと降ろすと立ち上がる。
もはやここにあの少年はいなかった。あるのは亡骸だけだ。それもきっとすぐになくなる。魂の重みは21グラムだとさる学者はそう言った。あの身体も21グラム軽くなっているのだろうか。それとも淀んで重くなってしまっているのだろうか。考えても栓のないことが無意味に七絆の頭を廻る。
ふらり、ふらりと七絆は歩き始めた。しっかりとその手に帽子を掴んだまま、当てもない道のりを行くかのように叴人たちとは別の方向へと。
「七絆ちゃん」
叴人がその背に声を掛けるが、七絆の足は止まらなかった。叴人はそれに関わらず、言葉を重ねるため口を開く。
「きみは本当に彼の為を想って、あの少年を庇ったのかい? それがどうしても気になるんだ。俺にはどうにもきみがどこか遠くの、誰かを見ていたような気がしたよ」
叴人の言葉にほんの一瞬だけ七絆の歩みが止まった。それもすぐには動き始めて、彼女の細い身体が頼りなく揺れていく。
それきり、叴人が彼女に声を掛けることはなかった。七絆ももう振り返らなかった。
花粉症の絶頂にいるせいか、毎朝ヘドバン決めてます。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




