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リビングデッドにキスをして  作者: 神川 宙
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やさしいひと

第十一話。注意書きは特になしです。

 シャワーを浴びた七絆はかなりご機嫌だった。ずっとごわごわ、べたべたと気になっていた汚れが落とせたのだ。七絆だって女の子だ。見目にはそこらの少女なりに気をつけている。

 リビングに戻れば、ソファの背もたれからひょこりと白い頭が覗いていた。どうやら青年も目を覚ましたらしい。しかし、それにしてもどちらを見ているかわからない。七絆は手持ちのピンを持つと青年に近づいた。

「起きたんですね」

 七絆はそう言って、髪を適当にさらってピンで留めた。髪の下から赤い瞳がきょとりと七絆を追う。

「それは僕の台詞でもあるんだけどね。ごめんね、気がついたら僕も寝ちゃってた」

「いえ、あんなことがあったんですから。やっぱり疲れましたよね」

「あんまりこんなことないんだけどなぁ。体は疲れてた、ってやつなのかも」

 青年はゆっくりと伸びをする。その横で七絆はテレビをつけた。薫の話しぶりから、未だに外出禁止令は解かれていない、つまりは“ゾンビ”は未だにこの辺りを闊歩している恐れがあるということだ。その辺りのことを押さえておかなければいけない。

「これ! この箱、すごいね!」

「……これ、ただのテレビですよ? しかも型落ちの」

「へぇ、てれびって言うんだぁ! これ、どうやって動いてるの? あの人は誰? 中はどうなってるの?」

 テレビをつけたあたりからそわそわしていた青年だが、番組をニュースに切り替えるとその瞳をきらきらと輝かせた。まるでおもちゃを与えられた犬みたいだ。

 一方、七絆はリモコンを持ったままぎょっとしていた。彼のまるでテレビを初めて見るような口ぶりに、だ。絶句している七絆をよそに、青年は矢継ぎ早に質問を重ねてくる。大抵の人間は幼い頃から見たことのある一般家電製品についてである。何よりもこの質問に全部答えるの?という思いでいっぱいだった。

『本日未明、男性の遺体が発見されました。場所は―――』

 きらきらしている青年と打って変わって白目を剥いている七絆を置いて、テレビの中ではニュースキャスターが深刻そうな顔で原稿を読んでいる。その声にテレビに目を遣れば、七絆の家の近く、まさに昨日彼女が殺されかかったあの道が映し出されていた。

 しかし、テロップにはでかでかと『男性の遺体発見!犯人はゾンビか』と書かれている。昨日殺されたのは女子高生で、犯人はフードの男だったはずだ。七絆がそう思っても、被害者名には知らない男性の名前がある。それに“ゾンビ”とはどういうことかと、彼女は首を捻った。

「うーん、やっぱりかぁ……」

 隣で目を輝かせていたはずの青年は渋い顔のままそう言った。七絆は完全に置いて行かれてるし、何がやっぱりなのかさっぱり見当がつかない。

「やっぱりって……何のことですか?」

「あの女の子が“転化”したの。いやー、嫌な予感がしたからきみを連れて退散しようとしたとこまでは覚えてるんだよ」

「て、てんか?」

「わかりやすく言うと、このてれび?の人的に言えば、“ゾンビ”になるってこと」

 七絆は息を吐くことも忘れて、目を見開いた。口は開いたまま、視線は青年に釘付けだ。数秒は経っただろうか。ようやく七絆は息を吐くと同時に素っ頓狂な声を上げた。

「そ、そんなことわかるんですか!?」

「勘、みたいなものかなぁ。正確に『むむっ、この人“転化するぞ!』っていうのがわかるわけじゃないし」

「……感染方法は接触感染とされていたけど、“転化”と呼ばれる現象があるのか。元々はウイルス性だと言われていたけど、あの場じゃ感染のしようがないし。いや、そもそも既に感染していた? それに彼女の死体は刺殺……。そこから何らかの方法でウイルスが? いや、でもウイルス性っていうのも一つの説でしかないから……」

「えーっと、もしもし? おーい」

 ぶつぶつと呟きだした七絆の目の前で大きな手のひらがひらひらと振られる。その声にはっとして青年を見ると、彼は困惑した様子だった。

「あ、ああああああー! い、今のはお忘れください! 気になることがあると没頭しがちというか……。あー! 恥ずかしい!」

 みるみる耳まで真赤にすると、七絆は両手で顔を覆ってそう叫んだ。青年が何を言おうとも「あー!」と言ったまま聞いてくれない。彼がどうしようかと軽く悩み始めたところで、テレビから『緊急速報!』と聞こえてきた。

 それが耳に入ったのか、七絆もようやく顔を上げて画面を見た。そこには『タカ』によって“ゾンビ”の処分が行われたこと、そしてそれは青年の言った通りあの女子高生だったことが明らかにされていた。

