『柘榴』
目の前には不老不死の悪魔がいた。セツを無惨に殺し、俺を庇った女の子を容赦なく斬り捨てた悪魔だ。
「造っ!!目を、開けてくれよ……っ!」
雲月造の身体を抱き抱えながら、レンがボロボロと涙をこぼす。どうして自分は止めなかったのかと、後悔は降り積もる一方だ。
「もういいかしら?」
退屈そうにあくびをすると、栞は地面に倒れていた死体の腕を切り落とした。そのまま二の腕あたりにがぶりと噛みつく。そして意外と柔らかいのか、栞は簡単に肉を食いちぎった。だんだんと顔を綻ばせていく。
「……どうして晴河は、人を食うんだ?」
蒼白になりながら、レンは問う。
栞は腕から口を離すと、不思議そうに首を傾げた。
「昔答えたはずよ、私は死ねないからこそ、人の生にひかれるの」
「それ、直接的には繋がらないだろ」
人の生と死人は、確かにイコールにはならない。我が妹ながら冴えている。
「初めは本当に、ただの興味よ」
冷淡という単語が非常によく合うほど素っ気なかった。けれど、俺の言葉ならむしろ聞いてなどくれなかっただろう。
「……口に入れた途端に広がったのは、今まで食べたことがないほどに優しく、暖かく、そして……懐かしい味」
目を細め、うっとりとする栞。レンとヨウは何か思い出したのか、青ざめた様子でさっと顔を背けていた。
「母親に近いものを感じるわ」
真相である真実を告げられ、俺の中に眠っていた答えがつい溢れてしまう。
「俺らは、生まれた時から管理者になることが決まっていた。それは運命で、覆ることはない」
「運命?」
一斉に向けられた視線。心の中には少し戸惑いがあった。
本当のことを伝えてもいいのか
自分は正しいことをしようとしているのか
……と、自問自答が絶えることはない。
けれど管理者ならば知らねばいけない、いつかは知ることなんだ。
意を決し、余計な思考はふるい落とした。
この場は沈黙。栞の咀嚼音すら聞こえず、周囲がコンクリートだからか、冷えてきたように感じる。俺らの中をビル風が吹き抜けた。
「鎖姫が死んだ後、村人達はその死体を埋葬することはなかった」
「……なんでだ?」
「頭がおかしいと思うかもしれないが、その身体をバラバラに切り離し、その血肉を既婚している女性に食べさせたんだ」
まさかと、耳を疑っているような表情。けれど俺は真剣そのもので偽るつもりはなく、信じてくれることを祈るしかない。
「本人達は鎖姫だということを知らずに食べさせられたらしいが、夫のほうは自分の子供が鎖姫となれば誉れだと思いながら協力したらしい」
「ひどい……」
「それぞれの家の名は雨原、晴河、雲月、曇橋、吹雪、霧ヶ也だ」
「霧ヶ也?」
ヨウが聞き返すのも無理はない。霧ヶ也という名字の管理者は先代鎖姫しかいなかったし、自分の名字ではないのだから。
「霧ヶ也桟。雲月桟が養子になる前の名前だ」
「じゃあ、俺は……」
「ヨウ、お前は愛人の子供だっただろ」
苦い顔でヨウが頷く。
「やっぱり本当の名前は知らないんだな」
まさに絶望という言葉がふさわしい。愛人の子供というだけで呪われた名をつけられ、愛して育てられることはなかった。
……けれど、本当の母親は別れてもなお、ヨウを愛していたのだ。
「だが、今さら遅いか」
「遅いってどういうことだよ……」
声を低めることでより一層深刻さを伝える。
「母親はもういない。すでに病にかかって死んでいる」
「そんな……」
母親の手がかりはなく、本当の自分のことを知ることが出来ない。ある可能性に気づけるほど、ヨウは頭が回っていないようだ。
「俺らは母体の中で、鎖姫の命の鎖を取り込み、管理者となった。ただそれだけだ」
栞が興味無さげにその場で立ち上がった。黒髪が揺れ、カッターナイフがカチカチと音を立てる。
「そんなつまらない話をするためだけに来たの?」
不愉快そうにカッターを振るい、レンがヨウを庇うように壁際へ飛び付いた。
