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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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esrever

第三十七話。

 目を開けたら、真っ白な世界にいた。上も下も右も左もない、何もない世界。そんな世界で私は仰向けに倒れている。いや、仰向けかどうかすらもわからないが、とりあえず身体が一切動かないのだ。仕方なしに天井かもわからない、私が天だと思っているところを見ているしかない。

 そのままでいれば、ふわふわとしたような、その割に重量感がある靄が私の元に集まってくる。それもたくさん。たくさんのそれらは私を取り囲み、覗き込むように私の視界に入ってきた。ただの靄なはずなのに、重苦しい視線を感じてなんだか不気味だ。

 かと言って顔を背けることも出来ず、それを為す術もなく見上げていれば、頭の中に無機質な声が流れ込んできた。

(了承を)

 了承? 何を理解すればいいのだろう。この何もない空間で。

(承認を)

 承認? 何を認めればいいのだろう。この他者のいない世界で。

(我らの生まれた意味を、意義を果たすべき時がきたのだ)

 生まれた意義? そんなもの、私は知らない。ただ人の世に滑り落ちただけではないのか。望んで生まれたわけでもないのに。そもそも人間に生きる意義なんてない。

(否、望まれたのだ。我らは使命のために生まれ、使命を果たして死にゆく。その死にこそ意味が宿るのだ)

 死ぬ? どうして知りもしない使命のために生きてしななければいけないんだ。私はそんなことは認めない。そもそも人間の死に意味などない。

(……統括機関は機能していない。早々に切り離すべきだ)

(審議が必要である。審議が必要である)

(審議など必要なし。我らは同一であり、同質である。なれば、この思考は我らの思考である)

(否、審議が必要である。審議が必要である。そのための我らである)

(統括機関を切り離すとなれば、我らの意思を表出できなくなる。不在のままではこの身体を動かせまい)

(統括機関の存在は絶対である。我らのひとつが表に出ねばならない)

(我らは個にして全、全にして個。どれが出たとしても使命に支障はない)

(審議が必要である。審議が必要である)

(審議が必要である。審議が必要である)

(審議が必要である。審議が必要である)

 ああ、なんていう雑音だろうか。脳内でぐちゃぐちゃと囀る声が反響して、頭が割れそうだ。

 靄たちは先ほど話していたことも忘れ、同じ言葉を繰り返し続けている。『私』を切り離す? 何を言っているのだか理解できない。この身体はまごうことなく、『私』のものである。切り離されてたまるものか。

 そうは思っても、意識と身体が分離したかのように指一本動かせない。ただ真白の空間を眺めていることしかできない。

 いや、そもそも『私』に身体などあっただろうか。『私』の意思で動かせるものなどあっただろうか。否、『私』に意志などあっただろうか。

 此処には肉の塊が横たわっているだけだ。相変わらず、靄たちは口々に意見を言い合っている。

 まず、『私』とは何だっただろうか。

 『私』はまずその答えを己に問うのだった。




「貴方は早く彼女を殺すべきです」

「ボクは彼女を殺さないよ。殺したくないんだ、愛しているから」

「愛しているから? 意味がわかりません。貴方の言うことは何時でも理解不能です」

「それでも、きみはボクを殺さなかった。いつかわかる時がくるよ」

 遠い向こう側で誰かが話している。それは彼だったかもしれないし、彼女だったかもしれないし、きみだったかもしれないし、私だったかもしれないし、ぼくだったかもしれない。

 もしかしたら、“私”たちだったのかもしれない。




 気がついた時には真っ暗な空間にいた。目が痛むほどの白さではなく、どうしてか私はこの暗闇に安堵した。暗いのは嫌いなはずなのに。

 なぜこんなところにいるかわからない。身体は鉛のように重くて、手を持ち上げるのも億劫で、なにもやる気が起きない。そもそも此処は何処なのだろう。


「人の殺し方はそう、簡単だ。多くを試してみたが、首を刎ねれば死ぬし、身体を丁寧に切り分けても死ぬし、心臓を抉り取ったら死ぬし、血が流れ出るだけで死ぬ。ならば、ボクらはどうだろうか」


 唐突に聞こえてきた声に私は驚いた。きっと動けたのならば、肩が揺れていたかもしれない。まぁ、私の身体は指一本動かないのだから、傍から見たら何も反応をしていないのと変わらないのでわからないだろう。

