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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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持ち腐れ

第十四話。

 目を開けば一面真っ暗だった。どうやら椅子に座っているようで、ふわふわとした感触がする。床に落としていた視線を上げれば、其処には立派な赤い椅子。まるで玉座にでも座ったかのような首なしの彼女がいた。前回の夢では投身自殺をしたのに、特に以前と変わったところは見えなかった。

「やっほー」

 彼女はお決まりの挨拶をしてくる。この夢も見慣れたものになってきた気がする。私が目を開いて、彼女が私に声を掛けてくる。初めて会った時には考えられない光景だが、慣れとは斯くも恐ろしいものだ。

「……眠るたびに見なければいけないの?」

「ええー! もしかして、もう飽きちゃったのぉ? そりゃ大変だ! もっとレパートリーを増やして……ま、仕方ないか。私ってば結構飽き性なとこあるもんね。いやいや、でももで、昔はそうでもなかったかも? コツコツちまちますること好きだったり。ねぇ、どうだったっけ?」

「私は別に飽き性じゃないよ。ちまちましたことも好きだし。ただ、普通に疑問に思っただけ」

「へぇー。疑問に、ねぇ」

 彼女は意味ありげに呟くと、優雅に足を組みかえた。此処を動く気配がないということは、今回は此処から動かなくてもいいということなのだろうか。周囲を見回してみても得られるものは何もなかった。

「というか、今更過ぎない? ここって不思議空間なわけで。あなたの夢であるわけで。疑問とかって無意味なわけで」

「じゃあ、私は眠るたびにこの胸糞悪い夢を見なければいけないんだね」

 一瞬彼女はぽかんとしたのか、私たちの間に奇妙な沈黙が落ちた。なんだっけ。フランスでは天使が通るとか言うんだっけか。

「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」

 その沈黙を破ったのは彼女のけたたましいくらいの笑い声だった。

「いやー、“胸糞悪い”か! 私も嫌われたもんだねぇ! まぁ、でも落ち着こう。あなたの嫌いな私はあなたの以前の“私”なんだよ。本質的には同じものだけど、同族嫌悪?」

「私の本質は私だよ。基準軸は今の私の好悪」

 私の言葉を聞いた彼女はまたもや甲高く不快な声で笑うのだった。私はそれを冷めた目で見ている。彼女は数分は笑っていたが、突如ぴたりと笑うのをやめた。


「―――例えばさ」

 彼女は真逆の低い声でそう言った。

「例えば、たくさん宝物を持っていたとするでしょ。両手に抱え込んでも足りないくらいの宝物。でも、それを持って出て行くにはドアを開けなきゃいけない。どうする?」

 私は何も答えなかった。

「捨てるのさ」

 彼女は打って変わって静かな声を出した。何かを落とすかのように、あっけなく両手を広げる。

「捨てるんだよ。取捨選択してさ。これは大事、あれは大事、それはいらない、これもいらない、あれは持てない。ドアは一つしかない。けれど、それはドアだから。開けるためにはどうしても手が必要でしょ? 両手いっぱい持って行ったら、そこからは出られないのさ。じゃあ、持てない分は其処に残していくしかない。もう取りには帰れない。ドアを通れるのは一回きり。だったら、それらは捨てたも同然。……だけどね、それらを捨てない方法があるんだ。何だと思う?」

 いつの間にか彼女の玉座は私の目の前に来ていた。さっきまではあんなに距離があったのに。彼女はまたも脚を組みかえた。その生白い脚が私の脚を蹴る。

 彼女は黙したままで、今度は私が答えるまで待つつもりらしい。目も、顔すらもないけれど、その視線は私をじぃっと見ていた。


「ドアをくぐらなければいい。ずっと其処にいればいい。そうしたら、何も失うものはないよ」


「正解!」

 思いの外低く出た私の言葉に、彼女は確かに微笑んだ。意地悪く、微笑んだ。

 停滞とは、つまりは死だ。其処にいれば幸せで、満ち足りているのかもしれない。けれど、いつかは死骸になる。進化がなければ、成長がなければ、それに意味はない。死体になって、埋没していくのだ。

 ドアをくぐらず、ずっと宝物の山に埋もれていればいい。それはきっと痛みもなく、苦しみもない甘美な世界だろう。きっとその世界は愛で満たされているだろう。

 しかし、その世界はその時点で死んでいる。死骸が死骸を抱いて喜んでいるのだ。歩くことも知らない、何の夢も見えないままに埋もれていくのだ。

「でもさ、それを選んだ瞬間からそれは宝物なんかじゃなくて、自身の成長を阻む塵なんだよね。価値があるから宝物なのに、その価値さえもなくなればただの我楽多。そう思わない?」

「……けれど、その人がそれを宝物だと信じれば、それはきっと宝物だよ」

「されども、それを判断する人間すら塵である!」

 なんて暴言だろう。彼女は何が楽しいのか、けたけたと声を立てて笑っている。玉座の上でひとり、ただ笑っている。

「あのねぇ、私も別にそれが悪いって言ってるわけじゃないんだよ。ただ、その選択肢には価値がないって言っているだけで。宝物のために自身の価値まで失って何になるの? 自分の足で歩けないっているのはすごく哀れなことだと思わない? 何のために人が足を持っていると思う? 一歩踏み出すためでしょうよ。その選択肢を放棄してるってことは、生きたままの屍と大して変わらないよ」

