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命の鎖  作者: 雨偽ゆら
因縁
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『吹雪 契 1』

「――これで、平成……年度。卒業式を終了致します」


 在校生が拍手をしながら、桜吹雪の中を歩む卒業生を見送る。

 私は幸せな学校生活を終えた誇らしい生徒がいなくなってゆくのを、嫉妬深く見つめた。


 ――今年も私は卒業はできなかった。


 同級生が心残り無く去っていった教室は、空っぽなはずなのに……私だけがぽつんと取り残されていた………。


「私は一生卒業できない運命なのかしらね……」


 何者かはわからないけれど、校長や理事長のような権力者による仕業なのは間違いない。

 退学は許されず、学校という牢獄に囚われて続けている。


「この学校……随分と悪趣味な人がいるわね……」


 卒業する方法を考えても答えは出ず、仕方なく思考は諦めて行動に移ることにした。


 職員室の中へ愛想を振り撒きながら侵入する。優等生を抜きにしても、先生達のお気に入りとなれるような笑顔を浮かべる。

 注目が集まり、ザワザワと話し声が広がる。


「あれが噂の……」

「今年で何年目だ?」

「それ以前に、あの方は何を考えているのかしら?」


 ざわめきに負けないよう、大きく息を吸い込み、声を張った。


「先生方、どうして私だけがいつまでも卒業できないのかわかりませんわ!」


 なるべく職員室中に行き届くような大声で喋る。すると、先生達は突然左右に分かれ、道を空けた。

 前担任である彩和月先生がその道を歩んでくる。何かに酷く怯えている様子だった。


「ごめん、なさい……校長の命令で……」


 他の先生の視線に気づき、彩和月先生は口をつぐんだ。上からの圧力には、やはり逆らえないらしい。


 ――校長は、きちんと話し合えばわかってくれるかしら?


「は、晴河さん……?」


 彩和月先生が恐縮しながら様子を伺う。


「わかりました。また来年もよろしくお願いします」

「え、えぇ……」

「失礼しました」


 ぺこりと頭を下げ、職員室から出た。

 何もできないのが悔しくて、情けなくて……流されるままの人生には吐き気さえ覚える……。

 涙を隠すように、腕をいっぱいいっぱい振りながら帰路を走り抜けた。


 ――バンッ!


 寮のドアを勢いよく開き、自室のベッドに飛び込む。


「くそ……くそっ!」


 拳を、皺々になったシーツに叩きつける。何度も何度も、怒りの感情をぶつける。

 もどかしい気持ちに駆り立てられ、大声で情けなく泣いていた。親とはぐれてしまった、迷子のような感覚。


「なんで私だけ……こんな目にあわなきゃいけないのよ……っ!」


 布団をくしゃくしゃにしながら顔を埋める。こんな境遇で、助けを求められる友人や信頼できる人なんているわけがない。


 ――それに、本当は理由なんてわかってる。


 数年前に両親とは死別してしまった。身よりのない私はこの学校に引き取られた。間違えても家じゃない。学校なのだ。

 私で実験するためだけに引き取ったらしく、内容も明白になっている。


『人はどれだけ勉強すれば完全に記憶できるのか』


 その疑問の為だけに連れてこられた。私は孤独に耐えながら、ただただ結果を待つしかない。

 どれだけ望んでも、私は私……何もできない幼い少女でしかない……


 一回り大きな体を持つ大人が相手なら、例え刃物で襲っても、素人の私が確実に殺すのは難しい。

 ましてや校長は男。もっと確証のある方法でなければ返り討ちに遭ってしまう。


 でも、こんなところでずっと暮らすつもりなど毛頭無い。私は、好きな人と共に過ごしたい。


 ――自由になりたい。


『お主は永久に閉ざされた牢獄生活の運命に抗えんぞ』


 突如聞こえた子供の声に驚き、反射的に後ろへ飛び退いた。


『あ』


 逃げた位置が悪く、タンスの角に頭をぶつける。


「……ったぁ~!」


 頭を抱えながらジト目で相手の姿を見た。

 着物姿の幼い少女が、腰を下ろしている私に向けて手を差し出してくる。その顔には無邪気で明るい笑みがあった。

 私は手を重ねようと少女のほうへ伸ばす。


『もう一度聞くぞ……』


 少女の雰囲気が変わり、氷塊のごとき冷ややかな声にピタッと動きを止めた。


『運命に抗いたいか?』


 ごくりと唾を飲み込むと、赤子に触れるように丁寧にその手を取った。


 未来と過去の人生を天秤にかけた時、この生活と別れを告げられるなら、それ以上に揺れる重りなどなかった。


「私は自分で未来を手にしたい」


 満足そうに少女は頷いた。私の行動は間違えていないと、肯定してくれたようにも思えた。


「……私は晴河栞よ」

『栞か。……よい名じゃ』


 少女は静かに目を細めた。


『お主にはきる使命を与えるが――』


 蜘蛛の巣に捕らわれた、憐れな虫を見るかのような少女。


『同時に罰として――不老不死の力も与える』

「つまり不死身……?」


 何故不死身は罰という扱いなのか首を傾げた。 不老不死に憧れを持つ者は多い。なのにどうして……?


