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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
33/62

ゾエトロープを回して

第三十一話。

「見てたわよ。振られちゃったのねぇ、イロオトコが形なしじゃない」

 七絆と別れてからそう遠くない、園内のカフェテラスで声を掛けられると、叴人は顔をしかめて足を止めた。そこには大きなサングラスにつばの大きな帽子を被った女性が頬杖をついている。上物そうなコートからも見て取れるほどの豊満な胸、冬場なのに大きくスリットの入ったロングスカートからは黒いタイツに包まれた柔らかそうな脚が覗いている。

 近くを通る男性たちの視線を一身に集めている彼女を見て、叴人は大げさに肩を落とす。赤い口紅を纏った唇がストローの端を噛みながら彼女は大きく口角を上げた。

「会って早々それかよ。きみってやつは昔から変わらないよねぇ、アイリス」

 叴人は躊躇わずに妖艶な美女―――アイリスの前に座る。店員を呼んでコーヒーを頼むまで、彼女はにやついたまま黙っていた。そして叴人の前にコーヒーが置かれると、彼女はようやくその唇を開いた。

「未成年淫行罪」

「だから手は出してないって! いや、こういう言い方だと手を出そうとしているみたいでいやだな。そもそもそういう目で見てないって、アイリスが一番知ってるだろ?」

「そうよね。アンタ、いっつも相方の尻ばっかり追っかけてるものね」

「言い方~。別に、手のかかる弟分ってだけさ。それ以上でもそれ以下でもないし」

「そお? アタシにはそうは見えないけど」

「あまり苛めないでくれよ。こう見えて結構繊細なんだ、俺」

 叴人が苦笑いすると、アイリスは勝ち誇ったようにグラスの中の氷を掻き混ぜた。この寒空の中冷えたドリンクを飲む行為が理解できず、半目になりながらも叴人はカップを持ち上げる。

「それで、頼んでいたやつは?」

「ここに。このアタシが仕事に関して手を抜くと思うの?」

 アイリスは鼻で笑って、どこかの女怪盗のように自身の胸元からUSBを取り出す。女性らしく細い指の間に挟まるそれを叴人はげんなりした。

「なに悪の組織の女幹部みたいなことしてんだよ……」

「あら、女の胸には夢も希望も挟まってんのよ。男の欲望もね?」

「そりゃよかったぜ」

 その指から平然とUSBを引き抜く叴人を見て、アイリスは面白くなさそうにストローを噛む。叴人は恥じらう様子もなく、それを懐に仕舞った。

「まったく、揶揄いがいのない男ってほんとキライ。面白みもないし、得てしてそういう人間って情報を抜き取りにくいのよね、アンタみたいに」

「おいおい、待ってくれよ。俺はきみの味方だぜ? 味方の弱みを握ってどうしようって言うんだ。そもそもアイリス、きみは男性自体が嫌いだろ?」

「嫌いね。それに味方であろうと敵であろうと弱みを握っておくっていうのは重要よ。……無駄話はこれでおしまい。リリィもいるし、さっさと済ませるわよ」

 アイリスはつまらなさそうに脇に置いていたカバンから茶封筒を取り出すと、中から数枚紙を引っ張り出した。


「アンタが調べて欲しいって言ってたコ、このコであってるわよね。さっき仲良く歓談してた、嘉翅七絆」


 書類の上に落とされたのは、無表情でこちらを見ている七絆の写真だった。光の灯らない真っ黒な瞳でこちらを見続けてくる写真を叴人は不気味に感じながらも手に取る。先ほど話をしていた時とは違い、人間ではなく無機物のような視線だった。到底熱が通ったものには見えない。

 暗いとか、淀んでいるというわけではなく、本当に空っぽみたいだった。

「写真の感じから随分と暗い性格のコなのかと思っていたら、案外そうでもないみたいね。遠くから見ていたけど、表情もちゃんと変わるし、到底この写真と同じコとは思えないわね」

「ちなみにこの写真は何時ごろのもの?」

「それ? 中学の卒業アルバムの個人写真だったかしら……。ええ、そうね。そうだわ」

 カバンの中を確認してからアイリスは頷いた。確か彼女は今年受験だと言っていたので、今から三年前の写真ということだ。たった三年で人はそこまで変わるのだろうかと叴人は思って、己の境遇を思い出して喉の奥で笑った。

