おっさんニート母性に目覚める
元木が引きこもりニートの生皮を剥ぐような事を言うので俺は仕方なく退院指導であった事や看護士への不満をぶちまけた。
「ふーん、それでアンタ切ない気分になってたの」
「もう嫌だ! この先どうしたらいいか分からない。誰も助けてくれないし、皆怖いし、赤ちゃんも怖い」
「でもほら、アンタ母親になってたじゃない。赤ちゃんの事が心配だったから助けて欲しかったんでしょ?」
「もういい結局助けてくれなかったし。この赤ん坊に生きてる価値なんてないから死んじゃった方がいいんだ。生きてたって汚い童貞きもオタおっさんニートにしかならないんだから」
「ブフッ! だから何でアンタはそう決め付けるのよ。アンタとしゃべってるとひねくれた小学生を相手にしてるみたい」
小学生だと!? チクショー!!
「はぁ……こんな中身小学生みたいな奴でも、私より全然母親なのよね」
「はぁ?」
「私、自分のせいで一度死産してるから」
「一応医療従事者だもの自分の体の異変に気付いていたわ。それなのに私、誰かに助けを求める事なんて出来なかった。あの日、私は分娩室にいて他人のお産のサポートをしていたの」
「……それって仕事を優先したって事?」
「ねっ? 馬鹿でしょ私。酷い腹痛に耐えながら一生懸命他人を励まして得た結果が自分の子供の死よ」
「何でそこまでして……」
「きっと、母親になりきれて無かったのね。色々思う事はあるけど今はそうだったんだって納得してる。そうしなきゃ次に進めないもの」
「何で自分のせいだと納得できるの?」
俺には元木の考え方が理解できない。ニート思考の俺なら絶対他人のせいにする。むしろ関係無い奴等もついでに怨む。
「だから、そうしないと前に進めないの。そりゃ時々居たたまれない気持ちになる事もあるわ。この間、あの時分娩室に居た妊婦に会ったのよ。旦那と子供と一緒に幸せそうに手を繋いで笑ってた」
何それ、俺なら車で突っ込む……いや、度胸無いけど……。あっ、免許も無え。
「そういう気持ちになった時、私は一度考える事を止めるわ。考える事を止めて目を閉じて深呼吸をするの。すると体から力が抜けて、まるで彼等に会う前にタイムリープした気持ちになれるのよ」
「タイムリープ……」
「そしてまた進むの、今度は後悔しない道を」
元木はそう言うと目を閉じて深呼吸をした。情けない事に俺は、気のきいた言葉の一つも元木に掛けてやれなかった。
「私、今度はアンタみたいに助けを請うわ。次は絶対母親になる! アンタの母性に負けないわよ」
「母性!?」
「そうよ母性。アンタの自分の子を気にかけて欲しい、この子を優先して欲しいって気持ちは母性なの。だからアンタは既に立派な母親なのよ。自信を持ちなさい」
「でも……」
「ほら! なにやってんの、赤ちゃんが気になるんでしょ? 大声を上げないと周りは分からないわよ。行きなさい! 暴れても泣き叫んでもいいから助けを請いなさい!! ほら! 早く!!」
元木がグイグイと俺の背中を押してくる。
「チクショー! やったる!!」
俺は赤ん坊を抱いて再びナースステーションまで走った。途中、幾人かの入院患者が切羽詰まった表情で走る俺を見て引いていたが構わない。人の目なんて気にしていられない。
ナースステーションの前で、俺は目を閉じて深呼吸をした。そして、腹の底から思いっきり声を出して叫んだ。
「助けてください!! 赤ちゃんが死にそうなんです!!」
「またあなたですか?」
ナースステーションの奥の部屋からさっき会った看護士が出て来た。
「どれどれ……大丈夫、スヤスヤと眠ってますよ」
「違うんです! いつもと何となく様子が違うんです!!」
「はあ、大丈夫だと思いますよ。死にそうだなんて大げさな」
看護士は迷惑そうな顔をしながら赤ん坊を俺に返してきた。
「あら、なあに? どうしたんです谷さん?」
私服の田中が声を掛けてきた。
「お疲れ様です。田中さん、そういえば今日から準夜勤でしたね」
「何を騒いでいるの?」
「このお母さん、ちょっとナーバスになってるみたいなの」
「はいはい、悠人くんだっけ? 今日もいっぱいおっぱい飲んだかな? よしよし」
田中が俺から赤ん坊を取り上げた。
「田中さん、いいわよ私が対応するから。早く着替えて来てください」
「あれ!?」
「ちょっと待って! 赤ちゃん息をしていないじゃない!!」