八十八話
「それじゃあ私はもう行かなきゃいけないから」
戦いのあとリーザの力の残痕は、役目を終えてただ消えゆくのみだった。
人の形は徐々に崩れて粒のように分かれて、そして消える。
形をとどめていられるのも限界のようだった。
「直に会うのは初めてねエレン。私が誰かわかる?」
「顔も見たことないお母さん」
エレンはもうすでに泣きそうな顔でリーザをじっと見つめる。
「物心つく前にはいなかったものね最低の母親ね私は。自分の後悔も憂いも全部娘とその...娘婿に任せて背負わせてしまった」
「あんたは約束を守ったんだ。エレンを守る約束だけは果たした。これだけで十分だと思うぜ」
「ありがとうその言葉だけで私は救われたわ。もういかなきゃいけないこの私の精神体もいよいよ限界みたい」
「なんで...いつも勝手にどこかにいくの?」
エレンがぽつりと漏らす。
「なんでいつもいっしょにいてくれないの?ずっと寂しかった。一人であの城にいて自分の居場所がなくて頼れる人もいないから怖かった。やっと会えたのに...」
まるで子供のような。だだをこねるようにそう言った。
エレンは寂しさと孤独の二つと戦ってきた。
十五年という歳月は、少女の身一つでは耐えがたいものだったろう。
「ごめんねエレン。私だってずっといっしょにいたいでも、私がいたらあなたは前に進めない。
いまのあなたに私はいらないでしょ?その隣にいるのは私ではないでしょ?」
残った光が、エレンの全身を包み込む。
それは親子の抱擁。光は触れることはできなくても、たしかに感じる温かみがエレンを包み込む。
それこそエレンが初めて感じる母のぬくもりだった。
「これからは剣獅くんといっしょにいきなさい。どんなことがあっても二人で乗り越えなさいそれが夫婦というものよ」
「違うよお母さん三人だよ」
「そうだったわね。孫の顔もみたかったな~エレンの花嫁姿も見たかったな~。いっぱいいっぱいあなたといろんなことしたかった、してあげたかった、してほしかった」
その声音は涙混じりで、声も声にならないところもあってぐしゃぐしゃになって泣きはらしていた。
エレンも同じように涙をこらえきれるわけもなく、ひたすら目から溢れさせている。
「でも、最後にあなたに会えたから私は幸せよ」
その瞬間光はすべて弾け飛ぶ。
弾けた光は、静かにふわふわと天へと還っていった。
「剣獅」
「ん?」
「もう一回泣いていい?」
「いつからそんな泣き虫になったんだか」
ばふっとすぐさま胸のなかに飛び込んできた。
顔は見えないが、涙で服がにじんでいることから泣いているのがバレバレだ。
しかも盛大にぐっちょぐちょになるまで。
顔を見られたくないのか、胸にぐりぐりと押し付けてなかなか離れようとしない。
「気が済んだら今度こそ帰るぞ」
「うん」
ちょうどそのとき綾香たちもこちらに向かってきているのが見えた。
城付近とここはわりと離れていて、くるまでにそこそこ時間がかかるのは無理もない。
「悪いな。結構無理言って」
「言われたときは驚いたが、できないこともなかっただろう。それより緊急の連絡だ。学園が何者かに襲われたただちに戻れと」
その知らせを聞いて、剣獅の顔が一気に強張った。
あの世界最強のメイガスがいて、その上で剣獅に連絡を寄越すということはただごとではない。
しかも絶対感知の結界をすり抜けて違和感を感じさせず侵入できるものなど世界中見渡してもそうはいない。
しかも、避難しろとかいうならまだわかる。だが、帰還命令ということはメイガスの手に余る相手ということだ。
「襲撃者はそうとうの手練れとみて間違いない。すぐにでも帰るべきだ」
綾香もちゃんと伝令の意図を理解しているらしい。
剣獅も黙って頷く。
「でもここからだと時間がかかりすぎてしまうのではありませんの?」
ここにくるまでの時間はおよそ一日。
