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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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空騒ぎの宴にて

第一話。グロテスクな描写があるのでお気を付けください。

 からん、と手元のグラスの氷が甲高く鳴った音で、少女――嘉翅七絆かばねなずなは目を見開いた。

 次第にがやがやとした喧騒が聞こえ始める。そこでようやく七絆は自身が束の間微睡んでいたことを知った。

 またあの夢だ。七絆はまずそう思った。

 覚えていない悪夢が背筋をなぞった感覚だけが残っている。七絆はへばりついた恐怖を感じ、意味もなく安っぽいソファに座り直した。

「な、七絆ちゃん、大丈夫? なんか顔色悪く見えるけど……」

 そんな七絆を隣に座る眼鏡をかけた大人しそうなおさげの少女――月下桧兎美つきしたひとみが見ていた。

「あ、ええっと、うん。大丈夫、ちょっとぼうっとしていただけだから」

「そうだよね。な、七絆ちゃん、衣装の作成頑張ってたもんね。……それに比べて私はどんくさいし、不器用だから――—」

 そこでようやく七絆の記憶が現在に追いついた。今日は文化祭の最終日であり、そして今はその打ち上げの真っ最中だった。高校三年生、花の高校生活最後の文化祭にもなれば当然の如く打ち上げという名目を得た馬鹿騒ぎも華々しく行われるものだ。わざわざ高校から離れたカラオケ店を選ぶほどに、である。そんなことをしたところで、制服姿であるためにどこの学校かなどすぐに特定されてしまうものだが。

 一応七絆も青春の片棒を担いでおり、部員一人の手芸部の器用さを買われ、永遠と衣装づくりの従事していたのだが、悲しいかな、彼女の学級でのヒエラルキーは高くない。そのため、広いパーティ―ルームの片隅で一人ぐらぐら寝こけていたとしても誰も構いやしないのだ。

 桧兎美の欝々とした自己語りをBGMに冷め切ったポテトを口に運びながら前方に視線をやれば、マイクを持っていたのはクラスの中心的人物の小路だりあだった。マイク音量を大きくして朗々と歌っているのを見て、「よくこんな中で眠れたなぁ」と七絆は呑気に思っていた。


 さて、先ほどの夢は一体何だったのか。

 七絆が自身を七絆だと認識してから、よく不思議な夢を見た。けれど、それらはいつだって多幸感に包まれて、目を開けてこの世界に帰ってくるのが嫌になるほどのものだ。あんな凄惨たる、逃げ出したくなるような夢ではなかったはずだ。

覚えてはいない。記憶はしていないが、心が憶えている、あの血腥く吐き気のするような夢の先。

とても大切なナニカとであったような。自身の根源のような――。

思い出そうとすると、頭の奥が小さく痛んだ。小さいけれど確かな痛みに、七絆はそっと頭を押さえて嘆息した。

「七絆ちゃん、頭痛いの? 大丈夫? そうだよね、ちょっと音大きいよね……。もう少し小さくしてくれればいいのに……」

 ぼそりと呟く桧兎美の声には嫉妬と羨望の音が混ざっていた。

 桧兎美は外見からもわかるくらいに大人しい子だ。黒く長い前髪に大きな黒縁眼鏡、図書室の窓際に座っていそうな古典的なまでに地味な少女である。

 きっとあの中心に立つだりあが羨ましいのだろう。桧兎美は八方美人な性格がどこのグループでも爪弾きにされて、流れ流れて七絆の隣にいる。彼女にとっては腑に落ちない結果だろう。いつもぶつぶつと何かに対して文句を言っていた。

 七絆は彼女の言葉に曖昧にはにかんで応える。現に頭痛は既に去っていたし、あの夢のことも頭の片隅に追い込むことに成功していた。あまりに考えていると鼻先に鉄錆の臭いがしそうだし、何よりも七絆は肉片や血液といった生々しいものが苦手だ。

 辺りを見回せば、あちこちで男女入り混じった小さなグループが出来上がっていた。それのどれもが盛り上がり、余計に七絆たちを浮き彫りにしていたが彼女は特に気にしていない。

