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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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置き去りのきみ

第四十一話。

 それは数十分前の出来事だ。

 零はひとり、クッションを抱えたままソファに寝転がっていた。零の体躯には少しばかり小さいそれから大きくはみ出た足をリズムよくばたつかせる。七絆がいれば「動きがうるさい」と注意したことだろう。

「……ナズナ、遅いなぁ」

 七絆が出て行ってから優に二時間は経過していたが、彼女が帰ってくる気配はない。零にはなんとなく七絆が家に近づいてくるのがわかるのだが、一向にその感覚がしない。ちなみに以前にこのことを彼女に話したところ、大層いい笑顔で頭を撫でられた覚えがある。零はとても嬉しかったが、あれは“コイビト”っぽくなかった気がすると後から思った。実際に七絆は完全に大型犬を撫でている気分だったりした。

 閑話休題。零の目下の問題は七絆が帰ってこないことだ。七絆が出て行った直後は零もゲームをしたりと好き勝手に動いていたのだが、大体一時間を越えたあたりから背筋が粟立つような感覚を覚えた。最初こそ無視していたのだが、それは段々と形を持ち、零の中で不安という形で表出してきた。どうにか気を紛らわせようとしていたことすらも手につかなくなってしまった。

 出かけ際にあんなことを言った零だったが、彼は七絆のアルバイト先をさっぱり知らない。どこで働いているのか、それはどこにあるのか、そこにはどうやって行くのか、全部わからない。そもそもひどい方向音痴である零が辿りつけるわけがなかった。

 勝手に出て行くことはできる。いつも七絆がしているように鍵をぐるりと回せば、外への道は開けるのだ。けれど、出て行ったところで零には何もできない。それこそ道に迷って『タカ』と遭遇して、最悪の方向に物事を進める可能性がある。だからこそ、零がここで七絆の帰りを待つことが最善だった。けれど、例えそれが最も望まれることであろうとも、零の心は彼女の帰りをひとり待つことなんてできそうにない。

 相反する想いを抱えたまま、ソファの上でごろりと寝返りを打った。どうにか七絆と連絡を取りたいが、零は通信機器の使い方がよくわからない。七絆は懸命に教えてくれようとしていたが、零が固定電話のコードを引き抜いたところで天を仰いだ。それから彼女は無理に使い方を教えることはなくなった。

「……ん?」

 肘掛けから頭を滑らせたとき、何か固いものを下敷きにした感触があった。頭の下に手を差し入れてみれば、そこには確かに何かがあった。四角くて、固くて、つるつるとしている。目の前に翳してみれば、それはよく七絆が弄っている薄い板だった。

 零にはそれをどうやって使うかがわからないが、それでもこの前遊園地に行った時に使っているところを見せてもらった。ちなみにゲームもさせてもらったので、零にとっては薄い板=ゲームができるものだと思っている。けれど、零の記憶違いでなければ、七絆はこれを使って誰かと連絡を取っていた。もしかすると、七絆と連絡が取れるかもしれない。

 一度使ったことがあるのだから、きっと使えるはずだ。そう思って零は唾を飲み込むと、彼の手にはいささか小さいそれを見回した。

「た、確か横のこのボタンを押して……わっ、ついた!」

 液晶に現在時刻が浮かび上がる。けれど、これは前に七絆に触らせてもらった端末と違う気がする。彼女が使っていたものはロック画面が青空のものだったはずだ。この端末の画面は真っ黒な中に時間だけが白字で浮いている。恐る恐る液晶に触れば、鍵穴のマークと数字のキーが浮かんできた。

「? なんだろ、これ」

 適当に数字を教えてみれば、手元の端末が間違いを知らせるように震えた。零はびっくりしてソファの上に端末を取り落としてしまう。少しだけ弾んでから、端末はそのまま沈黙した。つんつんと指で突いてみるが、特にそれ以上動きそうにない。

 零はほっと一息をついてから、事態が進展していないことに頭を抱えた。結局端末が使えないのであれば、七絆と連絡は取れない。一筋の光明は一瞬で闇の中へと消えていった。しかし、頭を抱えている場合ではない。さすがに帰ってくるのが遅すぎる。零の中には焦りと不安が渦巻いていた。

