『霰咲 鞠 3』
栞を包み込んでいた暖かな光は、花のように儚く散っていきます。
「……きれい」
散り様すらも美しく、思わず感嘆の声を洩らしました。
「怪我が、治ってる……?」
栞はゆっくりと身体を起こすと、あまりに現実味の無い出来事だったのかキョトンとしています。
立ち上がろうとするも上手く力が入らず、カクンと膝が折れ、地面と擦れて血が滲んでいました。
「嘘、でしょう……?」
以前の栞ならば瞬時に治ったはずの傷。それが、未だに血を滴らせています。
状況が意味する内容を察したのか、栞はカッターナイフを壁にぶつけた。けれど、決して切れることはありません。
「『ひだまり』は罪を赦し、引き受ける能力。罪が消えれば自然と能力も消滅するってわけか……」
殀が浮かべる苦い表情は後悔の証だった。
もっと早くこの能力に気付いていれば……きっとそんな事を考えているんでしょう……
「この力さえあれば、世界を『もどす』としても悲劇を繰り返さないで済む」
「そう簡単にいくかしら?」
希望を握り潰したのは栞だった。けれど、確かに失敗するリスクも高い。
大きな要因の一つは私もよく理解しています。
「――まだ、与叶がいるのよ?」
脅威となり得る存在は自分だけじゃ無いと警告する栞。その言葉に隠されているのは、巻き戻せば他の管理者が敵に回る可能性……
「俺は、晴河先輩と鞠は巻き戻さないつもりだ」
つまり、私達に手伝ってほしいということですか……
「当然ながら私は仕えさせていただきますよ、鎖姫様」
鎖姫に仕えるのは義務ではなく、私の意志。まだまだ未熟な面が目立つからこそ、側で見守り、支えて差し上げたいのです。
「私にはもう能力が無いわよ?」
栞は助けたくとも自分に出来ることは無いと自分を失望していたようです。
「鎖を少しだけ巻き戻せば……」
「それだと記憶を無くした私に殺されるんじゃないかしら?」
ただ『もどす』だけだと記憶が消えることは今までの経験で明らかなことです。
「そこは、多分問題ない……です」
「なら試してみなさい」
栞による上から発言に苦笑しながら、殀は栞の鎖を握っていました。淡い紫の光が鎖へと戻っていきます。
「……記憶が、残ってる」
栞は確認のために手首をカッターで切りつけました。血がゆっくりと垂れるものの、傷口は塞がり、跡形もなく消えています。
「ワガママですんません、晴河先輩」
頭を下げる殀とは対称的に、栞は清々しい表情で仁王立ちしています。
「普通の人間に戻れるとわかっただけでも良かったわ」
どうやら『ない』と『もどす』を併用し、栞の記憶が消え『ない』よう、鎖を巻き『もどす』ことに成功したようです。
恐らくは『きる』ことしか出来なかった時期でしょう。
「本番は、ここからだ……」
栞と私の記憶を『とどめる』と、殀は深く息を吸い込み、目を閉じます。
「光よ、亡き人の魂導きて……」
暗雲立ち込める夜空へと手を伸ばす姿は、埋められた星々を手探りで探すようです。
殀の鎖に光が点り、それに呼応するかのように、小指から銀の鎖が伸びていきます。人と人を繋ぐ『かけはし』の鎖が……
鎖は広がり、光が暗雲を切り裂きます。光量からは生きとし生けるものを余さず繋いだことがわかります。
「我願う、奇跡と希望信じたあの頃へ……」
煌々と闇を照らす月光の柱が、殀を、私達を包み込んでいきます。
耳を澄ませば、町中で命の鎖が音を奏でていました。甲高く、広域を震わせるようです。
幾つもの鎖の音が重なり合い、まるで音楽のメロディが流れているようです。
「ぐっ……」
殀の表情は疲労が滲み出ていました。町中に能力を行使するのですから当然です。
さらに、殀は集と違ってオリジナルではないので、一気に巻き『もどす』必要があるのです。
「こんなとこで、負けてられっかっ!!」
力に飲み込まれそうになりながらも、殀は気合いで押し留めます。
次の瞬間、月光は流星の如く弾け飛び、町中へと降り注いでいきました。
「光の、雨……」
光の粒子はキラキラと輝き、その一粒一粒が宝石のようです。
光は地に落ちる直前、すぅっと氷解するかのように自然へ溶け込んでいきます。
まるで何もなかったかのように、世界は夜を取り戻していました。
――プルルルルル
不意に耳を劈く着信音。電話の持ち主は栞でした。
昔懐かしい折りたたみの携帯電話を開き、画面を覗きます。
「……あら」
表示されていたのは『雲月 造』の名前。
…………栞が命を奪った、命の生成者。
「もしもし、雲月ちゃん……?」