 上手く馴染めはしないけれど、場の空気は壊さないようにしよう。そう心に決めて、氷がだいぶ溶けた薄いアイスティーを気分転換がてらにあおる。少しだけこざっぱりした気分になり、桧兎美の話でも聞いてみるかとそちらに顔を向ければ、


 目の前に腕を失くし、頭の半分を欠損した男性があった。


「ひぃぃぃっ!!」

 隣にいた桧兎美に思いっきり抱き着けば、グラスに僅かに残っていたアイスティーが大きく波打つ。桧兎美は驚いたように七絆のことを見てから、あることに気がついたようでその悪戯をしかけた人物の名前を呼んだ。

「閖坂くん。七絆ちゃん、こういう画像苦手なんだから、無理矢理見せちゃだめだよ。七絆ちゃん、大丈夫?」

「ははっ、悪い悪い。それにしても、昔からこういうの見せたお前の反応は変わんねぇなー。てか、もうそろそろ慣れても良くね?」

 反省した様子のないまま飄々と話す茶髪の少年――閖坂凍雲ゆりさかいてくもは気にせず端末を操作し、またもや「ほらっ」と別の画像を七絆に見せようとしてくる。当の七絆は桧兎美から離れ、両手で固く目を塞いでいた。そんな彼女を気にせず、凍雲は気軽に七絆の隣に座ってくる。

「オレたちが生まれる前からゾンビ病あったのに、七絆は本当に駄目だよなぁ。オレなんかもう見慣れちまったけど」

 端末の画面で動いているのは、あちこちを欠けさせながらも歩く死体だ。創作の中でしか存在しないであろう存在が今の世の中、普通に歩き回っている。

 有疵性無死症候群ゆうしせいむししょうこうぐん――世間ではゾンビ病と呼ばれる病が蔓延っている。簡単に言ってしまえば、死んだはずの人間が動き出し、人々を無差別に襲いだすという謎の奇病である。所謂ゾンビと同一の存在と考えて間違いない。発生がいつごろからは定かになってはいないが、今では広く知られている。未だに治療方法はなく、政府の特別組織がその処理に当たっているのだ。そもそもなぜあのような現象が起こっているのかすら突き止められていない。

「それにしてもゲームみたいな話だよな。死んでるのに生きてる、とかってさ」

「気軽に会いに行けるアイドルみたいなゾンビいやだよ。本当に、切実に、テレビの中に留まっていて欲しい……」

 七絆は青い顔のままアイスティーを一気に飲み干した。その背中を桧兎美が摩りながら口を開く。

「で、でも、本当に恐いよね……。『タカ』の人たちがいるから、まだ平気だけど……。もっと広がっちゃったりするのかな」

「そもそも、潜在型がいる時点でどれだけゾンビがいるかもわかってねーんだし。広がるも何も、どこのどいつがゾンビかってオレたちじゃ判断できねぇからな。自衛手段を持たせた方がいいんじゃねぇかとは思うけど、お偉方は『タカ』が対応できてんだからそれでいいって態度なんじゃね?」

 政府直轄有疵性無死症候群対策委員会執行部隊、通称『タカ』。ゾンビ病の人間を殺すだけの部隊。それが顕在型であろうと潜在型であろうと粛々と処理をし、七絆たちのような一般人を生かしてくれているのだ。

 七絆にとっては幸いと言うべきか、彼女は『タカ』に一度も出会ったことがない。それは偏に彼女の住む括首町にゾンビ病の被害が出たことがないからである。

「……でも、潜在型の人は私たちと変わらないんだよね。それに区別がつかないんだったら、それはただの人間じゃないの、って思う」

 桧兎美と凍雲は二人顔を見合わせると、信じられないものでも見るかのように七絆を見てきた。

 有疵性無死症候群、ゾンビ病には顕在型と潜在型の二つが存在する。

 周囲の人間に獣のように襲い掛かり、その病を伝染させる顕在型。先ほど凍雲が見せてきた動画の男性はこちらに当たる。

 もう一つは七絆たちと同じように生活をしている潜在型。一見人間と区別がつかないが、彼らの心臓は鼓動を打たない。そのため体温もなく、その身体は凍えるように冷たいそうだ。まるで墓場から出てきた死者のように。

