『晴河 栞 1』
暖かな日差しが顔を照らし、自分の部屋にある、ふかふかな布団の中で目が覚めた。
「夢……じゃないよな……」
あの後、隙を見て何度も鎖を切ったけれど、その度に何事もなかったかのように再生していた。鎖に刻まれた寿命なんかXであり、計測不能扱いだった。
確か『晴河 栞』と名乗っていたっけ。
――あんなの人じゃない。化け物だ。
……いや、それは僕もか?
人の命を簡単に奪えるということは、人を人と思えなくなってしまいそうで……。
「あんまり考えるのはよくないかな」
制服を着ようとズボンを手にし、ふと、物思いにふける。
――今さら戻れないか。
視線の先には小学生の頃の私服。もう着ることは叶わないけれども、今でも大切な宝物。
「はぁ……」
小さく溜め息をつき、体型に合わない大きめなパジャマを脱ぐ。
返り血を洗い落としたブレザーの制服に着替えると、最低限の清潔さが保たれたキッチンに立った。
一人暮らしのため、自分のことは自分でしなくちゃいけない。料理はもちろん、掃除や洗濯も欠かさない。
まだ栄養バランスのとれた献立を考えるのは不慣れだけど、包丁捌きはなかなかのものだと自負できる。
今日は手作りハンバーグとポテトサラダ、コロッケにした。お弁当の余りを朝食として食べる。
――んー……やっぱり店と比べると劣るな。
心の中で自分の食事を評価しつつ箸を動かす。
コロッケをたいらげ、いよいよメインである特製ソースをかけた肉汁溢れる温かいハンバーグを口に運
――ピンポーン
突然のチャイムが僕を呼び出した。
『連!学校いこっ!』
――またか。あいつ、よく毎日飽きずに迎えに来れるな。
呆れつつ玄関へ走り、ドアを開く。すると、同じブレザーを着た少女がいた。スカートの前でもじもじと手を組んでいる。
どうやら、こちらから挨拶しなければいけないようだ。
「おはよう。雲月」
名字で呼ぶと雲月は頬をハムスターの頬袋のように膨らませ、抗議の目で訴えてきた。ビシッと指を突きつけてくる。
「そ・う!」
名前を呼ぶように強く要求する。でも女の子を名前で……って、恥ずかしい、よね?
真っ赤に照れるも、雲月は許してくれそうにない。こちらが折れるしかなさそうだ。
「わかったよ、造」
去年の春頃に隣の部屋に引っ越してきたのは、現クラスメイトの少女、『雲月 造』だった。
はっきり言ってこいつの相手は疲れる。人の心に侵入しようと、誰彼構わず話しかけるのだ。
――良い言い方をすれば社交的というんだろうか?
くんくんと料理の匂いを嗅ぎとった造は、いつの間にか勝手に部屋へ侵入していた。
「ほほう……今日のメインは肉料理とみた!」
ハンバーグを前にヨダレを垂らす造。果たして女の子がこんなだらしない姿でいいのかと疑問になる。
「やらないぞ」
サッと食べきれなかった朝食を造の前から奪い、手早くラップをかけた。
――ところで、なんで造は既にナイフとフォークを構えてるんだ……?
「ちぇっ」
造は悔しそうに口を尖らせると、パタパタと玄関へ戻っていった。
ソファに投げ捨てたかばんを掴み、造を追いかける。
鍵を閉めていると、突然隣の部屋から目覚まし時計の激しい音が聞こえた。
「あ~あ、この調子だと、またかもよ?」
呆れたように造が呟き、僕も肩をすくめる。
「放っておこう」
「そだね」
何も聞いていなかったことにし、階段を降りた。そして、学校へと歩みを進めていく。
二人で並んで雑談していると、すぐに学校に到着した。本当にくだらないことしか話していないのに、時間はあっという間に過ぎるんだからおもしろい。
「あっ、そうだ!」
何かを思いだしたのか、足を止める。
それに合わせて振り返った。
「最近起きてる連続殺人事件のことって知ってる?」
造の質問に背筋が凍りつく。
「知らない、けど……」
――もしかして僕のやった事がバレたとか……?
