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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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狂い咲き

第四十七話。一部グロテスクな表現があるのでご注意ください。

 私は目を覚ます。

 いつもどおり、変化のない目覚めだ。目の前で右手を開いて閉じてを繰り返す。私の意思通りに動いている。先日とは違い、しっかりと身体もついているし、それらもちゃんと動いた。

 起き上がろうと手をつけば、ちょうど何かが立てかけてあったようで、それは倒れた拍子に高い音を出す。その音源に私は視線を流した。

 それは大きな鉈だった。人の首くらい簡単に刎ねられそうな、否、もはやそんな用途しか思いつかなさそうな大きさだ。私は何の疑問も持たずにそれを掴んだ。これはこの先必要になるものだ。そして、それを何に使うかを私は理解していた。柄を掴めば、私のために誂えたかのようにぴったりと手の中に納まる。

 今回はどうやらベッドに寝かされていたらしい。いつもの朽ちた診療所もどきの診察台に乗せられていた。ここに来るのも何回目だろうか。朧げな記憶に思いを馳せる中、試験管を踏んだのだろう、パリンと音を立てて割れたそれを無視して歩き始める。

 が、はたと靴の感覚がないことに気がついて、足元を見れば裸足だった。足の裏を確認してみれば、硝子片が刺さって赤い球体がぷつぷつと生まれている。しかし、痛みは特に感じなかった。夢だからだろうか。私にとっては好都合なのであまり気にしないことにする。ペタペタと湿った音ともに進む。後ろを見て見れば赤い足形がついていた。

 幸いこの部屋のドアは外れているのか、ドアがあるべきところにぽっかりと穴が開いている。鍵がかかっていなくてよかったと思いながら潜り抜けようとしたその時、突如行く手を阻むようにドア枠に白い脚が掛けられた。

「おーっと。そんな凶器を持って何処に行く気だい? ここから先は大人の時間ていうか、お姉さん的にはそれを使うのはちょーっと早い気がするんだな」

 廊下の壁に体重を預けて私を通さないようにしている足の持ち主は相変わらず首がなかった。白衣の色が目の端にちらついて邪魔だ。その色はもっと美しいものだと知っているから。

「お姉さんもなにも、きみは私なんだから年齢に変わりはないでしょ。それより邪魔、この脚どかして」

「つれないなー。私の話もちゃんと聞いていきなさいっての。後悔しても遅いし、したところでもう何処にも戻れなくなるんだから。この道を歩むにはまだ早すぎる。まだまだ自我ってものができてないでしょ?」

「自我? そんなもの、疾うの昔に持ってる。退いて、私には待っている人がいるの」

「ええ~! 約束って、誰とぉ~? 私の知っている人かなぁ、それとも知らない人かなぁ? あなたは私で、私はあなただけどー、どうなのかなぁー?」

 その言葉に声が詰まる。どうしてかそれを思い出せないのだ。私が約束したのは彼だっただろうか、それとも―――。

「きみには関係ないよ。これは私の約束だ。わからなくたって、いつかはわかる」

「そりゃあそうさ! 此処は現在も未来もない、時間が進むのをやめた世界だからさ! 此処は常に停滞している、過去の世界。いやいや、過去の世界とは言いすぎか。此処は時間の墓場。私たちのたくさんの後悔と絶望と喪失を孕んだイマの墓場。常にあなたの望むように、あなたとともに。まー、どっちにしたって何て言ったって何処にも進めないわけなんだけれど。だから、約束なんて誰としたかなんて覚えてなくて当たり前なわけ。だって、それを後悔していないから。絶望していないから。喪失していないから」

「……きみはどこまでを覚えているの? 何を知っているの? 私の真実を、私のことをどれだけ把握しているの?」

「私がどれだけ、何を知っているかってぇ? そんなの全部だよ! 私が、あなたが“私”たちとして生まれたその時から! いいえ、いいえ、それは嘘。私はそれより前のことも知っているもの。けれど、それはあなたには教えない。だって、それは反則行為じゃない? 選択肢を奪って、道を走り続けさせるなんて、回し車をぐるぐるぐるぐるぐるぐる回すラットみたいじゃない。一度でも選択肢が奪われたなら、もう自由は見えなくなる。だって、選ばされることの安心感を知ってしまったからには歩き出せなくなるから!」

