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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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命の温度

第二十三話。

『ええ、ええ。ですから、彼の少年につきましてはご安心をと。先ほど申し上げました通り、我が教会の信徒が無事保護いたしまして、ご家族に引き渡しましたよ』

「それが信用ならないんだよなぁ~」

 七絆はパソコンの画面を見ながら、唇を突き出した。電話の向こう側の胡蝶は『疑われたものですねぇ』と笑っている。

 夜になり、零が風呂に入っていることをいいことに、七絆は早速胡蝶から渡された端末で彼に連絡を取っていた。電話をかけるなり『嗚呼、まさかクイーンからご連絡を頂けるとは!私、至福の極みでございます!』と叫ばれたので、端末を取り落とすほど慌てたのは割愛する。何とかぺらぺらと良く回る舌を黙らせて、ようやく先の少年の安否を尋ねるに至ったのである。

『無事に引き渡したのですけれどねぇ。困りました、ええ、ええ、これはとても困りました。私の到らなさから、クイーンに疑われてしまうとは……。写真でも撮ればよかったのでしょうけれど、なかなか難しいものですから。ええ、ええ、彼らというは生き物は』

「……胡蝶さん、信用されてない理由はわかりますかね」

『いえ、全く。この吊木胡蝶、身を粉にしてクイーンのために日々邁進している次第でございます。この身には潔白しかなく、後ろ暗いことなどなにもございませんとも』

「へぇぇぇぇぇぇぇぇ~」

 七絆の目の前の画面には始祖教会についてのニュースが浮かんでいた。渡された名刺に始祖教会と書かれているのを見た時、七絆の頭に嫌な想像が浮かんだのでとりあえずネットで調べてみたのである。

 それのどれもがきな臭い内容ばかりだが、出るわ出るわで七絆は顔を引き攣らせていた。誘拐から始まって殺人、人身売買まで、所謂黒い噂というものが所狭しとニュースを彩っている。どの口が潔白しかなく、後ろ暗いことなどないと言うのだろうか。七絆とてこれが全て本当だとは思わないが、火のないところに煙は立たないともいう。こういった噂が蔓延るにはそれだけの理由があるはずだ。

 そんな中で一際目を引いたのが、政府施設へのテロ行為だった。その主張というものが『有疵性無死症候群患者への処刑反対』である。あまり世情に興味のない七絆であったが、確かにニュースでそんな内容を見た気がする。どこの団体が起こしたかまでは覚えていなかったが。

 であるからこそ、胡蝶は七絆に手を貸すのかもしれない。“クイーン”と呼び、彼女の記憶を刺激する胡蝶。それらは全て作り話で、もしかしたら胡蝶の狙いは零である可能性もある。どうにも意図が読めないところであるが、今のところ協力してくれるということで見ていいだろう。

 七絆とて有疵性無死症候群について知らないことが多すぎる。胡蝶は七絆の知らないことを確実に知っている。ならば、利用し、利用され、喰って喰われて、その先のことはそれから考えればいい。

『クイーン? あまりお時間を取れないのではありませんでしたか?』

「ああ、すいません。ちょっと考え事を……。とりあえず、あの少年は無事ということでいいんですよね?」

『ええ、ええ、この命に誓っても』

「……なら、いいです。信じますよ、胡蝶さんのこと」

 七絆がそう言うと、端末越しの胡蝶は押し黙った。

「あの……胡蝶さん? 黙ったままだと怖いんですけど……」

 数分経過しても声を発さない胡蝶を不審に思い、再度七絆が声を掛けると微かに鼻をすする音が聞こえてくる。

「えっ!? ちょっと待って、泣いてます!? えっ、これは私が悪いのかな!?」

『失礼いたしました。私、あまりにも有難いクイーンの御言葉に感極まってしまい……。お見苦しい、いえ、お聞き苦しい声を出してしまいました。嗚呼、嗚呼、しかし、しかし、貴方様に信じていただけるとは、吊木胡蝶、人生においてこの上ない誉れでございます! 嬲られ、虐げられるのも好みではございますが、これはこれで快感でございますねぇ……』

