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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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きみのためなら

第五十話。

 向こう側にも聞こえるように大きく音を立てて、七絆は鍵を閉めてやった。ついでとばかりに荒々しく、ドアガードも閉めてやる。両腕にかけたビニール袋が大きくがさりと揺れてから、ようやく七絆は空気が抜けたみたいに息を吐いて、その場にへたり込んだ。

「大丈夫だった?」

 そう声を掛けてきたのはドアの死角に立っていた零だった。ちょこんと三角座りをしているため、へたり込んだ七絆と同じ目線にいる。

「だいじょうぶ……じゃないかも。ちょっと零はそこで静かにしててね」

 七絆がしぃーっと唇の前に人差し指を立てれば、零も慣れたもので小さく頷いた。呼吸音すらも止めてみせた零の横でドアアイを覗き込むと、そこにはまだ凍雲が立っていた。しかもこちらをずっと見ていて、あまりの執念に背筋がぞっとする。本当にどうしてここまで執着されているかもわからないし、ただひたすらに気持ちが悪い。小路だりあがなぜこのストーカー気質の男に夢を見られるのか甚だ疑問だ。

 反射的にドアアイから身体ごと離れる。それを下から見上げていた零が七絆が退いてできた空間に頭を突っ込んで、同じようにドアの向こう側を覗いた。

「……だれ?」

 密やかに耳に届いたのは零にしては冷たい声だった。七絆を責めているというよりかは警戒を露わにしているような、訝しんでいる声音だ。七絆は凍雲のことを零に知らせるつもりがなかったので、大慌てで彼をドアアイから引き離すが、時すでに遅し。零の赤い瞳が今度は七絆に問いかけてきていた。

「……クラスメイト?」

「なんで疑問形なの?」

「いや、それくらいしか形容すべき言葉がないというか……。あとは、一応幼馴染らしい。その、私、昔の記憶がないので……」

「ふうん。僕とお揃いだね」

「お、お揃い。え、えへへへへ、へへ……」

「それで、これはどういう状況なの? あ、どっか行った」

 再びドアアイを覗き込んだ零の言葉に七絆も倣えば、凍雲は去っていた。ずっとここにいられて、義母である蘭と鉢合わせでもされたら目も当てられない。そう言えば、彼女はあれ以来、義父の部屋に侵入していないのだろうか。ここは彼女の家であるので侵入という言葉もおかしいけれど。

 零は七絆の手からレジ袋を取り上げると、「話はこっちでしようよ」と彼女の退路を塞いでからリビングへと行ってしまった。

「……なんか、零ってば逞しくなっちゃった」

 先ほどの零を思い出して、七絆はぽっと紅くなった頬に手を添えて呟いた。

 ちなみに逞しくなったのではなく、遠慮をしなくなっただけなのである。今まで零も七絆も互いの触れて欲しくないところ、嫌がることは徹底的に避けてきていた。けれど、それは昨夜やめにしたのだ。だから、あれこそが等身大の零であり、心から七絆を心配する彼だった。



「それで、ナズナ。話の続きをしよう」

 目の前のマグカップには零のために買ってきたコーヒー牛乳がなみなみと注がれていた。その量の多さから、零がきっちりかっちり七絆から話を聞きだす算段であることが窺える。

「ええぇっと、ゼロサン」

「なぁに、ナズナ。ちなみに言うと僕はこの件に関しては根掘り葉掘り聞きだすからね。遠慮はしないと決めたもの」

 にっこりと笑う零が今日も可愛いなぁと現実逃避しても、この場から逃げられるわけではない。それに明らかに様子のおかしかった凍雲のことは、しっかりと情報共有をしておいた方がいいと七絆も思っていた。いつもの凍雲はただの面倒な男だが、あれは些か面倒の域を超えている。こちらに危害を加えてきてもおかしくはないという危うさがあった。自宅は知られているのだ、下手したら乗り込んできかねない。

「確かに情報共有というのは重要だからね。さっきドアのところにいたのは閖坂凍雲って名前のクラスメイト。パーソナルデータとしてはこれくらい。あとは……なんだかよくわからないけど、私にめちゃくちゃ突っかかってくることかな」

