罪
第九話。ちょっとご注意があります。
目を開けば、私は清潔な白いベッドの上で横たわっていた。リノリウムの床に足を降ろせば、どこか無菌室のような印象を受ける。
この世界にくれば不思議なもので、現実世界にいる時には思い出せない以前の夢の記憶も思い出せる。夢は情報の整理をする過程で見られているともいうが、現実世界での記憶は逆にあやふやであったりする。それでつり合いを取っているのだろうか。
所詮は私の感想に過ぎない。きっとまた首のない私を探すことになるのだろう。いや、大抵は彼女が勝手に会いに来るわけだが。
「ひっどーい! その言い草はないと思うのですが!」
媚びたような甲高い声に扉へと視線を向ければ、相変わらず首のないままの彼女が立っていた。血染めの白衣がこの清潔な空間と食い違って、ちぐはぐだ。その足元にはこの前彼女が振り回していた大鉈が転がっている。
「重いね、これ」
なんとなくそれを拾ってみれば、思いの外ずっしりと腕に重みがかかった。前に彼女はぶんぶんと軽く振り回していたが、私にはできそうにない。
「あったりまえじゃん! 何言ってんのさ、それが命の重みってやつなのさ。逆に言ってしまえば、それくらいの重さで命は奪えてしまうってね! それを軽いと思うか、重いと思うかはあなた次第!」
「……魂の重さは21グラムじゃないんだ」
「あー、ダンカンの実験のヤツ? あっはっはっはっ。あなたもジョークとか言うんだねぇ。もっと堅物なのかと思ってたよ! これも私ってやつの効果なのかしら。ま、そんなんもんはどうでもいいか。死んだらちょっと軽くなってるとかどうでもよすぎない? だって、結局それは死んでいるわけだし。どこまでいっても死んでいるわけで。でも、そうかぁ。知りたいなら教えちゃおうかな!」
「……何を?」
彼女はずいっと私に首を近づけてきた。そうして、私の持っている大鉈を指差し、うふふと笑った。
「殺してみればいいのよっ!」
私は彼女を見る。もう三回もここに来ているせいか、この容姿にも慣れてしまったものだ。現実世界の私にはこの経験値は蓄積しないため、未だにグロテスクなものを見ると気絶するのかもしれない。
「ちょおーっと! 無視しないでよ!」
たっぷり数分の間をあけてから、彼女はそう叫んだ。耳元で叫ばれると、なかなかに耳が痛い。口がないので叫ぶという言葉が正しいのかはわからないけれど。
「きみがあまりにも馬鹿みたいなことを言うから」
「馬鹿って言った!? ひっどーい! ひどいひどいひどい! 私の優秀さはあなたが身をもって知ってる癖にぃ。稀代の天才! アインシュタインも驚きの頭脳! 世界に舞い降りたメーティス! どうよ、いっちょ誰かの頭でもかち割ってみる? 中から女神でも出てくるかもよぉ!」
「メーティスはゼウスに呑み込まれるわけだけどね」
「ふぅっ! それは私たちの構図にピッタリじゃない! いつかは私もあなたに呑み込まれるわけだし。あれ、ということはもしやあなたが全知全能のゼウスか! 頭は守っていこうね! それ以外は大胆にいこう!」
話の内容がどんどんとずれて言っている気がする。気がするだけじゃなくて、確実にそうだろう。
ちらりと彼女を見れば、興奮したように体をくねらせながらマシンガントークを続けている。意図しているのかしていないのか判断がつかないのが厄介だ。
仕方なしに見た首の断面は本当に綺麗な色をしていた。斬られてから時間が経っているだろうに、そこからは未だに血が流れているくらいだ。やはり、此処は私の中の空想世界なのだろう。
しかし、私の少ない記憶の中にこのような施設はなかった。なかったはずだが、なぜか既視感を覚える。お母さんの研究所に似ているからかと思ったが、それにしては広すぎるような。そもそもあそこは研究所と銘打っているものの、お母さんの墓場みたいなところだ。名もない研究に名前を付けようと必死な人間がいるだけで存続してしまっている、それこそ死にながら歩き続けているようなものだった。
いつまでも此処にいても埒が明かない。前回と違って今回はきちんと扉がある。私は彼女の横を通り過ぎてそのまま外へ出た。廊下の様子を見るに、どちらかというと感覚的には病院のようだ。
「置いて行くとかひどくない!? シンジラレナイッ!」
「いつも一方的にいなくなるのはそっちでしょう。別に私、きみといるというルールが課せられているわけでもないし」
後ろから首なしが騒ぎながら飛び出してくる。適当にあしらえば彼女は面白くなさそうに息を吐いた。