「切っていいですか?」

『嗚呼、そんな殺生な! と、言いたいところでございますが、そろそろ彼も戻ってきそうですし、そうした方がよろしいかと』

「……まさかとは思いますが、人の家に盗聴器とか監視カメラとか仕掛けてませんよね?」

『ふふふ、野生の勘というやつでございます。本日は大変お疲れになったでしょう、クイーン。ゆっくりお休みくださいませ。嗚呼、私がお傍におりましたらお身体の隅々まで手を這わ―――』

 問答無用で電話を切った七絆は悪くない。間違いなく悪くないと、彼女は八つ当たりの如くクッションに端末を叩きつけた。未だに鳥肌が立っている。七絆が猫だったら今頃全身の毛を逆立てていることだろう。

「ナズナー、出たよー」

 タイミングよく零がタオルを肩にかけたままリビングに入ってくる。あまりにもタイミングが良すぎて本当に監視カメラとか仕掛けてあるのではなかろうかと七絆は一層不信感を募らせた。脳内の胡蝶が笑ってくるのが不快である。

「どしたの、ナズナ」

「……なんでもない」

 勢いよくクッションに倒れ込んだ七絆を不思議そうに零が覗き込んでくるが、言葉にできない疲労感から彼女はそうとだけ答えた。ごろりと仰向けに転がった時、頬にぽたりと水滴が落ちてくる。それを受けて眦を吊り上げて七絆はがばりと起き上がった

「あー! また髪乾かしてないでしょ!」

「うっ、あれの使い方まだよくわかんなくて……。それにこの前、髪焦がしちゃったし」

「あぁ、あれは嫌な事件だったね……。まぁ、謎効果で元に戻ったしそれはそれとして、髪を乾かさないのは許しません! そこ! そこにお座りなさい!」

「えぇ~、熱いのやだよう」

「ちょっと待ってな! 乾かしてあげるから!」

 七絆は風呂場からドライヤーを持ってくると、無理矢理零を椅子に座らせる。零はぶうぶうと文句を言っていたが、こればっかりは七絆が許さない。キューティクルが痛む云々の前に、濡れた髪でも容赦なく零がごろごろするため、あちこちが濡れてしまうのだ。

「うぅ~、やっぱり慣れないよう……」

「文句言わないの、乾かしてあげてるんだから」

 椅子の上で小さく丸まる零の髪にドライヤーをかけてやれば、彼はぐるぐると唸っている。そんな零だったが、ふと机の上にあるものに気がついて手を伸ばした。それはどこかの建物の写真と文字がたくさん書いてある雑誌だった。

「これ、なに? 本?」

「んっ? あぁ、それね。大学のパンフレットだよ。私も一応受験生だし」

「“じゅけんせい”……。これで何を見るの? 写真と文字がいっぱいあるよ」

「学部とかの説明、かな。どんなことに力を入れてるかーとか、何が学べるかってのがわかるんだよ、って零に言ってもわからないよね」

 ふうん、と零はぱらぱらとパンフレットを捲っている。外の写真がたくさん載っているから面白いのかもしれない。そんな零を見て、七絆はこの状況に少し胸が痛んだ。きっと零だって外を冒険してみたいだろう。けれど、未だこの町に『タカ』、しかもその筆頭が来ているとなればそうそう出歩けない。外に出してあげたいという願望と外に出せないという現状が衝突するが、葛藤を抱えたところで今の七絆には何もできないのだ。


「ナズナはさ、将来何になりたいの?」

 その言葉に七絆はふと我に返る。零はパンフレットに目を落としたまま、存外静かな声でそう問うた。七絆からは彼の旋毛しか見えないから、どんな表情をしているかわからない。

「……特に何も考えてなかったな。普通に生きて、普通に死ぬだけだと思ってたから」

 将来に何になりたいか。そんなこと考えたことすらなかった。そもそも自分が大人になる、ということを考えたことがなかったのだ。幼い子どものように将来の夢を短冊に書いたこともない。いや、もしかしたら幼い七絆は書いたのかもしれないが、そんなこと憶えてはいない。

