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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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毒を呑む

第二十一話。


「どうして知っているの」


 その声は小さく、低く、冷たく呟かれた。

 上から胡蝶を見つめるその視線も焼け落ちそうなくらい冷え切っている。胡蝶はその視線を浴びて、冷や汗を流しながらも薄く笑みを浮かべた。瞳の奥では赤い光が点滅している。

 七絆は胡蝶に馬乗りになったまま、その細い腕で胡蝶の首を絞め上げていた。彼女の持てる以上の力を入れて、外敵を抹殺せんとするかのように。首を絞められている胡蝶は青白い顔をしながら、口の端を上げたままゆっくりと首を左右に振ると彼女の腕に手をかけた。

 二人の視線が交わる。次の瞬間には七絆は捨て去るかのように彼の首から手を離した。胡蝶は首を抑えながら激しく咳き込んでいる。

 咳き込みながらも彼の口角は上がっていた。

―――ああ、これこそが彼女の本質である!

 自身が殺されかけたことなどなかったことのように、凍てつく視線の七絆の中にかつての主の姿を見ていた。屍のように温度のないようでいて、しかし、生者よりもその瞳は紅く燃え上がる。彼女のその様に胡蝶は今にも平伏してしまいたい気持ちだった。

 吊木胡蝶は信仰者である。自身の命を投げ打ってでも信仰に変える、そんな狂信者だった。自身の神を己の命一つで甦らせることができるのなら、それ以上に素晴らしいことはないだろう。

「貴女様のことなんでもと。しかし、しかしてこの胡蝶、誓ってクイーンを裏切るようなことは致しません。愛を誓うが如く、悲恋を嘆くが如く、私は貴女様にお誓いします。私は貴女様を決して裏切りません。貴女様が在るのならば、私めは一生クイーンの下僕でございます」

 多少咳き込みながらも胡蝶は舞台上の人物のように朗々とそう言い切った。その首元には赤く七絆の手の跡がついている。ぐるりと、首一周。少女にしては大きい手のひらの赤色が。ぐるり、と。

 首に。

 生々しい生の脈動が未だに七絆の手に纏わりついている。同時に鮮烈なまでの殺意が胸そこで渦巻いている。

 気持ちが悪い。気持ちが悪い。気持ちが悪い。

―――生きている温度が気持ち悪い。

 七絆は両手で口を覆ったまま嘔吐いた。けれど空っぽの意の中からは何も出てはこず、胃液が喉を焼く痛みが走るだけだ。それにつられて生理的な涙まで込み上げてくる。

 首、首、くび。いつだって気になるのはそこだ。ひどく首回りが痒い気がするのだ。頭の中で笑い声が木霊している。ひどく不快だった。

「いけない、クイーン!」

 がりりと首に食い込んだ爪は手のひらごと胡蝶によって止められる。どうして止めるのかと、七絆がぎろりと胡蝶を睨みあげれば、彼は優しく七絆の背を撫でた。

「大丈夫でございますよ、クイーン。貴女様の為したことは正しい。貴女様はそれでこそクイーンなのです。なにも恐れる必要はございません。記憶を失っていても貴女様は貴女様であるのだと、この胡蝶、深く深く海よりも深く理解いたしました。さあ、怯えないでくださいませ。それこそが貴女様の本質でございます。……私めは何が起きても、何をされても、クイーンのお傍におりますから」

 さぁ、ゆっくり息を吐いて。促される言葉のままに七絆は一つ大きく息を吐いた。摩られる背中に合わせて息を吸って、吐いての繰り返し。徐々に頭で響いていた笑い声は遠くに去り、吐き気も治まっていく。

