浮かれて燥いで
第二十九話。
「うわぁぁぁぁっ! ナズナ、すごいよっ!」
遊園地のモニュメントの前で大はしゃぎしているのは英字がプリントされたキャップを目深にかぶった黒髪の青年だった。七絆はそんな彼を半笑いのまま見ながらチケットをポシェットの中に仕舞いこむ。それから少し落ち着くようにと窘めた。が、そんなもの聞く彼ではない。そのまま興味のままに走り出してしまう。180cm近くの巨体が走り回るのはなかなかインパクトがあった。
「あっ、コラ! 零っ、走るんじゃなーい!」
遠い目をしていた七絆も慌てて黒髪の青年―――零を追いかけ始める。なぜ零がこんな恰好をしているのか、それも二人揃って外に出ているのかは昨日の朝まで遡る。
「“でぇと”?」
「そうっ! で、でーと……。いや、この響きは自分で言うのは恥ずかしいな。簡単な話、明日一緒に外に出てみようって話!」
「! ッ、いいの!? あ、でも……」
零は勢いよく身を乗り出したが、戸惑ったように勢いをなくしてテレビを見た。そこには零の格好をした囮たちが未だに流されている。中には捕まっている人間も出始めているようだ。七絆はリモコンを操作してテレビを消すと、心配そうな顔をする零に向き直った。
「今がチャンスなんだよ。大っぴらに外に目が向いている時こそ、逆に」
「でも、危ないよ。僕が見つかるだけならいいけど、ナズナのことがバレたら……」
「いや、それ私の台詞だから。というか、いつまでもこのままの生活はよくないと思うの、私」
「なんで? 僕、別に外に出なくたって大丈夫だよ」
「いーや、大丈夫じゃないね。ねぇ、零。零はずっと、ずぅっとこのままでいいの? この狭い家で私とふたりきりで。天気がいい日に散歩も出来ないで、外に一歩も出ないままで」
「僕、ナズナがいてくれたらいいよ」
「ンッ……! ごほん、言い方を変えようか。いつまでもここがバレないと思う? もしかしたら、全件家宅捜索くらいの暴挙に出たっておかしくないかもしれないんだ。本当にするかはわからないけど……。『タカ』の勢いを見ていると、不思議じゃない」
「それは……」
七絆の出した仮定に零は言葉を詰まらせた。確かにいつまでもこの家に居られるわけではない。零は完全に失念していたが、いつかはここを出る時が来るのだ。それがひとりなのかふたりなのかは別としても。
「そうでしょう? それでね、いざその時になった時、零が外の世界を知らないままだと困るでしょ。……ウチに来た時みたいなことはもうごめんだからね」
「? なんかあったっけ?」
「そこから問題なんだよね。まぁ、いいや。ともかく、零は外の世界に慣れるべきなんだよ。家の中では教えられないこともあるし、多少の危険を冒してでも知っておくべきだと思うんだ。……零が外に出る時に私が一緒にいてあげられるとも限らないから」
「ナズナ?」
零は小声で言われた最後の言葉は聞き取れなかったようだが、七絆は「何でもないよ」と優しく笑った。
七絆だって本来は零を外に出すべきではないとわかっている。しかも、こんな『タカ』の目を逸らして早々に動くのは危険だとも思っている。けれど、今だからこそとも考えているのだ。
おそらく『タカ』は降って湧いたようなこの事態に対処するのに手一杯な可能性が高い。そりゃあ各所で似たような人物がいたらひっ捕らえないわけがない。どこから本物への手掛かりが見つかるかわからないのだから。そして、情報というのは出始めが一番、統制等の行動に混乱をきたす。面白がった人間が事の重大さを理解しないまま、情報の拡散も行うだろう。今が一番好きが大きい時なのだ。数週間後には大体の対処体系ができてしまう可能性が高い。
だからこそ、胡蝶もこの遊園地のペアチケットを送ってきたのだろう。あの男の考えていることは不明だし、なぜ遊園地なのかも理解しがたいが、七絆の不利になるようなことをする男ではないはずだ。
この遊園地がある場所なら、括首町から近いわけでも、かといって大きく離れているわけでもない。電車に乗ることも可能だし、途中でバスだって使う。公共機関を使うということは多くの人の目に触れることでもあるが、公共機関を使えればこの小さな町を脱出することもできる。真っ先に零に教えておくべきことだった。