命を切るなんて真似をしたこと、口が裂けても言えない。
挙動不審を悟られぬよう平静を装っていると、造はあっさりと嘘を信じたようだった。
「そっか。結構、噂広がってるんだよ?」
胸を撫で下ろし、表情も自然なものに戻る。
「へ~……」
どこか興味なさそうな僕の態度に、造は口をつぐんだ。
嫌な沈黙が訪れた。
「そ、そういえばさ」
空気が悪くなったので、すぐさま話題を切り替える。
無言のまま造は視線を僕へと向ける。
「確か……造の隣に引っ越してきた人いたよね?」
どこか不機嫌そうな様子で、浮かない表情となっていた。
「あー……。いるけど、会ったことない」
話が逸らされた事は特に気にする様子がないので、この話題を続けるのは問題ないようだ。
「挨拶来たりしないのか?」
「うーん……」
話すべきか深く悩んでいるらしい。
「隣の人、連と同じでよく夜に出かけてるんだけど」
ちなみに、僕は時々、深夜にファミレスでバイトをしている。
「時々帰ってきた後に、部屋から悲鳴が聞こえるの」
「悲鳴?」
造は静かに頷く。
「それが――」
「お前ら遅刻にするぞ!」
造の言葉を切るように先生の怒鳴り声が 聞こえ、慌てて時計を見る。
「話は後にしよっ!」
造に手を引かれ、二人で教室に向かって走りだした。
☆☆☆
休み時間を告げるチャイムが鳴り響く。
「よっ!」
先生と入れ替わるように、黒髪の少年が教室に入ってきた。
授業が終わった時間を狙って登校してきたのはサボり魔こと、親友の『風野 集』だ。シュウとは幼い時からの知り合いで、今は隣の部屋に住んでいる。
今朝も僕らが出かけた後に目覚ましを止め、二度寝していたんだろう。
親しげに教室に入ったと思えば、何故か僕の机の前に造を連れてきた。
「来るのが遅い」
イラつきを隠せぬままボソッと呟く。
「そんな事より屋上行かないか?」
僕の言葉はそんなシュウの軽い言葉で流された。
まったく……こいつと一緒だとペースが崩される。
明るく元気に引っ張ってくれるとこが好きで、いつもつるんでるわけだけど。
シュウの笑顔に、いつの間にか荒れていた心は落ち着きを取り戻していた。
「連、早く行こうぜっ!」
「……うん」
名前を呼ばれた嬉しさで笑みがこぼれ、それを隠すかのように廊下と階段を駆ける。
「勝負か?よし、受けてたってやる!」
「まってよー!」
後ろから聞こえた造の声により、さらにテンションは上がった。
二人が追い付いたのを確認すると、屋上と校舎を仕切る錆びた重い扉を開いた。
風で髪が煽られ、視界を覆う。
「……あら?貴方もこの学校だったのね」
寒気がするほど透き通った真っ直ぐな声。背筋が凍りつき、肌が粟立った。
声をかけてきたのは、フェンスに背中を預けて弁当を食べている晴河栞だった。
「晴河?!」
驚く僕の前に造が出た。今までに見たことがないほど狂暴な目付きで晴河を睨む。
「隣人にその態度はどうなの?」
殺意を剥き出しにする造に対し、落ち着きと大人の余裕を見せる晴河。
僕とシュウは顔を見合わせ、首を傾げた。
「隣人?……ああ。あれってあんただったんだ」
造の隣……僕の反対側の部屋に引っ越してきたのは晴河だったらしい。
「人殺しや死体漁りが趣味の変態さんだよね?」
思わぬ事態に目を大きく見開く。
「えっ!?」
「げ……」
造の言葉に驚き、シュウまでも声が出ていた。人殺しと死体漁りの噂がある人だから、こんなにも造は警戒してるのか。
「……そうだけど。お邪魔だった?」
晴河はくすくすと無邪気に笑う。そして、あくまで否定はしない。
「もっとも……私のほうが先客だけれど……」
造は晴河とは反対のフェンス前に陣取り、座った。
「出ていかれたら目覚めが悪いってだけだから」
ムスッとする造を微笑ましく見つめる晴河。
「うふふっ……死体じゃなくてもいい子は好きよ?」
「あんたにだけは好かれたくない」
この二人もしかして……水と油とか犬猿の仲ってやつか。とりあえず、ピリピリとした空気から早く抜け出すためにも食事を進める。
お弁当を広げ、みんなでおかずをつっつき始めた。
造は女の子らしく、彩りがたくさんあるちまちました弁当。シュウは男らしく、がっつりした肉中心の弁当だ。
「お前、男のくせに料理得意だよな。嫁に来てほしいくらい」
ポソリと洩らされた言葉に頬が紅潮する。
「なっ、なんで男なのに嫁なんだよ」
一応不満をぶつけたものの、嫌だという強い気持ちは伝わったんだろうか?
