『雨原 茉 1』
高校生はまだ学生という子供と、社会活動に交じることができる大人という2つの面を持ち合わせていた。
けど、俺はレンを守らないといけない。両親は幼いときにすでに他界しているのだから。
レンが小学校に通い始める前までは施設にいたが、両親が残してくれたお金を遣り繰りしながら、少々手狭なアパートへ引っ越した。
両親がいないことを気にしないよう、能力で施設の記憶を消し、両親は遠いところで暮らしていると偽りを吹き込んだりもした。
そう、俺はレンのためだけに管理者としての指命を得た。愛する妹のためだけに……
能力の剥奪を逃れるため、暇さえあれば指命も全うしていた。俺と出会った記憶をきちんと消しながら。
なのに――
「マチ兄、久しぶり」
嘘がバレないよう、施設からも俺らの記憶は抹消していたはず、だった。
けれどその少年は明らかに俺を覚えていた。正確には、思い出していた。
「昔、同じ施設に居た曇橋涙だよ。覚えてる?」
覚えてはいた。レンと仲が良かった男の子だ。驚愕のあまり目を見開く。さらには夢か現実かの確認のため、頬をつねった。
当然のごとく痛みを感じる。ということは、やはり夢ではないのだ。
けれどにわかに信じがたかった。本当に、施設に居たあの曇橋涙なのか?
その疑問はどうやら口に出てしまっていたようで、少年はニンマリと嫌な笑顔を浮かべる。
「まつりちゃん」
その呼び方は施設の職員が俺に女装させた時に使っていた名前だった。いくらハロウィンだからって、男に魔法少女の服装をさせるのはどうかと思う。
とにかく、これで施設に居たということはわかった。レンには口封じさせたし、俺も誰にも話してない。話せるわけがない。
「施設のヤツなのはわかった。だが、お前が曇橋涙という証拠は?」
少年は当たり前のように母子手帳を取り出した。俺には、もういないはずの母の面影を求めているように見えてしまった。名前は確かに曇橋涙となっている。
……問題はそこじゃない。
「久しぶり……でもないだろ?」
「でもその方がいいかなって、名乗る名前的にもさ」
俺は彼に何度も会っていたのに、あまりにも昔のことだったからか、同一人物であることに気づけていなかったのかもしれない。
そして、何故今現れたのか……
「あ、そっか、俺が何故ここで、このタイミングで現れたかが気になるわけ?」
警戒を怠ることなく首肯する。本当に心を読まれているような気分だ。
曇橋涙は不気味にニヤリと笑う。
「鎖姫がレンに乗り移り、ある管理者達の喧嘩を仲裁したんだ」
仲裁したのは鎖姫。ということは、レンとは関係がない。けれど、やはり心を見抜かれていたらしく……
「その管理者はレンの命を狙ってやって来る。関係ないって言い切れんの?」
俺は押し黙ってしまう。愛しの妹を守る為なら手段を選ばないと決めているのだ。それこそ大事なものを失うことになってもかまわない。
「管理者の名前は?」
「吹雪契、同じ学校だろ」
吹雪契、校長の娘でわがままで身勝手なことで有名だった。けれど、だからこそ付け入る隙は大きい。
ああいうタイプの人間は従順な人間を好む。惚れただの何だの言って付きまとえば、きっと側にいても平気だろう。
でもそれだけじゃあ足りない。たとえば鎖姫の根本を覆すような……
そうか、レンの服装を変えてしまうだけでも、印象は変わる。きっとすぐには正体がバレないだろう。
レンには酷なことだろうが、女物の服を全て棄て、男物を着るように強制するしかない。
「それじゃ、レンのことはマチ兄に任せるよ。ヨウじゃなく、マチ兄にね」
そう言って曇橋涙は俺の目の前を去った。釘を刺すように、憎しみが籠った言葉を残して。
でもあいつは、ヨウのことを……殀という呪われた名前の意味を知らないんだろうな……
「…………どれだけ忌み嫌っていても、やっぱりヨウのことは殺せないんだな」
ふっと思い浮かべるのは、レンも含めた三人で楽しげに笑う顔だった。
「全く違うはずなのに、お前らはそっくりだよ」
そして誰に聞かせるでもなく独りごちる。風に飛ばされてしまうような小さな声で、まるで誰かに囁くように優しい声音だった。
「なぁ、シュウ……」
当然聞いている者はいないはずだ。けれど、視線のようなものを感じていた。背中に冷や汗をかく。
「お前は何がしたいんだ?」
嘲笑うかのように、鳥たちが鳴きながら屋根を飛び立っていった。
そして俺はすぐにでも状況を知るため、吹雪契と親密になるため、夕陽を背に学校へと向かった。
学校を駆け回らずとも、どこに居るかは予想がついていた。春休みでありながら電灯の明かりが漏れる場所は2つ。校長室と職員室のみ。吹雪の性格を考えれば、校長室だということは明白だ。
