十九話
目の前にいるドラゴンから漏れ出す呼気が肌をジリジリと焼く。炙るように呼気に当てられた肌をさらに威圧感が迫り来る。
整えたように滑らかに赤い龍鱗についた傷が、歴戦を潜り抜けてきた強さと自然界において最強を証明する。
龍は王は王の振舞いとして、生け贄となる目の前の人間をどれから喰ってやろうかと、黄色い宝石のような双眼を右から左、左から右と数回往復させ品定めでもしているようだ。
そして、決まりだというように一度眼を閉じ見開いてその眼に捉えたのは、腰を抜かして動くくことも出来ないでいるエレンだった。
ドラゴンは鋭く尖った爪を腕ごと真上から降り下ろす。
ドラゴンの攻撃は予想外に速く、このままではエレンの体を引き裂くだろう。
それを一瞬のうちに判断した剣獅が、当たる一歩手前で受け止めるが、速い上に重たい物体に対してでは少々脆弱な盾だったかもしれない。
剣獅は圧倒的な質量に押し潰されそうになる。
紋章の力を最大限まで使うのだが、それでも足場にどんどんと足が吸い込まれていく。
まるで沼に嵌まったような錯覚をおぼえる。
「剣…獅…」
震えたように剣獅の名前をどうにか声にすることができた。
「エレンッ!アミリアァッ!今すぐにここから離れろぉ!」
剣獅は重たい攻撃を受け止めながら、声を振り絞って叫んだ。その声は近くにいた二人はもちろん、森中に響きわたった。
だがよく考えればわかるのだが後ろは崖、前はドラゴン、逃げ道などどこにもないのだ。
横に逃げればと思うだろうがドラゴンの体はとてつもなく大きく、横に向かれればそれだけでドラゴンの双眼に捉えられるのがオチだ。
『えらいピンチだな剣獅』
こんなときでも剣であるクロアは呑気なものだ。
たまには知恵か力を貸してほしいものだ、特にこの猫の手も借りたい状況ならなおさらだ。
『これじゃあ十夜芽には勝てないなぁ。私の主人は弱くてがっかりだ』
なんとわかりやすい煽りだろうか、だが今の頭に血が上った剣獅に対しては効果抜群だった。
「なんだとこらぁっ!!!!」
クロアの発言に怒りを滾らせた剣獅の力は凄まじかった。
なんと今まで受けに回っていた剣獅が、反撃に出たのだ。
ドラゴンもムキになって次々と攻撃を繰り出すが、剣獅はそのすべてを弾き続ける。
「誰が弱いってぇっ?おらァッ!!」
段々と剣速が迅くなっていきそれと同時に言葉も荒々しくなる。
やがて弾くだけでなく、ドラゴンの龍鱗に新たな傷をつけるまでに迅く洗練されていく。
果ては見えない刃となるまでに、一心不乱に剣を振り続ける。
「ギャガアアアァッ!!!!!」
ドラゴンも王者としてのプライドもあるのか、負けられないと己を鼓舞する咆哮をあげる。
その震動と今までの攻防による負荷で、地面が決壊した。
ドラゴンの体の中心くらいの地点からごっそり崩れ落ちて、五百メートル下へと三人と一匹の巨龍が落下する。
落ちたことは不幸だったが、まさに不幸中の幸い。これは二人を避難させるチャンスだ。
剣獅は二人を空中で抱えて着地すると、そのまま森の方へと走って逃げる。
ドラゴンには体長と同等の大きさの翼が生えているので、大きく開いて羽ばたいて着地するが、ドラゴンは飛んで追わずに走って追ってきた。
ドラゴンが翼を広げるには崖は狭すぎたのだ。
その間に剣獅は近くの森にたどり着く。
「ここで待ってろ、すぐ片付ける。アミリア動けるならエレンを頼む」
「承知しましたわ。でも何かご褒美でも欲しいですわね」
「後で好きなように言ってくれ」
「じゃあデー…」
「行ってくる」
なんでもという意味で言ってしまったため、くるとは思った言葉は敢えて聞かず剣獅は走り来るドラゴンに向かって走り出した。
『剣獅、勝負は一瞬だ。最高の一撃を叩き込めっ!!』
剣獅はクロアの言葉には返事を返さず、剣を構えてドラゴンを見据えて構える。
そして、目と鼻の先まできたところでドラゴンの顔面を真横一閃に切り裂いた。
「ギアアアァァッ!!!!!」
断末魔の悲鳴とともに、ドラゴンは頭半分が切り飛ばされて息絶えた。
ドスンと頭の半分が死体の横に落ちる。
『やったな剣獅。私は血塗れだぞ』
そういうとまた長いので、剣獅は布で丁寧に血を拭う。布はシルクでないと怒るのでいつも一枚は持ち歩いている。
吹き終わったところでクロアが人型になる。
そこから何故か剣獅とクロアの醜い戦いが始まる。
原因はクロアの扱いと態度だ。
「剣獅ぃっ!貴様高貴なるこの私によくもあんなトカゲの手の盾などさせおったなぁっ!!!」
あれはあれで痛かったようだ。剣であっても痛覚はちゃんと機能しているらしい。
「お前が手ぇ貸してくれれば早かったわっ!!」
剣獅は剣獅で大人気ない。
「犬も喰わないとはよく言ったものですわね。それに私達のことをお忘れでなくて?」
主従喧嘩に横槍を入れたのは、避難させたことを忘れられていたアミリアといまだに調子の戻らないエレンだ。
「あっ悪い忘れてた」
と、このように悪びれもせずに平謝りの剣獅。
そこで腹の音が四人同時に鳴る。
あれだけの大物との戦いで緊張していた体が、安心したことで忘れていた体の感覚を甦らせた。
「腹減ったな…」
だが、剣獅だけは体力まで持っていかれていた上に空腹の二重コンボに気を失って倒れる。
そこを抱き止めたエレンがちゃっかり膝枕の体勢までもっていく。
「剣獅ありがとう、お疲れ様」
剣獅にはもったいないくらいのご褒美だが、生憎気を失っているのでそれに気づくこともない。
「「あーっ!!」」
アミリアとクロアがエレンに指を向けて、何をやっているのかと言わんばかりに抗議の声を上げる。
対するエレンも何か?と勝ち誇ったように二人の苦言抗言をさらさらと砂が吹き飛ぶように聞き流して、ただ剣獅が膝に頭を乗せている感覚を楽しんでいた。




