凡俗
第三十八話。一部グロテスクな表記があるのでご注意ください。
「何してんの?」
目を開けば、首のない彼女が立っていた。私の視界には恐らく私の手だろう、それが天に向かって伸びている。首なしは血がこびついた白衣のポケットに手を突っ込んだまま、私を見下ろしていた。
「手」
「手?」
「いや、手が降ろせないんだけど」
私がそう言えば、彼女は一瞬ぽかんとしたように間を開けてから大声で笑い始めた。身体を折ってひいひいと笑っている。はて、私はそんなに面白いことを言っただろうか。ただ事実を述べただけなのだが。
身体を起こそうと思ったが、なぜかピクリとも動かない。仕方なしに目だけを動かして、今自分がいる場所を把握する。朽ちて壊れた天井からは丸い月が覗いていた。何処か私の知らない廃墟なのだろう。
「あのさぁ、本当に自分のことわかってないのー?」
「自分のこと?」
そう言われても、身体が動かせないから自分の状況なんてわからない。辛うじて首が少しだけ持ち上がったので、そのまま自分の身体へと目を走らせる。
そこは大惨事だった。私の首から下の身体は何処か高い所から飛び降りたかのように、あらゆる内側のものを外へとぶちまけている。手足は折れかけた小枝のようにありえない方向へと曲がっていた。
いつも見ていた死体のように、私の身体はぐちゃぐちゃだ。その事実が受け止めきれずに、吐いてしまいそうになるが、そもそも吐ける中身がない。私の胃は原形をとどめないまま、脚があった場所に転がっている。
およそ生命が宿る身体をしていなかったのだ、私は。
ああ、気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
嘔吐いているかのように喉が奇妙に鳴るだけだ。そりゃあそうだと、頭の片隅にいる冷静な私がそう言った。無事なのは伸ばしていた右手と頭部だけなのだから。心臓も何処にいったかわからない。それにこんな惨状じゃ探す気も起きないし、そもそも身体的に探せる状態ですらない。私は脱力したかのように首の力を抜くと、再び朽ちた天井を見上げた。
「あーっはっはっはっはっはっ。いつもとは逆の立場だねぇ。いやいや逆なのだろうか? 私には首がなくてあなたには身体がない! いやー、どこまでも真逆だね。だからこそ私たち、相容れないのかもしれないんだけれど」
彼女の白衣に沁み込んだ黒ずんだ血の色は私の赤い血で染め上げられている。彼女は私の身体の周りをくるくると回ると、何かを見つけたかのようにしゃがみ込んだ。立ち上がった時にはその右手に何かを握っている。
それは私の心臓だった。当たり前にも鼓動を刻んではいない。ただの死んだ肉の塊だ。
この有様の中でよくも形を保っていたものである。
しかし、それを見て、私はすとんととあることに気がついた。
「私、死んだの?」
「憶えてないの?」
「何も憶えていない。ねぇ、教えて。私は死んだの?」
「うふふふふふふ。面白いねぇ。あなたの、私の死体である私に自分が死んだのかどうかを尋ねるだなんて。滑稽だよねぇ。少し考えればわかるじゃない!」
「こんな状況を見て、まともに頭を働かせられない。私、死んだのかな」
「あらあら、思考を停止したらダメよ! 大丈夫、私たちのご自慢の頭脳はまだそこにあるでしょう? なら、わかるはずなんだって! だって、あなたにはまだ意識があるのだから! そして、あなたの躯は此処に立っているのだから!」
私の骸は私の心臓を持ったまま、うふふとうっそりと微笑んだ気がした。手からは吹き出した血がだらだらと垂れていき、白色を汚していく。私の心臓は動いていないのに、私の躯が動いているというのは面白いことかもしれない。死んでいるのに、死んでいないなんて矛盾している。けれど、きっとそういうことなのだろう。彼女がそう言うのだから、そういうことなのだろう。
頭の回転が遅くなっているのがわかる。思考が途切れ途切れになっているのを感じる。死にかけの心電図みたいだ。でも、止まるのを止められない。
「そっか、私、生きてるんだ」
ぽつりと溢した言葉に、彼女はげらげらと甲高く笑った。
