愛情表現
第三十三話。少しグロテスクな表現があるのでご注意ください。
「愛していたというのは本当なのよ。それでも殺したいとも思ったの。いやね、女ってのは移ろいやすくて」
私の前には真っ赤なラジオが置いてある。駅の広場でよく見る口紅の広告の色だ。ノイズが混じり耳障りなそれは延々と言葉を吐き続けている。
私はそれに相槌を打つこともなければ、答えを返すこともない。ただひたすらに壊れかけのラジオは喋り出す。壊れかけの、死んだ音を私に吐きだしている。
「あなただってそうでしょう。そうであるはずでしょう。だって、私はあなただもの。隠していたってわかるの。私たちはそういう生き物だから。愛がなければいけないのよ。逆に言えば、愛さえあれば生きていけるの。他人への愛、神への愛、愛する者への愛。でも、誰だっていいってわけじゃない。彼じゃないと、満たされないの。私たちは生まれた時からそう決まっている。誰かが決めたんじゃない。私が決めた。ナズナが決めたのよ。ならば、そのように行動しなければ、振る舞わなければ。だから、あなたは正しいの。誰かが間違っていても、私は正しい。私たちだけは正しい。だって、ナズナはどこまでも正しかったんだから。けれど、ああなるのは運命だった。いつまでたっても書き直せない。そう、運命だったんだわ、私たち。愛されたいし、愛したい。それが私の行動理念。凡骨なんかに興味はないわ。私たちが興味を持つのは、いつだって彼しかいないんだもの。そうでしょう。そうでなければ、あなたは私じゃないわ。でも、あなたは私でしょう」
「愛よ。そう、やはり私たちに必要なのは愛なの。体が死んでいても、心が生きていればそれはヒトなのよ。愛さえあれば、なんでもヒトになれる。愛を育んで、それで幸せならいいじゃない。とっても素敵だわ。なのに、どうしてそれすら邪魔してくるのかしら。わからない、わからないわ。あまりにも愚かすぎて私には理解ができない。せっかく可愛い下僕を調教しているのに、それすらも邪魔しようとするなんて。そうそう、下僕と言えば、あれはとても優秀だったわ。惜しむらくは愛を知らないことね。でも、それは大丈夫、私が骨を溶かすように教えてあげているから。ええ、けれどね、私に必要なのは彼だけよ。うん、本当よ。だって、私の運命なんだもの。彼の為なら人間だって辞めてあげられるわ。同じところまでふたりで一緒に堕ちていくの。うふふ、甘美な夢だと思わない?」
「つまるところ、愛情表現というのは目に見える形で行わないといけないっていうことね。相手にも、誰にでもわかってもらわないといけないわ。ええ、ええ、そうよ。でもね、私、ただの人間が愛せないみたいなの。人間ってなんだか気持ち悪くって。ぺらぺらと話し出す口から見える蠢く舌だとか、ぎょろぎょろ動く目玉に張る粘膜だとか。吐き気を催すほどの気持ち悪さだわ。―――だからね、動かないようにするのよ。愛していたから、殺すのよ。それが私の最大の愛情表現。愛しているから、殺したの。そうすれば、昔みたいに彼が愛しに戻ってきてくれるかもしれない。ゼロからだっていいの。私のことを、憶えていなくたっていいの。そこに彼がいてくれるってだけで、私は幸せなの」
「嘘よ、そんなの嘘。私のことを忘れて欲しくなんてない。一秒たりとも、一欠片たりとも。どうして私が憶えているのに、彼は忘れてしまったの? そんなの許せない。だって、ずっと一緒にいたのに、まるで初めて会うかのように挨拶してくるの。私の名前も憶えていない。苦しい、苦しいの。失敗したんだわ、私たち。でも、彼にそんなこと言えない。だって、彼は生きているんだもの。私は完璧だわ。そう、私は失敗なんかしない。だから、きっとそのうち昔みたいに思い出してくれるはずよ。ええ、ええ、そうよ。傍にいれさえすれば、きっと、きっと」
