『晴河 栞 2』
放課後になると、晴河と約束していた昨日の現場に来ていた。
「本当に来るとは思わなかったわ」
意外だったらしく、晴河は目を見開いていた。足を組み、古びたベンチに腰掛けている。
「さっきの話はどこまでが本当?」
余計なことには触れないように、内容を限定して問う。
「そうねぇ……」
顎に人差し指を付け、ニヤリと笑う。
「全部、よ」
驚きの回答に絶句する。
――全部って、まさか……
「お察しの通り、私が連続殺人事件の犯人よ」
やっぱり晴河が殺したのか……
心が重くなるのを感じた。
「それで?」
求められているのが昨日の答えだということはわかっていた。
つまり……他人のために、人を殺せるかということ……
けれども決心は既に固まっていた。
深く息を吸い、呼吸を整える。目を鋭く光らせると、今後の展開への覚悟もできた。
「断りにきた」
「そう」
思ったよりあっさりとした返事だったために拍子抜けしてしまう。てっきり脅されるのだと思っていた。
「もともと、鎖を切るのは私の使命だからいいわ」
そう言いながら僕に近寄り、手を伸ばせば届くほど距離を詰めた。
「貴方はどうして鎖を切れたの?――いえ、それよりも大事なのは貴方がこの鎖を見えること」
考えたことなんてなかった。見えるのが普通だったわけだし。
なんで見えるようになったんだっけ……?
必死に記憶を探る僕にカッターナイフが突き付けられた。
「私が質問したことには全て答えなさい」
恐くて声が出ないので、仕方なく首肯する。
震える体には今すぐにでもカッターナイフが刺さりそうだ。
「何故、鎖が見えるの?」
「覚えて、ないです」
晴河を刺激しないように注意を払って答える。
「次。昨日は何故鎖を切ったの?」
晴河には『たかられたから』って略した説明じゃ通じないような気がした。
諦めから、本当のことを話始めた。
「実は、シュウには美術の才能があって、賞もたくさん取ってるんだ」
急にシュウの名前が出てきて、栞はキョトンとなったようだった。
僕はそんな様子に構わず、話を進める。
「で、上級生達はそれを妬んで脅そうとした」
シュウの絵は本当にキレイで、上級生は足元にも及ばない没作品ばかり。
――でも、それはシュウが子供の時から努力してる証なんだ。邪魔される謂れはない。
「止めようとした僕に、上級生達はあろうことか金で解決すると言ったから拒否した。そしたら殴られそうになって反射的に――」
「さっきみたいに鋏を出して切ってたってわけね」
納得したように頷く晴河はカッターナイフを握っている手を下ろした。
「貴方はどうなってもいいけれど……早く探すべきかもしれないわね……」
どうなってもいいっていうのは酷いと思う。それに、探す?誰を……?
「事情がわかったから1つ警告しといてあげる」
先程までとは違う真剣な目付きに気を引き締める。
突然吹いた風が乱暴に髪を撫でまわした。晴河の整った黒髪も乱れ、瞳が隠される。
「もう鎖は切らないようにしなさい」
理由はわからないが、その言葉は心に深く刻まれた。
「じゃあ晴河は……どうして人を殺すんだ?」
今度は、僕が栞に訊く番だった。
「そうねぇ……」
晴河は腕を組み、首を捻りながら悩みだす。
「使命ということもあるけれど、1番は趣味かしら」
思わぬ回答に眉をひそめる。
「使命と、趣味?」
ふふっと笑い、栞は続ける。
「そう。私はとある幽霊から使命を任された。それと同時に不死身になってしまったから、私は死者に憧れがあるの」
――幽霊?不死身???
