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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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鏡合わせの非存在

第二十四話。

 遠くで蝉の鳴く声が聞こえて、私は瞼を持ち上げた。蔦が絡まる朽ちた天井を見て、ため息を吐きながら起き上がる。布の感触もなく見下ろせば、どうやら今度は床で寝ていたらしい。床には割れた試験管やガラス片が散乱しており、迂闊に動いていたら怪我でもしそうな状態だった。身体を起こすためについた手を見れば、ざらざらとした砂がついている。

 お世辞にも清潔そうな場所とは言えなさそうだ。こんなところで手を切ったりはしたくない。幸いにも靴は履いているので、足裏の防護はばっちりだった。

 立ち上がって見回せば、窓は派手に割れてこれでもかというほど自然光を取り込んでいる。棚を見れば薬品棚なのだろう、夜日羽研究所で見たような小瓶が並んでいた。さすがに劇薬までは置いていないようだ。

 窓に近づこうと一歩踏み出せば、折れていた試験管が悲鳴を上げた。窓枠に残ったガラスに気を付けながら外を見てみれば、一面緑が生い茂っている。どうも人の手が入らなくてずいぶん経つようだ。建物周りの樹は好きに枝葉を伸ばしている。どうやらここは一階のようで窓の下には地面がすぐそこに見えた。

 窓枠に手をかけてはみたが、細かいガラスが残っていることもあり外に出ることは諦める。とりあえず部屋から出ようと振り返った。

「やっほーう。びっくりしたぁ?」

 振り返った先、天井から首なしがぶら下がっていた。天井を見ればわざわざ天板をぶち抜いたらしく、大穴が開いている。本当にこれは私と同一存在なんだろうか。さすがに私はここまではっちゃけられそうにない。

「ふっふーん。びっくりして声も出ないかなぁ? いやぁ、驚きっていうのは人生において必要だよね。何か新しい発見の糸口になるかもしれないし!」

 彼女は腕をぶんぶんと振り回して興奮している。そのせいで首から垂れた血が辺りに飛び散って私的には大迷惑だった。彼女が生えてる真下を通らないようにしつつ、いかにも立てつけの悪そうなドアに手をかける。が、ドアノブが取れて私の手の中に単独で収まってしまった。

「あ、壊した」

「壊してない。壊れてただけで」

「それを人は壊したって言うんだよ」

 馬鹿にしたような笑いを含む声を無視して、ドアを思い切り蹴れば、ドアはそのまま向こう側へと倒れた。倒れた衝撃で埃が舞い、慌てて腕で口を塞ぐ。目を細めながらもドア枠をくぐれば、その先には同じような木製の廊下が広がっている。朽ちているためか、ところどころ穴が開いていた。歩いているだけで床板を踏み抜きそうだ。

 いつもの夢と違ってどこまでも続く廊下ではなく、一つの建物のようだ。部屋数はそんなに多くないが、階段が見えることからも二階があるのだろう。依然としてこの建物が一体何なのかはわからないが、この程度の大きさなら虱潰しに部屋を回ってもいいかもしれない。

 とりあえず一番近くにあった部屋のドアノブを捻れば、一定間隔をあけてベッドが置かれていた。近くに薬品棚があることからも、想像するのは学校の保健室だ。それくらい簡素なものだった。手持無沙汰な私は床に転がっている包帯を拾い上げてそれを眺める。所々赤茶色の染みがついていて、使うのが躊躇われるものだった。

「あのぉぉぉぉ!! ちょっとぉぉぉぉぉ!! 生きている私さんーーー!!!」

 天井の埃でも音圧で落とそうとしているのかという声量で向こうから首なしの彼女が叫んできた。別の部屋にいても鼓膜が破けそうだ。口も声帯もないであろうに、どうやったらそんな声が出るのか。

 彼女が大声で騒ぎ続けているので、そろそろ自分の鼓膜が心配になってきた。仕方なしに元の部屋に戻れば、相変わらず彼女は天井から生えたままだ。床には血だまりができている。

「あっ、やっと戻ってきた! いやぁ、ちょっとさぁ、抜けなくなってしまってね? あなた、そのまま出て行っちゃうじゃん? これはまずいねと思ってね? そろそろ頭に血がのぼって破裂してしまいそうなのよ」