 けたけたけたけたと姦しく、彼女は笑った。彼女が笑うたびに首から血が噴き出して、白衣を汚していく。それが記憶の何処かを刺激して不愉快だった。

 このまま話し合っていてもずっと平行線だ。いや、そもそもこれは話し合いと呼ぶのだろうか。彼女が私自身だというのなら、これはただの一方通行の自分語りに過ぎない。

 どうであれ、私が為したいことをできずに終わってしまうのだけは嫌だ。彼女は選択をすることを重視しながら、私の選択を邪魔しようとする。このまま何も選び続けないでいろと言う。それが今の私にはとても腹立たしく思えた。今までの彼女の振る舞いにも苛立つことはあったけれど、今回ばかりはそうもいかない。

 私はそれを為して、彼/彼女の元へ行かなければならないのだから。

 だから、私も選択をする。

「へっ」

 彼女が素っ頓狂な声を上げた瞬間には、既に彼女とその足は分離していた。大腿動脈があるからか、派手に血飛沫が上がる。彼女目掛けて振り下ろされた鉈も赤く染まっている。私自身も赤く染まっていく。


 それがひどく、心地よく感じられた。


「ああああああああああああ!!!」

 彼女の口から叫び声が上がった時には、私は赤色の雨でずぶ濡れだった。けれど、この行為に何の躊躇いもなければ、後悔もなかった。片足を失った彼女はバランスを崩して後ろへと倒れていく。私はそれを感慨もなく見ていた。

 だって、これは私の躯なのだから。私がどう扱おうと私の勝手だ。私は大鉈を大きく振り、血振りをした。その血が頬に飛んで、先とは打って変わってひどく不愉快だ。すでに頭から血を被っているから意味はないだろうが、乱暴にその部分を袖口で拭き取る。彼女の残った足を蹴り退かして、一歩踏み出す。

 さて、もう一人の首なしは何処にいるのだろうか。

「うふっ、うふふふふふふふふふふふふふ」

 背後から気味の悪い声が聞こえてくる。振り返れば、片足を失った彼女が腹を抱えて笑っていた。彼女が身を捩るたびに、脚の断面からは血が噴き出していて、趣味の悪い噴水みたいだなと思った。

「痛くないの?」

「いぃぃぃぃったくなぁぁぁぁぁぁい! 全然痛くないよぉ、こんなのじゃ! あは、だって私の身体はもう死んでいるんだから! 痛覚なんてあるわけないじゃない! 辛いだなんて、痛いだなんて思うわけないじゃん! あー、でもでも、不便にはなったかなぁ。あーあー、首もなければ足もないとか笑えないわー。テンション下がるー。もう急降下だよー」

 よっと、という掛け声とともに、彼女は手摺に摑まって器用に立ち上がった。それでもバランスは取りにくいのか、重心が定まらずにふらふらと身体が揺れている。彼女はそんな状態でもまだ笑っているのか、その肩は大げさなほど上下していた。

「いやー、それにしてもぶっ飛びすぎだよ、思考が。邪魔だったら刈り取ればいいって、どんな蛮族の思考よ。……まったく、愛だの恋だの、乙女を急発進させすぎ。ブレーキなし、走り出したら止まれないのかっていう。もはや麻薬みたいなもんだよね。いや、脳内麻薬だから間違いはないのかな。ほーんと、あの白色は人を狂気に導くものね。ああ、でも、私が“私”であるのならば、あなたが“私”であるならば、必然なのね」

「……何が言いたい?」

「運命の歯車は廻り始めたってことよ。噛み合わないまま、無理矢理にも動き始めてしまった。賽は投げられたってところ。ここまでくると、運命だなんてロマンチックな言葉じゃなくて呪いだわ。……それを始めた私の言えることじゃないけれど。さぁ、とりあえず、そいつを置こうか。そうじゃないと話ができないわ」