アミリアの言うとおり時間がかかりすぎてしまうし、一日もかけていたら確実にことは終わっている。
「しかしボクらには帰る手段が,,,」
「そいつは違うぜシィル。帰りの手段はちゃんと用意してる」
というと、いきなり五人を中心に紋章陣が広がる。
「これは...」
「転移紋章術。おふくろにちょっと教えてもらったんだがまだ行ったことある場所にしか飛べなくてな。行きには使えなかった」
「剣獅もしかしてずっとこれで帰るつもりだった?」
「帰りまで酔いたくないからな。飛ぶぞ」
五人は風のように、瞬きする間にその場所からすぅーっと姿を消した。
次に示す場所は、学園の庭。
転移のタイムラグはおよそ五秒。
物体の移動を考えれば、五秒で移動できるのだからその程度の時間差など些末なことだ。
帰ってきた学園は、一風どころかすべてが変わっていた。
校舎もあちこち崩れ、目の前を見たこともない化け物が飛んでいく。
そして地面には、たくさんの逃げ遅れた生徒が、血を流して倒れているのが見て取れる。
この地獄絵図のような光景を作り出しているのは、メイガスと対峙する男。
「先生!」
すぐさま駆け寄る。
駆け寄ってみれば、メイガスはすでにボロボロだった。
体のいたるところに、刀傷、裂傷が刻まれて見ているだけで痛々しい姿になっていた。
「やあ剣獅くん。その様子だとエレンちゃんは連れてこられたようだね」
こんなときでも笑顔を絶やさない。
やはりこの人は強い。しかしこの人をここまでやれる人間などそうはいない。
「樟葉剣獅と前世代の娘たちか。初めまして私はゼウスというものだ」
男は慇懃無礼にもそう挨拶した。
「俺たちのことを知ってるってことは目当ては俺か」
「ああそうだね。キミも理由の一つであり、またそうでもない存在でもある」
「要領を得ねえな。シンプルにいこうなにが目的だ」
男は手に持つトランクから、なにかを取り出す。
見ればそれは、成長していない子供サイズの人間の腕の入ったケースだ。なかには養液が詰まってるのか水に浸されている。
そしてそれは右腕。ちょうど剣獅にない部分であり、ちょうど大きさが六歳くらいのものと判断できる。
つまり、剣獅が腕をなくした年と酷似するのだその腕は。
「これがなにかわかるか」
「俺の腕...か」
「ご名答」
さらにもう一つのケースを見てその場の全員の空気が凍り付いた。
それは子供の左足。
つまり、剣獅のなくした左足だ。
このことで想像できるのは、この男が剣獅の手足を奪ったということだ。
それに怒りに狂ったエレンは、剣獅の静止も聞かずにすぐさま聖剣を発動。
巨狼がゼウスに向かって襲い掛かる。
同じく綾香もエレンの行動を察知して、即座に聖剣を開放。
さらに村正の第二段階も開放し、フェンリルとともに左右から挟み撃ちにする。
しかしそれも、後ろに飛び退いただけで躱された。
だがそこで終わりではない。
上からの槍の強襲。さらにダメ押しの鎌による上と、慣性で後ろにしか進めない背後からの攻撃が襲った。
だがこのとき剣獅だけは動かなかった。
動けないのではない。あえて動かなかった。
動くべきではないと、体が判断したからだ。
「みんな逃げろ!!」
剣獅の言葉に反応した全員が即座に判断。
攻撃を止めて退避する。
次の瞬間、黒い閃光が光った。
閃光は剣獅に向かって飛んでくる。
「クロア!」
『踏ん張れ剣獅。すごいのがくるぞ』
クロアを顕現させ、閃光を剣一本で受け止める。
ただの斬撃のくせに、全体重をかけられるよりずっと重い一撃に思えた。
綾香にも匹敵する、いやそれ以上の斬撃だろう。
「眠れ剣騎よ。天上神斬」
受け止めきれず、剣獅は斬撃に右腕を両断されてしまった。
斬られた義手が宙をくるくると回転しながら地面に落ちていく。
「くそが...」
「理解してもらえたかキミたちと私の力量差を。今度は目的について理解してもらおう。私の目的はキミを殺すことだ樟葉剣獅」