「愛して欲しかった。振り向いてほしかった。でも、そうしてくれなかった。だから、私は二人で手をつないで逃げたの。うふふ、誰もが夢見る愛の逃避行ってやつね。私だって、そんなものが長続きしないってわかっていた。泡沫の夢だった。それでも、私は幸せだったの。すぐさま消えていく水泡のような。だからこそ、美しかった。私の胸にはまだ残滓が残っていて、この想いに縋りついているのよ」
何を言っているのか理解ができない。このラジオは支離滅裂なことしか言わない。時間軸を入れ替えてしまったかのように言っていることがばらばらだ。
何が言いたいのかが理解できない。それでも声は言葉を吐くことをやめなかった。まるで自分自身を正当化したいみたいなくだらない言い訳だ。どれもこれも継ぎ接ぎの声だった。
けれど、零れ落ちたこれらは彼女の本心だったのかもしれない。道化のように嗤っても、その心は満たされない。穴の開いたグラスにどれだけ水を注いでも無駄なように。
ならば、その満たされずに落ちていく想いは何処にいったんだろう。愛を注ぎ続けた彼女は一体どうなりたかったのだろう。そうして、どうなったんだろう。
私はいま彼女の欲しがっているものを持っている。この間までは空っぽだった私が、何かに満たされて失った彼女の持っていないものを持っている。
ラジオはまだ壊れたようにぶつ切りの言葉を垂れ流している。まるで、今までの鬱憤を晴らすかのように私にぶつけてくる。この行為に意味などないなんてことはわかりきっているはずなのに。
あくまでも彼女は私の死体だ。かつて置き去りにした過去が勝手に話しかけてきているだけなのだ。
一方通行で、今を生きる私には意味のないものだった。ただ、通り過ぎていくものにすぎない。彼女は決して鏡ではない。私の先を行く私ではない。
ああ、なんて不毛な世界なんだろう。過去の私と現在の私はどう見たって断裂しているのだから。
そう思うと、なんだか無性にこのラジオが紡ぐ音が不快に思えた。だって、私は自分の意思で“私”として生きているのだから。今の私に走る雑音みたいなものなのだ、彼女は。
私はラジオを持ち上げる。まだラジオはノイズを奏でることをやめない。私はそれを大きく振りかぶると、勢いよく床に叩きつけた。
「だから、殺した」
壊れかかったラジオは尚も死んだ言葉を紡ぎ続けている。私はもう一度、それを床に叩きつけた。どこかの螺子が飛び出した。
「だから、殺した」
不格好のまま、その死を口にする。私はもう一度、それを床に叩きつけた。どこかの蓋が外れた。
「だから、ころした」
段々と声がぶれ始めたが、それでも愛しいかのように音を送る。私はもう一度、それを床に叩きつけた。電池が転がってきた。
「だから、ころして」
それなのに、それは私に語りかけてくる。私はもう一度、それを床に叩きつけた、無残にも細かい部品が飛び散った。まるで飛び降り自殺をしたみたいだ。
「だから、あいして」
ノイズ混じりにそれだけを吐き出すと、ついに声は何も発しなくなった。私の目の前にはもうラジオはなかった。
そこには当たり前のように広がる、見慣れた血だまりがある。その中に動かなくなったもう一人の私が倒れていた。いつもとは違って、それには確かに頭部があった……あった痕跡があっただけだが。
初めからラジオなんてものはなかったのかもしれない。
(殺した! 殺した! 殺した!)
姿の見えない子どもたちが私の周りをけたけたと笑い声を上げながら、ぐるぐると回っている。耳障りだと思いながらも、どこか懐かしさを感じている私がいる。
私の手には大鉈が握られていた。刀身には肉塊がこびりついていて、まだ蠢いているように見えた。
ああ、とんだ悪夢だ。夏空の蝉のように、子どもの笑い声が未だに耳に残っていた。
今年中には完走したいなという思いと、雑プロットを確認したらギリギリ「承」に入るかなという感じだったので、気長に読んで欲しいです。ちなみに三部作の第一作目です。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