「突っかかってくるって……ナズナ、何かしちゃったんじゃないの? 興味ないとか直接言ったりしなかった?」

「ウッ……! あまりにもド直球ストレートな物言い! そして、見てきたかのように的確な例え!」

「言ったんだ……。ナズナ、そういうとこだよ」

 思わず胸を抑えて机に沈めば零に頭を撫でられた。何よりも零に「そういうとこ」と言われるということは知らないうちに零にもそんな態度を取ってしまっていたのだろうか。どちらかといえば、その指摘の方が心にきた。思わず捨てられそうな子犬のように零を見れば、零は少しだけ頬を赤らめてわざとらしく咳払いをした。

「そんな顔しないでよ。ナズナは僕にはいつだって優しかったさ。……ただ、僕から見てもナズナってあんまり他の人に興味がなさそうだから」

「そ、そんなに? 傍から見てそんな感じだった?」

「うん」

「そ、そんなにかぁ……」

 ちなみに零曰く、七絆の口から人名がほとんど出てこないことや出てきたとしても一瞬で会話が終わることから、「なんとなく友だちいないんじゃないかなぁ」と推測したらしい。七絆的には結構ショックな話だ。何しろ零の前では努めて良い子であろうとしていたのである。かなり初期の頃からそう思われていたようで、七絆は机に突っ伏すしかなかった。

 マグカップを両手で包みながら、零はそんな彼女を見遣る。彼の指先は忙しなく動いて、急いているような、迷っているような動きだった。

 机に伏せている七絆は気づいていないが、零は実際に迷っていた。七絆が告げた、「昔の記憶がない」という言葉について聞いてもいいのかどうか。もしかしたら、彼女をとてもひどく傷つけるかもしれない。そう思うと口を開けないのだ。七絆には遠慮はしないといったものの、生来の気質として零は誰かの傷口を暴くのが苦手だった。

 けれど、この想いが昨夜のようなすれ違いを生むのだろう。そうであれば、怖気づいてはいられない。七絆だって、きっとかなりの勇気を必要としたのだろうから。


「……ナズナ、昔の記憶がないって言ってたの、聞いてもいい?」


 おずおずと零は上目遣いで七絆を見る。明らかに遠慮が見て取れ、彼の両手の中のマグカップではコーヒー牛乳がその不安を示すように波打った。

 己の過去に零が興味を持ったことに驚いたのか、七絆は僅かに目を見開いた。零はその表情を読み解くのに失敗したのか、慌てて撤回しようとしたが、その前に七絆が口を開いた。

「全然! 昨日は零のことをいっぱい聞いたんだから、次は私の番だよね」

 だから、そんな不安を吹き飛ばすように七絆は笑って、快活にそう言った。零は目を丸くして、次いで雰囲気を柔らかにして口の端を持ち上げる。

「とはいえ、本当に話せることはないんだ。全然劇的なことはないし、面白いようなこともない。所謂学生生活が淡々と過ぎていったって感じだけど」

「そうなの?」

「うん。私の記憶が始まっているのは中学二年生の夏から。病院で目を覚まして、今が何日かを看護師さんに聞いたら、ひどく驚かれたのは憶えてる。あまりにもびっくりしすぎたのか、その人、手元の花瓶割っちゃってね。それで花瓶の欠片を拾おうとして血が出たことも憶えてるよ。その後はいろんな人が入って来たり出て行ったりの繰り返しで、お母さんが小さい頃に死んでたこととか、ああこの人がお義母さんになるのかとか、そんなに元気で活発な子じゃなかったんだなとか、そんな感じ。それ以降は特筆すべきこともなく、中学に通って、高校に入学して今に至る」