「ちょっと、キュート?」

「いや、悪い。それで? その他には?」

「ええ、そうね。―――旧姓は夜日羽七絆。実母の夜日羽葵は彼女が小学六年生の時に事故死。居眠り運転をしていたダンプカーに突っ込まれて即死ね。きっと死体は見るも堪えないほどだったでしょうね。その後、実母の妹である嘉翅蘭の養子となっているわ。義父は……アンタには言わなくてもわかるでしょう。実父は不明……あら、何よその目。調べたわよ、それこそ夜日羽葵の性事情まで。―――でもね、何にも出てこなかったのよ。そもそもこのコもそうだけど、夜日羽葵の情報もほとんど出てこないわ。不気味なまでにね」

「さっききみは仕事に手を抜かないって言ってたぜ。話の続きは勿論あるんだろうけど、俺はきみの手が届かない情報も知りたい」

「ほんっと嫌なオトコよね、アンタ。顔だけは好みだけど。……はぁ、当たり前でしょ。アタシが中途半端なシゴトをすると思う? このシゴトは継続させてもらうわよ。場合によっては追加料金をいただくけれど」

「構わないぜ。それじゃあ、続きをどうぞ?」

 したり顔で目を細めてアイリスに続きを促す叴人に彼女ははんっと鼻を鳴らすが、すぐに手元の端末に目を落とした。

「中学時代の彼女はあまり目立たない存在だったみたいね。それこそ休み時間に教室の隅で本を読んでいるくらいには大人しい子だったそうよ。成績に関しても特筆すべきことはなし。得ても不得手もなくて平均的、といったところね。……それでここからが本題」

 アイリスはそこで店員を呼び止めると、アイスティーを注文した。叴人がそんな彼女に目を丸くする。

「なんだい、いやに溜めるね」

「別に溜めているわけじゃないけれど。喋り通しは疲れるのよ。せっかく書面でまとめてやってんだからソッチ見ればいいじゃない」

「いやいや、人間なんだから書き忘れとかもあるかもしれないだろ? 書類も有難く見せてもらうけど、俺はアイリスの言葉でも確認したいんだ。別にきみのことを疑っているわけじゃないが、きみの信条はギブアンドテイクだろう? 貰い過ぎは嫌いだと思うけど?」

「……ふん。喰えないオトコだわ、本当に」

「お褒めの言葉をありがとう」

 褒めてないわと言いつつ、アイリスは店員からグラスを受け取るとすぐにぐいっと呷った。上品さの欠片もない仕草だったが、本来のアイリスはそういうタイプだ。縁についたリップを荒々しく拭き取ると、叴人へと向き直る。

「彼女は中学二年生の夏、正確には8月19日に行方不明になってる。その一週間後の8月28日に肋妍山こんげんざんの麓で発見されるけれど……入院記録も警察の報告書も、その後の経過がどこにも見つからないのよ。勿論旧姓でも探してみたけれど、行方不明になったっていう情報しか手に入らないの。詳細については現状不明ってコト」

「その行方不明になったっていう情報はどこから?」

「彼女の学友から。特に本人自体も隠したりしているわけじゃなかったそうよ。……けれど、彼女、そこからなんだかおかしくなったみたいで」

「おかしく? 具体的には?」

 叴人がそう聞けば、アイリスは急に不安そうな、ばつが悪そうな様子で周囲を窺った。夕闇に包まれ始めたカフェテラスには人の姿が少ない。叴人も辺りを見回すが、近くに座っている人はいない。

「アイリス? どうした?」

「いえ、なんか悪寒が……。外にいすぎて冷えたかしら。それで、復学後の話よね。……そのコが言うにはなんだかちぐはぐだったらしいわ。表情と感情があっていないというかなんというか」

「その頃の彼女に表情なんてモンがあったのかい。この写真を見るに到底とうは思えないけど」

「戻ってきてからしばらくはその写真みたいに無表情に無言を突き通していたそうよ。暫くしてから表情がつくようになった。でも、その学友だってコが言うにはそれが不気味だったと」

「……どんなふうに?」

「こんな話をしてもらったのだけど、学校で飼っていた犬がね、死んだらしいのよ。老衰だったそうだけれど、長く学校にいたみたいで学校中が悲しんでいたの。まぁ、思春期の頃だし、そんなもんよね。でも、彼女だけは声をあげて笑ったんですって。周囲は驚くわよね、そりゃあ。みんなが泣いている中、一人だけ笑うんだもの。非難の視線を浴びて、彼女はぴたりと笑うのをやめて突然泣き出したの。恐る恐る聞いてみれば、『犬が死んで悲しい』って。さっきまで笑っていたくせに、本当に、本気で泣いていたそうよ」

