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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
34/62

“アイ”というもの

第三十二話。

 叴人が去ってからしばらくベンチで過ごした七絆だったが、彼の姿が完全に見えなくなったのを確認すると立ち上がった。そろそろ零を迎えに行ってやらなければならない。あの方向音痴の零のことだから、七絆のいる場所なんてすっかり忘れてしまっているだろう。

「ナズナ……」

「ひぎぇあっ!!」

 仕方がないんだからと思いながら歩きだそうとした七絆は、突如かけられた声に奇声を発して思わず跳びあがった。七絆史上最高高度だったと本人が後に語るくらいには跳んだ。心臓をばくばく鳴らしながら振り向けば、自販機の影からにょっと長身の影が出てくる。

「ぜ、零……。もう、驚かさないでよ。今、寿命十年くらい縮んだわ……」

「さっきの人、誰?」

 自販機から半目でこちらを見ているのは零だった。変装させていたことを完全に失念しており、七絆は一瞬本気で驚いたが、声を聞いてほっと胸を撫で下ろした。近づいていけば、零は七絆が近づいただけすすすっと下がっていく。

「? 零、どうかしたの?」

「……どうもしないもの」

 七絆が首を傾げながら零を見れば、彼はどうにも拗ねているみたいだった。口をへの字に曲げながら、なぜか両手には二つのアイスを持っている。それを見て七絆ははっと目を見開いた。

「も、もしかして、零、一人で買い物できたのっ!?」

「僕だってできるもん。ナズナと一緒に食べようと思って買ってきたのに、ナズナは誰か知らない人と話してるから。……なんだか距離が近かったし」

 零がひとりで買い物できたことに喜びかけた七絆だったが、叴人と話している所を見られていたことに身を凍らせた。笑顔のままで固まった表情のままでだらだらと冷や汗を流す。誓ってやましいことがあったわけではないが、零には勘違いされてしまっているらしい。現に彼は言葉に出したからなのか、隠すことなく頬を膨らませている。

―――なんてことしてくれたんだ、あの人っ!!!

 人目も憚らず頭を抱えたかったが、奇行から人の目を集めるのだけは避けたかったので、寸でのところで留まる。が、七絆は頭の中でアハハと笑うイマジナリー叴人に空中コンボを決めていた。

「ナズナ……」

「ち、違うから! ほんっとうに違うの! 零が思っているようなことはなーんにもなくてですね……。というか、私的には零と生方さんが鉢会わなくて本当によかったというか、なんというか……」

 しどろもどろと言い訳じみたことを言う七絆に零が近づく。そして、その鼻先をいつぞやと同じように七絆の首筋に突っ込んだ。

「ひぇあっ!」

「? ナズナ、なんだか少し不思議な匂いがする。何だろう、これ。ヒトというよりは、僕たちに近いようでそうでもないような……。混ざりものというか、紛い物というか……」

「……あのぉ、零? ちょっとね、距離が近いというか、注目を浴びているというか、なんというか。少し! 少しだけ離れよ? ね?」

 零は訝しげな顔をしていたが、七絆はなんとか彼の肩を押して距離を取る。遠くで「あらあら若いわねぇ」なんて声が聞こえてきて、七絆は瞬時に顔を真っ赤にしてマフラーに顔を埋めた。

「ほらほら、零がアイス買ってきてくれたんだから、食べようよ。……めちゃめちゃ寒いけど」

 七絆が先ほど座っていたベンチを指差せば、零はまだ上の空だったがぼんやりとしたまま頷いた。拗ねモードは治まったようで、七絆はほっとしながらアイスをもらう。こんな寒空の下食べるには冷たすぎるが、それでも零とともに食べるのならいい思い出になるのかもしれない。

「それで、さっきの人は誰?」

「ぐっ……。忘れたかと思っていたけど、そう簡単にはいかないか。仕方ない、白状するさ。―――『タカ』の人だよ。最近よく会うんだ。別に本当に何もないんだけど、何だろうね。縁ってやつなのかな。向こうは私に何かしらの疑念を持ってるのかもしれないけど」

「……『タカ』って、あのクロフクの」

 ベンチに座る七絆の言葉を受けて、零の顔がさっと青くなった。自身を追う人間と、さらに言えば彼らの匙加減で一つで容易に命を奪える立場にいる者と七絆は話していたのだ。零だけで済めばいいが、以前七絆が言っていたことを踏まえれば、彼女とて危険だ。幸いにも零のことに気がついていないようだったが、それだって偶然のことだろう。

 七絆と外に出られたことで浮かれていたのかもしれない。彼女が男性と話していたことに悠長に心乱されている場合ではない。零は己の危険性をまざまざと再確認させられた気がして、立ち尽くしたまま七絆の顔が見られなかった。

「だぁかぁらぁ、言いたくなかった! せっかくの“デート”なのに、そんな顔されたらさ、私だって……」

 それなのに今度は七絆が頬を膨らませて、アイスに大口でかぶりついていた。うっと呻いて頭を押さえる彼女を驚いたように見れば、七絆は寄せていた眉根から力を抜いてにへらと笑う。