「私には為すべきことがあるんだ」

「うんうん、そうだね。あなたはしなければならないことがあるのね。でもね、それはそうしなくちゃできないものなの? 誰かを傷つけなければいけないものなの? あなたはそれを良しとしないはずでしょう。だって、あなたは生かす方法を取るんでしょう。誰かを殺す立場には立てないのでしょう」

「……違う。私は何を置いてでもしなくちゃいけない。それが証明になるのなら、誰だって傷つけられる」

「嘘吐き。人を傷つけてでも証明しなきゃいけないことなんてないよ」

「嘘だ。それは嘘。だって、これが私の、―――『私』(ナズナ)のしたいことだから。私が『私』であるためにしなくちゃいけないんだ。きみだって、私の死体と呼ばれるのならば、したことがあるはずだよ」

「それはもう過去の話だよ。私が、あなたが取るべき選択肢はまだこれから先。誰かがしているからといって、あなたもしなくちゃいけないわけじゃない」

「でも、でも、私は―――私はそれを壊さなきゃいけない。殺さなきゃいけない、だって、だってだって、そうしないと私が『私』じゃ、ナズナでなくなってしまうから」

 頭の中がごちゃごちゃとしてきた。それは『私』のものだけど、あれは『私』のものじゃない。見たことある風景と見たことのない風景が入り混じって吐き気がしてきた。なんで、どうして私がこんな目に遭わなければいけないの。

 目の前では片足をなくした少女が立っている。ああ、そうだ。いつも意味不明なことしか言わない彼女が私を正論で責め立てるから。人の枠組みに無理矢理押し込もうとするから。

 私は間違っていない。ずっとずっとずっと昔から間違っていない。間違えるはずがないのだ。白く光り輝く不毛の大地から送り出されたその日から。

 『私』たちが××××であるためには、そうしなければいけないのだ。

 頭が割れるみたいに痛い。知らない声が口々に『私』を詰ってくる。思わず頭を押さえるが流れ込むそれを抑えられない。心に開いた隙間がひどく寒い。早く帰りたい。帰るって何処に。

 あの赤色の元に身を横たえてしまいたかった。ちらつく青色に手を伸ばしたかった。


 そこで私は気がついた。


 そうだ。『彼女』がいたから。『彼女』がいるから、『私』は、『私』たちはおかしくなったんだ。嗅ぎなれたこの匂いだって、『彼女』が嫌いだと言うから嫌いになったのに。だらりと垂れ下がった手の内の大鉈がひどく重たい。

 これから行われるのはただの自傷行為だ。誰も傷つかない。誰にもこの痛みは届かない。それなのに、撒き散らされた赤色が妙に目について、動悸が止まらない。あの『色』が恋しいと、狂ってしまいそうだ。

「でも、彼なら気がつくよ」

 ぽつりと私と彼女の間に言葉が落ちる。その声はよく聞きなれた私自身のものだった。頭を抱えて俯いたまま、私は目を見開いた。そして痛む頭をそのままに顔を上げた。

 目の前には片足をなくした少女が立っていた。そして、そこにはよく見慣れた私の顔が嵌まっている。穏やかに微笑んで、私のことを見ている。柘榴色の瞳がまるで“彼”のように優しく歪む。


 ああ、ああ。

 あれはなんだ。あれは私の死体なはずだ。過去も何もかも、『私』の認識していない“私”を詰め込んだだけの頭陀袋だ。


 そうだ。そうだったはずなのに。

 何故、彼女の首があるのだ。ここで生きているのは私だけのはずなのに。

 わからない、わからないわからないわからないわからない。わからないことがわからない。

 私は此処で生きて、此処で死んで、『私』は?

 まるで、

―――まるで、私が狂っているみたいじゃないか。

 手から大鉈が滑り落ちた。床に固い音を立てて、そのまま動かなくなる。目の前には変わらず私の顔をしたナニカがいた。

 真っ黒な髪と赤色の瞳。赤い目をした怪物が私を見て笑っている。

 私の顔をした化け物が『私』を見つめていた。


新年二発目がこれかよって感じですが、Wordの謎改悪と戦い続けてついにはキレそうです。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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