「意識があって、口が動いて、頭が働く! これを生きていると言わずに何て言うの? 身体が生きているだけじゃあ意味がないの。相互理解ができないのなら、それは人間じゃない、人間じゃないの。そう、だから、あなたはまだ生きている―――と、言いたいところなんだけど、あなたは一体何処の話をしているの?」
「何処って、此処以外に何かあるの?」
「此処は謂わば夢の世界。アリスが落ちた不思議の国。ゲームオーバーの末に辿りつくコンティニューポイント。あなたの心の奥底、深い深い暗いところ。簡単にわかりやすく言えば、あなたが生きる世界とは別ってことだね!」
「じゃあ、私の本体は違うところにあるってこと?」
「さてさて、それはどうだろうか。あっはっはっはっ。そこまで教えたら、ヒントも何もないからねー。それに此処に来ている以上は此処が現実だったり、とかね。つまりは認識の違いだけだよ、此処にあるのは。横たわるものに名前をつけたがるのが人間の悪い所だね」
彼女は明るい声のまま、右手に乗せていた私の心臓を何てことないかのように握りつぶした。ぼたぼたとそれから流れ出たものが彼女の白い腕とそこに繋がる白衣の袖口を濡らしていく。心臓がなくなっても、私の意識はまだあった。すでに私の外側に属するものであったとしても、なかなかに気分の悪い光景だ。
「いつもなら此処から出て行くところなんだけど、こんな身体じゃあ何処にも行けないや。今回のゴールは此処なの?」
「ふっふーん。ここはゴールではないのだ! でも、大丈夫、安心して。私がゴールまで連れて行ってあげましょう! 出血大サービスだね!」
鼻歌を歌いながら、彼女は私の視界から出て行く。鼻歌が少し遠くなったかと思ったら、何かを引きずる音と振動が此方へ戻ってくる。視線をそちらにやれば、彼女お気に入りの大鉈とともに戻ってきたようだ。
ご丁寧に私の視界内でぶんぶんとホームランでも狙うのかという勢いで素振りしてみせる。
「頭が生きていて、意識があるのなら生きているってこと。そして、あなたが動けないのは動かない肉体があるから。ならさ! そいつを切り離しちゃえばいいって寸法なわけで! そこでコイツの出番ですよ! 文字通り、出血大サービスってわけだねっ!」
彼女の言っていることを理解したくはないが、悲しいかな、理解できてしまった。つまり、彼女ご自慢の大鉈でもってして、私の頭部と身体とを切断して分離させようというわけだ。
「私の出血じゃないか!」
「だぁれも私の、なんて言ってないじゃない! それにそもそも私は常に出血大サービスですし! まぁ、あなたは私であるからして、間違っちゃいないのだけどね。だぁいじょうぶだって! そんな心配そうな顔しても、痛いわけじゃないし。アドレナリンどばどばで痛いわけないでしょー。さてさて、それでは早速御開帳!」
「ちょ、待って待って待て待て待て待て待て待て!」
私の制止虚しく、彼女は空気を裂くように大鉈を振り上げた。目指すは私の顎のすぐ下、ということは、つまり振り下ろされるその瞬間まで見えてしまうわけで。恐怖心からか振り下ろされる様子がスローモーションに見える。僅かな抵抗すらも出来ず、それはゆっくりと私の顔の下を―――
気がついた時には私の視界は天高く舞い上がっていた。私は冷めた思考でそりゃそうなるなと思った。あれだけのスピードと力で振り下ろされれば、私の頭部は衝撃で吹っ飛ぶことになる。さながら留め具のないギロチンの如くだ。
上空から見下ろした自分の身体はやっぱりひどいことになっていた。上から見るとより悲惨な気がする。骨が肉を突き破り飛び出ては、潰れた内臓が辺りに散乱していた。そして、私の身体から漏れ出した赤色が床を染めていた。首から勢いよく噴き出しているそれも混ざり、赤い海を広げ続けている。
ぽすん。そんな存外可愛らしい音を立てて私は彼女に受け止められる。彼女はそんな私を自分の首の切断面まで持ち上げた。顔なんてないくせに、こちらを覗き込むような仕草が腹立たしい。
「いやー、軽量化しちゃいましたな、生きてる私も」
