狂人
1
「それじゃあもう帰るよ」
散々話しまくった千雪が少し疲れた顔をしているさとりと花火にすっきりとした表情で切り出す。
花火は千雪の表情を見て楽しんでもらえた事に安心する。
「そうか、地上まで送って行くか?」
「ああ、大丈夫だよ。玄関まででいいから」
地底は人間が来るには少し危険すぎる場所でもあるため花火は見送りを申し出るがそれを千雪が断る。
外に護衛隊でも控えているのだろう。千雪ほどの人間が護衛もなしに来るはずがない。
そう思った花火は玄関まで千雪を見送り、居間に戻る。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
互いに労いの言葉を掛けながらソファーに対面して腰を下ろす。
普段、他者と話している事に慣れた花火でさえここまで疲れているのだ。同居人としか話さないさとりにはかなり堪えただろう。
「さとり、疲れてるなら今日の晩飯は俺が作るぞ?」
「そう言っていただけると助かります…。お言葉に甘えて御飯までは部屋で休んでいますので」
「分かった」
さとりがフラフラとした足取りで居間から出ていく。
やはり千雪の強烈なマシンガントークはかなり疲れたらしい。
「さて…」
花火はさとりが居間から出ていき、周囲に誰もいないことを確認する。
ソファーの背もたれに体を預け、虚空を眺めて視界からの情報をなるべく減らす。
実を言うと花火は千雪の事を常に観察していた。
千雪は言うまでもなく敵だ。
花火が千雪に取り込まれる事を拒むことを知っているのならあとは潰す以外の道は残されていない。
それに何故千雪がわざわざ命蓮寺などにチャンスを与えるような真似をしたのか。
あのまま千雪と花火の一騎打ちのまま話を進めても千雪の方が商人としての才覚はあるし、優勢なのは千雪だったはずだ。
それなのに命蓮寺と博麗に手を差し伸べるような真似をした。
あんなことをしても借りにはならないことぐらい花火でも容易に理解できる。
それならば自らの勝算を上げるためか。
確かに花火の勝算は一気に下がった。
だがそれは千雪も同じことのはず。
大会内容が何にせよ命蓮寺、博麗には優秀な人や妖怪が多い。
千雪がどれほど優秀な人員を溜め込んでいるかは知らないがとてもじゃないが博麗や命蓮寺に匹敵するまでとは想像しにくい。
そもそも同等の力を持っていると仮定して何故わざわざ同等の力の勢力を復活させたのか。
それに千雪はまるで俺が場の流れをどう持っていくか予測していたかのような纏め方を最後に見せた。
もしかしたら花火がさとりを連れている時点で大体の事は読まれていたのかもしれない。
(厄介どころじゃないぞ、千雪)
花火は千雪という底の測れない人間に危機感を覚える。
だが危険視しなくてはいけないのは千雪だけではない。
命蓮寺、博麗も花火と対抗するには充分すぎる力を持っている。
「大会内容がわからない限りは手の打ちようがないな…」
花火は集中しした神経を緩めながら大きく息を吐き出す。
「何が?」
「うお!?」
突然、真横から声を掛けられて飛び退いてしまう。
「ただいま」
「なんだよこいしかよ。驚かすなって」
花火の顔を覗き込むように顔をかなり近くまで近づけている薄く緑がかった灰色の髪の少女がニコリと微笑む。
鴉羽色の帽子に、さとりと似たような服を身にまとい、左胸には第三の目がある。
この古明地姉妹は面白いことにほとんどの事が正反対だ。
服の色から髪の色、第三の瞳の色までほぼ反転色だ。
外出が好きなこいし、外出が苦手なさとり。
物静かなさとり、元気のある少女のようなこいし。
そして第三の目のが開いているさとり、第三の目が閉じているこいし。
ここまで正反対の姉妹だが、互いにさとりはこいしに、こいしはさとりに並外れた愛情を持っている。
こいしの能力は『無意識を操る程度の能力』で、相手の無意識内に入り込んで相手に気づかれずに接近したりできる。