「そのまま破裂してしまえ」

「あっ! ちょっ、ふがふが……。なにこれ、息ができない……」

 どこが口かもわからないのでとりあえず未だに血を垂れ流す首に先ほど拾った包帯を巻いてやれば、首なしはそんなことを言った。どうやら首から皮膚呼吸でもしていたらしい。いや、皮膚というより肉かもしれない。肉呼吸みたいな。

「ふがっ……! これきつ……って、うわぁぁぁぁ!」

 呼吸できない苦しみから暴れ回った彼女が天井から降ってきた。降ってきたのはいいものの、床板が腐っていたのかそのまま沈んでいく。しかも盛大に埃を巻き上げていったせいで目の前が真っ白に染まる。埃を吸い込まないように息を止めるのが精一杯だった。

「っはぁ~! ちょ、殺す気ぃ!? いやー、まず呼吸から止めに来る時点でなんか、こう、イイね! 百点満点中二百点だよ!」

 彼女は床板から首を出すと、元気よくサムズアップする。落ちた拍子に包帯は解けたようで、変わらず白衣は赤く染まっていた。今回に限っては土にも塗れているが。

 ようやく静かになった彼女を置いて再び部屋を出るが、背後から建物が揺れるほどの者音がして仕方なしに振り返る。思ったより地面から床板までの距離が長かったのか、それともただ足を引っかけただけなのか、とりあえず首なしの彼女は白衣を巻き上げて床に突っ伏していた。さすがに気恥ずかしいのか、彼女は何も言わない。それを見ている私も無言だった。互いに何も言葉を発しないために、外で鳴く蝉の声が部屋に反響する。

「……ふぅぅぅぅ。―――てへっ」

「どうでもいいけど、パンツ見えてるよ」

「えっ、うそっ! そんなサービスはしてないんだけど!? ウチはお触り厳禁の健全なお店ですよ! お金、お金取らなきゃ、一万円!」

「一万円は安いんだか高いんだかわからないけど、嘘だよ」

「な、なにぃ!? はっ、そうじゃん、私、下ズボンじゃん! ……ということは、穴が?」

「開いてない」

「くそぉ! 騙したなぁ!!」

 なんだか一人で漫才を繰り広げている彼女を置いて、今度こそ部屋を出て次の部屋のドアを開ける。後ろから「こらぁ、置いてくなぁー」という声が聞こえてきた気がするが、きっと気のせいだろう。

 ドアを開けた先には先ほどの部屋とは違って、一つだけぽつんとベッドが置かれていた。用途は何かわからないが、仮眠室だったり、一時的な睡眠に使うものだったのかもしれない。近くには大きな窓があり、今はカーテンがかかっておらず、割れた窓から容赦なく夏の日差しが入り込んでいた。もしも本当にカーテンがついていなかったとしたら、此処で寝る人間にとっては苦痛でしかないだろう。思いの外、規則正しい生活ができるかもしれないが。

 ベッドの上には無造作にいちまいの毛布が置いてある。この真夏に使うには暑そうだ。タグを見てみれば、私の家にもあるメーカーのものだった。確か手触りがいいとか言う宣伝文句だったような気がするが、こんな朽ちた建物にあるのだ、砂が積もっていてごわごわとした肌触りである。あの手触りとは程遠い。それが尚更年月を感じさせた。

「ん?」

 毛布を持ち上げてみれば、中からメモ用紙が一枚落ちてきた。

「なんだろう、これ」

 拾ってみれば、そこには几帳面そうな字で「二階の書斎に」と書かれていた。その後にも筆跡があったが掠れてしまって読めそうにない。続きを読むのは諦めよう。

 メモに書かれているということは、其処に何かあるのかもしれない。部屋を出て二階に向かおうとしたが、先ほどから静かな彼女が少しだけ気にかかった。幸いにして階段は彼女のいる部屋の前を通っていくことになる。ちらりとだけ覗いていこうと足を動かす。

 ドアは先ほど壊してしまったので、ぽっかりと開いている枠から顔を覗かせれば其処には彼女はいなかった。ただし、大量の血痕だけが残っていた。そして血の海には赤く染まった包帯がぷかぷかと浮かんでいる。

 ひどく噎せ返りそうなほどの濃い鉄錆の臭いが鼻を突く。その臭いに憶えのない嫌な記憶が刺激されて、私は突如として恐怖を感じた。こんなに明るくて自然豊かな場所なのに、死の匂いが充満し始めている。