『どうするのじゃ?』


 再度問われたが、私の中の決意は変わらなかった。


「契約するわ」


 凛とした声で返事をし、胸の前で小さく拳を握った。


「私は、自分の手で必然から脱してみせるわ!!」


 自由を解き放つためにも、私は私自身の力を信じて契約に同意した。


『決まりじゃな……』


 宙に綴られていく光の文字に目を移すと、契約の条件が少しだけあることに気がついた。




――其ノ一、自身ノ名デ血判ヲ示セ


――其ノニ、誓イヲ忘レル事ナカレ



 下のスペースに最後に浮かんだ名前の項目。


 私は偶然持ち歩いていたカッターナイフで指を微かに切り裂き、そこから溢れ出した赤い雫が指の腹を覆うのを待った。

 悔い、迷い、戸惑いなんて言葉は無く、ただそれが自分に課せられた使命だというように、躊躇いなく名を記した。


 蜘蛛の獲物が糸から逃がれようともがくのと同じ……私は私の使命として、操り人形の糸を切り、自由になるんだ。

 小さく色白の手のひらが契約書に触れた。


『契約成立……お主に与えた力、好きに使うがよい』


 私は幸せの可能性が詰まった宝箱を発掘したかのように、鮮明で心が休まる笑顔を浮かべた。


「さて――」


 私はきゅっと髪を結わき、暗闇の中で目立ちにくく、血も映えることがない濃い色の服に着替えた。

 ドアを開き、出かけようとした瞬間に背中に声が降りかかる。


『行くのか?』


 玄関に置いてあったキャップを深く被り、目を伏せながら答える。

 何でもないように……そして、つまらなそうな態度で。


「ええ。ちょっと散歩してくるわ」


 獲物を発見した獣のようにニヤリと黒く笑う。


「お土産を持ち帰ってあげるわ……味の保証は無いけれど、いままで食べたことがないようなお肉でも……」


 ゆっくりと手を交差させ、ばつ印を見せると、幽霊は肩を竦めた。


『喰えぬのはお断りじゃよ』


 幽霊はそのままほわほわと飛んで消えてしまった。


「自信……ないなぁ……」


 珍しく弱音を吐き、知らず知らずのうちに高慢な自分を心の奥に追いやっていた。

 私の中に広がったのは激しい緊張と嫌悪感。


 でも――どうせ死なないなら、失敗なんてしないもの。

 これだけは確信を持って言うことができる強がりだった。



         ☆☆☆



 もうすぐ朝焼けが見えるだろう時間帯だが、まだ校長は職員室に残っていた。

 ある一枚の答案用紙の丸つけをしているらしい。慣れた手つきで楕円を描いていくのを見て、違和感があることに気がついた。


 ――バツが1つもついていない?


 単眼鏡を使って覗き込むと、不正解があるにも関わらず満点となっていた。

 名前の欄を見ようと動いた瞬間、突如レンズが黒く染まる。ほんのりと、柘榴の香りがした。


「あれれ~?なんでこんなとこにいるのです?」


 声がしたほうへ振り返ると、ふわふわと長い髪を揺らしながら小首を傾げる少女がいた。


「実験動物さんがなにしに来たのですか?」


 天使のような可愛らしい笑顔のまま不快な言葉を使われた。本当に、女の子らしい女の子といった感じで、普通の制服にフリルやリボンを縫い付け、その感覚は増していた。


「お父様の邪魔は、めっ!なのですよ」


 人指し指を立てながら、口を尖らせて少女が警告する。いかにも華奢で、ひ弱そうな印象だ。


「貴方のお父様に用事があるのよ。だから、ちょっとだけ……」

「お父様に近づくなと、遠回しに言ってるのがわからないのですか?……って、無理でしょーね。コソコソ脱走してる鼠さんには」


 小柄でおとなしそうな外見とは似つかわぬ性格に、私は目を見張った。例えるならば、毒リンゴや薔薇だろう。


「よ~く知ってるのですよ?晴河栞」

「名前までっ……あなた、何者……?」

「せつも自己紹介をした方がいいのですね」


 少女はスカートの裾をつまみ上げ、ぺこりと会釈する。


吹雪契(ふぶきせつ)というのです」


 お淑やかな雰囲気を醸し出しながら優雅に挨拶され、つい気が緩む。


 ――でも、せつなんて名前聞いたことないわ。もしかして、新入生なのかしら?