「―――ナズナなら何にでもなれるよ、きっと。望んだ姿になれるよ。僕らと違って、人間なんだもの」

 ドライヤーをかけていた手が止まった。それだけの衝撃がその言葉にはあった。

 それは七絆を突き放す発言だ。

 零は七絆と自分自身を明確に区別した。区別できてしまうほどの溝が彼と彼女の間にはあるのだ。この隔たりはなくせないし、なくならない。それぞれが生きて、共に在る限り。

 人間と“ゾンビ”。姿かたちは似ているのに、その少しの差はどうにもならないほどの違いだった。死なないわけではなく、死にづらい。たったそれだけの差。


「―――今日、顕在型の“ゾンビ”に襲われたよ」

 七絆の口から穏やかに吐き出された言葉に零は目を見開いた。ドライヤーのスイッチはいつの間にか切られていた。

「すっごく恐くてさ。おんなじ人間とは思えないくらいだった。足がめちゃくちゃ速くてさ、偶々助けてもらえてなかったら死んでたかも」

「な、ナズナ、怪我は? 怪我はしなかったの?」

「してないよ。膝も擦り剝かなかったし、全然平気。超五体満足」

「そっか……。よかった。いや、僕のせいかもしれないし、よくはないんだけど―――」

「きっと殺されたよ、彼は。この町にはまだ『タカ』がいるからね」

 七絆は零の髪を優しく梳くが、零は彼女の言葉に身を固くした。あまりにも無慈悲な言葉だったのに、七絆の声音はどこまでも柔らかいものだったから。

「零。悪いことをしたらね、誰もが捕まるんだよ。一部例外はあったりするかもしれないけど、罰を受けることには変わりない。―――人を殺したら、殺されるんだ」

「……ナズナ?」

「私は運動音痴だし、多分、“ゾンビ”じゃない人に襲われても普通に死ぬよ。それでその人も捕まったら死ぬよ。死刑にならなくても、“人”としては死ぬんだよ。人殺しなんてその辺りの獣と変わらないんだから」

「何が言いたいの?」

「つまりはさ、人間も“ゾンビ”もたいして変わらないってことさ」

 振り返った赤い瞳には微笑む七絆が映っている。彼女はどうってことないように、異端の問いを出したのだ。恐らく周囲の人間に聞かれれば後ろ指を指されるに違いない、悪い場合は『タカ』に危険分子として突き出されることもある。そんな発言をまるで歌うようにした。

「人間にも頭がいい人悪い人、運動神経のいい人悪い人、人間を殺す人殺さない人、千差万別いる。その中には死にづらい人がいたっていいと思うんだよ。人間は個々の特性を持つんだから。インフルエンザに罹ったことない人もいるくらいなんだし、それくらいちょっとした差だよ。確かに顕在型は恐いさ。何にもしてなくても襲ってくるんだもの。でもさ、それって人間も同じでしょ? 『誰でもよかった』なんて言って、きっちり弱者を狙ってくるんだから、顕在型の“ゾンビ”よりも質が悪いよね。だからさ、―――零もそんな悲しいことを言わないでよ」

 頭上でぽつりと落ちた声に零は瞬きをする。先ほどの穏やかな微笑みは失せて、七絆は泣きそうに顔を歪ませていた。

「かなしい、こと?」

「私ときみの間に溝を引かないで。区別をしないで。引き裂かないで。だって、私たち、おんなじ“人間”じゃない」

「……同じじゃないよ。僕たちは人間じゃない。死に損なって、生きてもいられないような成れ果てだ。死なないわけじゃないけど、どんなに大怪我をしたって、損なったって死なないのは、そんなのは人間とは呼べないよ。ナズナとだって、いつかは別々の道を生きていくんだ。……こんなの、今だけだよ」

 零は痛む心を無視して七絆から視線を逸らすと、そう言い切った。どれだけ寂しかろうと、辛かろうと、七絆とずっと一緒にはいられない。心の奥底で叫ぶ声を押し殺してでも、彼女には伝えなければならなかった。束の間の静寂すらも零を責め立てているような気がする。