嬉しさと罪悪感が入り交じった複雑な表情で電話に出る栞。
わざわざ声を『きく』までもなさそうですね……
「掃除の途中?あ、あら、そうだったわね……いえ、すぐに戻るわ……」
お説教を受けていることは明白ですから。
とはいえ、栞の顔が綻ぶ瞬間を私は見逃しませんでした。
栞は造と共に暮らしていたものの、姉妹のように慕ってくれた彼女を殺し、心の支えとしていた想い人までも手にかけました。
居場所を失ったのは自業自得ですが、殀により生きる希望が芽生え、自分の帰るべき場所を取り戻すことになったのです。
今栞の心を満たしている気持ちは、幸福以外の何物でもないことでしょう。
「……今日は、私が雲月ちゃんと絆を結んだ日」
胸に手を当て、生きている証――ドクンドクンと脈打つ、心臓の鼓動を感じているようです。
平常心を保つため、栞はぎゅっと服を握りました。
「……今日はもう帰るわ」
「え」
今まで見たことが無いほどに、華やかで晴れ晴れとした笑顔。
「私の妹が待ってるもの!」
イタズラっぽく舌を出す姿は幼さも垣間見れ、まるで春を待ち望んでいた、満開の桜のような笑顔でした。
栞は幸せや喜びを舞い散らせながら、家族の元へと帰っていきました。
「家族か…………」
殀はすっかり意気消沈していました。こちらも、聞かずとも理由はわかっています。
「お母様に会うのが怖いのですか?」
「ああ、怖い……怖いにきまってる……」
家族を殺してしまった真実からは逃れられない、自分が狂ってしまうのではと不安が頭を過るのでしょう。
――私が殀に出来ること
帰宅することに畏怖を感じ、殀は膝をついてしまうほどに震え上がっていました。顔は青ざめ、血の気が引き、歯がガチガチと音を立てます。
きっと殀の心は、絶望一色なのでしょう。
「…………黙っていたことが、一つだけあります」
誰にも伝えなかった秘密。
それこそ殀の希望になり得る切り札でした。
恐る恐る、心ここにあらずといった雰囲気で見上げてきます。
「まだ雲月桟は生きています」
「は……?」
「生きているんです。彼女は」
ひどく困惑した様子を見せられ、落ち着かせるように背中を優しく擦りました。
「歌巫女の『うた』には、人の身体に乗り移る『歌』があります」
「んな、わけ――」
「本当です」
死ぬ瞬間を見ていた殀が信じてくれないのは想定内です。けれど不可能では無いのです。
「鎖が殀の中へ移動し、気絶した後のこと……恐らくお母様は雲月桟を全快させるなど、幾つもの『うた』を使ったのでしょう……」
殀は希望の光を瞳に宿していました。
「どうすれば桟を助けられる?」
「簡単です」
殀はごくりと息を飲みました。
私は解決策をキッパリと言い放ちます。
「私の『うた』で身体を取り返します」
殀は『かけはし』を罰と共に引き受ける本当の意味に気づいていました。
「母さんの、皆の記憶から俺の存在を消せば……」
本当のお母様とお父様は別れなかったかもしれない。
曇橋涙は雲月造をいじめなかったかもしれない。
風野集は怨恨を抱かなかったかもしれない。
晴河栞が桟を殺すことはなかったかもしれない。
雨原茉は家を出ていかなかったかもしれない。
義理のお母様がお父様を殺すことはなかったかもしれない。
雨原連が苦渋の決断を下す必要はなかったかもしれない。
全ての悲劇は、自分の存在が引き金になっていたと考えているようです。
――そんなわけ、あるはずが無いというのに……
けれどその答えを私が告げる必要は無いでしょう。
殀が管理者と再会しながら、謎を紐解けば良いのです。
「それでは、まずは雲月桟を救うのですか?」
「……いや、まずはシュウに会う」
もうすぐ夜が明ける時間。
次第に鳥の声が街中に響き渡り始め、人々が眠りから覚めようとしている。
私達は管理者の皆を、使命という呪縛から解き放ち、現実へと目醒めさせたいのです――
『うた』
本来は分家それぞれに伝わるが、歌巫女のみ全てのうたを使用できる。
五・七・五・七・七という短歌の構成。
災厄を除き、眠りを誘う謳。
謳海家に伝わる。
「晴れし日に太陽浴びし清水は、木漏れ日暖か景色は遠く」
彼方へ奔り、天を駆ける謡。
謡灯家に伝わる。
「飛ぶ鳥の羽根を纏いて天駆ける、雲に隠れて彼方へ奔る」
夢幻を見せ、人を惑わす詠。
詠衣家に伝わる。
「霧のような現実味無き夢幻へと、行く手阻みし者惑わさん」
治癒を施し、快復させる詩。
詩水家に伝わる。
「雨降りは恵み与えし奇跡の片、祈り捧げる者癒したまえ」




