脱・育毛剤?
R博士はある研究に取り組んでいた。それももう少しのところまで来ていた。なにしろ博士の研究しているものは、まったく痛みを伴わずにむだ毛を処理できる脱毛剤なのだ。
その原理は毛穴の奥深くまで最大限に拡げて引き抜くこと無く、毛根ごと毛が自然に抜け落ちるというものである。この研究が完成すれば世の中の女性たちから絶大なる支持を得られるだろう。
ある日、ついにその薬の試作品ができあがった。試しにR博士は、自分の腕にその薬をふり掛けてみた。様子を観察するため拡大鏡に目を凝らしていた。毛穴が徐々に拡がり腕に生えた毛がスルスルと床に落ちていき、やがて薬を塗った部分だけがツルツルの状態になった。そして、ちょうど5分後に再び毛穴は元に戻るのを確認した。
「やった、成功だ!」
R博士は歓喜の声で叫んだ。そして、次にこう呟いた。
「しかし、副作用がでることも考えられる。しばらくは、いろいろな部分で試してみよう。」
そう言って、R博士は自分の足や脇の下などに薬をふり掛けて数日間様子を観察した。しかし、副作用らしき症状は表われなかった。R博士はあらためて薬を眺めながら
「ここまで完璧にゆくとは! しかし、長い道のりだったな。おかげで私の頭の毛は薬を使わずともすっかり抜け落ち寂しくなったわ……」
R博士は鏡に映った自分をまじまじと眺めた。
R博士は自分の懐に莫大なお金が転がり込こむことを夢みていた。それは、自分が本来やりたい研究に資金を気にせず没頭したかったからなのだ。その研究とは、今の研究とはまったく逆の失った毛髪を再生させる研究であった。
R博士は、完成した薬を一刻でも早く商品として売り出し、その研究のための資金が欲しくなった。
「こうなると早くこれを世に知らしめ、販売してくれるパートナーが必要だな。」
R博士は研究者である。完成した薬を宣伝し販売することにはまったくの素人なのだ。
早速、幾つかの製薬会社や化粧品会社に電話をかけてみた。だが、やってきたのは小さな製薬会社ただ一社だけであった。
R博士がいくら電話口でその薬の素晴らしさを説明したところで、発明を信じてもらえなかったのだ。ただ一社を除いては……。
もっと、たくさんの会社がやってきて盛大に研究の発表をするつもりだったR博士は、いささかがっかりした。しかし、気を取り直しその一社の担当者に向かって口を開いた。
「この薬の素晴らしさは電話で申し上げたとおりです。それを実証してご覧にいれましょう。」
そう言うと、R博士はおもむろに担当者のN氏の腕を掴み薬をふり掛けた。すると、しばらくしてR博士の腕のようにN氏の腕の毛は抜け落ちツルツルの状態となった。
R博士は得意げに、
「どうです。この薬の効果は? 毛を引き抜くのではありませんから肌を痛めることはありません。もちろん副作用の心配もありません。自分の身体で実証済みですから。」
N氏は、驚嘆してこう申し出た。
「これは、物凄い発明ですね! まさに世界中の女性が待ち焦がれていた夢の、いや魔法の薬です。これは全世界で大ヒット商品となるでしょう。確かに我が社は今は小さな会社ですが、この薬が世界有数の会社にしてくれると確信しました。ぜひ契約をお願いします。」
そこまで言われるとR博士も上機嫌となり、
《世界中で大ヒットする商品か…… 私を信用ぜすにここに来なかった他の会社より信じてくれたこの会社に任せよう。》
「わかりました。御社にお任せしよう。ただ契約内容については……」
R博士がそこまで口にした時、N氏はそれをさえぎってこう言った。
「わかっております。博士が発明したのですから特許をお取りください。わが社は商品化するための費用とマージン程度で結構です。売り上げの3割をわが社が頂き、7割が博士ということでいかがでしょうか。ただし、わが社と専属の契約をお願いします。」
R博士もその条件を快諾した。
こうして、R博士の発明した薬は『脱毛剤』として商品化され、世の中に出回った。始めは小さな会社のため宣伝効果は薄かったものの、次第に口コミで商品は売れ出し、ついには製薬会社のN氏の言ったとおり、世界中での大ヒット商品となったのだ。こうして、R博士の元には次の研究をするためには十分過ぎるくらいの資金ができた。
しばらくして、製薬会社のN氏が現れた。
「博士、おめでとうございます。そしてありがとうございました。あの時、私を信じて任せていただいたおかげで我が社も大きく成長することができ、私も昇進することができました。」
「お礼を申し上げるのはこちらの方です。他の会社が信用しなかった私の発明をただ一社信じてくれたのですから。おかげで私も次の研究に没頭することがでます。」
そう言いながら、二人は薬をまじまじと眺め、乾杯でもするかのように掲げて祝福し合った。
「あっ!」
その瞬間、R博士の掲げていた薬が手からこぼれ落ち、薬が博士の頭にふり掛かってしまった。わずかに残っていた博士の毛髪はすっかりと抜け落ちてしまったのだ。
「……!」
「……!」
R博士も製薬会社のN氏も言葉を失った。
しばらくして、N氏が恐る恐る口を開いた。
「博士、この薬の効果はちょうど5分でしたよね?」
絶望の淵に打ちひがれたR博士は、
「ああ…」
と言うのが精一杯であった。N氏は続けて言った。
「では、5分以内に毛穴に戻せれば、またくっつくのではないでしょうか?」
「なるほど!」
R博士はツルツルになった頭に再び薬をふり掛け、拡大鏡で毛穴を覗きこみながら、抜けた毛髪の一本を差し込んでみた。そして5分が経過した頃、そっと毛髪を引っ張ってみた。
「抜けないぞ! くっついている!」
R博士は小躍りして喜んだ。そして、抜け落ちた毛髪を薬を塗っては挿し込む作業を時間をかけながら丁寧に繰り返した。
こうして全ての毛髪を戻し終えた時、R博士は閃いた。
「そうだ! この方法があった!」
N氏は何のことかわからず、ぽかんとしていたが、R博士は続けて言った。
「私の次の研究はもう、完成していたんだよ!」
「博士の次の研究とはどんなものだったのですか?」
N氏が聞き返した。
「おお、そうだった。まだ、君には言ってなかったな、実は抜けた毛髪を再生させる研究をしようとしていたのだよ。」
「博士、お言葉を返すようですが、今のは生えていた毛髪を戻されたのであって再生したわけではないでしょう?」
すると、R博士はこう切り出した。
「確かに今のはそうだ。しかし、毛髪が抜ける原因のひとつは男性ホルモンと関係がある。そして、私のように毛髪の少ない者に限って髭が濃い者が多いだろう。この髭を薬で抜いて、更に今の要領で頭に植えたら……」
R博士が全てを言い終わらないうちに、N氏も言いたいことがわかったようで、
「博士、今度は『育毛剤』として売り出しましょう。今回は私のアイデアも貢献したのですから、取り分は半分ずつでいかがでしょうか。」
「わかっているとも。でも、その前に私の髭を抜くのと頭に植える作業を手伝ってくれたまえ。」