晴河と話していると謎が増えるばかりだ。
「死者に憧れを持つなんて、正気かな?」
「ええそうよ。断言するわ」
冗談だとは思えない言い方だ。
「私は死ねないからこそ、人の生に興味があるのよ」
晴河は一度収納したはずのカッターの刃を出し始める。出す度にカチカチと音がする。
「さて――」
晴河の目の色と目付きが、変わった。
「今日は貴方にするわ」
晴河はカッターを僕の腕に向けて横薙ぎに振るった。それだけで鎖を狙われているとすぐにわかる。
「くっ……!」
僕はそれを鋏で挟み、止めた。鎖には間一髪だが、触れなかったようだ。
手に力を込め、刃を切れ目に沿って折る。
――バチン!と、激しい音が響いた。
「一瞬で判断できるなんて、たいしたことだわ」
左手でもカッターを掴み、首筋を狙って投擲してくる。横へ体を捻ってかわした。
壁を蹴ってから晴河の後ろへと跳躍する。
膝裏辺りに蹴りを入れると、晴河の足は折り畳まれ、膝が地についた。
軽く息を整えたのも束の間、晴河はブリッジのように体を後ろへ反らせ、カッターを投げてきた。鋏で全て叩き落とすと、僕の耳に拍手が届いた。
既に晴河は立ち上がり、手を叩いていた。晴河には随分と余裕があるようだ。
すぐにカッターを構えて僕の方へ突っ込んでくる。
「戦闘苦手そうなのに、意外とやるわね」
お返しとして、思いを告げる。
「晴河こそ、戦闘は得意そうだったのに弱そうだぞ」
言葉を交わし、互いに笑う。
突っ込んできた晴河に対して僕はカッターを持った手を握った。
刃が刺さらないように気をつけて足を引っかけ、転ばせる。
「きゃっ!」
女の子らしいかわいい声を出して晴河は地面に倒れこんだ。受け身はとれなかったらしい。
何故か僕のことをじっと見つめ、固まっている。
しばらくは心ここにあらずという様子であったが、ハッと意識を取り戻した。
「……しばらく、動けないみたいだわ」
その呟きは逃げろと言うようなものだった。でも、急にどうして……?
「敵わないと、わかったのよ」
聞く前に返答されてしまった。晴河は本当にそんな簡単な理由で?
「貴方はお兄さんがいるんでしょう?」
「一応」
思わぬ問いに動揺を隠せない。
兄さんは放浪癖があるから、ここ数年は戻って来ていなかった。
中学の頃から、服は全て兄さんのおさがりだった。この制服だってそうだ。
自らの服やカバンを僕に託して、家を出て行った。僕の服は小学生の時のもの以外、燃やされていた。
「皮肉にも女の子に優しいところが、お兄さんと同じだったわ。同じ学校だった時から今までずっと好きなのよ」
兄さんが高校に通ってた頃は2年くらい前まで……その時から好きだったんだろうか。
「早くしないと、気が変わっちゃうわよ?」
イタズラっ子のような幼稚で無邪気な笑み。僕は微笑むと晴河に背を向けた。
「兄さんは僕が住んでる所に必ず戻ってくるよ……あそこは兄さんと二人暮らししてたんだから……」
そう告げると僕は犯行現場から逃げるように歩き出した。
その途中、スーパーに立ち寄り、夕食の買い物をすることにした。暢気だと思われても仕方ない。
今日は造やシュウに料理を振る舞うと約束していたし。
スーパーにはある程度の野菜が揃っていて肉も色んな種類がある。今夜はシチューと決めていたものの、安くてお買い得な商品を見ていると惣作意欲が高まってくる。
豚肉とブロッコリーとカボチャとジャガイモと玉ねぎ……後は造が嫌いだけどニンジンくらいかな。手にした食材を次々とプラスチック性のカゴへと投入する。
「シュウは美味しそうに食べてくれるし、造はよく食べるし、たくさん作らないとなっ」
嬉しさのあまり、ついつい笑顔になった。
――よし!材料も揃えたし、そろそろ帰るかな。時間かけて下ごしらえしたいし。
「お前がそんなに買うなんて珍しくねぇか?」
同じレジに並んで声をかけてきた少年は、幼馴染みの『嵐里 殀』だった。
アイスを片手に手を振っている。
「今日は友達が夕食食べに来るからさ。シュウと隣に住んでる子」
「おー。雲月とシュウか」
ヨウとシュウも、顔見知りであり、幼馴染み同士なのだ。ただし、クラスが違うために最近は一緒にいることが少ない。
「ヨウも来る?」
僕に訊ねられ、ヨウはポカンとしていた。