「まー、そうなんだけどねー。はぁー、面白くなーい。面白くないよ、その性格。誰に似たのかしら。私、困っちゃうわ」
「……そういうきみはみんなが言う“昔の私”とは似ても似つかないよね」
「あはっ。他人の言うことなんて気にするの? 私らしくないなぁ、全く。私が私と信じるものが“私”でしょ。いや、待てよ。厳密に言えば、私も“私”じゃないのかも! でも、そんなこと関係ないよね。私は確かに“私”だったんだから。私の過去で―――」
「私の死骸でしょ」
そう答えれば、うふふと嬉しそうに彼女は笑った。これ以上此処で答えのない問答を繰り返していても仕方がない。歩き始めれば、彼女は私の後ろを笑いながらついてきた。
汚れが一切ないような廊下は長く続いていたが、私はなんだか息が詰まってきそうだった。
前回に比べれば明るくて綺麗なのに、ここには死臭が蔓延している。胸焼けしそうな気分だ。
「ちょっとー、歩くの速いよー。置いてってる置いてってるー」
呑気に後ろから声を掛けられて、私ははっとして止まった。相変わらず同じような風景が続いている。終わりが見えない、そういう焦りがあったのかもしれない。何処まで、何処へ向かえばいいのかわからない。気分が悪くなってきた。
「はぁー。そんなに速く歩いて行っちゃってサ。どしたのー? 何か恐いものでもあった?」
ぱたぱたと彼女は後ろから私の元までやってきた。いつの間にか相当距離が離れていたようだ。その距離が私の焦燥感を表しているみたいだった。
ぴょこぴょこと横で動く私の死骸に構っていられないくらい、ひどく寒気がする。思わず二の腕を摩り、辺りを見回すが何も変わりがない。
けれど、死の臭いがする。
「此処、とても嫌な感じがする……」
「そお? 前の場所に比べたら全然ましだと思うけど。まぁ、此処を恐いと思うのなら、此処にあなたの罪が集約してるのかもよ」
「……私の、罪」
「探してみれば? 私は別に知ったこっちゃないけどさ。いや、関係大有りかー。一端は私の―――。……あなたが知らない以上意味のないことなんだけどね」
この廊下にいつまでもいるのはよくない。彼女との会話を切り上げて、手近にあったドアに入る。先ほど私がいた部屋と大して変わらない部屋が広がっていた。特に何も変わったものはなく、引き出しを開けても何も入っていない。
「“ゾンビ病”ってあるじゃん」
その単語に私は彼女を振り返った。彼女はつまらなさそうに壁に寄り掛かってあらぬ方向を見ている。彼女には目が存在していないから、いつも何処を見ているかはわからないが、此方を見ていないのは確かだった。
「正式名称は有疵性無死症候群。死んだ人間の身体が勝手に動き出して生者を襲うって病気。感染方法は空気感染ではなく直接の接触感染と言われている。噛まれたやつからどんどんゾンビに!ってね。でも、接触しなければ問題無し。さらに言えば、触れ合っただけじゃ感染しない。まぁ、念のため襲われたやつらは殺されてしまうわけなんだけど。はー、念のためで人を殺すってどんな気分なのかしら。はてさて、何が原因なんだろうね?」
「……そんなこと聞かれたってわからない。なにぶん秘匿されている事項が多すぎて、原因どころか発生時期も見当がつかないから」
「そう! わからないんだよねー。この天才的頭脳を持っていると言われている私でもわからない! 情報が圧倒的に足りない!」
彼女はまるで舞台役者かのように腕を大きく広げて、声を張り上げた。いつの間にか私たちは古びた部屋にいる。彼女はガラスの砕けた窓枠に腰掛けていた。窓の向こうは一面真っ白だ。
「ほんとうに?」
彼女は私をまっすぐ見つめて、小さく笑った。
「え?」
「本当に、本当に本当に本当にほんとうに。わからない? しらない?」
「私だって知っていたら知りたいよ。だって、そうしたら――そうしたら?」
あれ。私はその先をなんと言うつもりだったんだっけ。まるで言葉を失ったかのように何も言えない。その想いはとても大切なナニカだったはずなのに。
思い出せない。思い出せない。思い出したいのに、思い出せない。
あたまがわれるようにいたい。まるで思い出させないようにしているみたいに。思い出そうとするたびに、がんがんと頭を金槌で叩かれているようだ。
窓際に座っている彼女は静かだった。いつものように奇人の振りもしなければ、諭すような真似もせずに黙っている。
「……私は知らない。何も知らない」
そう、と彼女は小さく呟いた。そうして窓枠から手を離すと、彼女の身体は窓の外へとゆっくり傾いていく。私は慌てて彼女の元へと駆け寄ろうとしたが、私の身体はまるで張り付いたかのようにそこから動かなかった。