 けれど言ってしまえば、潜在型にはそれしか違いがないのだ。確かに過激なテロまがいの行為をする集団もいるが、大多数は息を潜めてこの社会で生きている。

 だから、七絆は上手く理解できないのだ。ある一点で異質なただの人間を無感情に処理できる人間の気持ちが。

「はぁ、そっか。そういえば七絆、お前、本物のゾンビ病の人間も『タカ』も見たことないんだっけ?」

「そ、うだけど……。画像とか見せないでよ」

「見せねーけど。外であんまそういう発言しねぇ方がいいぞ。てか、恐くねーの? 潜在型だって、いつ顕在型みたいに暴れ出すかわかんねぇんだぞ。実際に潜在型の奴が死んだ後に暴れ出したっていう例もあるし」

「――そんなの、」

「へぇー、閖坂くん。面白そうな話してるじゃない。ねぇ、私も混ぜてよ」

 続けようとした七絆の言葉は後ろから投げられた甲高い声に阻まれた。会話を目で追っていた桧兎美は大げさに肩を震わせて、恐々と後ろを見る。

 そこには珍しく取り巻きを引きつれていない小路だりあがにこにこしながら立っていた。しかし、彼女は七絆と桧兎美を見ていない。

 そこではたと七絆は思い出した。閖坂凍雲は七絆にとっては鬼門のような男であるが、一応このクラスではヒエラルキーのトップに位置する人間だった。吊り目がちだが整った顔立ち、運動神経が良いことも相まって女子たちにも人気だったりする。どうしてか七絆に構いがちなところがあるが、恐らくそれは幼馴染と呼ばれる腐れ縁があるからだろう。

 そして、今顔を赤らめながら凍雲にしか目がいっていない小路だりあも実のところ七絆の幼馴染に位置する人間であったりする。

「ほら、私のお父さんってば、委員会で仕事してるじゃない? それもとびっきり偉い所に所属してるし、そういう話には詳しいわよ」

 守秘義務はどうした。そう七絆は思ったが、口には出さなかった。口に出したら最後、人への嫌がらせが好きな彼女のことだ、R18-Gがつくような話をペラペラと始めるだろう。口を出さなくてもだりあの良く回る舌はゾンビ病の患者の末路について話し始めていた。

 グロテスク極まる話に七絆は吐き気を催し、今にも耳を塞いでしまいたかったが、後々の嫌がらせを考えるとそうもできない。ただひたすらくるくると回る溶けかけの氷を眺めていた。

「本当に気持ち悪いのよ、アイツら! そう言えば、閖坂くんは見たことあるの?」

「ああ、前にデパート近くで見たんだよ。それにしても『タカ』の持つ銃ってえげつない威力もってるよな。あっさり頭から上が吹っ飛んでったっけ」

「銃には二種類あってね、警察とかが持ってる所謂拳銃と、頭くらい簡単に吹っ飛ぶ威力のあるやつ。ちなみに威力が高い方は申請が通らないと扱えなくて、その許可は私のお父さんが出してるのよ!」

「あれ、周りに散らばりすぎだろ。脳みそとか辺りに散らされてて地獄絵図だったぞ」

「一発で殺すためにはしょうがないんだって! それにもっと上手い人が使えばそんな惨事にはならないの。せいぜい首が飛ぶ程度よ。まぁ、私たちみたいな善良な人々を守るためなんだから、そこのところわかってほしいのよね」

「別にお前を責めてるわけじゃないだろー」

 ぽんぽんと軽口のように人の死が扱われている。七絆は脳裏で毎朝のニュースを思い出していた。ゾンビ病だとして処分された人の名前が無感動につらつらと並べているのだ。そこに悲哀も何もなく、ただの事後処理の報告のような文字の羅列だった。いや実際にそうなのだろう。

 それこそ、それが当たり前であるかのように。その人の生きた価値が薄っぺらの紙一枚で処理されて、世間では過激なエンターテインメントになっている。

 ―――救えないのはどっちだろうね?