「……俺なんかがいてもいいのかよ」
もちろん頷く。
「隣のクラスってことなんか気にせず、後で来なよ」
ヨウはいつもの怒っているような顔を綻ばせ、昔と同じ ように暖かく笑った。
「了解」
☆☆☆
ヨウと別れてから両手に荷物を持ち、アパートの階段を登っていた。部屋は2階にあるから、大荷物の時はきつかったりする。
普段なら楽々なものの、まだ中央にさえ行き着いてないのに息が切れていた。
「はぁ……」
力が抜けるような感覚があり、頭の中が真っ白になりつつある。
ふらつく頭を手で抑えながらやっと2階にたどり着き、自分の部屋の前で力尽きた。
「なんで、こんな……」
視界の端で右腕についた鎖にヒビが入ってるのに気がついた。
一応避けたつもりだったがカッターがかすったのかもしれない。
今にも消えそうな意識、強い恐怖感の中で、ふと誰かが恋しくなった。
――いや、誰かじゃない。自分が辛い時、いつも側にいて助けてくれた……僕にとってのヒーロー……
「おにぃ……ちゃん……」
虚空に向けて手を伸ばし、いないはずの人物が掴んでくれるのを願う。
口の中にはどこも切れてないはずなのに、血の味が広がっていた。
絶望の底で僅かな希望を求める中、ぎゅっと手が握られた。
手は暖かくて柔らかいが、何故か少しゴワゴワとしている。
「鎖が傷ついてるの?」
心配そうな声。聞き覚えがある。
「……多分」
僕の返答に、一瞬ビクッと相手が反応した気がする。
もしかしたら意識が無いと思っていたのかもしれない。
「すぐに助けてあげるからね」
ゴソゴソと鞄を漁る音が聞こえる。
腕にわっか状の何かが通されると、急に苦痛は消え去り、体が楽になった。
朦朧としていた意識も正常に働いている。
起き上がって救ってくれた恩人を見る。すると、やはり僕が知る人物であった。
造は何故か手袋をつけ、僕の腕をじっと見ている。
「やっぱり……連も見えてるんだ……」
右腕を見ると、切れかけた鎖の他に鎖編みされた紐があった。
ズイッと造が詰め寄る。
「連続殺人は連が犯人じゃないよねっ!」
必死に否定を望む造。僕が頷くとホッと息を吐いた。
紐に造の手が触れる。
「古い鎖が切れるとね、この糸が鎖に変化するの」
僕の貸した鋏を、造はノコギリのように使い鎖を切った。
古い鎖が消え、紐が重みを持ち、気づけば新たな鎖となっていた。
緊張の糸が切れたからか、先ほど感じた違和感について思い出す。
「そういえば、どうして手袋してるんだ?」
「それはっ……!」
造は手をぎゅっと胸の前で抱えた。もしかしたら、触れてはいけない内容だったのかもしれない。
「その、幽霊との契約で……」
そう言って造は口ごもってしまった。表情はどんな言葉も当てはめることができない。ただ辛いということだけが伝わってくる。
あまりにも非情なのはわかっていた。けれど、僕はどうしても聞かなければいけない気がしていた。
「造。教えてほしいんだ」
思いは伝わったようだが、造は戸惑いが体の動きとして表れていた。
しばしの沈黙。
……やがて、造は口を開いた。
「あたしは……幽霊と契約して、鎖をつくることができるようになったの」
僕はおとなしく造の話に耳を傾けていた。
「契約の対価として、人に直接触ることはできなくなった……でも、後悔はしてない」
手袋をすることでやっと人に触れるのか。気づかなかった……中学の時から一緒だったのに……。
――でも、なんだろう、この違和感は?
「集はこっちの人間じゃないから秘密にしてほしいし、できたら連にも関わってほしくなかった……!」
造は今にも泣きそうな表情のまま、甲高い声で叫んだ。
「造……」
疑心暗鬼になるのを隠しながら、造は必死に訴える。
「鎖が見えるなら連にも使命があるんでしょ?連続殺人の犯人は晴河栞だと思ってたけど、本当に連じゃないよね?!」
次から次へと質問してくる造は、すでに感情の高ぶりが爆発寸前らしい。
答えがない問題に困り果てるものの、わかりやすく伝えようと頭を悩ませる。
「ない」
「……え?」
どうやら意味がわからずに聞き返してきたようだ。少し長くして、もう一度伝える。
「僕は、僕の使命がわからないんだ」
造は不思議そうに首を傾げた。使命がないのはおかしいんだろうか?