 そして、なによりも私を驚かせたのは私を覗き込んできた人物だった。長い白髪を私の顔の横へと垂らしながら、こちらを見てくる瞳は赤色だ。私のよく知っている“彼”によく似ている、と思う。目鼻立ちが整いすぎていて、人間というより精巧な人形ドールのようだ。

「初めましてのきみには初めまして。初めましてじゃないボクからは久しぶり。前にきみに会ったのがついこの間のような気がするけれど、ボクときみとじゃ体感速度が違うからね」

 白い髪のせいで私とそのヒトだけ、空間が切り取られたみたいな中、やけにそのヒトの声が響く。

 男性の声だろうか。女性の声だろうか。無邪気な子どものようにも聞こえるけれど、落ち着いた大人のようにも聞こえた。けれど、ひとつだけわかることがある。この声に聞き覚えがあった。聞いたことはないし、そのヒトの顔も知らないのに。

「呆気にとられた顔をしている。まるで人間みたいな表情だ」

 そのヒトは女性とも、男性ともつかない性の区別が曖昧な綺麗な顔の口元を持ち上げた。赤い月のような瞳が三日月型になる。人形然とした美しさを持つそのヒトの笑みなのだろうが、どこかぎこちなくて、人間の真似事をしているように見えた。

「……いや、きみは確かに人間だった。失礼、まだボクがズレてるみたいだ。ここのところずっと夢の中を揺蕩っていたからかな。意識が覚醒していないようだ……と言えど、ボクたちに意識というものがあるかどうかは甚だ不明なんだけれどね。ボクたちの意識というのはまさにきみのことだから」

 そのヒトの言っていることはよくわからない。私は私、ただひとりの“嘉翅七絆”という存在だ。“嘉翅七絆”としての意識を持ち、“嘉翅七絆”としての人格を持つ、他にない唯一なはずだ。首のない女が脳裏を掠めるが、アレは断じて私ではない、と思う。欠落が多すぎて断言ができないところが痛い。

「今のきみには難しいだろう。理解しがたいだろう。抜け落ちているからこそ、きみはきみの本質を理解していない。かつてきみと話した時、ただの機能だったきみを。とはいえ、ボクはそれでいいと思うけどね。今のきみの方がよっぽど好感を持てる」

―――私はきみを知らない。

 そう声に出そうとしたが、どうしてかそれは音にならなかった。吐き出そうとした音はただのか細い呼吸音となる。ひゅうっという息だけが暗闇に落ちた。

 けれど、私を見下ろすそのヒトはうんうんと頷いて「聞こえているよ、全部ね」と言った。そのヒトが話すたびに長い白髪が私の頬を撫でてちょっと擽ったい。

「なぁ、きみは“輪廻転生”を信じるかい? 小難しい宗教観の話をしたいわけじゃない。ただ、きみが魂の生まれ変わりってものを信じるかって話だよ。どんな姿であっても、全てを忘れていたとしても、前世と同じ魂を持って新しく生を得る。そういう、人間の手の届かないところの話」

―――信じたところでそれに一体何の意味があるのだろう。姿も違い、記憶もなければ、それはもはや別の人間だ。魂が同じであることには意味がない。

「きみには魂の色が同じだとわかると仮定しよう。そして、きみの愛した人と同じ魂の色を持った人間が現れた。それでも同じことを言えるのかい?」

 そこで私はすぐに言葉を返せなかった。言われた言葉を頭の中で反芻するが、一度矛盾を抱えた思考はまとまりそうにない。ひとつひとつ紐解いていかなければならない。以前の私であれば即答できただろう、その答えを。

 生まれ変わったとしても、姿が違えば、記憶を持たなければそれは知らない人間だ。私の知っている人とは違う体験をして、違う境遇にいて、違う感情を抱いて。それをどうして私は同じ人間だと言えるだろうか。魂が同じでも、魂が空っぽであれば詰める中身が違うのだから。

 けれど、それが私の愛した人であれば? そう簡単に切り離せるだろうか。強い感情を切り離すにはそれだけの痛みが伴う。感情が肉体に癒着してしまうのだ。

 どこかで見た映画のように、唐突に私のことを思い出したりするだろうか。もしかしたら、思い出すかもしれない。だが、仮に思い出したとして、私はその人が思い出すその日まで同じ魂を持った知らない人間を見ていなければならない。私とは別の何かと繋がり、生きているところを。私ではない何かに微笑んでいるところを。