零はいつか来る逃避行に備えておくべきなのだ。考えたくはあまりないが、場合によっては七絆を置いてでも逃げてもらわなければならない。一緒に行けることが一番だけれど、いつまでも“一緒”を抱えて共倒れになるわけにはいかない。
「色々言いはしたけど、楽しみながら外のことをお勉強しましょうって話! 零が行きたくないって言うなら話は別だけど……。遊園地、行ってみたくない?」
ちらちらと端末の画面を揺らせば、猫じゃらしを振られた猫のようにゆらゆらと零の頭が揺れる。その目は僅かに不安を覗かせながらも隠しきれない好奇心にきらきらと輝いている。
「大丈夫だよ、零。もし何かあっても私が一緒にいるし! 運動神経はなくとも悪知恵は働く方だよ? 恐がっていつまでも踏み出せないのは愚者の所業さ。ねぇ、零。私が言うんだから大丈夫だよ」
「そう、だよね。ナズナが一緒なら……。うん! 僕、ナズナと一緒に行きたい!」
にぱっと零が白い歯を見せて笑って、七絆は満足そうに頷いたのだ。
だが、ここでとある問題が立ちはだかった。それは零の容姿だ。
「……流石にこの髪と目はどうにかしなきゃならないね。首元の傷はタートルネックで隠すとして、あとは微妙に隠れないこの識別番号か。これは後で考えよう」
「でも、ナズナ。この前髪染めようとして失敗しなかったっけ?」
「あ、あれは、多分、時間が短かったんだと思う……。多分だけど」
以前、零をどうにかして散歩くらいには出させてやりたいと思った七絆がヘアカラーに挑戦したことがあった。何かとこの国で白髪は目立ちすぎると、黒染めの染料を買ってきたのだ。その日のうちに零で試してみたが、きっかり時間通り放置してからぬるま湯で流したところ、湯とともにするすると染料も落ち、残ったのは白い零の頭だけだった。手順を何度も確認したので間違っていたことはおよそないが、結果が伴わない以上それは失敗と言わざるを得ないだろう。
零には嫌がられ、最終的に失敗するという最悪な終わり方をしたのだ。何なんだこの特異体質はと七絆は項垂れた。
そのため、今回も染髪については失敗する可能性の方が高い。赤い瞳はカラーコンタクトを入れて対応するとして、髪についてはどうしようかと七絆は腕を組んだ。
「やっぱりウィッグしかないかなぁ……」
そう呟いてちらりと零を見るが、彼はパソコンの画面にお熱だ。遊園地のサイトを見せてやってからそこに嚙り付きになっている。
「でも、ウィッグ飛ばしそうだしなぁ……」
七絆の脳裏にその光景がありありと浮かぶ。ウィッグの下から白髪の頭が現れるなんて、この状況下で不信すぎる。疑いの目を向けられそうだ。
七絆がうんうんと唸っていると、ピンポンと軽快に自宅のベルが鳴らされた。はっとして零を見れば、彼はソファの下に入り込んでいる。入りきれずにソファが持ち上がっているのは見なかったことにしよう。七絆ははみ出てる零の脚をクッションで隠してから、モニターを見れば宅配業者がいた。
宅配なんか頼んでいただろうかと首を傾げながらも、ドアを開ければ会社のシンボルマークがついた帽子を目深にかぶった男性が立っている。
「嘉翅さんのお宅で合ってますかぁ?」
「あ、はい」
「はぁい、お届け物でぇす」
やる気のなさそうな声をした男性はさっさと手の中の箱を七絆に押し付けると、サインも印鑑ももらわないまま踵を返してトラックに乗り込んでしまった。
「えっ、ちょっと! 受領印はぁ!?」
七絆がそう声を張り上げるも、トラックはそのまま走り出してしまう。慌てて道路に飛び出した七絆だったが、トラックは止まることもなく段々と小さくなっていった。
「え、えぇ……?」
平日の中仮病を使って休んでいる以上、あまり外に出ているのは良くないとそそくさと家に戻る。荷物を抱えながらドアの鍵を閉めているとぬっと後ろから手が伸びてきた。その手は七絆が小脇に抱えていた荷物を奪い取ると床に投げ捨てる。
この家に居る人物は七絆の他に零しかいない。彼がしそうにない乱暴な行動で七絆は慌てて振り返る。
「ちょっと、ぜ―――」