 それに急かされるように弾けるように廊下を走り、二階に繋がる階段を駆け上った。死に足を掴まれる前に、此処から離れるべきだと思った。ぎしぎしと鳴る階段が一層私の恐怖を煽った。

 階段を上りきって下を見れば、光に満ちていたはずの一階は真っ暗で何も見えない。底が見えぬ深淵が私に向けてぱっくりと口を開けているようで、思わず一歩後退る。あの喧しい首なしにいて欲しいと思ったことはこれが最初で最後だろう。

 恐怖を押し殺してメモを握りしめたまま、書斎を探して彷徨う。書斎は呆気なく見つかった。一番手前の部屋が書斎だったのだ。ドアを壊さないようにゆっくりと開け、中を見渡せば医学書やら研究所やらが乱雑に積まれている。

 そっと中に入り、近くに積まれていた本を手に取れば、埃が積もっていたらしく表紙に指の形がつく。内容は細胞学の研究書のようだった。

 本の山を崩さぬように元に戻し、そんなに広くない書斎の奥まで進む。奥には同じように本が積まれた机があり、埃に塗れたままの白い紙が散らばっていた。何かのレポートのようだが、手書きで書いてあるためかどれもこれも文字が掠れてしまって読めない。

「……芒と蝶?」

 唯一読み取れたのはその二文字だけだった。しかし、それだけでは何が書いてあるかさっぱりわからない。私は諦めて、その紙を机に戻した。その他にめぼしいものはなさそうだし、違う部屋を探索した方がよさそうだ。

 そう思って身体を反転させようとして、やめた。

 身体に突き刺さるような視線を背後から感じるのだ。心臓がどくどくと音を立てて煩わしい。鼓動に合わせて指先まで吐き出される血液が鬱陶しい。冷や汗が背筋を伝うのがわかる。

 私の後ろに確かに誰かいる。此処には私と私の躯しかいないはずなのに、そこにいるのは私の知らない誰かだ。私の死体に連なるものしかいない夢の世界に得体の知れない異物が紛れ込んでいる。

 これが首なしの彼女であれば「後ろの正面だーれだ」などと茶化してくるだろう。けれども、後ろの誰かは何も言わない。音さえも、何も。

 けれど。

 けれども、私を見ているのだ。


 ごくりと喉が鳴る。目を閉じて一つ、深く息を吸って、吐いて。

 そして、目を開いて覚悟を決めた。これは私の夢であるのだから、逃げることは許されない。向き合わなければならないのだ。私はゆっくりと振り返った。

 私の背後には顔のない少女がひとり、ボールのようなものを抱えたまま立っている。頭部は確かにあるのに、それらを彩る部品がひとつもついていない顔なしだった。首なしの次は顔なしかと笑いたくなる。

 でも、私は笑えなどはしなかった。その顔なしは私と同じ髪型をしているのだ。背丈も全く同じで、私の着ている服と同じ服を着ている。口を開いても、音にならない掠れたものしか出なかった。

 これは確かに私なのだろうか。しかし、私にはこれが私であると認めがたかった。認められないのではなく、事実彼女は私ではないのだ。しかし、私でないのならば、これは一体何なのか。私じゃない誰かなのか。そもそも、私が本当に“私”であるのか。

 そんな意味のない疑問が頭を埋め尽くしては風船のように割れていく。無意味な問いかけが飽和して、自己が確立できなくなりそうだ。

「私の顔、知りませんか」

 混乱している私を他所に、顔のない少女はそう問うた。口もないのに問いかけてくる。顔がないため、表情もないので何を考えているかわからない。それがとても恐ろしかった。私はその言葉に何も返せない。

「私の顔、知りませんか」

 彼女はもう一度、そう問うた。私は何も返せない。知らないのならそう言ってしまえばいいのに、か細い呼吸音が漏れるだけで音にならない。

 彼女は一歩私に近づいてくる。私は一歩後退る。

 彼女は一歩私に近づいてくる。私は机のせいでそれ以上後ろに下がれない。

 彼女は私の目の前にいた。

「私の顔、知りませんか」

 彼女の持っていたものは私と全く同じ顔をした頭部だった。


ここ最近は絵ばっかり描いていたので記憶が曖昧。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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