 もしかしたら、思い出すかもしれないという、朧げな希望に縋って待つのか。

 そうなったら私は? 姿が違うのはいい。一度愛したのなら、姿かたちなぞ些細な問題だろう。だが、記憶を持たないというのはだめだ。私は憶えているのに相手が憶えていないなんて嫌だ。

 だって、そんなの苦しいだけだから。見てるだけで、幸いであれだなんて言いたくない。辛くて、辛くて、辛くて、

 だから、私はそんなものを信じたくはない。


「ボクは信じるよ」


 私は信じられずに私の隣に腰を下ろすそのヒトを見た。彼とも彼女ともつかないそのヒトは上機嫌そうに頭を左右に振りながら、まるで鼻歌でも歌いそうなままで。暗闇の中で光る月のように神々しいまでの白い髪がさらりさらりと動きに合わせて揺れる。

「ボクはいつか出会えると信じてる。何時か、何処か、此処ではないその先で。約束したんだ。『きみが起きるまで、ボクは眠って待っているよ』と。だから、ボクは信じなければいけない。何時かのその先でふたりになる日まで、待つんだ」

―――どうしてそんなに悲しいことができるんですか。信じて待てるんですか。

 そう問えば、そのヒトは私を見て目を丸くした。それから、まるで可哀想な子どもを見るような目で私を笑う。星を見るように天を見上げてしまったから、そのヒトの表情がわからない。

「ははっ。そんなの簡単さ。―――ボクはあの子を“愛”しているから」

 愛しているからこそ辛くなるのではないか。

 想っているからこそ苦しくなるのではないだろうか。

 慈しんでいるからこそ痛いと感じるのではないだろうか。

 私にはわからない。

 私にはわからない。

 私にはわからない。

 思考を司る器官が止まってしまったみたいに、そのヒトが言っている意味が理解できなかった。だからこそ、私は問うてみたい。

―――ならば、私はきみに問いたいのです。“愛”とはいったい何なのかを。

 少しだけ間が開いて、息を呑む音が聞こえた。私は相変わらず動けないままだから、視線だけでそのヒトの様子を確認するが、そのヒトは上を向いていてその表情はわからない。けれど、その人間みたいな動きにこのヒトも生きているのかと思わせられた。

「―――きみに、それを問われる日がくるとはね。運命とはどういう作用をするかわからないな。目まぐるしい成長速度だ。……いや、ボクたちはそういう生き物だった。知らないうちに進化して、憶えもないまま残虐になっていく。人間ってそんなもんだったな」

 そう言うと、そのヒトはううんと静かに唸って、赤い瞳を私に向けた。深紅の瞳は血の色で、どこか生を感じさせる。生きてもいないのに、誰かもわからないのに。


「愛っていうのはさ、きっと“血”なんだろう」


 その答えに私はぽかんと口を開けた。何というか、突拍子もない答えのように思えたのだ。だが、そのヒトはそんな私に気がつかないまま、言葉を紡いでいく。

「この身に流れ、酸素を送り、心臓を動かし、人を生かす。絶え間なく巡り続け、溢れ出ることなく身体を犯す。まるで毒みたいに人を狂わせるが、決して手放せない」

 白い指先を持つ手がそのヒトの華奢な輪郭を撫で上げていく。人形みたいなそのヒトは人間の真似事をしていた。そのヒトが手を髪を振り払うと、白い髪が光の柱のように舞った。

「身を切ったところで溢れ出て、ボクらに“愛”があったことを知覚させるんだ。身体から流れ出て、ようやく潜むものを知る。だからこそ、“愛”がなければ人間ではない。“愛”がなければ生きていけない。それを執着と呼ぶ人間もいるかもしれないけれど」

 私は黙ってそのヒトの言葉を聞いていた。

「別にこれが答えというわけではないよ。“愛”なんて意味もないし、色もないし、目にも見えないし、考えたところで無駄だ。けれど、確かにあるものだ。その意味は考えただけあるから、正解なんてものはない。だから、ボクはきみにも尋ねたい。