 ふうと最後に息を吐くと、七絆は腕の力をだらりと抜いた。胃液と涎に塗れたそれは力なく座席に落ちたのだ。




「……胡蝶さん、頭おかしいよ」

 ばしゃばしゃと近場にあった湧き水に手を突っ込んでいれば、まるで執事のように後ろに控えていてた胡蝶は目を丸くした。

「私が言えることじゃないけど、殺されかかったんだよ、きみ。それなのに、まだ一緒にいるなんて。正気の沙汰じゃない」

 七絆がタオルを取り出そうと横を向いた時には胡蝶が白いタオルを手渡してきた。それをじとりと見上げれば、胡蝶は喜色満面で勢いよく口を開いた。

「ええ、ええ! 私めはとうの昔に狂っておりますとも! クイーンと出会ったまさにその時から! 貴女様は美しかった! 気高かった! 冷血だった! すでに人を超越した存在だったのですよ、クイーンは! しかし、そのクイーンも既に狂っていた! 今の貴女様はその本質を思い出した! 人を人と思わない、邪魔なものは排除して歩く、暴力の化身だった貴女様を。なれば、胡蝶はそれだけで満足でございます。それにあの程度ではこの胡蝶、死には至りません故」

「……そうですか。ますます“クイーン”って人とは似てない気がしますけど」

「おや、おやおや。そうでしょうか? 人間は“愛”のためならどんなことでも致しましょう? それこそ、今のクイーンのように」

「……それより本題に入ってください」

 零のことが関係しているのならば、七絆はここで退くわけにはいかない。いや、正確に言えばこの場から降りるという気持ちが霧散するのだ。自身の安全と零の存在が天秤にかかった時、それは悠々と零の方に傾く。本来ならおかしなことではあるが、心がそう判断したのならばどうしようもない。人形師が操るマリオネットのように、七絆の身体は全ての考えを無視して独走してしまうのだから。

 七絆にだって、心のことはわからない。

「嗚呼、そうでした。話が逸れてしまいました。いけませんね、どうもクイーンのこととなると箍が外れてしまう。悪い癖でございますね。ええ、ええ、今は“彼”のことでしたね。ですが、それは車内でお話いたしましょう。密談には持って来いの作りでございます故」

 口を濯いでから七絆は乱暴にタオルで口をふくと、一瞬そのタオルを胡蝶に返そうか悩んだが持ったまま車へと向かう。胡蝶はにこにことしたまま後ろを何も言わずについてくる。

「それで、零のことです。どうして彼のこと知っているんですか?」

 後部座席にどすんと乗り込んだ彼女は開口一番そう問うた。対する胡蝶はというと七絆の口から飛び出した言葉に肩舞っていた。彼は心の中だけで彼女の言った単語を反芻する。

 ぜろ。ゼロ。漢字で書けば零。

―――そうか、そうか、そうか。

 胡蝶はにやけそうになる口元を覆い隠すので必死だった。

 この目の前の少女は確かに“彼女”には至っていない。だが、この様子ではそう遠くないうちに少女は“彼女”に成るだろう。いや、“彼女”が自身を取り戻すのだろう。記憶も、想いも、喪失も、全部、ぜんぶ。

 実のところ、胡蝶はこの“嘉翅七絆”という少女に全く期待をしていなかった。自身の持ちうる情報網を使っても、彼女はクイーンと大きく違っていたからだ。無気力とは言わないが、他人に無関心。そこに“愛”なぞ見つけられそうになかった。だからきっとこの少女は“クイーン”になりえないと思っていた。

 だが、どうだ。結果、彼女は“愛”のために胡蝶を絞め殺すまでに至った。たった一人の男のために。これまで知ることはなかったであろう、一番最短かつもっとも効果的な方法でその存在を守ろうとした。

 あの時、自身に馬乗りになる七絆の瞳にあかいろを見た。きっとそれはクイーンだ。そうに違いない。胡蝶の苦節何十年の旅は報われるのだ。そう考えるだけで口の端が持ち上がってしまう。

「……胡蝶さん?」

「いえ、失礼いたしました。ええ、ええ。彼は零というのですか! 良いお名前をお持ちですねぇ、流石はクイーン。命名センスも抜群であられますね。そう、その彼のこと……いいえ、いいえいいえ、その前にあの鬱陶しい猛禽類共についてからお話いたしましょう。クイーン、貴女様は奴らのことを御存知でしょうか」

