七十五話
あれから酔いが冷めて、二人の酔っぱらいどもはどうにかなったが、なんだかエレンが妙によそよそしい。
多分勢いだけでいっていたところもあるのだろう。
エレンは何考えてるか読めないが、実は案外考えなしなので非常に危ない。
「なぁエレン…」
「ひゃいっ!!」
と、キャラ崩壊を起こすレベルだ。
こんな感じの生活が二日ほど続いている。
「な、何?」
「背中に値札ついてるぞ」
エレンの服があまりに少ないのを見過ごせなかったのか、沙織があちこち連れ回して衣類を大量に買ってきたのだ。
娘がいなくて、こういうことができなかった反動でかなりはしゃいだに違いない。
「ちょっと取ってよ」
言われて剣獅はエレンの背中に手を伸ばすが、手が触れるたびに何度も体がはね上がってちょっと面白い。
「と、取れた? 」
「あ、うん」
「朝から仲のいいことね」
「うわぁっ!!!」
二人の間にいきなり沙織が現れる。
まるで気配がなかったので、まったく気づかなかった。
おかげで奇声をあげ、エレンは立ったまま気絶する事態になった。
「おふくろいきなり出るな湧くな」
「人を幽霊か何かみたいに言わないの。それよりお花見の準備手伝いなさい。アーサーはちゃっちゃとやってるわよ」
確かに、廊下を忙しくドタバタと往復している姿が見える。
剣獅はどうせと力仕事に回ることにした。
「エレンちゃんはお弁当作りね。お花見初めて?」
「あっはい」
「いい?お弁当は女の価値を決める指標なのよ」
またよくわからないことを言い出した。
なんだかんだで、沙織もエレンのことを気に入っているようだった。
いまだに剣獅といちゃついてると、怨念のこもった目で睨みつけてくるが。
沙織は主婦だけにさすがの腕前だが、エレンも毎日剣獅に弁当を作っていただけに、腕前はなかなか。
作業はあっというまに終わった。
見事な重箱(五段か六段ある)の完成である。
「アーサー、剣くん準備は?」
「いつでも行けるぞ」
「じゃあ行きましょう。いざ」
と、車に乗った瞬間、剣獅が持ち前の乗り物弱さを発揮したのはここだけの話。
「お~剣獅。でかい桜だな」
「大きいですねお姉ちゃん」
せっかくの花見なのでクロアとハクアも外に出してやった。思えばここ数日、ろくに外に出しておらず少し悪い気もしてたのだ。
「そうだなたしかにでかいな」
桜はかなりの大樹で、クロアを肩車してる現在も、枝までは剣獅があと二人は必要になりそうだった。
「なんだか剣くん二児の父親になったみたいね」
なんだか前にもエレンにそんなこと言われたような気がする。
やはりそう見えるのだろうか。
「まさか夜に花見とはな。演出が悪くないな」
今の時刻は、だいたい七時過ぎといったところだ。
桜はライトアップされて、昼間と違った印象を受ける。
「さあて今日は飲むわよ~」
「沙織。お前は飲むのはやめなさい」
「あ、アーサー?そんなまさか…」
「お前は酒癖が悪いから酒は置いてきた」
先日の件を忘れるような愚は侵さない。
こっそり缶ビールを持ってきてることは教え…。
「あ~缶発見~アーサー愛してる~」
なくても見つかった。愛してるのは酒か夫か。
これからアーサーは、酔っぱらいの世話をすることになるのかと思うと気の毒だった。
「剣獅はいあ~ん」
こっちはこっちで、普通に普通じゃない普通を満喫していた。
『あ~ん』なんて、男の誰もが夢見ることであろう。
エレン特製の玉子焼きだが、さすがに美味い。
花嫁修業などエレンには不要だろう。
「剣獅私にもしてくれる?」
『あ~ん』のキャッチボールを要求してきた。
大人しそうで肉食なエレンらしいといえばらしい。
「剣獅私にもだ」
「パパ私にもお願いします~」
クロアとハクアまで頼んできた。
なんか将来が大変そうだった。
「剣く~ん私にも~」
三人終わったところだというのに、追加で沙織まできた。
その顔は朱に染まっていた。
「親父ちょっとちゃんと見て…」
アーサーの姿がない。探して見ると案外見つかったが、大人しく寝息を立てている。
どうやら酔うと寝相がかなりよくなるらしい。
しかし、それによって沙織のお目付け役がいなくなった。
ていうか缶ビールで酔うって何本持ってきたんだ。
「エレンちょっと水買ってきてくれるか」
「う、うん…」
沙織の止め方は、水を飲ませればいいらしい。
一か八かというところである。
「剣くん最近ずっとエレンちゃんにばっかり構って連れないぞ~うりうり~」
剣獅の頬をぐりぐり指で捩じ込むような仕草をするのだが、これがかなりうざい。
悪酔いにもほどがある。
「剣獅買ってきたよ」
ナイスタイミング。
剣獅は迷わず沙織の口に、ペットボトルを突っ込んだ。
飲んだら眠くなったのか、コロッと寝てしまった。
「助かった…」
「自販機の買い方知っといて良かった…」
向こうには自販機などない。エレンが買えたのは奇跡だということに、いま気づいた。
「さて邪魔な親がいなくなったし、ちょっと二人で歩かないか?」
「いいよ」
「クロアハクアちょっと二人頼むな」
クロアはおいてけぼりみたいでつまらなそうだが、その辺邪魔はしないでおこうとはしてくれてるらしい。
ハクアがついてきそうなのを、首根っこを掴んで止めていることから察するに。
「エレン行こう」
「うん」
二人は夜道を本当に散歩程度に歩き出した。
「あ~春休みが終わったらまた学校か~」
「この一年すごかったよね」
入学早々にデュエル、絢香と再会を果たしたがなんだか別人みたいになってたり、シィルに結婚を迫られたり、二回も死にかけたり、アーサーが生き返ったり、思い出してもなかなか騒々しい一年だった。
「この一年乗りきれたのはお前らがいたからだ」
そこはお前がいたからだとか入ってほしかったが、事実なので黙っておく。
「正直さ、お前が結婚するって言い出したとき迷ってたんだ」
「知ってたよ。だからちょっと意地悪しました」
「お前なぁ…」
「でもちゃんと答え決めてくれたから、私の思ったとおり」
今回の件に関しては、エレンの手のひらの上だったらしい。
「なぁエレンもう一回聞くけど俺でいいのか?」
「うん剣獅がいい」
なんだろう。多分こういうものを求めてたのだろう。
誰かに嫌われ続ける世界から抜け出させてくれる何かを。
「戻るか?」
「いやもうちょっと歩きたい」
そう言って、剣獅に密着してきた。
二人は夜の桜の咲く道を寄り添いながらゆっくりと歩いた。




