『雨原 レイ 3』
傍観することしかできない僕は、ヨウと造が戦う姿に胸を痛めた。造は悪戦苦闘気味に見える。
ヨウが小刀を振りかざすと、造は即座に短刀で十字になるように受け、押しやる。腕力や筋力はややヨウが上回っているようだ。
だが、その隙にもう一つの小刀が襲いかかる。慌てて空いた手と口を使い、鎖を張って受け止めた。
どちらか一方の小刀を止めた隙に、もう片方も攻撃に移る。防御だけで精一杯な状況下と言える。
発砲音がしたと思えば、ヨウの刀に当たっていた。弾かれたように刀の軌道がずれ、造の脇に落ちる。
格好の機会を逃さぬよう、腹を膝で思いきり蹴った。後ずさったところで鎖を刀に巻き付ける。
鎖を引っ張ると、ヨウはあっさりと小刀を手放した。
刀を放したことで造は気が抜けていた。
「造っ!!」
「えっ?」
油断していたつもりはないのだろうが、ヨウの投げた手裏剣により、鎖を切られていた。硝子のような音を立て、破片が散る。
すぐさま造の手首についていたミサンガが鎖に変化する。
「危なっ!」
造は後ろに退き、短刀を構え直す。
シュウは下手な鉄砲数打ちゃ当たるとでも言うように、ヨウへ連射を続けていた。ヨウはそれを間一髪のところで避けている。
そして、服の中から新たに刀を取り出した。今度は小刀ではなく、太刀である。
弾が切れかけ、補給しようとした時、その一瞬でヨウはシュウとの距離を縮めていた。
シュウは冷静だった。微かに笑みが浮かんでいるほど余裕綽々だ。 あと1メートルほどで刀先が届くところでシュウは動いた。
弾倉を抜き落とし、リフティングの要領で膝で拾う。その後、突っ込んでくるヨウの顔面目掛けて蹴り飛ばした。
急な動きに対応できず、ヨウは額でそれを受ける。
シュウは速効で銃に新しい弾倉を装填していた。
太刀の刀身が、シュウではなく虚空を切り裂いた。
「こんな近くなら、殀でも回避できないだろ?」
ヨウの額に容赦なく撃ち込む。ただ、衝撃はあれど、赤くなることも、傷ができることもない。けれども気絶させるには充分だったようだ。
武器を取り上げ、ヨウのことを鎖で拘束する。驚くことに服のあちこちから、多数の刃が発見された。
「没取した武器、量おかしくない?」
造が苦笑しながら呟く。
「ヨウって動く刃物店て言われてて、学校にもたくさん持ってきてるんじゃなかったっけ?」
他人事のようにシュウに振った。造は未だに連とレイちゃんが同一人物だとわかってないらしいので知らんぷりだ。
「そーそー」
軽くシュウが返事することにより、造がシュウのことを殴る。
「女の子にはもっと優しく!適当な返事は認めません」
「レイちゃんはそんなん気にしてないし」
「そんなことないよね?」
にっこり聞かれてただ頷くことしかできない。シュウも逆らうことがデメリットにしか繋がらないことに気づき、頭を下げた。
「悪かった」
「ちゃんと自分が悪いって自覚しないとね」
造の『悪い』という単語に、ヨウが僅かに反応した。
「………………ぃ」
虫の羽音より小さな声で聞き取ることは困難だった。
「……知ら、なぃ」
ヨウにしては弱々しい反抗的な言葉が、うなされながら眠る口から出た。
「お、れは……悪くない……」
僕はヨウの中での葛藤が目に浮かび、強大な不安感を抱きだしていた。
寝言が汗と一緒にポロポロとこぼれ落ちていく。
「呪われた名前なんて……」
そう、『殀』は呪われた名前。昔からヨウの中にある大きなコンプレックスはこれだった。
母親が付けた名前。
だがヨウは
――父親の愛人の子供だった。
きっと、僕は知らぬ間にヨウを追い詰めてしまった。
たった一言で、心を粉々になるくらい引き裂いた。
このどっしりとした重い罪を、僕はどうして忘れていたんだろう……
両手両膝を地に付けながら後悔や過ちを頭の中で多々再生する。
涙が頬をゆっくりと流れ、地面ににじんだ水玉模様が浮かんだ。
「え……れ、レイちゃん??」
造がぎょっとしながら目を見張る。
黙って立ち上がり、服で涙をぬぐった。
うっすらとヨウが目を開く。
「あ……ヨウ……」
シュウがさりげなく僕の前に立つ。大きな頼りがいのある背中は、何かを背負っているように見えた。
「これで俺を捕まえたつもりか……?」
寝ぼけたようなトロンとした、黒い濁りのある瞳で嘲笑するヨウ。
――みしっ……
鎖が悲鳴のように音を立てた。シュウと造は静かに身構える。
ヨウの手が触れていた鎖が、あっという間に砕け散ってしまう。
「動いたらこれ、燃やすからね」
造は鼻をつまみ、体から離した状態で例の紙袋を持っていた。
ヨウは血相を変え、怒鳴り散らす。
「触るなっ!それは、俺だけのものだ!」
ヨウの手にしていた黒く煌めくものが紙袋の持ち手を切った。
紙袋は地に落ち、熟れた果実が潰れるような音が響く。衝撃で倒れ、中身がコロコロと転がり出た。
それはヨウの母親だった。
とはいえ、血塗れの状態で腐敗しているため、人の顔だと判断するのに数秒の時間がかかった。
ヨウは髪がほぼ抜け落ち、毒々しい空気を纏う頭を見下し、声を出して笑う。
「くくっ……はははははっ!」
――狂ってる……
