7.私は戦の女神として、僕は白の王子として、選択する。
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兵たちの1週間の休暇が終わり、今日から訓練開始だ。
少女はいつも通りに早朝目を覚ますと、まだ治りかけの肩を庇いながら訓練着に着替え、当たり前のようにあの庭に足を運ぶ。
庭に着くと少年の姿を探すが、今日はまだ来ていないようだ。
「…………」
少しがっかりして、いつもの木の下に座る。
空を見上げると、今日はくもりだ。生暖かい風が雨の匂いを運んでくる。
(今日は合同訓練かなぁ)
いつもは師匠と二人だけで稽古をしていたが、雨の日になると師匠は関節などが痛いと言い出して城まで来れないのだ。
城で訓練する兵士たちに混ざるのは気にしないが、ふとトルロ将軍を思い出した。
(あー……、あの人もここで訓練してたっけ)
何となく嫌だなぁと思う。いっそ、肩が痛くて休みますって言いたい。でも身体が鈍ると、次の戦で負けてしまいそうなので訓練したい。
少女はあの小さな部屋でやれる訓練ないかなと考え始める。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………腹筋しか浮かばない…」
「え、眉間にしわを寄せながら考えていたのはそれなの?」
「……あ、おはよう」
「おはよう」
いつの間にか来て少女の顔を見つめていた少年は、彼女の隣へ座った。
ドサっと音がし、次に溜息が聞こえてきた。
「……お疲れのようで」
「んー、最近は夜まで勉強しているから寝不足なんだ」
「へぇ。じゃあ少し寝る?」
どうしようかと彼は迷う。その姿を見て少女は「寝にくいなら、私の膝をかしましょうか? 硬いけど」と膝をポンポンする。
「……余計に寝にくい気がする」
「やっぱり硬めの枕は嫌か」
「いや、そうじゃなくてっ」
んーっと考え、少年は自分の髪をくしゃくしゃしたら、思いきって彼女の膝に寝転んだ。
「…………」
「…………」
「おやすみ」
「……ん」
何故か嬉しくて、少女はついでにトントンと優しく叩き始めた。
太陽が出てないため体内時計でいつもの別れの時間だと思った時、少女は彼を起こして兵士専用訓練場へ歩き出した。
そこへ着くと、 近くから「女神だ」「珍しい……」「今日は雨か」「うわっ、緊張するなぁ」「腹減ったー」など聞こえてくる。
その中で「やぁ、女神おはよう」という声が一際大きく聞こえた。危険信号が点滅し、とっさに体に力が入る。
「そんなに身構えなくてもいいんじゃないか?」
兵士の群れから爽やかにトルロ将軍が登場した。
「……おはようございます、トルロ将軍」
「うん、おはよう」
冷静さを取り戻し挨拶をすると、爽やかな笑顔で返される。
その笑顔、何故か胡散臭いと思える。
彼は少女の隣を陣取り、それから準備運動をしだした。
何故隣なんだろうと思ったが、構うのが面倒くさくて口を閉じる。
少女は、とりあえず首の体操から始めた。
しばらくすると、指導者らしき人がやってきた。
(……あ)
少女は目を見開く。視線がその指導者の後ろにいる、朝早くから会った少年の姿へ移る。
指導者は周りを一瞥すると、個性ある髭を撫で、仁王立ちした。
「今日は軍の総司令官となられた第二王子が見学されるそうだ。お前ら、訓練中に間違えて槍や剣を投げ飛ばすなよ!」
「「「承知しました!」」」
「まずは各自ウォーミングアップ! 終わったら号令があるまで筋トレだ!」
指示通りウォーミングアップを丁寧にして、少女は肩を気遣いながら片腕で腕立てし始める。
(片腕じゃあきっついなぁ……まだ力不足だな)
十回ぐらいで腕がプルプルし始めた。せめてあと数回やろうと決めた時、横から「無理しないでね、女神」とトルロ将軍が心配してきた。
「……悪化しないよう、気をつけます」
「女神がこれ以上体を悪くしたら、俺は早く腹をくくらなきゃいけなくなるからね」
「……?」
どういうことだ? 少女は将軍の言葉に引っかかり、腕立てを止めて彼を見た。
将軍はゆっくりと腹筋をし始める。
「……ところで、第二王子の噂知ってるか?」
「……え?」
「チェスの腕前や勉学の成果が認められて軍の総司令官になったのに、あと一年くらいかで他国へ婿として行くんだと」
一瞬、周囲の声が消えた。少女は静かに驚く。それがあって、雨がポツポツと降り出した事に気がつかなかった。
「そう婚姻の話が会議であって、ついでに女神の婚姻についても話された」
彼は腹筋を止めて立つと、まだ座ったままの少女に手を差し伸べる。