「……生きる、屍」

「リビングデッドとはよく言ったものだよね。生きている死、なんだよ。矛盾も甚だしいと思わない? まぁ、きっとあなたは何も思わないでしょうけど」

「それは……有疵性無死症候群の、“ゾンビ”のことについて言いたいの?」

「あなたはそれが本当に“ゾンビ”だなんてものがいると信じているの?」

 その質問に私は口を噤むしかない。信じているとも、信じていないとも言えない。判断するには情報が少なすぎるから。

「人間にとってわからないものっていうのは恐いもの。科学で証明できなきゃ、存在を証明できなきゃ、その事象を確定できないから。それはきっと私だって同じ。お化けが恐いって当たり前じゃない。だって、あるかないかもわからないものだから。『幽霊の正体見たり、枯れ尾花』ってね。わかれば恐くないよ。むしろ、わからないことに名前をつけてわかったような振りをしているってのが一番恐いこと」

 それは有疵性無死症候群という言葉を指しているのだろうか。人々は病名をつけてわかったような気になって、意味をつけて迫害をしているから。

「……あなたにも恐いものがあったの」

「あったよ。あったさ。とびっきりに恐いものが!」

 彼女は叫ぶようにそう答えた。それはいつもの飄々としたものではなく、痛みを伴った声だった。彼女はいつだって人を食ったよう態度しか取らないから、その事実に私は目を白黒させる。感情をこんなに高ぶらせる彼女は初めて見た。

「とっても。とっても、とってもとってもとってもとってもとってもとっても。どうしようもなく、ひどく恐かった。ああ、どうしてそうなるんだろう。私にそれは理解できなかった。だってだってだって、だって、」

―――私は生きているから。

 彼女のその言葉に私は目を見開いた。出会った時から自らを死体だと言って憚らなかった彼女が。今も頭を失くしたまま血を流して動く骸が。

 自分は生きている、そう言ったのだ。

 彼女は項垂れたままぶつぶつと何かを呟いている。ひどく虚ろな存在になったようで、私はそんな彼女を不気味だと思った。まるで底のない井戸を覗いているような気分になる。いつもの奇天烈な彼女の方が百倍はいい。

 何か声を掛けようと口を開きかけた時、彼女は私を見た。その首には頭が乗っていないはずなのに、長い黒髪の幻を私は見た。

 青白い指が私の顔を掴んで、彼女は私を覗き込んでいる。


「私は“死”が恐い」

 彼女は確かにそう言った。次の瞬間、突如彼女の座っている椅子が揺れたかと思うと、その下からは白く輝く手がたくさん伸びてくる。その手は彼女の身体を掴むと真っ黒な地面へと引きずり込んでいく。

「やっぱり私にはわからない。なんでこんなに恐いんだろう。どうしてこんなに寒いんだろう。私は死んでいないからわからない。わからないわからないわからない、わからないわからないわからない! 私は変わらないからわからない!」

 彼女は血を吐くように吼えた。私は何も言えない。彼女が言っていることが理解できないから。

 ずるずると椅子ごと下に引きずり込まれていく彼女は、そんな状態で私を見た。先ほどまでの鬼気迫る雰囲気が霧散する。

「さっき宝物の話をしたでしょう。此処はまさしくあなたの宝箱なんだよ」

 いつも通りの彼女の声だった。悲哀が篭っているわけでもなく、怒りに満ちているわけでもなく、狂気に歪んでいるわけでもない、平淡な声だった。

「……ここが、私の宝箱?」

「そう。もしくはブラックボックスとでも言うべきかな。此処にはあなたの宝物が詰まっている。数えきれないくらいの宝物が、どれもこれも捨てられないと溜め込んだ塵が詰まった塵溜めだ。此処にあなたがいる限り、どれもこれも等しく塵になる。けどね、あなたは此処に来るたびに何かを持って帰っているのよ。本来ならペナルティーものなんだけどね。私は何も持たずに出て行ったから、今生限りのスペシャルボーナスなの」

「私が何かを持ち帰ってる? 此処から?」

「それはそれは大切なモノ。あなたが“私”であるために必要なモノ。まだまだたくさんあるよ。きっとたくさんあるよ。持ち帰るたびに、あなたは“私”に近づいていく」

「……ちがう、私は私だ」

「そう、私は“私”だ。そして、この“私”にですら私がいるんだ。そこはどう足掻いても変えられない。変えられないんじゃない、変わらない未来なのさ。大丈夫、恐いことじゃないよ。だって、あなたはそれを知っているんだから」

「………」

「あなたは最初に聞いた。夢のたびにここに来るのかって聞いた。それは半分ホントで半分ニセモノ。あなたは必要なものを持って帰るまで、此処に何度でも来る。此処が必要なくなったころには“私”の知っている、あなたの思い出せないことだって覚えている」

「私は……私だ」

「そう。此処から出られるのはあなただけ。だって、ほら、」

―――私にはドアノブを捻る手がないんだもの!

 ずるりずるり。彼女の身体はどんどんと見えない底に飲み込まれていく。彼女はいつもみたいに狂ったように笑っていた。ついには、彼女は此処からいなくなった。

 私はひとり黒い空間に残されたままだ。大切なモノを拾おうにも、こんなに暗かったら何も探せない。椅子から降りて地面に触れてみる。其処には温度もなく、無機質で、自分から生きている感触を感じさせてくれなかった。

「……此処にいる限りは私も、」

 私もまた生ける屍なんだろうか。

 生にしがみついている死体か、死にたいのに死ねないままの生者か。同じ現象でも付随する意味が違えば、その認識には齟齬が生じる。

 昔の私は何を考えていたんだろうか。何を考えて生きてきたのだろう。私という生き物はあの夏の暑い日、蝉時雨の中死んでしまったのだろうか。

 そっと目を閉じて考えてみるが、考えはまとまりそうにない。思い出せるものも思い出せない。大体、私は今何をしているんだろうか。進んでいるのか、止まっているのか、或いは沈んでいるのか。それすらわからなかった。

 ただひたすら、あかいろが恋しかった。


意外に投稿間隔が開いているなーと思った今日この頃です。のんびり更新。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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