妙な空気感に耐えられず、急いで話題を変えた。
「それよりさっ!助けてくれてありがとう!」
すっかり忘れていたお礼。けれども造は、しばらく暗い 表情を晴らさなかった。
☆☆☆
部活が終わらないのか、なかなかシュウは来ない。
部屋にはすでに造とヨウがいる。居間で他愛のない話をしているところだ。
「小さい頃のレンはいっつも泣いてて、マチ兄の背中に引っ付いててよお」
僕の昔話を面白おかしく説明してくヨウ。僕は大人なので冷静に受け止める。
「きもだめししよーぜっ!てなった時なんか、ガタガタ震えて腰抜かしちまったんだ」
「それは盛りすぎだろ!」
ハッと我に帰り、慌てて平静を取り繕う。
「茉お兄さんのこと、大好きだったんだね」
先程のことなど忘れたかのように、造はからっとした笑顔を振る舞った。
ちなみにマチ兄とは僕の兄の『雨原 茉』のことだ。
さっき晴河と話した通り、今はどこかで放浪者として過ごしているだろう。
「私もお兄さんのことが好きよ。貴方達も興味深いけれど」
気づけば晴河もスプーンを持って和に入っていた。
空気が、凍りつく。
「シチューの匂いに呼ばれてきちゃったの。そのためにピッキングしたわ」
あっさりと犯行を認める晴河を僕らは呆れながら見た。
「それより、お兄さんの話は続けないのかしら?」
「いや、そんな言葉で誤魔化せないだろ」
「あら、そう?」
あまりにも適当な晴河のことを、呆れずにはいられなかった。
「そりゃそうだろ!だって――」
ピンポーンと、言葉を切るようにインターホンが鳴り、慌てて玄関へと走る。
相手を確認すると、ドアを開けた。
「悪い!遅くなった」
手に包帯を巻き付けながら、シュウが入ってきた。服には微かに血の跡がある。皆の視線がシュウへと釘付けになった。
「あ、ちょっと手、怪我して……赤い絵の具ぶち撒けちゃったっていうかさ……」
「ケガならしかたないんじゃない?」
造の言葉に苦笑しつつシュウは席に着いた。
でも、シュウは言葉を濁していた。その違和感だけは決して拭えない。
何があったのか気になりながらも、それを口にすることはできなかった。
「さて、じゃあいただきま ーす!」
ヨウが声をかけ、ガツガツとシチューとパンへと食らいつく。
「いっただきま~す」
元気に続いたのは造。
「……いただきます」
静かに晴河も食べ始める。
シュウも笑顔でシチューを口に運んでいる。
大人数で過ごす、楽しい楽しい晩餐
。
――だが、それは最初で最後の事かもしれないのだった。
本当なら、きちんとシュウの包帯を気にすべきだった。
☆☆☆
沈黙が広がる森の奥にて、小さな少女が楽しげに笑っていた。
少女の体はうっすらと透けていて、この世のものではなかった。
「あはっ!」
幼い年齢故に出る高い声が響く。
「まだ役者は揃いきっておらんようじゃが、もう待ちきれぬ」
実に愉しげに、好奇の眼差しを街へと向ける。
「あの出会いをキッカケに、再び鎖を巡る物語の幕を上げようではないかっ!」
大きく張り上げられた声は、森の木々に吸い込まれた。
「もう後戻りはできぬぞ……?」
動物でさえ、彼女に近寄ることはなく、幽霊は寂しそうな表情になった。
「……頼む、我と――」
その切実な願いは、幽霊が告げた誰かに届くことはなかった。
『晴河 栞
はれかわ しおり』
性別…女
年齢…不明
得物…カッターナイフ
思い人…雨原茉
住所…結城アパートの204号室
人の中に溶け込むのが得意で、気づかない内に連達に交ざっている。
人の死については好奇心旺盛。
造とは犬猿の仲。
栞という字には「きる」という意味がある。