母親に虐められ、疎まれ、憎まれ続けていたヨウ。いつかは爆発すると思っていた。
でも、こんな最悪なタイミングで暴走するなんて……
ヨウは靴に隠していた手裏剣を指で挟み、投げつける。手裏剣はロウソクが溶けた時のような、ぐちゃぐちゃになった頭に突き刺さる。
頭蓋骨の破片が土に散らばり、血飛沫が空中を赤く染めた。
周囲のことなどお構いなしに、ヨウは母親と二人だけの世界に入っていた。
「俺は本物じゃなくても……母さんが好きだったんだっ……!」
腐蝕が進む頭を何度も何度も踏みつける。母親に対する想いが、痛めつけることで狂喜になっていく。
そんなヨウから目を逸らすため、造は目を両手で被った。
「殀……ホントにどうしちゃったの……?」
普段の性格とのギャップ差に、造の表情は怯懦一色だった。
自分を散々苦しめ、地獄の生活に落とした母親。その亡骸を跡形も無く壊すことに快感を得ているのかもしれない。
背中を向けられたが、表情なんか見なくてもわかる。鼻歌も聞こえるくらいだ。
ヨウの今までで一番晴れやかな笑顔は、たった数分で不気味な凶器と化していた。
「逃げちゃ、ダメなんだよね。それじゃあ殀を助けられない……」
勇気を出して、造は真っ直ぐヨウのことを見つめた。
「ねぇ、殀……」
届くか不安になるほど小さい声だが、ヨウは足を止めた。
「どうして教えてくれなかったの?友達……なのに……」
歯を食い縛り、情けなさを噛み締めながら囁く。友達という言葉に、ヨウは造へ振り向いた。
「そりゃ、レイちゃんみたいに昔馴染みでも、連みたいに何でも話せる親友でもないかもしれない……」
落ち込みながらもはっきりと言葉を綴っていく。時間と絆は、決してイコールではないとでも言うように……
「あたしだって、殀の親友だもん!」
――パキッ
何か割れる音がした後、ヨウはへなへなと腰を抜かし、砂地に膝をついていた。ヨウの命の鎖から、黒い靄のようなものが出ていく。
茫然とした表情を浮かべるヨウ。瞳から溢れた涙が頬、血色の服を流れていった。その涙で、罪を洗い流してしまえたらどれだけ良かっただろう。
「俺が……母さんを殺した……のか?」
震え上がった声は上擦っていて、自分の行動を否定したいと言うようだった。
子供の頃から一緒に居るシュウと僕でさえ……
ヨウが号泣する姿を初めて見た。
☆☆☆
「待ちなさいよっ!」
息を切らせながら、私はある人影を追っていた。
「嫌じゃ」
逃げるのは観客として過ごしていた幽霊だ。けれど、私にとってはそれだけの関係ではない。だからこそ逃げられると余計に必死になるのかもしれない。
「あれは管理者の仕業なんでしょ!?」
幽霊はようやく止まり、くるんと回った。着物の袖と裾がふわりと舞う。
「確かに……ヤツの行動は本来の使命から外れとるのぅ……」
「でしょう!」
「じゃが、いつものことであると思ってしまうのじゃ」
多少悩む素振りを見せるものの、一向に返事がこない。
私は静かにため息をつくと、幽霊へ顔を向ける。
「……やっぱり、あの女なのね」
思い出したくないのか、記憶から綺麗サッパリ消し去りたいのかはわからない。ただ、私はその女をひどく嫌い、憎しみさえ持っていた。
「教えて、ヨカノ」
心を荒らすようにザワザワと木々が揺れた。落葉が私の表情に陰鬱な影を作る。
「他人に害や不幸をばら蒔くような、悪知恵が働く醜悪さ。それにあの香水……」
幽霊はニヤリと意味深な笑いを作ると、1つの巻物を取り出した。巻物を広げながら、幽霊はそこに載っている名前を読み上げる。
「雨原連、雲月造、晴河栞、風野集、嵐里殀、雨原茉、霰咲鞠、そしてお主が捜す吹雪契……これが今の管理者じゃ」
管理者の名前として出てきた吹雪契。昔の因縁を考えれば、裏で糸を引いていたのは、まぎれもなくこの女。
きっと殀君の鎖に狂気を『きざむ』ことで、今回の事件が起きたに違いないわ。
――あの日、私を貶めたのも、あの女だったもの……
☆☆☆
私は気がつくと、みんなの元へとぼとぼと歩いていた。
「あっ!栞!」
殀君の涙をハンカチで拭き取りながら、雲月ちゃんが私に声をかけた。どこか嬉しそうな表情を浮かべている。
「晴河さん……」
さっきの行動が敵前逃亡とみなされたのか、集君から批判的な視線が注がれる。
レイちゃんは自分の手を眺めながら、ボーッとした様子だった。
「ヨウがおかしくなったのは、やっぱり管理者が原因?だとしたら、鎖についてた黒い靄は一体……」
微かな呟きだったけど、私は見逃さなかった。やはり吹雪契は黒のようね。
舌打ちをしてから、忌々しい名を思い出し、空を睨む。
「使える能力、後で一通り試してみるか」
一瞬レイちゃんから聞こえた低い声は連君にそっくりで……というか、もはや本人だとしか思えなかった。
「晴河、造には黙っとけよ?」
唇に人差し指を当てながら、レイちゃん――連君は爽やかに微笑んだ。
『雲月 造
くもつき そう』
性別…女
年齢…15才
得物…竹刀、鎖
思い人…雨原連
住所…結城アパートの203号室
壁が破壊されたせいで栞と同居する羽目に……
監視のつもりだったものの姉妹のように仲良くなりつつある。
造の意味は読み通り「つくる」。