「猛禽類って、あの『タカ』のことですよね。……正直、あまり。政府公認の“ゾンビ”処理部隊程度しか。私自身も零を守るうえで知識は必要だと思っていたところです」

「ほうほう。まぁ、そうでございましょう。意図的に情報が抑えられております故、仕方のないことかと」

「? そうなんですか?」

 胡蝶は頷くと助手席から茶封筒を取り出して七絆に手渡した。受け取ると、意外に厚みと重さを感じた。

「これは?」

「一から十まで説明している時間はないかと思いまして。資料をご用意いたしましたので、こちらは後でご確認いただけますと幸いでございます。今重要なことは括首町に巣くっているあの二羽でございます」

「二人……ってことは、生方さんと生田さんですか?」

 七絆は学生手帳から名刺を一枚取り出してまじまじと眺めた。それはあの日に叴人より渡されたものだ。胡蝶はそれを見ると露骨に顔を顰めて「そんなもの、捨ててしまえばよいのに」と吐き捨てた。常ならぬその表情に七絆はぽかんと口を開く。

「え、胡蝶さん?」

「嗚呼、すみません、お見苦しいものを……。それではこちらをご覧ください」

 咳払いの後に七絆の目の前に出されたのは一台のノートパソコンだった。電子の光に目を細めて内容に目を走らせると、七絆は顔を青くした。

「こ、これ、政府の極秘データベース! ハッキングしてるじゃん!」

「おや、おやおや。御存じということは、クイーン、貴女様も試したことがあるのですねぇ。まったく、やんちゃなところはお変わりないようで」

「あっ。いや、その、べ、別にハッキングをしようと思ったんじゃなくて……ちょっと興味があったからやってみただけで。ほら、あれですよ、隠されているものほど暴きたくなる、みたいな?」

「興味があったからやってみたで世界最高峰のセキュリティシステムに侵入してみるところが貴女様らしい。ですが、危険でございますので、次回からはこの胡蝶にお任せいただければと存じます」

「わ、わかりました……。いや、次回はないんですけど。それでこれを見てどうするんですか?」

 七絆の問いに胡蝶がパソコンを操作すると、見たことのある二人の写真と履歴が出てくる。

「はい、こちらをご覧ください」

 胡蝶の指差す場所を見れば、そこには役職と書かれていた。七絆はそこに書かれた文字に目を見開いた。

「あの、生方さんのところ、執行部隊統括責任者って書いてあるんですけど……」

「ええ、ええ。そうでございます。『タカ』はご存知の通り、政府直轄有疵性無死症候群対策委員会執行部。簡単に言ってしまえば“ゾンビ”を処理する、謂わば殺人集団でございますね。基本的に五人一組で班を作って行動するんですがね。戦闘力が高い方から一班、二班三班と。四班は戦闘班ではなく、後方支援班になるのですけれど、一度置いておきましょう。なに、殺せば死にますからなんとでも。問題なのが、この執行部隊統括責任者とその補佐になります。説明がなくとも、字面からなんとなく察しはつきますでしょう?」

「は、はい。零は『黒い服の人に追われてた』って言ってたので、『タカ』で間違いはないと思うんですけど。それにしても、たかだか一人のゾンビが逃げ出しただけなのに、どうしてこんなに……。今までだってこんなこと、あったはずだ」

「それだけ“逃げたもの”が重要ということでございましょう。今回逃げ出した“彼”が人目につくのはまずいのでしょう。統括責任者は基本的に“狩り(ハント)”に出ません故。本来なら早々にクイーンにはあの町を発って欲しいというところなのですが……。こちらの手配も間に合っておりませんし、後の憂いを考えると勇み足になるのは危険です。かと言って、あの二羽が出て行くとも思えません。なにかしらの思惑を持って動いているでしょうから。嗚呼、どうしたものでしょう!」

