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解答篇

 

「入駒さん、ひとつ確かめておきたいことがあります。後藤という人物からの手紙が届き始めた前後、あなたの母親に変わった様子はありませんでしたか。どんな些細なことでもいいのですが」

 見目麗しい女子大生は、小鳥のような仕草で首をちょっと横に傾ける。「変わった様子ですか。特になかったような」

「後藤から届いた手紙のことを、あなたは母親に話しましたか」

「いえ、母を心配させたくなくてまだ何も伝えていません」幸の気丈さに、碓氷は感心したように頷いてみせる。それからもう一度、同じ質問を投げかけた。

「しつこいようですが、後藤の手紙の件が起きた前後で、母親に変わった様子は見られなかったですか」

「ううん、これといって思い当たるものは――あ、そういえば。本当に大したことありませんけど」

「どうぞ」

「最初の手紙が届くちょっと前、登山中の若者四人が山で遭難したというニュースをテレビで放送していたんです。それを見ていたときの母が、なんだかすごく深刻な顔をしていて。『誰か知り合いがいるの』と私がきくと、慌てたふうに『そんなことないわ』と否定したのですが」

「前置きが長いぞ、碓氷。そんなことが後藤の手紙とどう関係しているんだ」蒲生はテーブルの下で片足を小刻みに揺すりながら、探偵役の男を急かす。

「これからだよ。これで、僕の推測はすべて補強されたんだ。入駒さん、これはあくまで僕が勝手に組み立てた仮説で、警察のような捜査をしたわけでも私立探偵のように調査に出向いたわけでもない。まったくの机上の空論といってもいい。それでも、僕の話を聞いてくれますか」

「もちろんです。蒲生さんが太鼓判を押してあなたのことをお話していましたから。この手紙の謎について、碓氷さんならきっと納得のいく答えを導き出してくれるはずだと」荒野の中でたった一つ咲き誇る大輪の花のように、幸はにっこり微笑んだ。安楽椅子探偵もどきは椅子の中でもぞもぞと姿勢を改めながら、

「随分買い被られているようだけど、まあいいや――つまりですね、すべてに意味があったんです。手紙の差出人が『後藤』であったのも、呼び出した場所がピエロ像であったのも。もっと言えば、この手紙という手段にも後藤なりに意味を込めていたのかもしれない」一通目の手紙を開き、碓氷は教科書を朗読するかのように明瞭な口調で文面を読み上げた。

「『授業が終わり次第、駅前の逆さピエロ像にて待つ』。この手紙を書いた『後藤』は、手紙を届けた日に入駒さんに予定がないことをあらかじめ把握していたのでしょう」

「どうしてそう断言できるんだよ」幸の代わりに蒲生が反応する。碓氷は手紙を広げたままテーブルにそっと置くと、

「内通者に聞いていたからさ」

「内通者だと?」

「ああ。入駒さんの母親に、ね」

「え、あの。どういう意味ですか」幸が困惑の面持ちで碓氷を見る。蒲生はお手上げだと言わんばかりに両手を顔の横に持ち上げてみせた。

「僕の予想では、入駒さんの母親はあなたがいつバイトに行くかは把握していたが、バイトがない日に授業が何時に終わるかまでは知らなかった。だから、『授業が終わり次第』と手紙に書くしかなかった」

「つまり、後藤と入駒さんの母親は共犯関係で、後藤は母親を通じ彼女の予定を掌握していたと」蒲生は盛大に鼻を鳴らすと、オーバーな仕草で肩を上下させた。「とんだ想像力だな」

「あ、あの。碓氷さん。後藤と母は、一体どういう関係なんですか。もしかして、その、愛人とか」今にも泣き出しそうな顔の幸に、碓氷は焦ったように両手を体の前で振ってみせた。