 叴人は手元の写真を見て、先まで話していた彼女を思い出す。そこまでの異常性は見られなかったと彼は判断しているし、何よりもきちんと人並みに怯えていた。あの怯えが叴人へのものなのか、それとも別の何かがあるのかはわからないけれど、きちんと人間性が垣間見えていた。叴人は彼女があの質問をした意図を測りかねているが、恐らく何かしらの思惑があってのものだろう。ますますこの写真とアイリスの話から見える嘉翅七絆像と本来の彼女の姿が乖離してしまう。

 けれど、これからはあの少女が何かしらの異常性を抱えていると踏まえて対処した方がいいかもしれない。叴人の考えが的中していたのならば、それは『タカ』として、否、叴人個人的には非常に厄介だった。

「さっきアンタと話していたのを見たかぎりだと、私が聞いてきた話の方が疑わしくなるけれど。少し話が脱線したわね。とはいえ、これ以上出せるものは多くないわ。……今はってことよ。アタシがシゴトで手を抜くと思ってたら脳天ぶち抜くわよ。それで高校に入ってからの彼女だけれど、成績が抜群によくなってる。今までは平均だったのが全国模試で常に満点を取っているわ。常に、よ。本来ならありえないわ。人間だもの、ケアレスミスだって、つまづく問題だってあるでしょう。常時完璧な人間なんて想像できる?」

「……その辺りの話は俺わからないからなぁ。学校とか行ったことないし。あり得る話じゃないのかい? 答えがわかればミスのしようなんてないだろ?」

 叴人の質問にアイリスは胡乱げな視線を向けてくるので、叴人は慌てて繕うと「それで?」と続きを促す。

「アンタで常識を計るんじゃなかったわ。それなりに特殊だものね、アンタも。まぁ、いいわ、そんな話は。話を続けると、勉学に全振りしたのかっていうくらい運動ができなくなってるわね。常に成績表は『1』よ。……逆にこれもこれでありえないと思うけれど」

「そんなに運動神経が悪そうには見えなかったけどなぁ」

 思い出すのはこの間土手で出会った時のことだ。あの時、彼女は転ぶことも脚を縺れさせることもなく、女の子としては平均的なスピードで走り去った。言うほど神経が悪いようには思えなかった。

 それに叴人が彼女の定期を眼前に翳した時、一瞬だったが彼女の手がそれを奪い返そうと動いたのを見た。結局のところ、彼女はそれを押しとどめて笑顔で叴人から奪い返したわけだが、あの時の瞬発力は平均以上のものだろう。

 叴人が首をひねっていると、アイリスは「続けるわよ」と言って端末をスライドした。

「あとは……そうね。特筆することとしたら、アルバイトくらいかしら。アタシは結構驚いたけれど、彼女、夜日羽研究所でバイトしているそうよ。まぁ、あそこでは元々母親が所長をしていたから、そういうのもアリなのかしらねぇ」

「いや、本来はそれこそありえないぜ。あそこは政府お抱えの研究所のひとつだ。昔ちらりと見たが、研究費も他の研究所よりは倍出ていた。『ブロイラー』よりかは少ないが、それでも破格の扱いを受けているところだ。そこに前所長の娘とはいえ、部外者を出入りさせているのは無防備すぎるだろ」

「やっぱりそうよねぇ。アタシも思ったんだけどさ、あそこはブラックボックスみたいな場所だから、アタシも近づけないのよ。キュート、アンタどうにかできないの?」

「あそこに近づく権利は俺もなくてね。そもそもこんな立場についているとはいえ、昔やらかしたことがあってお上からの信用がないのさ」

「使えないねぇ、アンタ」

「だから、きみに頼んでるんだろ? 自由そうに見えて意外に不自由な立場なんだ。俺にも監視がついてる可能性だってあるぜ」

「だったら、アタシはアンタに会ってないわ。その辺りしっかりしてるくせに、揶揄うんじゃないよ」

 意地悪そうに叴人が笑うと、アイリスは鬱陶しそうにしっしっと手を振った。そこではたと気がついたように腕時計を見ると、アイリスは「そろそろ時間ね」と言う。

「リリィちゃんも来てるんだっけ?」

「そうよ。今はあっちのカフェで待ってもらってるけれど、あのコってばパンケーキに目ぇ輝かせちゃって。可愛かったわぁ。ついついたくさん写真撮っちゃったけれど、はにかむあのコも可愛くって……。特別に写真を見せてあげるわ」