「まずは立って。本降りになる前に屋根があるところに行こう。ほら、みんな避難して俺らが最後だぞ」
そう言われて、雨が降っていることにやうやく気づいた。
彼の手をとって立ち上がると、「こっちだよ」と彼がゆっくり歩き出す。
「さっきの話の続きだけど、きっかけはその肩の負傷。女神もいい歳なったから、戦に強い男と結婚して、さらに強い子供を産んでもらおうという企みが出たんだよ」
「……私が……結婚?」
「そう。その話は半年前からあったんだって。相手候補も決められた。戦争中、城にいた仲間が文を寄越して知らせてくれたんだ」
「え、相手候補が……もう」
「その一人が俺だ」
ふと足を止め、彼は振り返り少女をその藍色の目で見つめる。
「それを知って思ったんだ。戦のパートナーと言っても周りが納得するくらい俺らは一緒にいることが多い。俺は戦の中が多いけれど、よく女神を見ていた」
高貴で、圧倒されるような雰囲気に包まれていて、その瞳はまっすぐで。時に少女のような顔や仕草が出る。そう目の前で言われ、少女の頬は少し赤みを帯びた。
「俺たちが初めてあったのは、女神がみんなの希望になるべく軍に入った時だ。その時から一緒にいて、軍としての仕事の時も隣にいた」
「そうね……思い返しても、よくあなたといたわ」
「俺は女神の夫候補だと知った時想像したんだ。五年くらい前から一緒だった君が他の男に渡って数年俺から離れたらって」
将軍は少女の前に跪く。
雨に濡れて色っぽさが増した彼に、何も言えずに少女は立ち尽くした。
「心が痛み出して、あなたの隣を奪われたくないと思った。……いつのまにか女神に恋をしていたらしい」
どうか俺と結婚してくれ。と副音声で聞こえてきた。
(…………そっか)
ずっと彼はそばにいたのに、戦友としか思っていなかった。生か死かの世界にいる仲間と。先の戦が始まって半年経った時に違和感を感じて、その時から彼を本格的に認識し始めたのだ。
「……あなたの怪我が酷くなると婚姻の話は急がされると思う。しかし、もうすぐあなたにその話が届くはずだ。……もし夫を選べと言われたら、俺を検討してくれ」
少女の片手の甲にキスをする。そして立ち上がると、「風邪ひいてしまうね。早くみんなのところに行こうか」と言って再び歩き出した。
その後はお互い無言だった。
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次の日の早朝。少年は重たい体を起こして鏡をのぞく。
そこにはクマがひどい疲れきった男の顔があった。
(……寝れなかった)
昨日のことをモンモンと考えていたら寝れなかったのだ。
昨日、軍の訓練の様子を見に行った。軍の総司令官になったからという理由があるが、少女を見たいという理由もあった。
実際に彼女が見れた。しかし、いつチラ見しても彼女の隣にあのトルロ将軍がいるのが気に食わなかった。
(彼とよく話していたな……)
途中で雨が降り、急いで屋根があるところに避難させられたが、遅れて少女と将軍が来た。その時、何故か二人の雰囲気は雨が降る前とは違い、心がチクりと痛み出した。
二人のことを考えたら、今この有様だ。
(そろそろ行くか)
いつもの白い上着を着て、いつもの庭まで廊下を使って行く。
そこに着くと、まだ彼女は来ていなかった。
早く彼女に聞きたいことがある。そんな焦りを殺して、少年はあの大きな木の下に座った。木の下だから、昨日の雨で地面は濡れていない。
しばらくすると、ぴしゃっぴしゃっと濡れた地面を歩く音が聞こえた。
「おはよう」
「おはよう……って、クマ酷いな」
現れた少女の顔を見たら、真っ先に彼女の目の下に注目するほどクマが目立っていた。
少女は少し困った顔をし、苦笑した。
「そう言うあなたこそ、私と負けじとクマが酷いじゃない」
「まーな」
少年も苦笑する。そして「座れよ」と促した。
「あの」「なぁ」
彼女が座った途端、お互いの声がかぶる。
「…………どーぞ」
「いや、君の方から」
「いえいえ、身分の高いあなたから」
「……」
「……」
「……では。きみは……あのトルロ将軍ととても仲がいいのか?」
少女は目をぱちくりする。
「……え、仲良いように見えましたか?」
「よく二人でいるところを見かけるから。昨日だって、二人で訓練しながらおしゃべりしてたではないか」
「……あー……五年ぐらい共に戦場に立つ戦友だけど、特別仲がいいことはないかな。よく喋るようになったのも、最近だし」
「……そうか」
そう聞くとホッと、少年の心は少し軽くなった。
