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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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臆病者の末路

第四十話。非常にグロテスクな描写(当社比)があるので、お気をつけください。

 目も開けられないほどの風圧とともに、七絆の後ろで何かが吹き飛んでいった。次いで木が折れる音。覚悟していた衝撃が一向に来ないことと予期していない衝撃に、七絆は痛む体を押して振り返った。そうして大きくその黒い瞳を見開くのだ。


 そこには宗教画のような神々しく、そしてそれに相対するような凄惨な光景が広がっていた。夜の帳が降りた中、スポットライトのように光る街灯の下。

 人の作った光を受けた生ける屍は、白い髪を風に遊ばせて、まるでそうであるのが当然としてそこに立っていた。

 血が通っていないような白い頬に赤色を伝わせながら、赤い瞳の獣はそこにいた。

 その足元には歪に折られた大木と虫けらのようにもがく“ゾンビ”がいる。

 七絆は呆けたように口を開けたまま、それを見ていた。彼女の視線の先には間違いなく先ほど共にいたいと願った彼が立っていたのだ。


「―――ぜろ、なんで……」


 絞り出されたように震える彼女の声に応えることなく、零は未だに呻き声を上げながらこの場を脱しようともがく“ゾンビ”を一瞥すると一層強く踏みつけた。ぶちぶちと何かが引きちぎれる音と悲鳴が聞こえてくるのを、七絆はどこかスクリーンの向こう側のように見ていた。冷たく赤い瞳が細められると、その手が“ゾンビ”の頭部にかけられる。

「あ」

 七絆が声を上げた時には、それはもう終わっていた。七絆を脅かしていた死の対象の首が呆気なく捥ぎ取られていたのだ。熟れた果実を回収するかのように容易く引き千切られた首から噴き出した血が零の白い肌を汚していく。肌だけではなく、その白い髪もまた赤く染まる。ぼたぼたと赤い血が腕を伝っていく。

 それだけでは飽き足らないのか、零は腕をへし折り、足をあらぬ方向に曲げ、身体に詰まっていたありとあらゆる内側をひっくり返す。赤い海はその身を広げて、肉片を七絆の元まで届けてくる。それが指先に触れて、七絆は弾かれたように腕を胸に抱えた。ふよふよと赤色に浮かぶ肉片を見てしまい、腹の奥底から吐き気が込み上げてくる。

「ぜ、ぜろ……」

 七絆は彼の名前をか細い声で呼んだ。いつもなら太陽に晒された向日葵のような笑みとともに、明るい声がかってくるはずだった。けれど、零には彼女の声が届いていないのだろう、まるで獣が獲物を食い散らかすかのように暴虐の手を止めなかった。哀れな獲物はびくんと不随意的な動きを見せては、真っ黄色のレインコートの裾を揺らす。

 ぐちゅり、ぐちゅり、ぐちゅり。

 まるで脳みそが犯されているかのように七絆の頭に水音が響いていく。息を吸うたびに鉄錆の臭いが鼻腔を満たした。かたかたと震えて胸元にあった腕はいつの間にか血だまりに落ちている。

(あたたかいね、××)

 知らない声が七絆の頭に響く。これが自分の声かも、他人の声かもわからない。身体から流れ出した生命の液体はほの温かく指先を撫でていく。

 あたたかい。あたたかい。あたたかい。あたたかい。あたたかい。

 これは、あたたかい。

 そう思ってしまったら駄目だった。

 ぐるぐると目が回ってきて、肺に血の匂いが入っていく。ああ、よく嗅ぎなれた匂いだ。七絆はこの匂いとともに生まれたのだ。血の匂いは脳にも満ちて、正常な判断ができなくなる。

 ひとつ瞬きをすれば、目の前の世界が変わって見えた。もはや嫌悪感はない。ともすれば笑みすらも浮かべてしまいそうだ。脳みそが反転している気がする。この狂気に中てられているのだろうか。いや、そもそもそういう生物なのかもしれない、“人間”というものは。

 気がつけば七絆は自身が血に染まるのも構わず、その光景に見惚れたかのように呆けていた。彼の行為に背徳感を覚えていた。あの純粋の化身のような青年がその身を汚い赤に浸しているのだ。絶対に穢れることのないそれに、まるで処女の破瓜のような艶めかしさを感じた。そこには歪な生と死が存在している。生きていて、死んでいて、殺していて、殺されていて、矛盾ばかりの光景だ。