 何かをしたいけれど、何もできない。自身の無力さがいやになってくる。

 いつだってそうだ。彼女はいつだって零の手を引いて明るい世界を見せてくれるし、なんだってしてくれる。温かい帰る家をも与えてくれた。

 それなのに、零は何も返せない。零にあるのはみっともなく生にしがみつくこの死ににくい身体だけだ。それすらも足枷でしかないというのに。七絆に注がれた分だけ、零だって彼女に注いであげたかった。

 だから、あの日、七絆の唇を奪ったのだ。その行為を知ったのはほんの偶然で、ジェットコースターに乗り終わった後、たまたま目の前にいたカップルが零の目の前でほんの一瞬だけ唇を重ね合ったのだ。彼らは見つめ合って恥ずかしげにはにかんで手を繋いで去って行った。

 それを見て、零は胸が締め付けられるような想いがした。それは決して苦痛ではなく、充足されない渇きのような、ぎりぎりで手の届かないもどかしさのようなものだった。あの彼らがとても幸せそうに見えたからだろうか。

 七絆とああいう風に笑い合えたらいいなと、零は思った。それゆえの行動だったのだ。

 零はあの行為の名前を知らない。あれがどういう意味を持つのかも知らない。ただ、彼らのように満ちてみたくて、七絆に注げればと思っての行動だった。空っぽだった零が彼女に返せる精一杯の気持ちだった。

 なにもできない、なにも持っていない、その名の通り、『零』な青年がたったひとつだけできることだった。

(本当に? 本当に、お前は自分が何も持っていないと思ってるのか?)

 頭の中で自分へと問いかける誰かの声がした。ここのところ、こんな不可解な現象が多く続いている。最初は空耳だと思った。七絆は声を掛けていないというし、風の抜ける音がそう聞こえたのだと、そう思った。

 けれど、止まないのだ。この声はいつだって零を詰り、罵り、何もできない彼を責め立てる。この幸せな世界に生きることを許さないとでも言うかのように。 

 そういう時は決まって嫌な夢を見る。黒髪の美しい女性を縊り殺す夢だ。血の通わない冷たい手のひらに彼女の体温がじわりと零を犯す。どくどくとした脈動を感じて、彼女が今を生きていることを知る。そうして、零の手のひらの中で命を終えていくことも。

 夢の中の彼女は笑っていた。これから殺されるというのに、まるで安心したかのよう眦を下げて笑っている。それを見ながら、徐々に腕に力を入れて締め上げていくのだ。赤から青へと変わっていく彼女を見ながら、零はいつだって笑ってしまう。声を上げてげらげらと嗤って、その命の終わりを見て。それから、どうしようもなく虚しくなるのだ。

 殺人願望があるわけではない。できれば零は誰も殺したくはない。それが人間であったとしても、同族だったとしても傷つけたくない。赤い色をした血が流れるのを見るのが嫌いだった。自分のであればいい。けれど、他者が流しているのを見ると胸がざわざわとするのだ。

 特に七絆の血を見るとそれが一層強くなる。夢見るあの女性を思い出そうとすると靄がかってうまく思い出せないが、どこか七絆とよく似た顔な気がする。だから、零はいつも彼女の首を絞めるのかもしれない。彼女の血の色を見たくなくて。

 誰も傷つけたくはないのに、誰かが零を捕まえたいと思うから、その度に誰かが傷つく。あの檻のような研究所を逃げ出した時だってそうだ。別に被害が零だけで済むのなら、零は喜んで『タカ』の元へ行くつもりだ。

(違うだろう。お前にはやるべきことがある。それすら忘れて逃げるのか。被害者面するなよ)

 そんなことは知らない。憶えていない。零はその声から逃げるかの頭を抱えてソファに倒れ込んだ。それでも頭の中には声が響き続けている。

―――はやく、はやく、ナズナが帰ってきますように。

 両目を固く瞑って心の中で願いかけるが、そこでその間違いに気がついた。いつもみたいに七絆に縋っている。結局他力本願でしか物事を考えられないのだ。

―――違うだろう。僕がナズナを迎えに行くんだ。

 かつんと指先に固い感触がする。視線だけをそちらに向ければ、先ほど取り落とした七絆の端末だった。そうだ、蹲っているだけでは何もできやしない。やること為すこと全てを疑って、恐れて、一歩も踏み出せないことに、行動しないことに価値などないのだ。

