四十五話
「頑張れエレンもう少しだ」
剣獅とエレンは教室に向かって浸走る。
別にマラソンなんて健康に対して勤勉な作業をしているわけではなく。
「眠たい...」
罰として走らされているわけでも、筋トレをしているわけでもないが今走らないととんでもないことになる。
新学期初日に遅刻という恥ずかしいスタートを切らなければならなくなる。
なぜこうなったのかというと、朝食を食べ終わったあとエレンがちょっと横になるとか言って二度寝してしまったがために、起こすのにものすごく手間取ったのだ。
ご存知のとおりであるが、エレンは半吸血鬼。半分でもヴァンパイアなので朝は少々弱い。
ただの不眠症じゃないのかと間違われるのだが、体質だから仕方ないのだ。
「あとちょっとだっ」
「もう無理...」
もはや走りながら、剣獅に手を引かれながら寝ているに等しい。かろうじて口だけ動かせているようなかなり不安定な状態にある。
頭が右へ左へとぶらんぶらん傾く。
眼前に教室が見える。
間に合った。そう思った瞬間に無情にも新学期を告げるチャイムは鳴らされたのだった。
「樟葉くん。テルンさんダメですよ新学期早々に遅刻なんて」
今日は珍しくエリスが教壇に立っている。いつもならばスレイが連絡などを言うだけ言って終わるだけの淡白なHRになるのだがなにかあったのだろうか。
とか、剣獅にそんなことを気にする理由はほとんどなかった。
「いや...ほんと...すいません...」
息が上がって、途切れ途切れにしかしゃべれない口でとりあえず謝罪だけはしておく。
エレンはというと、完全に眠りに入ってらっしゃる。
先生の前だというのに呑気なものだと、エレンのことをあまり知らない剣獅はそう勘違いした。
「まったくもう...今日は転入生がくるんですよ」
転入生という言葉にクラスの面々がざわざわとし始める。
この学校にはそう多く転入してくることはない。
来るとしても大体が他校からの交換転入生ぐらいしかない。
「それじゃあ入ってください」
その少女は教室の扉を普通に、流れるように、ごく自然に開けて入ってきた。普通かと思うかもしれないが、流れるようなあまりに滑らかな一連の動きに、目を奪われたのだ。
さきほど廊下にきたとき出会わなかったのは、おそらく学園長室でも呼び出されていたのだろう。
桜色の長い髪が特徴的な綺麗な少女。大きい瞳が一際人目を惹く。
初めてみる少女だが、どこかで会った気もした。
「シィル・カーラーです。よろしくお願いします」
少女は挨拶程度に微笑んだ。みんなが拍手するなか、一人その瞳の奥に潜むものに寒気を覚えた。
いやな感覚だ。この少女からものすごく嫌な気配がする。
シリウスともローレンとも違う。例えるなら藪から獲物を待つ蛇。
「剣獅。どうしたの...?」
エレンが寝ぼけながらも剣獅の微妙な変化に気づいたらしい。
さすがといえばさすがである。
「じゃあ樟葉くんに色々教えてもらってください」
なぜか剣獅が指された。唯一の男ということでかなり良いようにされているのが、少々癪だがこの寒気の正体を掴むには絶好の機会だろう。
「わかりました」
『剣獅。あいつから血の匂いがする』
クロアもなにかを感じ取っているらしい。
笑顔の裏にはかならず何かある。あれは本当に偽物の笑顔なのだと、認識する。
同じようにシィルも別のことを考えていた。
(樟葉剣獅。その様子だと私の正体に感づいてるみたい...お母様はなぜあんなことを言いだしたのかしら)
それはシリウスが会談から帰ってきたときのことだ。
帰ってくるなりいきなり呼び出された。何事かと思って行ってみると、初めての依頼の内容の変更だった。
「樟葉剣獅に近づいて、イシュタムとデルメザについての情報を集めてほしい」
殺すだの復讐だのと宣っていた人が、手のひらを返した。