「僕は、そんな下衆な推理はしていませんよ。入駒さんが後藤の手紙を見て、その指示に従ったことが証拠です」

 幸は小さく鼻を啜ると、長い睫に縁取られた両目を瞬かせる。

「あなたは、僕が手紙の指示に従った理由を尋ねたときに言いましたよね。手紙の文字に見覚えがあって、何となく懐かしい気持ちがしたと。合点がいくんですよ。この手紙を出した人物が、生き別れになった入駒さんの実の父親からのものである――という推理ができるとすればね」



「おいおいおい、冗談だろう。遭難した彼女の父親が生きていて、妻と内通していて、彼女に手紙を出していた? アンビリバブルにも程があるぜ、探偵さんよ」蒲生は舞台俳優のように両手を大きく広げた。隣の女子大生に手が触れないよう配慮したことはいうまでもない。「じゃあ、あれか。後藤が入駒さんを手紙で呼び出し家に近づけなかったのは、その時間、元夫婦が彼女の家で逢瀬を交わすためだったのか」

「僕の推理はそんな醜聞的(スキャンダラス)なものじゃないよ」碓氷は優雅な仕草で珈琲カップを持ち上げる。「言っただろ、すべてにおいて意味があったのだと。後藤はどうして、手紙なんて回りくどい方法で入駒さんを呼び出したんだ。彼女の母親と内通していたのなら、スマホの番号を教えてもらって非通知で彼女に電話をかけたほうがずっと楽だ。学務課の人間に怪しまれるリスクを負ってまでも、後藤は手紙という手段に固執した。つまり、入駒さんが手紙で呼び出された日は、後藤から入駒さんの母親への()()が入駒家に配達される予定の日だったのさ。その手紙を実の娘に見つけられないようにするために、こんな遠回りな方法で入駒さんが早く帰宅しないよう仕向けた」

 安楽椅子探偵の推理を放心したような表情で聞いていた幸は、やがて長い長い息を吐き出すと蚊の鳴くような声で言った。

「父は、どうして私を逆さピエロ像に呼び出したのでしょうか」

 碓氷は陶器のカップをソーサーに戻すと、手元に転がっていたミルク入りのプラスチック容器を手に取る。蓋の部分を下向きにして、入駒幸の目の前に置いた。まるで、それを逆さピエロ像に見立てるかのように。

「後藤の読みをローマ字表記にし、ひっくり返してみてください。ゴトウ。G、O、T、O。これを逆にすると、T、O、G、Oでトウゴウ――すなわち、あなたの父親の姓である東郷になるではないですか」



 これは碓氷が蒲生から又聞きした後日談であるが、東郷は雪崩に遭ったものの命からがら下山し生き延びていたらしい。だが、このとき妻とともに生命保険に入っていた彼は、「このまま自分が死亡したことにして妻子に保険金が下りないか」とサスペンスドラマめいた想像を巡らせたのだという。だが、事はそう上手くは運ばない。被保険者の生命保険は、行方不明者の場合、家族が家庭裁判所に『失踪宣告』を申し立てなければ下りないのだが、幸の母親が申し立てをしていなかったのだ。これは、母親が失踪宣告のことを知らなかったのではなく、「夫はいつか帰ってくる」と頑なに信じ続けていた故のことだった。それから長い月日が経ち、妻子の現在が気になって仕方なかった東郷はとうとう我慢できず入駒家に手紙を出す。たまたま幸がバイトで帰りが遅い日に手紙を受け取った幸の母は、手紙を幸に見られたら彼女が混乱することを懸念して、夫婦で秘密裏に文通を続けることになった――という、聞いた者も開いた口が塞がらないような結末であった。

 この話を碓氷に聞かせ終わると、蒲生は誰にいうでもなくぽつりと漏らした。

「入駒さんは、来るはずもない『後藤』を待ちながら、どんなことを考えていたんだろうな。まさか、父親のことが少しでも頭に浮かんでいたなんて奇跡的なことはないだろうが。でもさ、そんな話があってもいいんじゃないかって、ちょっとだけ思ったよ。そんな世の中のほうが生きている価値もあるってもんだろ」

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