 あたたかい。あたたかい。あたたかい。あたたかい。あたたかい。

 あたたかいのは、よいことだ。

 そんな凄惨な様子を前にして、七絆は零を見ていた。彼が人間になっていくのをずっと見ていた。気分を悪くするどころか、心のどこかが高揚しているのを感じる。頭の奥底から声が聞こえる。この目の前の惨劇に呼応するかのように、誰かの笑い声が聞こえてきた。

 しかし、それも束の間だった。ぶらりと彼の手の下で揺れる“ゾンビ”の瞳と目が合ったのだ。目を閉じていないのに淀んで何も見ていない、光を失った目が七絆を見つめていた。誰が見ても死んでいるそれは、生ける屍の死そのものだった。確かにあの化け物は死んでいた。彼のその手に持つものはメドューサの首か、それともオルフェウスの首だろうか。

 力を失ったかのようにゾンビの頭部が零の手から落ちる。それは呆気なくころころと地面を転がり、ぴたりと止まった。そこでようやく、彼は彼女に視線を向けたのだ。


 血色の瞳に、返り血に塗れた白い肌。月光を受けながら、零は無感情そうにその瞳を七絆に向けていた。その様相はまるでこの世の者ではない、人間とは別の境界で生きている者のように七絆には思えてしまった。

 一緒に笑って、ご飯を食べた彼はここにはいなかった。ここにいるのは赤い瞳の怪物だった。

 圧倒的なまでに、彼は人間ではなかったのだ。

 もはや先ほどまでの不自然な高揚感は七絆になかった。言いようのない本能的な恐怖感だけが背筋をなぞる。指先の浸る血の海は冷たくなって、七絆の身体すらも冷やしていく。

 零は何も言わない。血の透ける瞳で七絆を鏡のように映す。七絆も口をきけなかった。ただ揺らぎのない湖面に映った自分と視線を交わしている。まるで魔性の者のように、七絆は魅入られたように動けない。苛烈な瞳は彼女の中身を覗き込んでいた。

「―――あ」

 何かを言おうとして、出たのはただの音だった。震えて絞り出されたそれはそれ以上続かなかった。声だけではなく、七絆の身体も思い出したかのように小刻みに震えはじめる。この圧倒的な存在、生態系がズレた生き物に、彼女は恐れを抱いていた。

 これはもはや人間ではない、と。

 七絆は恐かった。目の前の零が自分の知っている彼とは別人のように思えてならないからだ。いつもみたいに笑って、「大丈夫?ナズナ」と手を差し伸べてさえくれたら、七絆はこの光景をすべてなかったことにできる。けれど、現実はそうではないのだ。七絆を置いて、時間はどんどんと進んでいく。

 零は興味すらもないと言ったように足元の死体を蹴った。いや、既に肉塊と化したそれは簡単にごろりと転がっていく。

 それを見て、七絆はいつもと違う彼に恐怖している自分がいる反面、仄暗い喜びに身を包まれているのも事実だった。零は七絆のために、彼女のためだけに、自身の手を赤色で汚して、七絆と同じところまで来てくれたのだ。その純粋さ、無垢さ、貞淑な乙女の純潔のようなそれらを投げ捨てたのだ。心の奥底で手を叩いて歓喜している女の声が聞こえる。

 けれど、七絆はそれを認めたくなかった。だって、彼女の想いはもっと美しく、白く、光を受けて透明な輝きを見せるような、素晴らしいモノであるべきだったから。こんな薄汚れた背徳感を伴う黒い気持ちは相応しくない。そんなものは人が抱く感情ではなかった。そうだ、“彼女”の手は白くて綺麗なものだったはずだから。

 七絆から零に手を差し出せばいいのだ、この状況を終わらせるには。立ち上がって、彼の瞳をしっかりと見て、「迎えに来てくれてありがとう」というだけで、この非日常を日常にすることができる。優しい零が、何も知らない彼のまま、この場を立ち去らせるべきだった。七絆の心の奥底も何もかもひた隠しにして、互いを守るためにも『なかったこと』にするのが一番だ。

 しかし、今の七絆にはそれをするだけの勇気がなかった。この想いを拒絶されることを恐れて、今の零も零だと信じることに二の足を踏んで、立ち上がることができなかった。


 勇気がないから、これからのことは起こるのだ。


そろそろ一話から通しで見直した方がいいかもしれないと思っている今日この頃。いや、だって知らん間に雨降ったり止んだりしているから……。(ノリで書いている)


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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