どういうわけか理解がおよばなかったが、どうせ沙織が関係しているのだろうとも考えていた。
シリウスの沙織に対するあこがれは異常だ。
どうにかしてやめさせたいとも思うのだが、実の母の命に背くのはあまり得策ではない。
しかもシィルにはちょうど昔した約束があった。
シィルがまだ五歳の頃のこと。沙織はいろんなところに剣獅を連れ回していた。
そのなかにはシリウスの家も入っていた。
同年代の友達もいなかったシィルにとっては剣獅は新鮮であったが、数日もすれば慣れた。
そんななかでの子供ながらにこんなことを言った。
「シィルちゃんがもし大きくなって会ったらどんなだろうな」
「剣獅くんは多分まざーこんぷれっくすになってると思うよ」
「なにそれ」
「お母さん大好きっ子ってことらしいよ」
五歳の子供には難しい単語だった。
「シィルちゃんは可愛いから。将来いいお嫁さんになってると思うな」
「私剣獅くんのお嫁さんになりたい。だから大きくなったらお嫁さんにしてくれる?」
子供の頃の話だ。こんなの覚えているはずがない。だからこそ自分だけの思い出、自分だけの唯一だ。
「わかった約束」
守るはずもない約束。でも、母の任務を耐えてきたシィルにとっては唯一の拠り所だった。
すべてが母のものではないと言える唯一の証明できるものだった。
(覚えているわけないか。特にあの反応をみる限りじゃ)
「じゃあカーラーさんはちょうど樟葉くんの隣が空いているので、樟葉くんしばらくお世話してあげてください」
「先生職権乱用して生徒に仕事押し付けてるって訴えますよ」
こんな軽口を叩いてHRは終了する。
クラスが夏休みの話題で持ちきりになるのと同時に、シィルの話題でも盛り上がる。
シィルの親はすでにシリウスであることは、苗字からわかっていたことなので驚くことは驚くがそこまで問題ではない。
どこからきたのかとか、そういう世間話をする程度だ。
と、狸寝入りでいるとエレンが入ってる組からなにか聞こえてくる。こっちは夏休みの話題らしい。
「夏休みどうしてた?」
「剣獅の家に行ってた」
「もしかして泊まり?」
「そう」
やはりエレンは学校では口数が少ないようだ。
あの海でのエレンをクラス中に見せてやりたいものだ。
「エレンちゃんと樟葉くんって前から仲いいよね。もしかして付き合ってるとか?」
「いやまだ」
否定してくれるのはまぁいいのだが、まだという部分がどうにも引っかかる。
「まだってことは、攻略ルート検索中ってこと?!」
それ普通は男が女を攻略するものなのだが、別に意味的な間違いがあるわけでもないので黙って聞く。
「もしかしていっしょに寝たりした?」
「(海で)いっしょに寝た」
「嘘っ!?それもはや付き合ってるんじゃないの?」
いやいや。同輩よそれは誤解だ。
「もしかして、した?」
「(キス)した」
またもエレンの誤解を生むような言い方だ。
それも間違ってないのでなんとも...。
「それって大人の階段を...」
ほらやっぱり誤解した。
大人の階段は間違ってないけど、違う事と勘違いしてんじゃん。
「もしかして、(告白)した?」
「やった」
「みんなーっ!!エレンちゃんがついに大人の階段を登ったよーっ!!祝え祝えーっ!!」
なんだか気がついた時には取り返しのつかないことになっていた。
エレンが彼女なったみたいなことになってしまっている。
「いや~お似合いだと思ったんだよね」
「どうだったの初めては」
真横に男が聞き耳立てているとも知らずに大声で下っ種い話を延々繰り広げている。
羞恥心というものはないのか。
「まぁ細かい話も含めて、狸寝入りしてる彼氏のほうにも聞いてみましょうか」
ば、バレてた。
剣獅は授業が始まるまで学校中を逃げ回るハメになった。
はいどうも新キャラシィルです。
プロフィールは主に暗殺が得意な桜髪の女の子です。
これからまた新ヒロインとして関わってきます。