 ふいに頭の奥から嗤い声が聞こえてきた。その声にどっと冷や汗が噴き出したのを感じた。背筋を伝い、ぞわりとした恐怖が這いあがってくる恐怖だ。やけに自分の鼓動の音が大きく聞こえてうるさい。血の気が引いたのか、頭がぐらぐらする。

 私はこの声の主を知っていると、七絆は思った。けれど、本能的な恐怖が心臓を舐め上げて、それ以上の詮索を拒否している。

「な、七絆ちゃん、顔真っ青だけど……。気持ち悪い? トイレ行く?」

 だりあの登場に黙り込んでいた桧兎美がおずおずと七絆の顔を覗き込んでくる。しかし、そんなことに構っている余裕がない。

 目の前がぐるぐると回っていく。耳元で誰かが囁いている。頭の中で嗤い声が巡る。

 今にも吐いてしまいそうで、咄嗟に口を覆った。そして、記録にない悪夢がフラッシュバックしてくる。

 

 首がない死体がひとつふたつみっつ。真っ赤に染められた無機質な廊下。笑い声。私を嘲笑う。屍。私の、いつかの姿。

 ま っ か な ひ と み が 。

「ほぉら、みんな死んだ。死ぬの、死んだんだよ」

 七絆の耳元でそんな声がした。七絆の後ろで、くすくすとそれは嗤っていた。


 気がつくと、七絆は自分カバンをひったくるように持ってドアに向かって走っていた。後ろでは桧兎美の短い悲鳴や焦ったような凍雲の声、だりあの何かを叫ぶ声も聞こえたが、そんなことはどうでもいい。

 今すぐにでもここから出て行きたかった。自分の後ろに立っていた悍ましいナニカから一刻も早く逃げ出したくて仕方ない。きっとそれはここに置き去りにできるものではないと理解していたが、あのままあそこにいればきっとソレは自分の中に入ってきただろう。そんな漠然とした確信があった。


 荒い息のまま、ふと顔を上げると気づけば家の最寄りの駅にひとりぽつんと立っていた。無我夢中であの店から出てきたわけだが、混乱する頭とは裏腹に体はきちんと帰り道に向かっていたようだ。七絆は素直に自分の帰巣本能に感謝した。走ったのだろうか、大量に汗をかいた身体に冷えた風が嫌に冷たく感じる。

 辺りは真っ暗だった。腕時計を見れば、指し示す時刻は午後11時を回っている。カラオケボックスから最寄り駅まで時間がかかるとはいえ、そんな遅い時間まで店にいられるわけがない。

 ―――空白の時間、自分は一体何をしていたのか。

 そんな疑問が一瞬頭に浮かび上がったが、一際冷たい風が吹いた。そこでようやく辺りの暗さに気がつく。確かにこの暗さであれば、この時間であることも納得だ。納得するのと恐くないのではわけが違うけれど。

 七絆の家まで人気の少ない、暗い道が続く。そのため、この状態でひとり家路につくのはなかなか勇気のいることだった。ホラーも苦手な七絆は思わず顔を顰める。本来なら家がそこそこ近い凍雲に送ってもらう予定だったのだが、飛び出してきてしまったものはしょうがない。

 カバンの中から端末を取り出せば、目を焼く液晶にたくさんの着信履歴が並んでいた。現に今も着信がかかってきているが、どうしてかその電話を取る気になれない。

 先ほどの会話が頭を掠め、ひどく七絆の心は重く淀んでいた。桧兎美からもメールがきていたが、それすら目に通さずカバンの奥に端末を追いやる。

 さて、少しでも明るい道を変えるにはどうしたものかと顎に手を添えた瞬間、後ろから砂利を踏むような音が聞こえた。七絆は飛び上がって、慌てて振り返るがそこには誰もいない。途端に先ほどの笑い声が思い出され、考えの一つにあった凍雲をここで待つという決意はあっさり霧消する。無性にここから離れたくなって、七絆は急いで足を動かすとその場を後にした。


 だから、その後ろ姿を赤い瞳が見つめていたことに七絆は気がつかなかった。


ルビが振れてるか心配しかない。

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