「いいんだよ、零」


 そうとだけ言うと、彼女は鼻歌を歌いながら子どものように足をばたつかせながらアイスを食べている。歳に不相応な、妙に幼い仕草だった。

「……いいのかな」

 手元のアイスは体温で溶けることもなく、買った時の形のままだ。七絆のアイスは彼女の体温で少しばかり溶けてその姿を変えているというのに。これが二人の差だということを見せつけられて、零は地面を見つめたまま呟いた。

「いいのさ、これで。生きているんだから、自由に生きよう。多少の不自由があろうとも、魂が自由ならどこまでだって生きていける。例え、肉体が滅んだとしても」

「……ナズナは僕がいても自由で幸せ?」

「自由で、幸せだよ。こうやってデートして、一緒にいられて、とっても幸せ。幸せ過ぎて溶けちゃうかもよ」

 七絆はにひひっと悪戯っ子のように笑うと、残ったコーンをぽいと口の中に放り込んだ。あまりの彼女の自然体さに、まるで本当にただの人間の男女のようだった。

 いつか七絆が言ったように潜在型の“ゾンビ”は命の温度がない以外は変わりないのかもしれない。その差に固執しているのはきっと零なのだろう。自罰的になって、感傷に浸って、何処にも行けなくなっているのは己一人だけなのだろうと。

 いつまでも七絆の優しさに甘えてはいられない。七絆が望んで、零がそれに応えたのならば、いつまでも一人蹲ってはいられない。

 アイスを一口齧れば甘さが口の中に広がった。温度はよくわからなかったけれど、とっても甘かった。

「甘いね」

「そりゃあ、アイスだからね」

 零の言葉に七絆はまたからからと笑うのだった。



 そろそろ帰ろうかと言う七絆に最後にあれに乗りたいと零が指差したものは観覧車だった。

 デートですかなんて朗らかに聞いてくるスタッフに赤くなった顔のままぱたぱたと手を振り、七絆たちはゴンドラのひとつに乗り込む。実は七絆自体も観覧車に乗るのは初めてで、少しだけ高鳴る胸を隠しきれなかった。色々と内部を弄ってみれば、最近の観覧車は音楽を流せたり、カラオケ機能やらもあるのだ。一頻り機械を弄ってから、七絆は結局何もかけずにそれを元に戻した。

 今この空間にあるのはふたりぼっちの呼吸だけで十分だった。

「見て見て、ナズナ! もうあんなに地面が遠いよ!」

 零は窓に張り付いたまま、徐々に遠ざかっている地上に声を上げて喜んでいる。窓の外を見れば、遊園地内のイルミネーションが光ってなかなかに幻想的な光景だった。近づいてくる夜の空はちらちらと光る星が少しばかり咲いている。思いの外小さなゴンドラは零が身動ぎするごとに、その膝が七絆のそれとぶつかるほどだった。

 さすがはこの遊園地の目玉の巨大観覧車なだけある。一周回るのに20分ほども時間を要するらしい。この密室でどれだけ多くの恋人たちが甘い時を過ごしてきたのだろう。


―――この関係を名前にするのならば、なんと呼べばいいのだろう。


 はしゃぐ零の横顔を見て、なんとなくそんな言葉が七絆の頭を過ぎった。嬉しくないわけじゃない。楽しくないわけじゃない。けれど、その疑問がふと浮かんだのだ。

 一番初めに零とともにいることを望んだ時には“同居人”という言葉を選んだ。少しばかり迷ったが、それぐらいの軽さが良いと思った。

―――ならば、今は何になるのだろう。

 共犯者? 別に七絆も零も何も悪いことはしていない。七絆は場合によっては周囲から糾弾される存在だが、二人をその言葉で括るには悪辣すぎる。

 共同体? 確かに意味としては間違ってはいないが、二人を指し示すにはあまりにも情がないし、素っ気なさすぎる。

 そもそも、七絆が零へと向けるこの温かな想いは一体何なのか。それが理解できれば、きっと二人の関係も名付けられるはずだ。

 いつか菫が言ったような“恋”と呼ぶべきなのだろうか。これが“恋”だと言うのなら、七絆と零はコイビトになるのだろうか。そこでふっと自嘲の笑みを七絆は浮かべた。零は七絆のことをどう考えているのだろう、と。いつだって心かき乱されるのは七絆ばかりだ。

―――零は私のこと、どう思っているんだろう。

 そこまで考えて、七絆は考えるのをやめた。この気持ちが“恋”だと言うのなら、それでいい。見返りを求めなければいいのだから。ただ、いつかこの先で零が七絆を思い出した時に、痛みになってくれればいいとそれだけを望むばかりだ。たったそれだけの話。他人に押しつけるものではない。

 思考の海に浸りながらぼんやりと窓の外を眺めていれば、そろそろ天辺に到達するのか地上の星々が遠くに光輝いて見える。あまりの美しさに七絆がほうっと息を吐けば、吐息の形に窓ガラスが少しばかり曇った。