 澱んだ瞳。苦痛と恐怖に歪んだ顔。息をしていない、鼓動のない肉の塊。

 確かにあの夜の彼女は死んでいた。七絆の目から見ても、それは明らかなことだった。

 しかし、彼女は『タカ』によって処理された。それは彼女が“ゾンビ”であったことの証拠だ。

 死んで、生き返って、また死んで、殺されて。

 画面の中の少女の写真はあの白い制服がよく似合う、笑顔の素敵な子だったのに。それに対してテレビの中の人間は、信じられない、恐ろしい、だのなんだの言い合っている。

 七絆は唇を噛んだ。“ゾンビ”になって、こんなのはあんまりだと思った。

 コメンテーターたちは今も口々に安堵の声を上げている。きっとこのニュースを見ている誰もがそう思っているだろう。

 そう、脅威は確かに排除されたのだ。それなのに七絆はそう思えなかった。自身の身近にある死への恐怖が取り除かれたというのに。

 七絆とて“ゾンビ”は恐いし、出来れば画面越しの存在であってほしいとは思っている。けれど、それは“自身が圧倒的な暴力によって命の危険に晒される”ことを感じ取ってのことだ。昨夜のフードの男も七絆にとっては“ゾンビ”と変わらないのだ。

 人が殺されて、人が殺された。それと何が違うのかわからない。なのに、皆がその死を祝う。ならば、死刑囚にも同じことを言うべきだろう。狂人にだってそうだ。

 殺したことを詰るわけではない。七絆だって生死の境目に立たされて、もし反撃の手段を持っていたなら迷わず殺すだろう。だって死にたくないから。

 けれど、この世界は違うだろう。“ゾンビ”であるから殺される。“ゾンビ”であるだけで殺される。“ゾンビ”と人間、何が違うのかが理解できない。理性のあるなしか。そんなもの人間同士だって変わらないのに。

「―――かわいそうに」

 ぽつりと七絆の口からそう零れていた。きっと“生きている時”に殺されるのはひどく恐かっただろう。痛かっただろう。“死んでから”殺されるときは痛くはなかっただろうが、恐かったのかもしれない。

 そして今ではさして仲も良くないであろう同級生たちに言われたい放題だ。あの死体を見る限り、彼女が潜在型であったようには思えない。“殺されるまで”は人間だったのに、まるで化け物みたいな扱いだった。

「……きみは優しい人だね」

 青年は目を細めてそう言った。赤い瞳に首を傾げた七絆が映っている。

 七絆は特段、自身が優しい人間だとは思わなかった。死に付随するものを忌避し、醜悪なものを嫌う。身体を欠落させながら、中身を溢しながらも動くような“ゾンビ”だって、気持ち悪いと思う。生理的な嫌悪だ。

 だから、実際に動き出したあの少女を見たら、テレビの中のこの少女を哀れだとは思わないかもしれない。いつだって自分本位な人間だ。

「私は、別に―――」

 七絆が口を開きかけたその時に、それは流れた。

『お知らせします。政府から目撃情報の収集についてです。対象は有疵性無死症候群の患者で、頭髪は白、赤い瞳、身長は約190cmほどの長身とのことです。また、服装は白い服、体の一部には識別番号が打たれているそうです。目撃した方は―――』

 隣の青年がびくりと肩を揺らした。

 白い髪に赤い瞳。そんな特徴を持った人間がどれだけいるだろうか。ましてやこの国でそんな色を持つ者が多くいるわけではない。


 そうだ、それは青年を指し示しているのだ。


 まるで罰を受ける子供のように俯いて、そして、彼は立ちあがる。ここにはいられない。この優しい少女を己の運命に巻き込むわけにはいかなかった。

 だが、その青年の行動は阻まれたのだ。簡単に振り払える程度の力ではあったけれど、動きを止めるくらいの効果はあった。

 中途半端に腰を浮き上がらせたまま、自身を止めるものを見る。

 それは少女の白い手だった。

「―――わたし、しってますよ」

 浮いた腰を戻せと言うかのように、青年の手は七絆の手に握られていた。テレビでは未だに目撃情報のお知らせをしている。繰り返し、繰り返し、鸚鵡のように。青年は何も言えない。彼女の顔はまっすぐテレビを見ており、横髪が邪魔でその表情は見えなかった。

「さっき髪を洗った時、首元が見えました。……よく見ちゃいけないと思って、詳細までは見てません。でも、それが何かの番号だってことはわかりました。今ならそれが識別番号っていうことも」

「―――なら、わかるだろう」

「初めて会った時から、わかってました。きみが“ゾンビ”だってこと。だって、腹部を刺されたら大抵助かりませんから。ましてや、痛みであんなに動けはしません」

「……じゃあ、どうして」


「きみはやさしいひとだから、私は守りたいと思ったんです」


「は、」

 青年はうまく息を呑み込めなかった。彼女が何を言っているか理解できない。

 自分が優しい人間?