「お前は絶対女装似合う」
「伝わってない!しかも女装なんてしな、し……してない……!」
そういえばミスコンとかあったんだっけなー。女装部門に名前が載せられて焦った覚えがある。
「赤くなってるぞ?」
「うるさいっ!」
顔が熱いのは女装が似合うとか言われて腹が立ってるからだ!……なんて言えたら楽なんだけどな。
「あたしも連は女装って似合うと思」
「この話は終わり!」
喋っている途中の造の口へ一口大に切ったハンバーグを入れた。
もぐもぐと懸命に口を動かし、幸せそうな表情を浮かべる。
「面白いのになー」
造がシュウの隣で頷いた。
「お前らの夕食作んないぞ。今日はシチューの予定だけど」
「「それは食べる」」
即答とは、現金なヤツらだな。
「ってゆうかさ、造」
「ん?」
箸をくわえたまま弁当から顔を上げた。
ふと、思い出したことを口にする。
「朝の続き話してくれるんじゃないのか?」
造は晴河を一瞥してから「そだね……」と呟いた。
「実は昨日もあったの。連続殺人事件」
個人的に一番怖いことを、おそるそる訊ねる。
「大量殺人なのか?」
安堵の息を吐いたのは、造が首を振って否定したからだった。
「連続殺人事件は毎日一人が殺されて、皮膚と骨しか残らないんだって」
皮膚という単語に反応し、おかずが箸から落ちた。
「しかも隣の部屋――晴河栞の部屋から、毎晩のように悲鳴が聞こえるの」
犯人は晴河だってわかってるのか。でも、それならどうして捕まらないんだろう……。
「証拠全て揃えてから推理してほしいわ」
「うおっ!?」
シュウが横に飛び退いていた。いつの間にかシュウと僕の間に晴河が座っていたのだ。
「ホラー映画を見ているだけ……勘違いじゃない?」
造は不服なようだが、反論はしなかった。
晴河はその様子に優越感に浸りながら、ゆっくりとお茶を飲んだ。
「なんで交ざってるわけ?」
「一人で隅っこにいるのは寂しいのよ……」
造のピリピリさせている空気を全く感じていないのか、晴河はしゅんと落ち込んでいた。
「晴河栞……晴河……」
ぶつぶつとシュウが晴河の名前を繰り返し唱える。
「ああっ!!もしかして――」
「うわっ?!」
音量が制御されていない叫び声に驚き、反射的にポケットから抜いた鋏をシュウへ向けていた。
「え……」
唖然とした表情でシュウは鋏を見ている。
「ご、ごめん」
ぱっと鋏を手から放して謝る。
「いや、驚かせて悪かった」
シュウが申し訳なさそうに頭を下げる。
「そっ、それより!何言おうとしたの?」
シュウから顔を逸らして慌てて言う。
言葉遣いがおかしくなってきた……なんで鋏なんか向けちゃったんだろう。後悔の気持ちで胸がいっぱいになっていた。
「晴河さん、もう5年くらい留年してるのって本当ですか?」
「そうよ」
見事に即答だった。しかも何故か誇らしげな言い方だ。
……なんか、僕らの和の中で馴染んでるし。
「5年も留年て……」
呆れたような造の態度。晴河は微笑していた。シュウは二人に挟まれてドキドキしている。
二人の間には明らかに見えない壁があった。まあ綺麗な女の子二人と一緒にいて、シュウが幸せそうだしいいか。
「シュウってなんかモテやすいよなー」
つい気持ちが声として出ていた。造が真っ赤になっている。
「俺の向かえにいるんだし、連も同じ状態だけどな」
「は?僕は違うから」
わけがわからないという僕の態度にシュウが心配そうな目で見てくる。
「女に囲まれてドキドキしないなんて、男として終わってるって」
――そう言われてもなぁ……
不意に晴河は腕時計で時間を確認した。
「そろそろチャイムが鳴るわよ」
「言われなくてもわかってる」
ふてくされたように造は早足で行ってしまった。
急いで教室へ向かおうとすると、背中越しに声がかかった。
「貴方……連君ですっけ……?昨日の場所に来て」
後ろから声がかかった。心配そうなシュウが巻き込まれないよう、聞こえなかったふりをしておくか。