「きみはなかなか軽量化できないんじゃないかな? その身体、それ以上減らしてしまったらただの肉塊になっちゃいそう」
「うーん、それは確かに! これ以上スリムになっちゃったら、すり身になっちゃいそうだし。いっそあれみたいに中見抜いて開きにしてみる?」
彼女は切り離された私の肉体を指差して、おどけたようにそう言ってきた。あれは開きというよりかははんごろしにされた後のように見える。
「それ、全然面白くないから」
「がーん、ショックー、と言いつつも、目的に向かう私さんなのだった。とういうか、なんかデュラハンみたいだねー。振り回してみてもいい?」
「やめろ」
彼女はぶつくさと文句を言いながらも足を止めない。
もしかしたら、彼女の身体と私の頭部を一体化させようとしているのではと思ったが、それは杞憂のようだ。彼女は私を大切そうに両手で持ち、この廃墟を進んでいく。
自分の意思で歩けないというのは、なかなかにストレスがたまるものだ。彼女があちこち寄り道をするせいなのだが。
それに何よりも彼女がふらふらと歩くせいで、視点がゆらゆらと揺れて気持ち悪いのだ。俗に言うVR酔いのようなものだろうか。頭部があるということはもちろん三半規管もある。乗り物には強いと自負しているが、これとは別問題だ。そもそもこれは乗り物じゃないし。あと文句を言いたいことがあるとすれば、彼女が私を持っていることを忘れて軽率にぶつけることだ。
しかし、そこでふと気がついた。鼻を刺す薬品の匂い、ぎしぎしと軋む木造の床、蔦の絡まった割れた窓枠。私は以前にも此処に来たことがある。一つだけベッドが置いてある部屋に、まるで学校の保健室のような処置室。確か二階には書斎があったはずだ。
けれど、彼女は階段に見向きもせずに一階の一番奥まった部屋へと向かった。大きな両扉の上には病院でよく見る手術中かどうかを知らせるライトがある。割れてしまっていて明かりが灯りそうにはないが。
肩で体重をかけながら扉を開けて、猫のように彼女は中へと身体を滑りこませた。その先に広がる光景は期待を裏切らず、よく見るような手術室だった。想像と違うのは中も木造だったことだろう。
「と・お・ちゃ・く! はぁい、此処が目的だよ、生きている私! 今は頭だけだけど!」
高さを調節できるのだろうベッドに、丸いライトがたくさんついている天板。その脇には銀色のカートが置いてあり、メス等の医療器具が並んでいる。彼女はカートの上から医療器具を落とした。メスやら注射器やらが甲高い音を鳴らしながら床に落ちていく。その上に私を適当に置くと、ベッドを持ち上げ始めた。
そこでようやくそのベッドの上に誰かいることに私は気がついた。ベッドが上がっていくとともにはみ出たのか、白い脚がぷらんと揺れたのを見たのだ。そして、そのベッドが私の方へと向けられた時、思わず口を開いてしまった。
そこにいたのは首なしの身体だった。真白のワンピースは首元から滴る血で鮮やかなほどに赤く染まっている。首なしが二人並んでいるという理解しがたい光景だ。けれど、ベッドの上の身体は彼女のように意識を持たないようで、まるで死体のようにぴくりとも動かなかった。
私はそこに横たわっている身体の持ち主を知っている気がする。そう、あの時書斎で会った顔なしだ。そうに違いない、そう思った。あの時の少女のことは何も知らないが。熱心に顔を探していたのを憶えている。あの時とは違って今や首すら失っているが。
私の死体は何も言わないまま私を持ち上げると、かつて顔なしだった少女の死体に私を近づける。
いやだ。私はそれと一緒になるのがいやだった。
“凡俗”に堕ちるのだけはいやだった。
「だぁいじょうぶだって。そんなに嫌がらなくても、最終的には全て“私”に戻るのだから。こうすれば、“私”たちはいつまでも“私”たちでいられるのだから」
彼女はそう言ってくすりと笑った。
ぐちゅりと触れ合う感覚の後、私の意識は闇の底へと引きずり落とされていった。
久しぶりに注意書きを書いた気がします、多分。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