「もう終わり? ……次は私ね。あの、噂で聞いたんだけど……もうすぐ結婚するって本当?」
「えっ! あっ…………そうかも……しれない」
「……そっか」
そういえば、まだ相手を決めていなかったなと、少年は思う。
チラッと少女の顔を覗くと、彼女は無表情だった。
なんとも言えない気持ちになってくる。
その後は、時間がくるまでそんなに話はしなかった。
少年は部屋のテーブルに置かれていた三枚の姿絵を持つと、王の執務室にゆっくりと足を運んだ。
コンコンコンとノックすれば、「入れ」と声が扉越しに聞こえてきた。
「失礼します……少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「……ああ、婚姻についてだな」
王は動かしていたペンを置き、青色の瞳をこちらに向けた。
少年は小さく深呼吸し、唾を飲み込む。
「誰と婚姻するかを話す前に質問があります。女神の婚姻についてですが、何故私は彼女の夫候補に入っていないのでしょうか」
「……ほう」
「もし女神が王族と結婚するならば、この国は女神の加護は絶対であり強力な力になると思いますが」
「おまえも国のことを考えるようになったか。その考えについては私も考えていた。しかし、第一王子にはすでにアウドロント侯爵の令嬢と婚姻済み。おまえは病気で倒れた経験をもつ。……この国に必要なのは、強い者だ。体が弱いおまえでは女神との子供が生まれても、子供も弱かったら国はガッカリするだろう。それを考慮し、王族との婚姻は諦めた」
「……そうでしたか」
なんとも言わせない。そういう雰囲気を出す王にこれ以上少年は何も言えなかった。
一枚の姿絵を王に差し出し、「この方にします」と伝える。
「……すまんな」
「……え?」
急な切ない声に耳を疑った。さっきまで威厳のある声だったのに。
「おまえが朝早くから女神と会っていた話は知っていた。会ったときを境えにして、おまえが元気になってきたということも知っている。……だから、おまえがあの少女を特別視していることにも気がついていた」
「…………」
「私達は王族であり、第一に国のことを考えなければならない。……諦めてくれ」
「……」
その後、国宝のネックレスを他人に与えたことを国王に怒られた。
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それから第二王子の婚姻が正式に発表された。婿として他国に行くのは一年後となった。
早朝の逢瀬は一年後まで続いた。お互い何もなかったかの様に笑い合って、お互い癒しを求めた。
今日が最後の二人での早朝だ。
少女は着替えると、あのお守りのネックレスを首にかけ出かけた。
もうあの庭には少年が来ていた。
「……おはよう」
「……おはよう」
今日はいつもと違う雰囲気だ。お互いにそう思っているだろう。
「…………」
「…………」
「……最後だね」
「……最後だな」
「なんだか最初を思いだすよ。あの頃のあなたは私より小さくて、頼りなかった」
少女は「これくらいかな?」と自分の口元に手を横に置く。
少年は微笑んだ。
「それぐらいだっけ? 今では背が伸びて頼れるいい男になったでしょ」
「いい男って自分で言ってる」
「自覚できるくらいそうなってるから」
お互いに笑い合う。
ふと思った。笑うだなんて、この庭しか無いなと。
別れの時間が近づいてきた。そう感じると、少年はいきなり真面目な顔になる。
そして少年は、少女の耳に唇を寄せた。
「えっ、なに」
「……フィリックスだ」
「…………あなたの、名前?」
名前を教えるのは家族の間だけだ。家族以外に言うことは、プロポーズ。
しかし、彼は婚姻しているのでそれは違う。
「君に忘れなれたくなくて……ごめん」
スッと彼が離れる。
「……ずるい」
今度は少女が少年に近づいた。
「私はエレイン」
そう言ってすぐに離れた。
「また会う日まで……またね、フィリックス」
「…………君もずるいね。……またな、エレイン」
私は笑顔を作った。笑った顔を彼に覚えて欲しくて。
フィリックスも微笑んだ。ただ、少し眉を八の字にして。
次の日、少年は他国へ発ったのであった。
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十数年後、女神の子供フィリアと元第二王子の子供エリックが、他国で密偵同士で会い、後に吟遊詩人が歌にするほどの人生を送るのはまた違うお話。
最後に名前をカミングアウト。
悲恋? のような? 形になったのは私の力不足です。
最後までありがとうございました。