 向けられた端末の画面、そこには柔らかな金髪をした少女が果物で彩られたパンケーキを嬉しそうに頬張っている様子が写し出されていた。アイリスが興奮したようスライドしていくが、ほぼ秒送りで取っているようだ。恥ずかしそうにはにかみながらも、ブラウンの瞳が画面越しにアイリスを見ている。それを見て、叴人も思わず笑みが零れてしまう。

「じゃあ、あんま引き留めるわけにもいかないね。リリィちゃん、可愛いから手を出されちゃうかもだし」

「大丈夫よ、そんなことする野郎は再起不能にしてあげるから。タマァ潰して、二度と使い物にならなくしてアゲルわ」

「めっちゃ恐い。今、俺もちょっときゅってなった」

「あら、そんな顔してついてるもんはついてんのね。残念だわ、あと40cmほど身長を縮ませて、腰まで髪を伸ばして、さらには上目遣いでアタシのことを『お姉さま』って呼ぶようなかわいらしい女の子だったらよかったのに。可愛がってあげたわよ」

「それ、もはや俺の要素なくない? 俺はどうやってもアイリスのこと、『お姉さま』なんて呼べないぜ」

「うっわ、鳥肌立ったわ。男の声でやるのほんっとやめて。私は可愛い女の子にしか食指が動かないのよ。ま、今はリリィ一筋だけれど」

「はいはい、ごちそーさま」

 うふふと頬を上気させるアイリスに今度は叴人がひらひらと手を振った。こと言い合いで彼女に勝てた例がないので、早々に白旗を振るのが一番だ。

「―――でも、ホントに限界になったら来なさい。男でいるのがイヤになるくらい、アナタで遊んであげるわよ?」

「悪いけど、俺はどっちかって言うと奉仕されるよりしたいタイプなんだ。アイリスのお世話になれそうにないよ」

「……そ。アンタの愛って気づかれにくいからね。寂しいって泣くんじゃないわよ」

「あははは、でも、それって俺の愛だからさ」

「それじゃ。こっちも進展があり次第、連絡するわ。それまでどうにか死なないように気をつけなさい」

「うん、そっちも。リリィちゃんによろしく言っといて」

 高いヒールをかつんかつんと甲高く鳴らしながら、アイリスは去って行った。その背を見送ってから、だらんと叴人は椅子に凭れかかって天を仰ぐ。

 空の半分以上が夕闇に染まり、裾を赤色で染めている。色は違えど、世界中に繋がっている空だ。この下を反抗期な弟分も歩き回っているのだろうか。獲物を探し回る飢えた獣のように。


「愛、ねぇ……」


 叴人は空っぽになったカップを見つめるが、答えは全く出そうになかった。

 目に見えたらいいと思う。耳で聞こえたらいいと思う。触れてわかればいいと思う。

 でも、現実は色もなく音もなく感触もないから、わからない。

 叴人にはわからない。昔はわかった気になっていたけれど、ある日を境に分からなくなってしまった。あの時、幼い叴人の頭を撫でるあの人の手のひらは愛情だったのだろうか。疑ってしまえば、愛ではなくなるというのに叴人は疑ってしまった。

 だから、この先もきっとわからない。わからないまま、燻ぶった感情を持て余して生きていくのだろう。

 死ぬ間際にでも思い出して、大切にできればそれでいいかと思って蓋をした。


「あ、伝票持ってかれた」

 机から消えているそれに叴人はようやく気がついた。やはりできる女というものは一枚上手なものだ。グロスののった唇が弧を描くのが容易く想像できた。

 くしゃみを一つしてから、茶封筒を持って立ち上がる。先ほどベンチで言葉を交わした少女を思い出す。彼女は今何をしているだろうかと考えたところで、叴人は自分が思いの外感傷に浸っていることに気がついて笑った。

 彼女の言い分がわからないわけではない。叴人だって、万人に優しい世界であればいいと思う。けれど、その実一番この世界が悪辣に満ちているのを知っているのは叴人だろう。そういう世界で生きてきたのだから。

 どちらにせよ、生きている以上はこの不条理な世界を歩いて行かなければならないのだ。

 人間であってもなくても。


めちゃくちゃ久しぶりな気がしますが、今は元気に蒙古を倒してます。元気に民草を救いながら、隊長の首級を上げてキャッキャウフフしてます。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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