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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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いたい

第28話。

「あれ? ナズナがいる」

 胡蝶との通話を終えてから数十分後、零が眠気眼を擦りながらよたよたとリビングにやってきた。彼は七絆がいることに不思議そうな顔をしながらも、食卓に並ぶ朝食に腹を鳴らす。

「おはよう、零。座るんなら、顔洗ってからにしてよ」

「う~ん、わかった。でも、なんでナズナいるのぉ~?」

 洗面所に向かうためUターンした零の声が徐々に遠くなるが、七絆が平日にこんな時間にいることに対しての疑問はなくなっていないようだ。七絆はキッチンから首だけ伸ばして、彼の背に声を掛ける。

「今日はずる休み。あとで買い物だけ行っちゃったら、ずっと家に居るよ」

「えぇぇぇ! 今日はずっと一緒にいれるの!?」

「ぎゃあああっ! ちゃんと顔拭いてから来なって! うおおおお、濡れた顔を近づけるな~!」

「じゃ、じゃあさっ! この前のゲームの続きし―――っぷ!」

 タオルで拭かずに七絆に突撃してきた零は顔面にタオルを押し付けられて止まった。顔にくっついたタオルを取りながら顔を拭くも、見えない尻尾がぶんぶんと振られている。七絆は半目でそれを見ながら、マグカップに紅茶を注いでいく。お洒落なティーカップなど存在しないので、なみなみと注いだ。

 零はタオルを椅子の背もたれにかけると顔を輝かせながら席に着いた。七絆もそれに倣い、彼の向かい側に座る。

「いただきまぁす!」

「はいはい、召し上がれ。……零は朝弱いわりに起きちゃえば元気だよね。ぶっちゃけ、私は今にも寝ちゃえそうだ」

「? ほんとうだ、ナズナ、ちょっと疲れてる?」

「疲れている……のかな。ただ寝不足なだけかも」

 だいじょうぶ?と首を傾げる零に頷いてサラダを口に運ぶ。零は上目遣いで七絆を見ながらスープを飲んでいた。

『タカが逃亡中の“ゾンビ”を確保か』

 テレビからそんな言葉が聞こえてきた瞬間、零は吹き出して信じられないものでも見るようにテレビを見た。七絆はテレビを消し忘れていたことに気がつき、苦い顔のまま机を拭いて、未だぽたぽたとスープが滴る零の口元を拭いてやる。

「な、な、ななななな、ナズナ!」

「はいはい、ナズナですよぉ~。お口拭きましょうねぇ~」

「そ、それどころじゃにゃ――わぷっ!」

 テレビを指差しながら信じられないものでも見たかのように目を見開く零に七絆は素知らぬふりで彼のお世話をする。そんな七絆に反論しようとしたが、無理矢理口元を拭われて言葉にならなかった。ようやく彼女が椅子に座ると、零はまたテレビを指差した。

「ナズナ! あれ、どういうことっ!? 僕がいるよ!」

「いや、零じゃないから。瞬間移動でもするの? もしくは、勝手に家を抜け出したりしたの?」

「して………ないっ! あれっ!?」

「無言でテレビを指差して訴えるんじゃありません。あれは零じゃないのです」

「じゃあ、誰!?」

「……ッ、しらない」

 それ以上の質問から逃げるように、七絆は勢いよくテーブルに突っ伏した。あまりの勢いに零はびくりと肩を揺らすが、七絆はそのまま動かない。並べられた朝食を避けているあたり、流石七絆である。

「……ナ、ナズナ? だいじょうぶ?」

 恐る恐る零が問いかけてくるが、七絆は突っ伏したままだ。テレビではまだ逃亡中の“ゾンビ”について語っている。同じ場面がぐるぐると何度も再生されている。七絆の耳にもそれはきちんと入っていた。嫌になるほど、何度も、何度も。