 ふと視線を感じて、視線を窓の外より内に向ければ、零が七絆を見ていた。先ほどまで楽しそうにしていたのが嘘のように静かに、まっすぐと。

「? そろそろ天辺だから、外すごい綺麗だけど見ないの?」

 そう問えば、零は首を横に振った。目深にかぶられたキャップが彼の表情を見せず、七絆は首を傾げる。まさか高所恐怖症ではないだろうかという考えが浮かんだが、先ほどまであんなにはしゃいでいたのだ、それはないかと切り捨てる。

「ッ、ナズナ!」

 そんなことを考えていれば、零が顔を上げて手持無沙汰に降ろされていた七絆の両手をがしりと掴んだ。勢いよく頭を上げたからか、キャップがゆっくりと床に落ちていく。それを目で追っても零は七絆の手を離さないし、拾い上げる様子もない。キャップが落ちたことを伝えようと零の顔を見て、七絆は目を丸くした。

 零がいつもの滑らかな真白の頬を真っ赤にしていたのだ。頬どころか、首から耳まで真っ赤に染まっている。

「ちょっ、零! ね、熱でもあるの!? 顔真っ赤だけど!?」

「な、ないっ!」

「なんでちょっとキレ気味っ!?」

 零の額に手を伸ばそうとしても、七絆の両手は未だに零の手の中だ。零は顔こそ真っ赤だけれど、真剣に七絆を見つめている。なんだかつられて七絆も顔に熱が集まってくるのを感じた。こんな夜景が綺麗な密室状態、二人しかいないかつ誰にも邪魔されない高度で見つめあっているのだ。照れない方がおかしい。

「えっ、なになになになに?」

 状況が全く理解できていない。ただ七絆の手を握る彼の力が強くなって、移された体温が境界を曖昧にしていく。迷うように零の瞳が揺れ動くが、意を決したかのように再度七絆と視線を合わせた。

 そうして、ゆっくりと零の顔が近づいてくる。いつもならガーネットのように煌めく零の瞳が今はカラーコンタクトのせいで黒くなって、その中に呆けた七絆が映っていた。

「えっ、ちょっ、ぜ―――」

 その先の言葉は零の唇の中に飲み込まれていった。唇と唇が触れ合う柔らかい感触。間近には白い睫毛に縁どられた瞼があった。

 七絆と零はキスをしていた。

 一度重ねた唇はそのままに、零の大きな手が七絆の背中に回る。ぎゅっと一度抱きしめられると、零が離れていく。唇もゆっくりと遠ざかっていく。

 その体温の冷たさを離しがたく、今度は七絆が零の背中に手を回した。身長差があるから七絆の頭は零の胸部に密着する。その先から鼓動が聞こえてくることはないけれど、七絆の鼓動が耳の奥に籠って、まるで零の心臓の音が聞こえているみたいだった。


「好きだよ、ナズナ。大好き」

「何が、とか、どこが、とかじゃなくて、僕を助けてくれて、大切にしてくれて、抱きしめてくれるきみが好きなんだ。僕に何が返せるかはわからないけど、僕はきみと一緒にいたい」


 零の手が不器用に七絆の頭を撫でる。今まで聞いたことのないはずの柔らかい声に、どこか懐かしさを感じた。ずっと昔から求めていたものが手に入ったような気分だ。

 純粋で、無垢で、真っ白で。

 ただひたすら満たされている。

―――このままふたり溶け合ってひとりになってしまえばいいのに。そうすれば、私たちはあの時みたいに引き離されずに済むのに。死んでも共に在れたのに。

 ひとつの光景が七絆の頭の中に翻った。黒髪の綺麗な女性が笑っている。それを見て、七絆はとても心が満たされた気分になる。手を伸ばせば温かくて、抱きしめれば柔らかくて。きっとこれが幸せなのだという、そんな光景だった。

 それがいつの記憶なのかなんてどうでもいい。ただ、その時と同じ多幸感に今浸されていることが七絆にとっては重要だ。

 だから、七絆は彼に答えるためだけに口を開く。


「わたしも、ぜろがすき。きみがいるのなら、なにもいらないよ」


 私たちがひとりになってしまったなら、抱きしめ合う腕の力は知らないままだっただろう。

 私たちが溶け合ってしまったなら、互いの鼓動の音を知らないままだっただろう。

 私たちがひとつになってしまったなら、見つめ合う幸せを知らないままだっただろう。

 私たちが共に在れなかったなら、キスをして愛を確認することを知らないままだっただろう。

 私たちが出会わなかったなら、愛を知らずに死んだだろう。

―――ああ、これが“愛”というモノか。

 この日、嘉翅七絆は確かに“人間”になった。


 今日は姉の結婚の挨拶がありました。相手の方はとても優しそうで、二人とも幸せそうで、本当に本当に幸せになってほしいと思いました。それと同じくらい寂しくて泣いてしまったけど、姉に幸せになってほしいって気持ちは本物でした。だから、どうしてもこの話は今日あげたかったのです。


 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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