「わからないんじゃない。知らないんじゃない。全部答えはあなたの中にある。見ないふりをしているだけ。あなたは全て見ているもの」
最後にそれだけ残して、彼女は見えなくなった。一瞬だけ、長い黒髪の幻影を残して。
それを見届けた瞬間、私の足は突然動くようになった。窓から身を乗り出すようにして下を見れば、首なしは跡形もなく消えている。彼女がいた痕跡すら真っ白な世界に塗りつぶされていた。
私が生きている以上、私の躯である彼女も死ねないままだろう。だから、またひょっこりと戻ってくるに違いない。それに、これは私の夢なのだから。
窓枠から身体を起こせば、古びた部屋は一変していた。埃が舞っていた剥き出しの木製の壁すらなくなっており、造りだけいえば先ほどの病室に近い。だが、圧倒的なまでの違いは辺りに広がる血だまりだ。
それなのに先ほどまで感じていた死臭は感じない。むしろこの景色に落ち着きさえ覚えそうだ。私の罪と何か関係しているのだろうか。
こうなった以上、私はまた進むべきだろう。病室から足を踏み出そうとした時、後ろでからんと物の落ちる音がした。振り返れば、元の病室に置いていった大鉈だった。持っていくべきか悩むが必要性は感じない。私は大鉈を置いて病室の外に出た。
首のない死体がごろごろとその辺りに倒れている。ふと思ったが、彼らの首は何処にあるのだろう。これでは誰が誰なのかの判別がつかない。……判別をつける必要はないと思うけれど。
不意に曲がり角に人影が見えた。もしかしたら、彼女かもしれない。しかし、靡く黒髪は私の知らないものだ。しかし、何も手がかりがない以上追いかけるのが妥当だ。見失わないうちにと曲がり角まで走ったが、その先には誰もいない。
だが、何もないわけではない。廊下の突き当りに一つだけドアがあった。近くへ行くと、ドアの横にはカードリーダーのような機械があった。それにしてもカードを読み込ませる場所がない。
網膜認証か指紋認証か。どちらにせよ生体認証系統であろう。今までの夢にはなかった類の鍵だ。
「……此処まで厳重ってことは、この中に私にまつわる何かが隠されているってこと?」
此処は私の夢、言わば精神世界のようなものだ。わざわざ封をしてあるということは、この部屋には私が隠したい罪があるのかもしれない。
「駄目元でも……いいよね」
機械の上部の蓋を開けると、真っ赤な光が私の瞳に射出された。目を細める間に機械はピーッと甲高い音を立て、目の前のドアが横に開く。
開いた空間の奥に白い扉が見えた。私はその扉に手をかけたが、そのまま動けずにいる。どっと汗が噴き出ているのを感じた。
―――私には此処に入る資格があるのか。
この先には私の秘密があるはずだ。それなのに、私は“私”のことを思い出せていない。そんな人間に知る資格はあるのだろうか。
―――いや、それは全部建前だ。私はただ、ただひたすらに恐いだけだ。この先にあるであろう私の罪とやらに向き合うのが。
目を瞑って、一度深呼吸をする。早鐘のように鳴っていた心臓を落ち着かせる。
それでも私は向き合わなければならない。逃げるわけにはいかず、何よりも知りたいと願ったのなら、その義務を果たすべきだ。
目を開くと同時に扉を大きく押し開いた。がちゃりと金属のこすれる音が不愉快だ。
其処は静かな空間だった。何かを計測しているであろう機械が小さく音を立てる以外、何も音がしなかった。生きているものがいない空間のようだ。ガラスで仕切られた彼方側では、ベッドの上に誰かが座っている。此方に背を向けているので、ぼんやりと人影しか見えない。
「ああ、今日も来たの」
静寂な部屋にぽつりと男性の声が響いた。その声は少し高くて、静かで、冷たかった。私は何も答えられずにいる。誰かと勘違いしているのだろう、私は此処へ来たことも、似たような場所を訪れたこともない。
―――でも、ひどく懐かしい気がする。
「きみも暇だね。こんな何にもない所に好んで来るなんて。まぁ、いいけど」
私は茫然と立ちすくんだまま、その人の背中を見つめていた。私が此処で掛ける言葉はない。それは私の役目ではない。
彼は小さく笑った。
「そうだね。いつか、そうだね。そうだったら幸せなんだろうな」
まるで誰かと会話しているかのようにそう言って、彼は少しだけ笑った。嬉しそうで、でもどこか寂しそうに。
私はひどく泣きたくなった。
そろそろ二桁のりそう……。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




