『雨原 連 1』
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、今は造と二人並んで後片付けをしていた。
家には僕の手伝いをする造と、ベッドで眠るヨウしかいない。
部屋の中はほぼ無音で、ヨウの寝息が聞こえることがあるくらいだ。
気まずい沈黙に心臓の音がやけに早く大きく聞こえる。落ち着かない緊張の中、勇気を出して口を開いた。
「造。使命って一体な――」
「洗剤取ってくれる?」
質問を遮り、冷たく呟かれた。詳しいことは聞くなという警告なのかもしれない。
「知らないほうが……いいのか?」
造は洗い物をしていた手を止め、無言のまま頷く。
洗剤から発生した泡がふわふわと空中を歩き、今にも泣き出しそうな造の顔を映す。
「…………ごめん」
一度首を振った造は僕の目をじっと見つめた。すぐに視線を泡まみれの手に落とす。
「いつか――連が役者だと自覚したら話すね」
絵本を読む老人のように、ゆっくりと約束を誓う。
「脚本にはない、あたしの裏設定を……」
結局、たいした事情が聞けないまま造は帰っていった。
時計を見ると、もうすぐ日付が変わろうとしている。
「ヨウ、そろそろ帰れよ」
僕のベッドでぐっすりと眠るヨウの体を揺する。
「…………やだ」
シーツを両手で掴み、寝起きの子供のように布団にしがみついている。
「またお母さんとケンカ?」
「ん……」
ヨウはそっぽを向きながら返事した。枕に顔をうずめ、動かない。
「お前も母さんも……マチ兄だって、ここ数年で変わった」
ヨウの言葉は事実であるが故に重たい。
「母さんは父さんを殺して、マチ兄はこの街を出ていくって言い出して……」
茉兄さんは僕とケンカをして出ていくことが多々あったけど、数年も家をあけてなんかいなかった。
「ま、一番昔と違うのはお前だけど」
小さくため息をされる。が、腹は立たない。
「真似なんてさ、やめたらどうだ?」
「嫌」
短く答えると白い目で見られた。
ヨウは枕を掴んで持ち上げる。枕の下にはたくさんの写真があった。
「自分には嘘つかないほうがいいぞ」
僕は何も言えず、黙り込むだけだった。
☆☆☆
夜が明けてもヨウは部屋にいた。
……というか、何故か僕の布団に潜り込んでい
「きゃああああ!」
珍しく女のような高い声で悲鳴を上げると、布団を剥ぎ取って床に向かって蹴落とした。
「いってぇ!」
頭を撫でながらヨウが睨んでくる。
「な、なななんで僕のベッドにいんだよ!マチ兄の使ってくれよ!」
「やだ。人がいるほうが温かい」
ぴったりと僕にくっつくヨウを引き離そうとじたばた動く。
もちろんそんなことじゃ放れないけど……
「レンは正直になったほうがいい」
言葉が胸に突き刺さる。
「お前が心配で……俺は……」
背中からほんのりと熱が伝わり、自分の鼓動が加速しているのを感じた。
そんな時ガチャッとドアノブが回され、ドアが外側に開いた。
「連のごはん作ってき」
姿を現した造は蓋のないおなべを抱えたまま硬直していた。
「き……」
「「き?」」
ヨウと二人で聞き返す。
「きゃああああぁっ!」
本日二回目の悲鳴がアパート中に響き、小一時間ほど苦情は絶えなかった。
驚いたのは朝早くなのに集と栞さんも来たことだ。
集も栞さんも一言「うるさいよ」とだけ残していった。
ただ、造の説得には軽く3時間ほどかかった。
「二人はその……ば、薔薇な関係なのっ?!」とかわけがわからないことを言い出して焦った。
――誰が植物なんだよ。
とりあえずヨウが精神科や脳外科の病院を教えていたせいか、造はすぐに落ち着きを取り戻した。
「そんなことより……また悲鳴聞こえたの」
「今度は誰が勘違いしたんだー?」
ヨウは僕と造に散々暴行――僕ら的には正当防衛のつもり――をされ、ぐったりと地に伏せた。
「ヨウが悪い!」
「そうだよ!」
「俺が悪かったよ」
僕らの反論をヨウは素直に受け入れた。
「それより、悲鳴って?」
「深夜に晴河栞の部屋から男の悲鳴が聞こえたの……」
意外にもヨウが興味を示す。
「悲鳴?晴河先輩の部屋から?」
オカルト関連の話は全く信用せず、人殺しなんて言葉が心の辞書に載っていないようなやつが、だ。
ちなみにヨウはミステリーや怪談の番組をよく避けるから、単なる怖がりなのかもしれないけれど。
……て、あれ?