 胡蝶と話をしていた時から言葉にできない不快感のような、罪悪感のようなものが胸に渦巻いていた。七絆はテレビの向こう側、零に扮している人間を誰一人として知らない。会ったこともないから当たり前だが、すれ違ったことくらいはあったかもしれない。これだけの数の人間がいるのだ、一人くらいはいたとしてもおかしくはない。

 彼らは今生きているのだ。呼吸をして、心臓を動かして、立っている。痛みもなく、苦しみもない今を生きているのに。

 どうして得体も知れない他者のために身を投げるのだろうか。

 『タカ』の捜査を攪乱した罪は大きい。それこそ次の日の新聞の見出しは“死刑”と掲載されるかもしれない。もしくは不審死として誰にも知られることなく葬り去られるだろう。それほどまでに“ゾンビ”という存在は恐ろしいのだ。彼らの凶暴性が、異常性が、“死なない”ということが。

 多くの人間が夢見る“不死”が恐れられる日がくるとは。

 七絆は喉の奥でくっと笑った。お前たちが望んで止まないものが、それに繋がる足がかりが目の前にあると言うのに、それを恐れると言うのか。

 これは七絆の空想でしかないが、きっと崖から身を投げる彼らはそこに“カミサマ”を見たのだろう。普通の感性を持つ人間たちなら恐怖を覚える、死なない“ゾンビ”たちに。

―――いいえ、彼らは貴女の特異性に救いを見出したのですよ。

 埃を被った奥底で知っている男の声が知らない言葉を話す。そんな記憶は七絆の中に存在しないのに、古傷のように言葉にしがたい感情が疼くのだ。

 これは殺人になるのだろうか。目の前で谷底へと身を投げる人間たちを見送り続けることは、自身の手を汚さないままに人の死に関与するのは。だったら、七絆だって『タカ』を非難することはできない。結局は同じ穴の狢じゃないか。

「おーい、ナズナ? ほんとうにだいじょうぶ?」

 真っ暗な視界に零の声だけが響く。

 きっと零にこの真実を話せば、彼は怒るだろう。きっと幻滅もされるだろう。自分の痛みには無頓着なくせに人の痛みを勝手に自分のものにしようとする彼のことだから。七絆のことをあれほど想ってくれていた零だから。

 やさしいひとだから。

 七絆を叱って、そうしてそっと姿を消すのだろう。これ以上他人を巻き込まないようにと。

 だから、七絆は口を噤むのだ。誰のためでもなく、自分のためだけに。

 零にどこにも行って欲しくないから。


 この状況はかの有名なトロッコ問題によく似ている。今、七絆の目の前には二つのレバーがある。分かれた線路の先には零がひとり、もう片方には大勢の紛い物たちがいる。どちらかのレバーを動かせば、目の前に迫ってきている電車を分かれた線路の先のどちらかに進んでいくだろう。

 電車が進まなかった一方は生き残り、もう一方は死に絶える。それは七絆に委ねられており、どちらを殺すかを決めるのは七絆自身だ。

 そうして、七絆はレバーを引いたのだ。知らない誰かが多く死ぬ方を選んだのだ。

 まぎれもなく、己自身の意思で。


「ナズナ、どこか痛いの?」


―――ああ、痛いさ。胸が痛い。けれど、これは会ったこともない誰かのためのものじゃなくて。

―――きみといたいからだ。


 七絆はぎゅっとこぶしを握ると、がばりと起き上がった。マグカップの中の淡い色した紅茶が波立つ。顔を上げれば思ったよりも近くで赤い瞳が七絆を見つめていた。突然起き上がったものだからまんまるとこちらを見ている。

「なんでもないっ! ねむいっ!」

「え、ええぇぇぇぇぇっ!? 微動だにしないからどうしたのかと思ったら、それだけ!?」

「それだけっ! 以上っ!」

 そう叫ぶと七絆は冷めたスープを啜り始めてしまう。零は「えぇ……」と腑に落ちない表情をするが、七絆があまりにも平然と食事を始めるのでぎこちないながらもそれに倣う。なんとなく先の一件が引っかかってか、無言のままお互い食事を勧めていく。ちらりちらりと何度もこちらを見る零の視線を感じたが、七絆は努めてそちらを見なかった。