一応礼儀としてノックをコンコンと2回鳴らし、扉を開ける。案の定吹雪は校長が座るべき場所に鎮座していた。
「入室を許可した覚えはないのですよ?」
頬杖をつき、偉そうに足を組む。無愛想で冷淡というのが第一印象で、家族から愛情をもらわなかったのでは?という感想を抱いていた。
まあ、両親から愛情を注がれた記憶が無いって意味では人のことを言えないか。
「実は貴方のことが好きなんです」
「へぇ、それがどうしたのです……?」
冷ややかな視線に胸が痛む。でもここで怖じけついてはいられない。なんとしても取り入らねばいけないのだ。
「俺を下僕でも犬でもいい。とにかく、側に置いてください!」
プライドなどない。それこそ犬に食わせてしまわねば、交渉は無効になる。
「……いいのですよ」
「ありがとうございます!」
「ただし」
安心したのも束の間、吹雪はビシッと指を突きつけてきた。
「4月から一歩たりともせつの側を離れてはいけないのです。せつのお屋敷で暮らすこと」
下僕というよりは従者のほうがしっくりとくる交換条件だった。きっと俺がいなくともレンは独り立ちできる年だろう。それならレンを守るために、俺は
「了解した」
☆☆☆
「お兄ちゃんやめて!」
妹の制止を振り切って、俺は原型のないズタボロに引き裂かれた布の山に火をつけた。燃え盛る炎をさらに煽るように、上からガソリンもかけている。
火の粉だか布切れだか判断できないほど細かい灰のようなものが舞い上がり、黒煙がもくもくと昇っていく。
レンはそれを涙目で追っていた。信じられない、現実だとは思えないというような表情を浮かべている。これが絶望なんだろうか?などとくだらないことを考えてしまい、頭を横に振った。
「お前のためなんだよ、レン。わかってくれ」
「わかんないよ……」
即答だった。けれど、鎖姫に乗り移られたことを知らないレンとしては、それが当然の反応だろう。何せ自分の洋服を燃やされているのだから。
「これからは男として振る舞うんだ。そのために、周りからもお前が女だって記憶は消す」
レンがバッと顔を上げ、訴えかけるように鋭い目を向ける。けれど涙のせいで迫力や圧迫感は薄れていた。
「大丈夫、幼馴染みのよしみでヨウの記憶くらいは残してやるさ」
ただしシュウはもう一度記憶を消す。俺の能力が効くかを確認する必要がありそうだからな。
決して口には出していなかったが、それでもレンは気づいてしまった。
「シュウの記憶は消すの……?」
「ああ。そうだ」
今にも泣き出してしまいそうなほどに不安げな表情。いじめたらかわいいんだろうなと場違いな考えが頭を過ってしまう。
「シュウも幼馴染みなのに……」
「でもあいつは危険なんだ。わかってくれ」
「わかんないよっ!!」
レンにしては珍しく、大きく張った声を出す。それもこれも、シュウに対しての恋心故だということはわかっていた。理解もしていた。けれど……
「シュウとの関係はもう一度やり直せばいい。でも、傷付くことは目に見えてるぞ」
開きかけた口をレンは黙って閉じた。もしかしたら思い当たる節でもあったのかもしれない。
「そう、だね……」
そしてレンは大切に伸ばしていた黒髪に手を伸ばす。そして、キラリと光る何かを手に、髪をバッサリと切り落とした。まるで失恋でもしたかのように、沈んだ心を捨てるように、その髪を火中に放る。
「いいのか?」
「うん」
レンは冷静だった。ただしそれ故に危険な匂いも内包している。
「シュウがね、この前お兄ちゃんと同じくらいの女の人と歩いてたんだ」
好きな人に恋人がいる。きっと勘違いだろうが、シュウの想い人を知らないレンならばそう思い込んでも仕方ない。
俺は真実を伝えていいものかと葛藤に駆られていた。伝えれば二人の距離はより近くなってしまう。かといって伝えないままならばレンは苦悩し続けるかもしれない。
「レン、目を瞑って」
――結局俺ができることは、記憶を打ち消すことだけなんだ。
いっそのこと俺の記憶も無かったことにしてしまおう。覚悟を決め、レンの頭を触ろうとした瞬間、レンは一度閉じた眼を開いた。
「お兄ちゃん、私はお兄ちゃんみたいになりたい」
身体が強ばり、ぷるぷると震えた。
衝撃的な言葉というだけではなく、自己を卑下しているつもりはないが、誇りや憧れる要素など持ち合わせているつもりはなかった。
むしろ俺の方こそレンに憧れていた。純粋で人を疑わない、意志を真っ直ぐに持ち、そして自分の信じた道を走り抜けていく。
「だから、私からお兄ちゃんの記憶は奪わないで?」
レンは俺よりも心が強かった。俺の思考を悟りながらも、鋼のように揺らぐことがない。透き通った瞳で見上げてくる。
「わかった……」
そうして、俺はレンに新たな人生を歩ませ始めた――