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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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嵐の前の

第五十三話。

 七絆の病室に戻るなり、竜胆は深々と彼女に頭を下げた。七絆はぎょっとして普段なら到底見れないであろうその旋毛を見る。

「本当に申し訳ないことをしました。まだ痛むでしょう。痛み止めも処方しますし、もしかしたら発熱するかもしれません。具合が悪くなったら、病院の受付で私の名前を出してください。警察の方には私の方から―――」

「あ、いえ、ちょ、ちょっと待ってください! 別に竜胆さんや病院が悪いわけじゃないですし、そんな大事にしたいわけではないので……。警察を呼ぶとなると親にも連絡がいきますよね。それはちょっと避けたいので、このことは内々にってことでお願いしたいんですが。まぁ、ちょっとした事故みたいなものと思いましょう。他の患者さんには見られてないわけですし」

 竜胆は七絆のその言葉に驚いたかのように目を見開いた。七絆だって相手の立場だったら同じことを思う。心中察するが、義母である蘭にばれるのだけは避けたい。既に学校から連絡は入っていると思うが、特にこちらの端末に連絡はなかった。そこでさらに面倒ごとを持ち込みたくはない。

 それに今は家に零がいるのだ。蘭のことだから干渉はしてこないと思うが、万が一にも家に入られたくない。七絆が不在の時に何度か入られているのは零から聞いているのである。些細なことでも理由は与えたくなかった。

「……本当にいいんですか? これは病院側の不手際です。親御さんから嘉翅さんが責められるってことはないと思いますよ」

「あー、その、ちょっと義母と折り合いが悪くって。呼び出されたりすると困るんです。被害者の私がこう言っているので、なにとぞ……。手当もしていただきましたし、なんかそんなに痛くなくなってきた気もしてます!」

 包帯の巻かれた左手を握って高々と突き上げるので、竜胆は慌ててその手を降ろさせた。アドレナリンでも出ているのか、先ほどとは打って変わって興奮している七絆に困ったように眉尻を下げる。

「確かに、嘉翅さんがそう言うのならば……。いや、病院的には良くないんだけれど、幸いにして、あなたの言うとおり、他の患者には見られていなかったから、看護師たちに口止めをすればいけるかな。それにしても、そんなに家族との仲がよくないというのは大丈夫ですか? 虐待とか、ネグレクトを受けているだとか。あまり込み入った話を聞いてはいけないと思いますが、実のお母さんではないのでしょう?」

「あー、そういうことはあんまり。その実母と仲が悪かったみたいで、私にも風当たりが強いんですよね。それに大学入ったら家を出る予定なので大丈夫です」

 あの扱いは虐待ではないがネグレクトには当たるのだろうが、ここは嘘でもついて誤魔化したほうが良いと判断した。そもそも七絆自体はそんなに困ってはいない。むしろ近くにいて嫌味を言われる方が面倒くさいからwin-winの関係だろう。七絆の胸中を知らない竜胆はその言葉に複雑そうな顔をしながらも納得したかのように頷いた。あまりこの話題を続けたくはないので、七絆は話を変えることにする。

「それにしても、さっきのおばあさん、前からあんな電波な感じなんですか?」

「……いや、むしろ今まではあんなようなことをするような人ではありませんでした。いや、実際ああいったことが起こったわけですし、言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、とてもしっかりされた方だったかと。少し不愛想なところはありましたけれど、礼を欠くようなこともされませんでしたし。だから、私も判断しかねているんです。……あの病室の方があのようになってしまってから長いんですけれど、毎日いらしてましてね。進んで清拭をしたりして、『植物の世話には慣れています』なんて言うくらいには気丈な方でした。だから、どうしてあのような行動を―――」

 竜胆はそう言うと顎に手を当てて深く考え込んでしまった。その傍ら、七絆も先ほどの小暮と呼ばれた老女の様子を思い出してみる。

「そう言えば、しきりに私のこと、“彼”って呼んでました。確かにこんな体型なので初見では少年と間違えられることが結構な割合であるんですけど、大体みんな声を聞くと認識を改めてくれるんですよね。それなのにあの人、ずっと間違えてたな。知り合いに似た人でもいたんでしょうかね」

「私も彼女のプライベートなことまでは知りませんが、病院にいた時はいつもおひとりでしたね。それに、もし知り合いに似ていたとしてもいきなり切りつけたりはしないでしょう」

「そ、そりゃあ、そうでしょうけど……」

 もう一度記憶の中をさらってみるが、彼女は七絆を誰かと間違えていたにしては迷いも戸惑いもなかった。まるで七絆が本当に小暮の言う“彼”だとでも言うかのように。彼女のその様子に、逆に七絆に揺らぎが生まれていた。

 そもそも七絆にはあの夏以前の記憶がない。もしかしたら、その失った記憶の中で小暮に会っていたかもしれないのだ。その時に彼女が七絆を少年と間違えるような何かがあり、その勘違いが今でも続いていていたとしてもおかしくはない。七絆は生まれも育ちもこの町であるため、どこかで会っている可能性は低くはない。とはいえ、七絆に当時の記憶はないため、どう足掻いても証明はできないものである。

 何よりも、七絆を揺らがせていたのは、あの凛とした背中の裏側に見えた虚ろな瞳だった。最後に見た彼女の瞳が忘れられない。小暮と呼ばれる老女とはつい先ほど会ったばかりだが、あんな顔をするとは思えなかった。そして、そう思う自分自身に七絆は違和感を感じている。あの時、胸に去来した想いは確かに落胆に他ならなかったから。