ぎらぎらと燃えるような赤い瞳が白い髪の間から七絆を見ていた。まるで人でも殺せそうな視線に七絆は思わず後退りしてしまうほどだった。だが、たかが知らない一面があった程度で怖気づいている場合ではない。今回はドアを閉めた後だったからよかったものの、ドアが閉まっていなかったら誰かに見られていたかもしれない。この軽率な行動は怒らねばならない。
「ッ、零! 玄関付近には近づいちゃダメって言ったでしょ!」
「―――ぜろ? いや、ぼくは……」
先ほどの視線の強さは失せた焦点が合わない瞳で彼は七絆を見上げるが、突如その身体がぐらりと揺れる。
「零っ!? どうしたの、大丈夫? どこか具合が悪いの?」
七絆はぐらつく彼の身体を支えて優しくその背を撫でながら声を掛ける。あの赤い瞳は真白の髪に隠されて見えなかった。
「……ちのにおいが」
「血の匂い? この箱から?」
「いや、あかいちの―――ん? あれ、どうして僕玄関にいるの? それにナズナもどうしたのさ、こんな近くで」
譫言のように零が呟いていたかと思えば、彼はぱちりと目を開いて不思議そうに彼を支える七絆を見る。まるで誰か違う人間にでも切り替わったような変化に七絆も追いつけない。
「え、零?」
「うん、僕だよ? うーん、さっきまでソファの下にいたんだけど、なんか気がついたら玄関にいるんだけど……。僕、ちゃんと歩いてきてた?」
「いや、歩いてくるとこはみてなかったけど、多分歩いてきたんじゃない……? それにしても、どこか気分が悪いとかある? さっき思いっきりよろめいてたから……」
「全然平気! むしろちょっとお腹減ったくらい!」
にこっと笑う零に七絆は天を仰いだまま大きく息を吐いた。そんな七絆に首を傾げた零だったが、床に転がっている箱を見つけて「なんか届いたの?」と呑気に聞いてきた。それを聞いて、七絆は荷物の存在を思い出す。
転がっている箱の宛先は『嘉翅七絆様』となっているが、肝心の送り主の記載がない。不審に思っていれば、ポケットの中の端末が震えた。画面を見てみれば胡蝶からで、つらつらと長文が書いてあるが全てを要約すれば「荷物送ったので、確認してくださいね。ちなみに送り主はクイーンを思って書いてません。私ったら気の利く男!」ということだった。大変迷惑なことをしてくれたものである。
何を送ってきたのかにしても、あの男からの贈り物である。零の目に触れさせたくはないが、当の零は興味津々だ。輝く瞳が早く開けないの?と語りかけてくる。
仕方ない。七絆も覚悟を決めるしかないようだ。廊下にふたり座ったままで、べりべりとテープを剥がしていく。特に異臭もしないし、死体が入っていたりということはないだろう。先ほど零が言った血の匂いが気になるところだったが、問題はなさそうだ。
意を決して箱を開けて見れば、そこには男性物の衣服が数着とヘアカラーの染料、それに動きやすそうなスニーカーが入っていた。その上に入っていたメモ用紙を見ると「染料も特別なものを用意しました。一日なら落ちませんよ」と几帳面な筆跡で書いてあった。恐らく胡蝶の字だろう。
衣服は広げてみれば、かなり大きいサイズだ。見えない尻尾をぶんぶんと振ってこちらを見てくる零の背に当ててみればぴったりだった。これを用意したのが胡蝶だと思うと、本気で家の中に監視カメラでも入っているのではないかと疑ってしまう。もしかしたら、零がひとりで逃げ回っていた時に会っていたとかかもしれないが、それでもやはり気味の悪いものを感じた。なによりも変態であるから。
「……いや、でも感謝しないとね」
「? ナズナ、なんか言った?」
「これからもう一回髪染めに挑戦するよって言った。明日のために、仕方ないよね?」
「えー! また、あの臭いのやるの!? ……んー、でも外に出るためなら仕方ない、かなぁ」
しょんぼりと零は若干肩を落としたが、明日のことを思い出してかぴょんと背筋を伸ばした。七絆はニヤニヤしながら零の背中を叩くと、ついでとばかりに荷物も運ばせる。
要するに二人とも結構浮かれていたのだ。
いっぺん全部消えてうおおおぉぉぉ……となりましたが、多分大丈夫です。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




