一話
ざわめく人、そのざわめき声は決して楽しげなものではなく悲鳴にほかならなかった。
倒れ伏して触れた地面から、頬を通して冷たい感触が伝わってくる。それとは対照的に、頭の上はやけにジリジリと焼け付くように熱い。
どうやら火事のようだが、逃げる力は今自分にはなかった。
足はレンガかなにかに潰され腕も感触がない、おそらくだが爆ぜたか千切れたのだろう。
普通なら、悲鳴とともに叫び散らすところだろうが、これからどうやら自分の命すらも失いそうだった。
体の側を、倒れた鉄柱がものすごい音とともに、カフェテリアの椅子やテーブルなどというものを下敷きにしながら倒れる音がする。
自分ももうしばらくするとそうなるのだ、そう悟った。
自分でではない、そう悟らされたのだこの自分にとっては世界の終りでも訪れたような光景に。
ここで終わりか。
もう命も未来もなにもかもを諦めかけた。それもそうだ、今の状況で誰が助けに来るだろう。
皆が逃げ惑いまさしく混乱の中で、誰がこんな死にゆく運命の少年を助けになどくるだろう。
しかしこう言わずにはいられなかった。
「助け...て...」
か細い、とてもか細くこんな混乱した状況では人々の悲鳴に飲み込まれて、人の鼓膜を揺らすことなど出来はしない。
だが、それでも諦めずに何度も何度も小さい叫びを上げた。
しかし、願いは虚しく誰も助けには来なかった。むしろ誰もいなくなってしまった。
「誰...か...」
少年の方もいい加減限界だった。
火事で起こる一酸化炭素中毒寸前まで、煙を吸い込み過ぎている。このままではこの少年の命はあと三分と持たないだろう。
少年も自分の終りを覚悟した。そして静かに目を閉じかけた、そのときだった。
近くでガコンッという音がした。
これは、折れた鉄柱を退かした音だ。
なにか聞こえるが、残念なことに聴神経が頭のエラーによって上手く働かなくなっているようで、
よく聞き取れない。
だが、目だけは動いた。目の前には救助隊とともに助けに来てくれた少女の姿があった。
長い黒髪にワンピースということしか特徴はわからなかったが、少年はこんな状況でこう思ってしまった。
(この子綺麗だな...)
こんな命の危機、いやもう終わりかけだからこそ、助かりたいとか焦るとかいう行動が一切なく、そういう感想が生まれてしまうのだろう。
その少女が今、自分の手を引いている。こんな嬉しいことはない。
最後に可憐な少女の手で見送られて死ぬのだから。
だが、奇跡的なことに少年は生きていた。
五体満足とは行かなかったが、右腕と左足を義足義手にするだけで済んだ。
確かに、軽傷とは言えないがあの状況から助かるのなら代償としては仕方ないことかもしれない。
あの少女には感謝しなければならない。
だが、少女はお礼を言う前に消えてしまった。
そして、救急車に運ばれる直前に朦朧とした意識の中で、聞き出した名前は十夜芽。
生涯忘れることのない恩人の名前だ。
クレンシア王国領聖地カルンディア山。
そこにはある特異な力をもった剣姫と呼ばれる少女たちが集められ、いつか王国の騎士となるべくその力を高め、学ぶ学園がその山の麓に隠れるようにして存在している。
その名は、ブレイドヴァルキュリア学園。この名前は王国の剣姫のなかでも最強の剣姫にのみ与えられる称号に由来するものである。
その学園に、今波乱と混乱と思惑が吹き乱れる。
ブレイドヴァルキュリア学園、全校生徒数およそ三百人程度。
これは、剣姫となる女が極端に希少なためである。従って、生徒は全寮制で監督官として教師が見回りと警護をする。
なにかあれば、王国お抱えの剣姫であった教師たちが即座に捕縛、もしくは抹殺しにくるとんでもなく危ない学園である。
ようは言うと、ここは女子高と言ったところだ。
そんな女子高の門の前に、男がひとり仁王立ちで立っていた。
もちろん周囲の視線は引きまくりであり、感じる視線は明らかに殺意と不審者を見る視線だったが、
少女たちが通報もなにもしなかったのは、その男がこの学園の制服を着ていたからだろう。
男は今日この学校に入学することになったのだ。
長いヴァルキュリア学園の長い歴史のなかでも、男が入学したという話は一切聞かない。
ある意味伝説級の所業なのだ、女の園に男が入るということは。
男はゆったりと、色々物色するようにあたりを見回しながら学園内を探索する。
山の中だけあって、鹿や猪、熊やドラゴンなんかも庭で飼いならされている。
ちなみに、剣姫は遠征となるとドラゴンに乗ることもあるので、授業の一環として取り入れられている。
熊はぶっちゃけ居着いただけなので、あまり刺激しなければ襲うことはない。
しかし男はそんなことも知らずに、熊を見ていきなり肉球をもにゅもにゅと揉み始めた。
当然熊は怒る。そのまま鋭く尖った爪で男を切り裂こうと腕をブンブンと振り回してくる。
男は持ち前の反射神経でなんとか避ける。
しかし、熊は許すわけもなく容赦なく突進してくる。
熊の速度はおよそ六十キロ、自動車が一般道を走るようなスピードが出る。
熊が、男にぶつかり男の体が宙を舞うかと思われたとき、熊がいきなり急停止をかけた。
その後、熊は男の目を直視できなくなった。
その鋭き眼光は、熊でさえも萎縮させた。
「悪かったな」
男は熊の頭に手を置くと、犬でも撫でるかのようにワシワシと頭を撫で始めた。
熊も存外悪くないようで、いつの間にか仲良くなってしまっていた。
そんな男の姿を遠くから眺める女の姿があった。
長い黒髪に、十字瞳が特徴的な女性だった。
「あのときの少年...また会ってしまった」