「晴河のこと知ってたのか?」
「風紀委員長の晴河栞先輩だろ?そりゃ知ってるってーの」
――あの人、風紀委員長だったのか……
意外な事実に茫然としていると、ヨウがとてつもな く目を輝かせていた。
「今夜雲月の部屋で張ってみようぜ!」
「は?」
「えっ?!」
僕も造も乗り気になれなく、ひたすら拒否を続けたが、見事に根気負けとなった。
☆☆☆
――プルルル……プルルル……
『もしもし?』
受話器の向こうから、疲れてぐったりとした声が漏れた。
リダイヤルした先は集の携帯。せっかくだからいつもの4人で集まろうという話になったからだ。
決め手となったのはヨウの言葉。
『お前のハサミ研いでやるからさ、一緒に張り込みしようぜ!』
――いや、べ、別に、買収されたわけじゃないし……
ちなみに造への一言は『協力しないなら、もう昔の話しないかんな!』だった。
これについては意味がわからないけれど、ものすごい衝撃を受けていたようだ。
「実はかくかくしかじかで……」
適当に諸事情と張り込みの動機を話す。黙って聞いてくれるところがありがたい。
『……まあ、ヒマだし行こうかな』
力も元気もない返事だが、なんとなく心は暖かかった。
「うん!待ってる!」
通話を切ってからもドキドキは止まらなかった。
「やっぱり……好き……」
誰にも聞こえないくらい小さな声で呟き、目を閉じた。
思い出すのは初めてシュウに会い、一目惚れしたあの日のこと……
まだ女の子だった自分に声をかけてくれた、優しい男の子のこと……
☆☆☆
広い公園で遊んでいたのは仲の良い三人組だった。
幼い時の連、殀、そして兄の茉だ。
「おにーちゃんもヨウもずるい!」
「じゃんけん弱いレンが悪いんだぜ」
小さなケンカを耳にし、公園の前を通りかかった少年が中を覗き見ていた。
「でも、いっつもわたしが鬼なんだもん!」
「だってマチ兄速いし……オレ、おいかけんの苦手なんだぞ!」
むくれる連に同情したのか、少年は連達の元へ走ると手を握った。
「じゃ、お兄さんが鬼ってことで……100秒数えてくれよなっ!」
殀にも声をかけ、少年は走り出した。
雑木林や花畑等の自然溢れる道、ブランコや滑り台などの遊具の下をくぐり抜けていく。
気がつくと公園を飛び出し、商店街まで走っていた。
「ね、どこまで行くの……?」
先を進んでいた少年は後ろにいた連と殀の方を向いた。
「たまにはおもいっきり逃げるのも楽しいだろ?」
ほんわかとした優しくて暖かい笑顔は連の心に深く響いた。
いつもの遊びがたった一言で全く違うものに変化し、新しい発見をできた爽快感が残る。
いつもと異なる時間をくれた少年に、連は憧れと同等の恋心を抱いたのだった。
「オレは風野集って言うんだ!お前は?」
恥じらいながらボソッと小さな声がした。
「……レン」
涼しい風は二人の出会いを祝うかのように、花吹雪を舞散らした。
☆☆☆
ヨウは風呂と間違えて水に浸かり風邪をひき、集は来ると言ってたものの連絡が取れないため、今は造と二人きりで張り込み中だ。
言い出しっぺがいないのはどうかと思う。後でパフェでもごちそうしてもらおうかな。
物が散らばる床の上で造がお茶を運んできた。
「はい」
造に手渡されたのはあんぱんとコップ。
「あんぱんはなんとなくわかるけど……コップ?」
「コップはこうするの!」
壁にコップを当て、耳をつけた。いわゆる古典的な盗聴。
あ、でもコップは西洋文化だから古典的じゃないのかな……?
とりあえず造を真似てみる。
「で、これで聞こえるの?」
「……知らないけど――やってみたかったし!」
まあ、結論はそうなるか。
僕もやってみたかったし……あんぱん食べながらの張り込み。
「あ。話し声聞こえる」
造に言われ、耳を澄ませた。
『眠らせたのはいいけれど……なかなか起きないわね』
退屈そうな晴河の声がする。
『いっそこのまま永眠させてあげたほうがいいかしら?』
物騒な発言に造が手に力を込めた。
「まだ……だめ……決定的な証拠がないと……」
造は必死に耐えていた。自分の怒りが爆発しない ように堪えたのだ。
『お茶でも淹れて待つほうがいいわね』
造とは対称的に晴河はのんきに過ごしているようだ。
張り込みを始めてからしばらく経ち、手持ちぶさたになっていたころだった。
『う……』
『目が覚めた?』
うたた寝し始めていたものの、艶のある声に慌てて目を覚ました。
『ここは……?……ってゆうか、なんで晴河さんが!?』
どうやら顔見知りらしい。しかも、どこか聞き覚えのある声だ。
『お願いがあるの……』
背中の毛が逆立つほど不気味な笑い声がする。
『死んでくれるかしら?』
――ガタガタッ
物が崩れ落ちたような音が響く。
『え……?冗談、ですよね?』
理解できずに困ったような焦りの声だ。
「ついに尻尾を出したみたいね……!」
造は立ち上がり、部屋の隅に掛けられたリボンの束を掴み捕った。
カチカチと晴河の相棒であるカッターの刃の音がする。
『なんで……そんなことするんですか……?』
『使命だからよ』
頭の中でにっこりと笑顔になる晴河の顔が浮かんだ。
『人殺しの使命って、なんなんですかっ!』
アパート中に轟いたように思う。
さらに、晴河の標的が誰だかわかってしまった。
「まさか……」
鋏を握りながら、最悪な現状を想像してしまう。
――どうしてあいつが……?