「中学二年生以前の記憶がない以外は僕に出会うまで本当に普通の生活を送ってたんだね……」

「え、なにその生温かい視線は。私は今だってごく普通の一般的な生活を送ってますけど?」

「ナズナがそう言うとなんだか胡散臭いね」

「胡散臭いかなぁ? まぁ、そうだね。特に変わったことがあるとしたら、めちゃくちゃ頭がよくなったこととめちゃくちゃ運動神経が悪くなったことかな」

 そこで零が首を傾げた。机の隅に置いてあった全国模試の点数をちらりと確認してから、逆の方向へ首を傾ける。

「ナズナ、頭悪かったの?」

「昔のテスト見つけたら赤点だらけでびっくりよ。そのせいで暫くカンニング疑われたりして大変だったんだから。……体育の方は逆に心配されたけど」

「あはははは! ナズナってば、会ったばかりの頃は本当心配になるくらい転んだりしてたもんね」

「そんなに笑わなくたっていいでしょ! 最近は結構マシになってきたんだからさ」

 零は何がツボにはいったのかわからないが、声を上げて笑い続けている。そんなに転んでいただろうかと思い出そうとしても、あまりピンとこない七絆だった。あまりにも笑うものだから、気恥ずかしさが勝って文句のひとつでも言ってやろうと思って、やめた。


 心底、ほっとしたような表情だったから。

 七絆が“普通”であったことを、本当に嬉しそうにしていたから。

 きっと、“ゾンビ”である自身と違うことを、まるで自分の夢が叶ったかのように喜んでいるから。

 七絆は何も言えなかったのだ。彼女がつまらないと享受していたそれのどれもが零には手を伸ばしても届かない星だったことを思い知った。今まで蔑ろにしていた平凡がこんなところで誰かを喜ばせるとは思ってもいなかった。

 

 だから、七絆は決めたのだ。

 言おうか迷ったというのが本音だ。けれど、零は七絆に話してくれたのだ、その心の内側の隠しておきたい部分まで。

 ならば、七絆が口を閉ざすのはフェアじゃない。七絆の得体のしれない胸のその内を語らなければいけない。自身の異端を曝け出すべきだ、それを恐れられたとしても。

 なによりも、そう決めたのだ。


「私もね、おかしな夢を見るよ」

 俯いたまま肩を揺らしていた零の動きがぴたりと止まった。それから、訝しげに七絆を見る。

「誰かを殺す夢」

 ひゅっと、彼が息を吸い損ねた音がする。殊更甘い響きを持たせて言った七絆は、伏し目がちなまま手元のマグカップを両手で覆った。じんわりと冷たさが手のひらに沁みていく。

「よくは憶えていないさ、夢だからね。けれど、私ではないものを殺しているんだと思う。憶えてはいない、憶えてはいないけれど、奥底にこびりついた衝動を感じることがある。何かを断ち切りたいっていう想いも」

「……でも、それは夢だよ」

「そうさ、夢さ。零と一緒で、ただの夢。きっと誰もが一度は見るもの。そんなに悪い意味はない、変化のための夢だよ。―――でもね、たまにとてつもなく心配に、不安になる。私が知らない記憶の中で、私はもしかしたらとんでもない悪人だったんじゃないかって。そりゃあ、周囲の話聞いてればそんなことはないとはわかっているけれど。それでも、その夢を見るたびに思うんだ。『私』は私が望まないものになりかけているんじゃないかって」

「ナズナはそんなことしないよ」

「本当に?」

 伏せられていた七絆の真っ黒な瞳が零に向いた。瞬きをすれば星が飛びそうな黒い、黒い夜空のような瞳が零に問うてくる。

「本当にそう思う? きっと私は零のためなら何だってできるよ。それが私たちの利になるとわかれば、誰かを見捨てることだって簡単にできる。誰かを傷つける覚悟だって、場合によっては殺す覚悟だってできてる。それでも、零はそう思うの?」

 先ほどまでは七絆から話を聞きだす立場だったというのに、立場が逆転して今や零が七絆に問われている。じろりと零に向く瞳の奥には疑念と一筋の不安が見え隠れしていた。

 だから、零は胸を張って答えるのだ。

「ナズナはそんなことしないよ。いや、もしそういったことをしたとしても、僕は決してきみを嫌ったりしない。……人を殺した僕だからこそ、ナズナにはそうなってほしくないと思うけれど、これは僕の願いであり、押し付けだ。だから、ナズナはしたいようにして。僕もやりたいようにするから。でも、これだけは憶えていてほしい。―――僕はナズナがどんな怪物になったって、一緒にいるから」