 やはり一度湧いた罪悪感はなかなか消えてくれないから、零の方を見れないのだ。それは誰かの犠牲ではなくて、零の信頼への裏切りのような気がしてしまったから。この感情を飲み下さないと、きっと吐き出してしまいそうだったから。無理にでも前を向いていかないと、すぐに後悔に足を取られてしまいそうで。

(それはきみが“人間”だって証拠さ)

 知らない人の知らない言葉が脳みそに染みわたって、七絆は思わず手を止めた。頭の中の“ソレ”は愉快そうに笑い声だけ残して消えていった。突然しっかりと聞こえた幻聴は七絆を置き去りにする。

 最近は理解ができないことが唐突によく起こる。これは寝不足がそうさせるのだと自分に言い聞かせながら、七絆はつきりと痛む頭に手をやった。

 そこでふと零の視線がこちらを向いていないことに気がついた。零を見れば、彼はフォークを握りしめたまま、テレビの方へと首を向けていた。

「……零?」

 七絆が名前を呼んでも、零の視線は画面に釘付けだ。七絆もつられたように見れば、先ほど胡蝶が排除すると声高に語っていたあの白髪の男が映っている。猫背の黒い背中が遠くなっていく。それを零はどこか懐かしそうに眼を細めながら見ていた。

「もしかして知ってる人?」

 もしかしたら、零が逃亡生活を送っていた道中で会った人かもしれない。

 彼女の問いかけに零の虫食いだらけの記憶が顔を覗かせるが、何一つ掬いだせるものはないまま消えていく。ひどく懐かしいと感じたその想いまで死んでいくようだった。確かに知っていると、そう思ったはずなのに。

 零は口を開きかけて、そのまま音を出すことなくはくりと息を吐く。そうして眉尻を下げて寂しそうに笑った。

「―――わかんないや」

 けれど、その声は思いのほか柔らかかった。赤い瞳にはまだ僅かばかりの寂しさをのせていて、ちぐはぐな感じがする。七絆は薄く口を開いたまま、その続きは声にならないままごくりと唾を飲み込んだ。

 耳に痛いくらいの沈黙が二人の間に落ちた。

 零は口を閉ざしたままで、七絆はそんな彼にかける言葉を選べなかった。大抵、彼が何も語らない時はよくない考えをしている時だ。誰かを害するとかそんなことではなく、自ら暗がりに溶け込んでいくような思考。ただでさえ白い皮膚に影が差し込んで、いっそ病的なまでに青白く見える。

 七絆はそんな零を見ていたくなかった。彼には常に明るくあってほしいし、楽しくあっていてほしいし、笑っていてほしかった。

 ただ、自分の胸で蠢く心という器官が締め付けられるように痛むから。血が垂れ落ちるような寂寞感を感じるから。自分勝手な想いだけれど。


 それでも、零には笑って生きてほしかった。


 七絆はソファに放りだしていた端末を取ると、その画面を零に突きつけた。零は先ほどまでの表情を消して、きょとんとして七絆を見る。

「これ」

「? これ?」

 そこには零には読めないけれど、楽しそうな動物のイラストとポップな書体の文字が書いてある。七絆の行動が理解できずに眉尻を下げて彼女を見れば、七絆は腰に手を当てて薄い胸を張っていた。机に突っ伏した後の無表情はなく、悪戯っ子のような表情をしている。

「ナズナ、これは?」

 彼女は零の問いかけにわざとらしく咳払いすると、にっこり笑った。


「“デート”をしよう、零」



低気圧にずっとやられててしんどみの日々ですが、この間誕生日を迎えました。また一つ年を取ったんですが、精神年齢は変わらぬままです。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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