「――ねさん。嘉翅さん? 気分が悪かったりしますか?」

 竜胆の訝しげな声に七絆はいつの間にか俯いていた顔を上げた。目の前のその顔には心配が見て取れる。

「ああっと、いえ! 問題ないです、大丈夫です、元気です!」

「はい、手を振り上げないでくださいね。特に吐き気とかもないですか?」

「全然! あはははは、考え事してると黙っちゃったりするんです。すみません、心配をおかけしてしまったみたいで」

 竜胆は「それならいいのですけれど」と言いつつ、その表情は渋いものだ。医者として、七絆の様子がわからないのだろう。七絆の手の傷は骨が覗くほど抉られていたのだ。普通の少女ならば、痛み止めを打っているとしても、その痛みを感じているはずなのに、彼女は痛みなど感じていないかのようにけろりとしている。薬が効きやすかったとしても、竜胆としては彼女のことがわからなかった。

 竜胆の疑念を視線として感じていた七絆は内心焦っていた。義母である蘭には連絡を絶対に入れて欲しくない。確実に面倒なことになると、火を見るよりも明らかである。できれば、早く病院から立ち去りたいところだ。とりあえず、焦っていた七絆は会話でもして、お茶を濁そうと考えた。

「先生はどうして髪を伸ばしてるんですか? 邪魔じゃありません?」

 そこで七絆はふと疑問に思ったことを口にする。それを受けて竜胆はその毛先に触れて、「ああ、これですか」と言った。

「実は短いよりも長い方が束ねてまとめてしまった方が案外邪魔じゃないんですよ。どうしても横の髪が落ちてきてしまいますから。……まぁ、私の場合は願掛けも兼ねて、なんですけれどね」

「願掛け? 先生の願い事って何ですか?」

「ふふっ、それは秘密ですよ。言葉にしてしまったら、叶わなくなってしまうので」

「そういうものですか? どちらかと言えば、私は声に出した方が叶う気がしますけど」

「それは嘉翅さんの願いが誰か他者に依るものだからでしょうね。言葉にしなければ叶えて欲しい相手に伝わりませんからね。私の場合は、―――私の中の誓いとでもいうべきものなので」

 そう言うと竜胆は首元に下げていたロケットペンダントを握った。その表情は愛おしそうで、それでいて悲しみを湛えているようにも見える。七絆はそれを見て胸にざわりとしたものを感じた。

 きっとこれは共感というものだろう。わからないけれど、彼のその感情を理解できるような気がした。そして、それが痛みを伴うものだということも。

「あー、そろそろ、そのー、私も帰らないと! お家でかわいい子が待ってるんですよぉ。めちゃめちゃ可愛くてぇ」

 だから、七絆は努めて明るい声を茶目っ気たっぷりに出した。ぱんっと手を鳴らせば、空気が揺れて晴れるようだ。

 誰かの感情で自分の感情が揺さぶられる、その感覚が嫌いだった。自分の感情が常に誰かに依るものだと思えてしまって、自分自身が伽藍洞になった気分になるから。

「? もう少し休んでいった方がよいのでは? そもそも頭を打ってここに運ばれてきていたのに、それなりの血も流してますから……」

「いえ! 帰ります! えへへ、病院とはあんまり縁がないので緊張するというか、落ち着かないので。家でゆっくり休むことにします」

「……そうですか? せめてタクシーをお呼びしますよ。歩いて帰るのは危険ですからね」

「いや、それも大丈夫です! さっき知り合いが近くに迎えに来てくれるって連絡きたので!」

 そう言えば、竜胆は少し柔らかな表情をして「そうですか」と安心したように言った。手のかかる幼児を見るような視線を受けて、七絆はにこりと笑ったまま罪悪感を感じていた。七絆に迎えに来てくれるような知り合いはいない。否、ひとりはいるけれども、零が端末を壊した今、彼に連絡を取る術はない。つまりは嘘である。

 そんなことは露とも知らぬ竜胆はにこにこと笑っている。手元の書類の一部を七絆に渡して、立ち上がった。

「下の会計で私の名前を出して、痛み止めを受け取って帰ってくださいね。それから、帰ったらゆっくり休むんですよ。それと、二週間後に抜糸に来てください。はい、この日ですね。私はこの後診察がありますので、これで失礼しますね」

 竜胆はそう言って日付に赤丸のついた紙を七絆に手渡して病室を後にした。からからと高い音を立てて扉が閉まるのを見つめる。足音が遠くなっていったのを確認してから、七絆は綺麗に折り畳まれた制服に手を伸ばした。左腕を吊っているのを思い出したが、傷は痛み止めのおかげかほとんど痛くない。着替えるのに邪魔なので外してしまう。包帯で固められた手は指先しか動かなくて大層不便だった。

 着替え終わって、血の付着した検査着をどうすべきか迷ったが、折り畳んで置いておくことにする。左手を握って開いてを繰り返してみれば、掌の真ん中に引き攣った感覚がした。料理はしにくいだろうし、風呂に入る際には気をつけなければいけない。この包帯の下に縫合跡があると思うと、それを見ることへげんなりしてしまうが、零の首元や彼のおっちょこちょいで吹き飛ばした指の縫合で見慣れてしまった気もする。卒倒した気もしなくはないが、今では平気だと彼女は思っている。

「いやぁ、災難だった」

 七絆は独り言ちて、カバンを肩に引っかけると病室から出る。病院に来て得たものは新しい傷だったが、それについて考えても栓のないことなので早々に置いて行くことにした。

 彼女の災難がまだ続くことも知らず、足取り軽く。


 リビキスも全然話が進んでいないながら、時間だけは積み重ねているようで本日で一周年記念日です。これからものんびり拙いながらもふたりの物語を綴っていければいいなと思っています。でも、二周年までには第一部を終わらせたいね。長いね。


 ここまでお付き合いいただきありがとうございました。これからもどうぞお楽しみください。

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