「ぜろ……」

「まぁ、化け物なのは僕の方なんだけど! だから、ナズナも嫌じゃなければ想って欲しい。僕が化け物になったとしても、一緒にいるって」

「言うよ。誓うよ、私。私は零がどんな姿になったって、例え世界中が敵に回ったって、最後の最期、その時まできみと一緒にいる」

「―――ありがとう、ナズナ」

 七絆の誓いを聞いて、零もほうっと笑った。安心したような、柔らかな笑みだった。



 少しばっかり温くなったコーヒー牛乳を飲みながら、七絆はそう言えばとあることを思い出した。

「そういえば、私が鍵開ける前にすごい音したけど、もしかして本当になんか報知器鳴ったりしてた? それだと消防隊員とかそういう系が来ちゃってヤバいのだけど」

「ああ、そうだった。あの音の正体はこれ」

 そう言ってソファの方へ行き、零が持ってきたのは真っ黒な端末だ。それは七絆の私用のものではなく、胡蝶から渡されたものだった。

「ナズナが帰ってきてたのは結構前からわかってたんだ。声も聞こえてたから、人がいるってこともわかってて。ナズナ困ってそうだったから、どうにかしたくって。でも、僕が外に出て行くわけにはいかないでしょ? 僕の一時の感情でこんな昼間に姿を見せるのはナズナに迷惑かけちゃうから。だから、家の中からどうにかできないかと思った時にこの端末を見つけて。……その、ナズナは怒るかもしれないけど、この端末を適当に操作したらあの音が出ました」

 七絆はしゅんと項垂れる零と端末を交互に見る。あの機械音痴の零が、この端末を使った。その事実に驚きを禁じ得ない。ゲームをするのは好きなくせに、全部お膳立てしないとできないくらいの破壊魔が。

「……いや、それ、端末壊れただけなのでは?」

「…………ゴメンナサイ」

「別に零が悪いわけじゃないし、何よりもあの場を切り抜けられただけで勲章ものだよ」

 端末の電源ボタンを入れるがうんともすんとも動かない。電源ケーブルを差してみたが、画面は真っ黒なままだ。

 ならば答えは至極簡単、単純明快。

「…………壊れてるね」

「…………誠にゴメンナサイ」

「いや、いいんだってば。これ、昔使ってた端末を予備として使ってただけだし。今使ってる端末は動くんだから気にしないで」

 これは胡蝶からもらった端末であるが、さすがにあの男のことまで話すのは気が引けた。隠し事はすべきではないと思っているが、全てを明かすのもこの先のことを考えれば憚られる。特に胡蝶は七絆にとっての切り札的存在である。なぜか零は会ったこともないのに本能的に嫌っているようだが、それでもこの先を生き抜くためには必要悪である。

 だから、七絆は咄嗟に嘘をついた。良心が多少痛みはしたけれど、その痛みは噛み殺せる程度だ。零はそれに気がついた様子もなく、「予備でよかったぁ」と胸を撫で下ろしている。

 きっとこれから先、どんなことがあったとしても零は七絆の隣にいてくれるのだろう。だから、いつかは胡蝶のことも明かすつもりではいる。けれど、一抹の不安がよぎるのだ。それは零の誓いではなく、吊木胡蝶という存在そのものに。

 零とは会わせない方がいいと、七絆は思うのだ。明確に何か理由があるわけではないが、こういった直感には従うに限る。

 例え、すでに二人が互いの姿を見ないまま言葉を交わしていたとしても。零が語らない限り七絆は知りえないのだ。

 まだ、その内側を晒しきれない二人は顔を見合わせて、胸の中に少しの罪悪感を残したまま笑った。今はそれで充分だと、七絆も零もわかっているから。


祝・50話! そろそろ記憶が曖昧なので一度通しで読まないとだめだなとは思ってるんですが、何気に量が多くてしんどいです。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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