「重要なのはここからなのです」


 契は胸ポケットを飾るかんざしを取り出し、先端についたプラスチックのカバーを外した。

 鋭い針が露になり、私は顔をしかめた。


「目撃者は……ただでは帰さないのですよ……?」


 板張りの廊下の中で、妙な隙間がある場所を勢いよく踏むと、板が引っくり返った。

 飛び出してきた弓を掴み、かんざしを矢の代わりにかけ、力強く引いた。


 もちろん契が狙うのは私。しかも標的は鎖らしい。


 私は咄嗟に部屋から持ち出したカッターナイフを前に、一歩足を踏み出す。すぐさま契の脇まで駆けた。


 契は目元だけ狐のように細長く弧を描いたが、それ以外に笑顔の要素は無かった。

 回れ右し、体勢を少し低めてかんざしを射る。

 驚くことに鎖が切れることは無かったものの、雷電のような小さな亀裂が入っていた。


 切ることができる能力は確か私しかもいないはず。でも、傷つけることは見える人間ならば誰でも可能だった気がする。


 ――確証がないのは困りものね。


「驚いたの。せつのかんざしには師匠から教授してもらった、腐蝕効果が高い酸性の毒素が塗ってあるけれど……まったく効いてないみたいなのです」


 目を見開きながら契がぼやく。


 私は背後をとられないように壁際に寄った。その瞬間、きらっと契の目が輝いたように見えた。


「まんまとはまったので~す♪」


 契は弓の端で壁の窪みを押した。天井の一部が開き、剣の雨が降ってくる。


 私はかわすことなど出来ずに服をボロボロにし、体を血だらけにして倒れた。


「飛んで火に入る夏の虫といった具合に、せつにとってはよゆーなのですよ♪」


 いかにも楽しげな様子だと思えば、致命傷で横たわる私の体で飛び跳ねた。まるでトランポリンのような扱いだ。


「んぐっ……がっ……!」


 圧迫しているせいで肺にきちんと空気が入らず、着地される度に骨が軋む音がする。


「呼吸したいのならせつのわんこになりたいってお願いするのですよ」


 苦しい、痛い、怖いとは思うものの、私のプライドが折れることはなかった。


「わた、し、は……け、ない」


 私の声に反応し、契はちょこんと正座した。もちろん私の上で。


「もう一回言ってほしいのです」


 高い声を響かせて問う。私にとって、屈辱的な回答をしたと思ったのかもしれない。けれど、そんなことあるわけないわ。


「私は、負けない!」


 沈黙の時間がゆったりと流れる。


「そ……」


 見下すような視線を私に浴びせながら、契は液体の入った小瓶を投げてくる。

 小瓶が音を立てて砕け散った。周囲に鼻が曲がるほどの悪臭が放たれる。それと同時に全身の神経が麻痺し、小刻みに震えだした。


 呼吸困難に陥っている上に自由の利かない手足を動かして、必死に床を這った。


「うぐっ……」


 逃亡を計る私の足を力強く契が踏みしめる。


「だーかーらっ!逃がさないのですよ♪」


 苦痛で情けない表情になる私を嘲笑い、契は何か閃いたように手を叩いた。


「確かうちのクラスの雨原茉が好きとか。特別に目の前で殺してあげるのですよー」


 朗らかに唱えられた残酷な一言に、腸が煮えくり返った。

 カッターを強く握り締め、痺れに耐えながら床に弧を描いた。契の足をがっちりと掴む。


 弧から延長として切り傷が円に広がり、床がすっぽりと抜ける。

 契の体を引き寄せて強く抱き抱える。頭を契の胸に当て、足を絡めながら急降下を始める。


「お嬢ちゃん、倒すなら相手の能力を徹底的に調べなきゃだめよ?」


 体重を契に預け、一つ下の階に落ちた。


 ――ボキッ


 何故か、私の骨が何本も砕ける音が響いた。


「っ……!」


 胸が張り裂けるような苦痛に襲われ、視界には胸やあばらを深々と貫く包丁があった。

 見知らぬ人影がいくつも目に入る。


「せつに贈られた言葉……そのまま返すのですよ」


 そっと囁かれた言葉は明らかにこの世の声とは思えないほど恐く、寒かった。視界が失われたからか、なおさらその恐怖が増幅される。


「せつはただ、身の程わきまえろってんですよ……」


 私は包丁で胸から腹にかけて斬られ、口から血を吐き出してしまう。


 そんな私の脳裏に写っていたのは、優しく微笑む雨原茉の姿……

 私が一目で惚れた人の、一番幸せそうな笑顔だった。


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