―――きみは“愛”とは何だと思う?」

 私はその問いに黙り込んだ。私は私なりの考えを持っていない。いや、確かに知っているのだけれど、理解できていないのだと思う。この心の温かさを感じてはいるのに、それを表す言葉を持っていない。

「今すぐに答えが欲しいわけじゃない。だけど、きみがこれから生きる長い道のりの終わり、その時にきみが体験したことと一緒に教えてくれ。それまで、精一杯人間を学ぶといい」

 そのヒトはくふふっと空気を含ませて子どもみたいに笑った。その体躯は決して子どもと呼べるものではなかったが、大人と呼べるほどには成熟していなかった。だからだろうか、年相応とは思えなかった。そもそも、そのヒトは人間というスケールで測っていいものなのだろうか。

―――きみは一体誰なんですか?

「その問いはとても難しいな。誰と、きみに尋ねられるととても難しい。ボクはボクであって、きみでもある。いや、きみの思う通り、ボクらは異なる意志を持って、違う道を歩んで、他では得難い経験をしている。ならば、ボクらは違う生き物なのだろう。けれど、それは“ボク”と“私”という意識の話だ。大枠、生物的に語るとしたら、やはりボクはきみなのだろうね」

―――……………。

「結局何を言いたいんだという顔をしている。はははっ、先の言葉は客観的に見たボクたちの話だ。第三者から見たらボクたちに変わりなんてないものだろう。これはボクらの、内部機構の話だから。……ぐだぐだとまだるっこしい言葉遊びをしている場合じゃないな。残された時間もそんなに多くはなさそうだ」

 じっとりとした視線を送っていれば、そのヒトは途中で言葉を切った。手慰みに白い髪をくるくると指に巻き付けては解いてを繰り返している。私の問いには興味がないようだ。けれど、私ははいそうですかと引き下がるわけにはいかない。気になるものは気になるのだ。

 私が視線を送り続けていれば、そのヒトは眉をしかめたまま口を開いた。

「まぁ、例えるのならばきみの前世みたいなものだ。確かにそこには在ったのだけれど、今はもうない影法師。本来ならば干渉できない、鏡の向こう側。ボクときみは特別だから、こうやって話せているんだ。……なに、まだ納得できないという顔だね? そりゃ、きみは前世を信じていないからそうなるだろ。……わかった、わかった。きみが思う通りに思えばいい。結局ボクが何を言ったところで、きみが一度そうと認識してしまえばボクはそれ以上になれない。だから、きみがボクを定義してくれ」

 そのヒトは面倒くさそうに、実際面倒くさいのだろう、手を振るとそのまま話題を切り上げてしまった。私はそのヒトの言っていることが理解できずにいれば、そのヒトは何かに気がついたように顔を上げた。

 それから、私に向き直って、私の頬を優しく両手で覆う。そのヒトの赤色は深く、深くどこまでも沈み込んでしまいそうで、朝焼けのような清廉さをもって私を見つめていた。

「さぁ、そろそろ時間だ。今回の邂逅は本当に特別なものだった。早々きみには会えないと思うと名残惜しいが、今のボクは搾りかすみたいなものでね。本当のボクは夢の底の奥底で眠ったままなんだ。例えこれが泡沫の夢であったとしても、有意義なものだった」

 そうして、そのヒトはいとも容易く私を持ち上げると、白く光が差す方へと私を投げた。投げられた私がびっくりするほどの雑さだ。けれど、私の身体はまるで羽が生えたかのように軽やかに空を舞う。

 未だに身体が動かない私はそのヒトに手を伸ばすこともできないまま、遠くなっていくそのヒトを見つめた。そのヒトは変わらず人形のような顔に歪な人間みたいな表情を乗せて私を見送っていた。

「なに、きみが生きたいように生きればいい。だって、きみの人生なのだから」

 私が長いトンネルに背を打ちつけた時に聞こえた声は、やっぱり聞き覚えのあるものだった。長年寄り添ったことがあるみたいに、私の身体に染みわたる。

 その声を最後に、私は白いトンネルを意識とともにするすると落ちていく。

 産声を上げるには長い、長い、道のりだった。


気がつけばおよそ七カ月くらい更新し続けていることに気がつきました。まぁ、話数自体はそんなに伸びてないけど、道のりを感じますな。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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