 彼女は今の知らせの何を聞いていたんだろう。そもそも人間ですらないものに対して、『やさしいひと』とは。

 青年は特別、己が優しいものだとは思わなかった。生に執着し、ただひとつの形もわからない目的へ向かうだけだ。身近なものも知らず、記憶も置き忘れて、世界の大部分が欠落したまま必死にもがくしかない。そんな特も何もない、負債しかないような化け物だ。

 彼女のことだって、偶然行き会ったから助けたに過ぎないのに。

「僕は優しくなんてないよ。きみのことを助けたのだって、偶々―――」

「それじゃあ、私だって優しくないんですよ。あの女の子、彼女が先に死んでいていくれたおかげで助かったとも、思ってるんですから」

「……それは、誰だって死にたくないから。そう考えてしまうのも仕方のないことじゃないか。それでも、きみはあの子の死を悼んだ」

「悼むだけなら誰でもできます。それこそお兄さんだって、していたでしょう。人間だったら誰でも、いえ、思考できて感情を伴わせられるのなら何にでもできます」

「わかった。はぐらかさずにきっちり伝えるよ。僕はきみを巻き込みたくない」

 くるりと黒髪が揺れて、少女の瞳と視線が合う。瞳孔が開いたそこからは何の感情も読み取れない。

「だったら、どうしてここから離れなかったの?」

 赤い唇が言葉を紡ぐ。その問いに青年は口を開きかけるも、答えることができないまま無意味に閉じた。

 理由もなく、ただここにいたいなと。目を開いてから張り詰めていた神経がようやく和らいだから。そんなことを初対面の少女に伝えられるはずがない。ましてや、己は逃亡者だ。逃げるのに疲れてしまったのだろうか。探すのに迷ってしまったのだろうか。

「それにもう手遅れです。今更きみが出て行って、捕まって、私に何の害もないと思いますか?」

「……それは。僕が話さなければいいだけじゃないの」

「先ほど家に『タカ』が来まして。彼らはこの辺りで“ゾンビ”を見なかったか、と聞きました。私は答えました、『見てません』、と。この意味が示すところはわかりますか?」

「……ごめん、わからない」

 少女が見上げてくるその瞳から視線が離せない。先ほどまでは普通の女の子のような振る舞いをしていたのに、いつの間にか得体の知れない雰囲気を漂わせている。人という皮の隙間から何かが此方を覗いているような―――

「秘匿罪です。政府が勝手に打ち出して可決したものですけど、“ゾンビ”の脅威から人民を守るために一切の“ゾンビ”を排除する、そのために“ゾンビ”を匿う人間も有罪になるんですよ。大抵は潜在型だと判断されて殺されちゃうらしいですけど。所謂死罪ですね」

「―――」

 開いた口が塞がらなかった。まさか自分たちの存在が他人の命までも脅かしているとは思わなかったのだ。

 つまりは青年が捕まってしまうと、目の前の少女も殺されてしまうということだ。確かにあの追手たちの“ゾンビ”に対する執着を見るに、どんな手を使ってでも彼女を捜し出すだろう。

 一体何が彼らをそこまで駆り立てるのだろう。否、そもそも己が生み出されたわけは何なのか。彼にとってこの世界はわからないことだらけだった。

 誰も答えをくれない。唯一答えをくれた先生は、もう顔も声も何もよく思い出せない。そんな中で逃げ果せられるわけがない。

 彼女が青年を匿ってくれるのならば、それに甘えた方がいいということはわかっている。無知とは罪であり、人間性の死である。ならば、生きていくためにも知恵が必要だ。ここで少女に教わり、時期がきたら別れればいい。

 けれど、その選択をするにはどうしても理解しなくてはいけないことがあった。


「どうして、そこまで僕にしてくれるの」


 少女は凍った瞳に色を灯して、青年を見ていた。内側から覗いていたものは身を潜め、彼の知っている少女がいる。柔らかそうな唇の中では赤い舌がちらついた。


「私がきみを助けたいと思ったからです。それ以外にないし、それ以上に必要な言葉もありません。ただ、そうしたかったからとだけ」

 お兄さんと一緒です、と少女は顔を綻ばせた。あまりにも綺麗に笑うから、青年は呆けたように口を開いていた。次に応える言葉が出てこない。

 そっと少女が握っていた青年の手を離した。そして、その手を彼に差し出して、彼女は笑う。

「はじめましてをしましょう、お兄さん。私は嘉翅七絆です。これからよろしく、“同居人”さん」

 “同居人”。その意味は二人の間に相応しくないように思えるけれど、今はそれくらい軽い言葉である方がいいのだろう。

 青年は差し出された手を握った。

「……はじめまして、ナズナ。僕は―――」



色々と大変なことになってますが、誰かのお家での暇つぶしにでもなればいいなと。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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