「ぜんっぜんそんなこと思ってないでしょ……」

 恨めしそうに胡蝶を見遣れば、彼はてきぱきとパソコンの電源を落としていた。ぱたんとそれを閉じると、にやりと笑う。

「ご名答! ……と、言いたいところですが、生憎ながら外れでございますよ。ふむ、ふむふむ。それではここで質問です。貴女様は逃げれないという状況に陥ったら、どう行動いたしますか? 嗚呼、殺す、という選択肢は除外させていただきたく。あれは確かに外敵を排除するには効率的かつ絶対的なものですが、何分人間を丸々消すことになりますからね。全てを無かったことにするための情報処理というのは些か骨が折れまして……。それにゾンビハンターのエキスパートに今の非力で運動神経の悪いクイーンでは到底敵いっこありませんでしょうし」

「今の言う必要ありました? 私のこと落としましたよね?」

「いえいえ、全然、全く、これっぽっちも」

「まぁ、本当のことなのでそれは置いておくとして。……胡蝶さんでも無理ですか?」

「誠に申し訳ないことに、私、完全なインドア派でございまして。研究者とでも言えばいいのでしょうか。ほら、見てください、この細腕を。まったく物理に期待ができないでしょう? この前なんてちょっと重い器具を持ったら折れるかと思いまして……。鼠にも逃げられますし、散々でした……」

「そうなんですか。その、思ったよりも非力なんですね」

 よよよと泣き真似をする胡蝶を放って置き、七絆は頭を捻った。

 逃げることも出来ず、かと言って戦うことも出来ない。ならば、どうすべきだろうか。結局は逃げ出すことを目標とするとして、そのための時間を稼ぐ方法が必要になる。

 今持っている最大のアドバンテージは“零の居場所”を知られていないことだけである。それでもあの二人が括首町に留まっていることを考えると、大体の位置は絞られてしまっている。

 だが、身体情報はほとんどニュースで出回ってしているが、白い髪、赤い瞳、識別コード、あとはざっくりとした身長くらいだ。似たような容姿の人物がいれば目を逸らすくらいの時間を稼ぐことはできるはずだ。

 木を隠すのなら森の中、人を隠すのなら群衆の中というわけである。しかし、零と似たような容姿がいるだろうかと聞かれると頭を抱えてしまう。しかも、この町から目を逸らさせなければいけないのだ。そこで手詰まりになってしまう。

 現実でも頭を抱えていると、ねっとりとした視線を感じて七絆は頭を上げる。その先には恍惚の表情をした胡蝶がいた。

「その表情、とても良いですよ! エクセレント! 何かを考えついた、けれども方法が思いつかないと言った顔でございますね! ええ、ええ、大丈夫ですとも。そのためのこの吊木胡蝶でございます」

「……心でも読めるんですか、胡蝶さんは」

「うふふ、さぁ、どうでしょう? 嗚呼、嗚呼、そんな冷めた目をしないでくださいませ。私と貴女様の仲ではありませんか! ええ、ええ、この私めでもさすがに心は読めませんよ。それが崇高なお考えを持つクイーンのことなら尚更! ご期待に沿えず申し訳ございません。来世では必ずや習得しておきます故、ご容赦を。しかし、ええ、しかして私めもずっとクイーンをお慕いしておりましたので、貴女様のお考えの百分の一くらいなら当てることができるのです」

「い、いや、そんなの習得しなくてもいいんですけど。それで策、みたいなのがあるんですか?」

 胡蝶は懐疑的な七絆にウインク一つすると、ハンドルへと向き直った。そして、七絆の言葉に何も返さず車を発進させる。


「ええ、とびっきりの人海戦術がございますとも。こう見えても私、人脈は広いんですよ」



話を逸らされてるの気がつかない七絆でした。いえ、決して話題の順番を間違えたわけじゃありません。ええ、多分。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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