 何ができるかはわからない。けれど、それはやらない言い訳にはならない。だったら、零は行動をすべきだ。零は端末を手繰り寄せるとぎゅっと握った。

 その時、握りしめた端末が震えて、零は飛び起きた。液晶には『非通知』と書かれていて、受話器が下がったマークと上がったマークが出ていたが、飛び起きた拍子に零の指は上がったマークに触れてしまった。ぴゃっと手を離すがもう遅い。

『……もしもし?』

 電話が繋がってしまったのだ。これは七絆のものなのだから、零が答えるわけにはいかない。零は意味があるかもわからないが、口を両手で慌てて塞いだ。

 数秒後に電話口の声は納得したように息を吐いた。電波に乗った声は男性のもののようだ。

『……ああ、そういうことか。はじめまして、諸悪の根源さん。そこにいるのでしょう。ええ、ええ、どうせいつものように部屋の隅にでも蹲っているのでしょう。わかっている、わかっていますよ。貴方がそういう臆病で矮小な人間だということは重々承知の上ですとも。ですが、ああ、ああ、何故彼女がそこまで貴方に固執するかが俺にはわかりかねますがね』

 なんとも無礼な男性だろう。温厚と称される零も両手の下の口元をへの字に曲げた。けれど、彼の言う言葉は本当のことだ。もし零が普通に電話に出ていたとしても反論できやしなかっただろう。

『おや、何も言い返さないのですか。それは多大なる甘えですね。自分が言わなくても誰かが庇ってくれるという、愚かしいまでの被害者面ですね。ああ、吐き気がする。彼女の命令がなければ、逃がしなぞしなかったのですけれど。栓のない話です。起こってしまったこと、為してしまったことを後悔しても遅いし、意味はありません。けれど、俺にだって愚痴を言う権利はありますよね』

 すらすらと澱みなく、電話の向こうの彼は零へと言葉をぶつけていく。零は彼がどうしてそこまで零を嫌っているのかがわからなかった。あの研究所を抜け出してから、出会った人間、少しばかり縁を持った人間はいたけれど、誰もが零のことを知らなかった。電話の向こうの彼とも初めて言葉を交わすはずだ。

 それなのに、彼はまるで零のことを知っているようではないか。それに“彼女”というのが七絆であれば、七絆の傍に零がいることも知っているようだった。七絆が話したのだろうか。彼女は警戒心が強い。だから、簡単に話すとは思えなかった。

 となると、今七絆が帰ってきていないこと何か関係があるのかもしれない。彼は誘拐犯だということもある。もしかしたら、今七絆は窮地にいるかもしれない。早合点かもしれないが、可能性としてはなくはないのだ。

 零は口を覆っていた手を端末へと伸ばし、力加減に気をつけながらそれを持ち上げた。ぐるりと頭の中を七絆の笑顔が過ぎる。そして、零は口を開いた。


「……何を知っているの。僕と彼女のことを」


『―――おや、おや、これは予想外だ。貴方のことだから、そのまま息を潜めて部屋の片隅にでもいると思いましたが、ヒロイックな気分にでもなりました? その対極にいるような貴方が英雄気取りの主人公の振りをしたって、いいとこ迷宮の中の化け物でしょう。ああ、ああ、恐ろしいですね。この世の生態系でも変える気ですか?』

「別に僕のことをどう言ったっていいさ。きみが僕のことを知っているというなら、それはきっと本当なんだろう。それよりも質問に答えて」

『貴方と彼女のこと? そんなことを堂々と言えるくらいの関係性が? ないでしょう! ただ偶然にも彼女の慈悲に触れただけのくせに、まるで我がもののように。貴方は知りはしないでしょうけれど、俺は彼女のことをよく知っている。あぁ、よく知っているとも。彼女がどういう存在かも、その心の内に隠したものも』

 まるで七絆の全てを知っているとでも言うその口ぶりが零を苛立たせる。電話の向こうでせせら笑うその声も、よく回るその舌も、何もかもが気に入らなかった。一方で、零の冷静な部分が自分にもこのような感情があったのかと思っている。だが、そんなものはどうでもいい。

「きみと話していると苛々してくる。僕は質問をしているんだ」

『奇遇ですね。俺も貴方と話していると気分が悪くなってくる。いや、反吐が出そうだ』

「……話にならないね。きみは何のために電話をかけてきた? 僕は今からナズナを迎えに行かなくちゃいけないんだ。きみに構ってるわけにはいかない。約束を、したんだ。ナズナは僕のところへ帰ってきてくれるって」