「いや、セツの敵を取り、終わらせるためだ」
背負っていた袋からバットを取り出す。すると栞は愉しそうに、幸せそうに微笑んだ。
「貴方が、私と本気で戦ってくれるのね?」
紅潮する頬に片手を当て、もう片方の手でカッターを強く握りしめる。
「あぁ、あの女がいなくなることでこんなにも幸福なことが起こるなんて……」
うっとりと快楽に溺れそうな栞。正直、狂っているように思う。
「どうして今まで、こんなに簡単なことが思い浮かばなかったのかしら……」
栞の瞳の奥で、黒い感情がざわめく。
「貴方を殺して私の中に入れてしまえば、永遠に私だけのものにできるじゃない……っ!」
高らかに歌い上げるように、栞は歪みきった志を叫ぶ。
レンは焦燥気味に後退している。ヨウは心ここにあらずといった雰囲気であり、前にも俺のせいでこの状態へ追い込んだことを思い出した。
「責任、か……」
ヨウは名前や育ちについて語られることを好まない。それもこれも呪われた名前がトラウマを植え込んでいるからだ。
知っていた。知っているのに、執拗に刺激してしまっていた。
ヨウが少しでも前に進めるように、自分と向き合うためには必要だったこと。
けれど、行動には、言葉には責任がある。責任を取れることは、この先にもうないかもしれない。
それなら――
「レン!ヨウを連れて逃げろ!」
「お兄ちゃん、なに言ってるの」
声を荒げ、決して妹には向けたことのない怒声を飛ばす。
「こいつと俺は決着をつける必要があるんだ!いいから行け!」
お前らが相手をしなくちゃいけないのは栞じゃない。風野集――曇橋涙だ。
こんな所で死なせるわけにはいかない。
「……お兄ちゃん、ごめんね」
造ちゃんの身体を背負い、ヨウの手を引き、小走りで去っていく。
栞はレン達のことに興味はなく、追いかけるようなことはないようだ。思わず安堵の息が漏れる。
「この私を前に、余裕を見せて大丈夫なのかしら?」
余所見をしていた隙に栞はすでに動き、振り返ると鼻と鼻がぶつかりそうになった。
ほんのりと香るのは柘榴の匂い。大好きなあの子がいつも付けていた……
「セツの香水!」
容赦なく、思いきり顎へ向けて拳を振り上げると、ひらりと背後に飛び退いていた。
栞がカッターを左右のビルへと振るうと、ガラガラと音を立てて、壁面の破片が崩れ落ちてくる。
鋭い破片をバットで打つと、栞の頬を切った。だが、全てを打つことなどできないため、身体に出来たいくつもの細かい傷が、じんわりと熱を帯びる。
すぐに熱は焼けるような痛みを伴い、傷口からゆっくりと赤く染まっていく。
「ごめんなさい、痛いわよね」
そう言って笑う栞の頬は、すでに傷口が塞がりかけていた。
「すぐに殺してあげるから、動かないでちょうだい?」
足を踏み出し、跳躍すると同時に、カッターの雨を降らせる。
打ち消しが物理攻撃に対して通用しないことはバレているようだ。
ビリビリと服が破れ、赤い雫が肌を滴り落ちる。背後を取られぬよう後ろを向くも、栞の姿はなかった。
慌てて周囲を見回すと、頭に衝撃が走った。どうやら足を振り下ろされたらしい。痛みに悶える暇もなく、刃が胸を突き刺す。
「ぐぅ……!」
いっそのこと幽体となれば痛みから解放され、また身体を治してから挑戦すればいいと、諦め半分の気持ちを抱いた。
だが――
唐突に、その場から動くことができないほどの恐怖を抱いた。肌が粟立ち、全身から発汗する。震える脚は今にも崩れ落ちそうで、一歩たりとも動くことはできないようだった。
「何をした……!」
命の鎖を切り捨て、栞はふふっと笑った。
「私はただ『きざむ』だけですよ」
重くなる瞼に焼き付いていたのは、愛するセツや妹ではなく、栞の姿だった。
何年も、ずっと俺を一途に想っていてくれた、気持ちに応えてやらなかった少女の、とても嬉しそうな笑顔だった。