「じゃあ、私が人間と“ゾンビ”の違いをなくせればいいんだね」


 一瞬、零は息を吸うのを忘れた。それだけの衝撃がその言葉にはあったのだ。顔を上げれば、予想に反して無表情の七絆がいた。

 その瞳の奥に苛烈な熱を見た。零の頬を両手で挟んで、彼女は無理矢理零の赤い瞳と視線を合わせる。赤い瞳に映る七絆は真っ赤だった。

「今決めた。私のしたいこと。もし有疵性無死症候群の原因がウイルスなら、それを治す薬を作ってみせる。違うことが原因だったとしても、私が変えてみせるよ。今はただの言葉でしかなくて、大言壮語も甚だしいけれど、どれだけの時間がかかったとしても、私はやると決めたらやるよ」

 赤い瞳と視線が交わる。きっと七絆は本気だ。本気で彼女の人生を棒に振るつもりなのだ。たかが会ってすぐの人間のために。

 何がそこまで七絆を駆り立てるのかはわからない。彼女自身にだってわからない。心のことなんて、誰にもわかりやしない。

 それこそ、愛、というやつかもしれない。理性を失わせて、判断を鈍らせて、そのくせやけに傷つきやすくなって。

 それでも人間にとっては大事な機能。

「だ、ダメだよ、ナズナ……」

 零の口から溢れたのは本心だった。七絆は答えないまま、零の奥を見透かしている。

 零も何と言っていいのかわからなかった。けれど、七絆がやろうとしていることは間違いだ。何をしたって彼女のためにならないと、そう思ったのだ。

「どうして駄目なの?」

「だ、だって、これはきみの人生で……。僕みたいなのが邪魔していいものじゃない。ナズナは今を生きていて、きみ自身のために生きていくべきなんだ」

「零、さっききみは言ったよね。『ナズナはなんにでもなれるよ』って。そうだよ、望めば私はそうなれる。そして、望んだ私になることはいつだって私のためになるんだ」

「……どうして、どうしてナズナは僕のために、そんなことまで望んでくれるのさ」

 以前に彼女は零を助けたいと思ったからと答えて、今も零のことを匿ってくれている。零だって七絆がいない隙にこの家を飛び出すことはできたはずだ。しかし、彼はそれをせずに、小さく丸まってこの家に居続けた。

 言い訳は色々できる。まだ世の中のことを理解していないだとか、『タカ』がこの町に留まっているからだとか、その他にもたくさん。

 だけど、とどのつまりは零がここにいたいから今でもいるだけだ。七絆と共にいるのが楽しいと、幸せだと思ってしまったから、逃げ回っていた足が動かせなくなった。

 七絆はこの生活を、零をどうして望んでくれるのか、それが彼にはわからない。他人の心を読めなんてしない。行動から読み取るとしたって限界がある。あくまで他者であるのだから。どこまで行ったって一つになれないから、わからない。

 零の問いかけに七絆は笑った。


「零とずっと一緒にいたいって思ったから」


 あまりにも彼女が綺麗に笑うから。

 あまりにもあなたが幸せそうに笑うから。

 僕はそれ以上何も言えなくなってしまうんだ。


「大丈夫だよ。ねぇ、零、大丈夫だから。きっと見守っていてね」

 ぼろぼろと涙を流す零の背を撫でながら、まるで子どもに言い聞かせるかのように七絆はそう言った。ただ意味のない嗚咽を繰り返して幼子みたいに泣きじゃくる零を抱きしめてやる。

 零は小さい声で、ただ「うれしい」とだけ言った。七絆は抱き込んだ白い髪に頬ずりをして、一層強く抱き込んでやった。


 そこに鼓動はなくとも、命のぬくもりは確かにあった。

 人間と同じ温度だけ。


ちなみに神川はインフルエンザに罹ったことがありません。新型インフルエンザが流行った時は神川の周囲から人がいなくなったので、発病してなかっただけでは疑惑があります……。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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