 小さく息を呑む音が聞こえた。数分間、互いに無言の時間が過ぎていく。埒が明かないと零が電話をどうにか切ろうとしていれば、小さな声が聞こえてきた。

『―――ええ、ええ、でも、わかっているさ。彼女にはお前が必要だってことくらい』

「はっ?」

『嘉翅七絆はいま、夜日羽研究所にいる』

 ぼそりと呟かれた言葉に反応すれば、男は早口で七絆の居場所を告げた。零は口の中で「やにちばね……」と転がしてみると、なんだかその音に聞き覚えがあった。けれど、それ以上は何も思い浮かばない。

 男はそんな零の様子を感じ取ったのか、舌打ちをして何も言わずに電話を切った。

 ぶちりと電話を切られたことに、最初何が起きたか理解できなかったが、ツーツーという音でこの会話が打ち切られたことを悟った。零は苛立ち混じりに端末をソファに投げ捨てる。こんな行動を取るのは生まれて初めてかもしれない。先生には「常に優しく、穏やかでありなさい」と言われていた。その方が幸せな人生を生きられるというから、零はそれを信じて生きていた。

 だから、零が零であるということでここまで傷つけられるとは思いもしなかった。多分研究所ではモルモットのような扱いを受けただろうが、彼らはきっと零の心は傷つけなかっただろう。心なぞに興味はないだろうから。“ゾンビ”としてではなく、『零』という個人に悪意を向けられたのは初めてだった。

 結局、七絆の元へ向かう手立てはない。夜日羽研究所、という場所の名前がわかっても、肝心の場所がわからない。僅かに引っかかりを感じたが、それは現状打破できるほどのものではない。そもそも、その引っかかりが何なのかすら朧気だ。俯いた拍子に目の端で何かが光っているのに気がついた。

「……? なんだろう」

 それはソファに沈んだ端末だった。零が拾い上げれば、それは先ほど見たロック画面を表示している。途端に数字のキーがひとりでに打ち込まれて、端末のロックが解除された。

「えっ!? ど、どうして、僕何もしてないのに……」

 それは零の手の中で彼を置いて勝手に動いていく。マップアプリが開かれると、青い丸が点滅して、そこから同じく青い線が伸びる。伸びきったところでぴこんと吹き出しマークが表示された。

「―――夜日羽、研究所」

 吹き出しにはそう書かれていた。零がそれを読み上げた瞬間、タイミングを見計らったかのように端末の画面いっぱいにバイブ音とともに『Hurry!!』とポップアップが出てくる。零はそれに急かされるように、リビングを飛び出した。

 自室に寄って以前七絆に用意してもらった服に頭を通して、鏡の前で首の傷が見えないかを確認する。白い髪を一房摘み上げるが、到底髪を染めている時間はない。あったとしても零ひとりではできないだろう。仕方なしに洗面所にあったゴムで適当に髪をまとめてキャップの中に無理矢理押し込む。傍から見ても零が『タカ』に追われている人間とはわからないはずだ。

 零はチェストの上に投げ置いたいまだ震えている端末を手に取ると、そのまま玄関へと向かった。スニーカーに足を突っ込んで、ドアノブを掴んで、そこで動きが止まった。

 脈打つはずのない心臓が熱を持っているようだった。恐れだろうか、不安だろうか、それとも―――好奇心からだろうか。

 このドアを開ければ、星のない夜の世界が零を待っているのだろう。いつも手を繋いで先導してくれる道標の少女もいないまま、たったひとりで。

―――ああ、それでも。

 零はキャップを目深にかぶり直して、スニーカーの先を鳴らした。パーカーのジッパーを首元まで上げて、瞳を閉じて深呼吸をする。

 瞳の裏側ではまるで満天の星空のようなきらめきを持つ少女が笑っている。

―――それでも、彼は彼女を救いたかったのだ。

 誰かの選択で世界は大きく分岐する。それは枝を伸ばす大樹と似ている。蝶が飛ぶだけでも枝は分かれていき、その先に新しい葉を芽吹かせるのだ。

 例え、それが月光の見せる歪んだ結末だったとしても。

 青年は走るのだ。

 その先の愛に手を伸ばすために。

 その意味を知らないままに。


(何もできないくせに。何も知らないくせに)

 誰かの呟きは置き去りに。


ストックがたくさんありすぎると余裕をこき始めるし、話の流れを掴むのに苦労することに気がついたのでせっせと上げることにしました。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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