元々はさとりと同じく『心を読む程度の能力』だったらしいが、かなり昔にこいしは第三の目を閉じ、新たに無意識の能力を手に入れた。
あまり地霊殿にいないのもあり、こいしについては余り詳しくは知らない花火だが、第三の目を閉じるということは『心を閉ざす』という事を意味していると理解していた。
「花火がなんか大変だって聞いたから帰って来ちゃった」
「そんなことで帰って来るよりも毎日家に帰って来るようにしろよ。さとり心配してるぞ?」
こいしは花火の言葉が耳に入っているのかいないのかふっとその姿を消す。
そして次の瞬間には対面のソファーに腰掛けていた。
「何が大変か詳しく聞いてないんだよね。急いで飛び出してきちゃったから」
こいしはお菓子を食べながら紅茶を飲む。
花火はこいしが嫌いなわけではないが少し話しづらい相手とは思っている。
なにせまともにこっちの話を聞いてくれない。
さとりは普段から心の声の影響でこんな状況なのか。
こいしを見ると早く話せと言わんばかりに微笑みながら花火を見ている。
「どこから話すか…」
花火は頭の中で整理しながらゆっくりとこいしに話し始める。
大体の内容を話したところで花火はこいしに大会に参加して欲しいという旨を伝える。
「大会に出るのはいいけど花火はそれでいいの?」
「何がだ?」
「ううん、いいの。じゃあちょっと出かけてくるね。今日は帰ってくるから」
「おい―」
こいしはそれだけ言うと花火が言葉を掛ける暇もなく姿を消してしまう。
花火の無意識の中に潜り込んだのだろう。
こいしを探し出すなら全ての無意識を捨てなくてはいけない。が、そんなことは花火にはできない。
「こいし!」
そして今度は姉のさとりが居間の扉を強く開け放つ。
「こいしが帰ってきましたよね?何処ですか?」
「こいしならまた何処かに出かけたよ。今日は帰って来るって」
花火がそう言うとさとりは残念そうに眉を八の字にする。
「そういや何でこいしが帰って来たって分かったんだ?」
「こいしは心を閉ざしていますから何も聞こえません。ですが裏を返せば空っぽの何かが動き回っているのがなんとなくですが分かるんです」
「なるほどな」
どうやら詳しい位置までは把握できないようだ。でなければ今すぐにでもこいしの元に向かっているはずだ。
花火は残念そうにしているさとりを見ながらもこいしが言った言葉が引っかかっていた。
『花火はそれでいいの?』
あの言葉が意味することが花火にはわからない。
こいしが何を聞いてきたのか。
それは花火には分からなかった。
2
人里の住宅街の外れにある大きな商会を持つ者達の家が集う場所。
そこは民家の住宅街とは違い、どれも立派なお屋敷などが建てられている。
そこの木造二階建ての家。
どの家よりも巨大でどの家よりも豪勢な作りのその建物は言うまでもなく千雪の自宅である。
この家は千雪の先々代から受け継がれているモノで、千雪はこの家の三代目当主となる。
そこの中庭に接する縁側で、千雪は月を眺めながら盃を満たしていた。
今日行った地霊殿では、あそこまで敵対意思を見せたにも関わらずにさとりと花火はすんなりと受け入れた。
元々の約束というのもあったが、状況的には千雪は花火を窮地に追い込んだ張本人で、キツく当たることはしても、受け入れる理由が無いはずだ。
花火が少しばかり千雪を警戒していた雰囲気だったのは知っていたが、その警戒も直ぐに解かれた。
千雪は盃に並々注がれた透明な酒を口に運ぶ。
いつになく穏やかな表情の千雪。
だがその中は様々な事が渦巻いていた。
「だれだい?こんな時間に」
千雪は振り向くことなく縁側から繋がる部屋へと声を発する。
「あれれ、人間にバレたのは貴方で二回目かも」
すると先程までは何もなかった虚空から一人の少女が現れる。
心を閉ざした少女、古明地こいしだ。
「それは光栄なことだね。何の用かな」
千雪はお落ち付いた表情でこいしに敵意のない声で問う。
「うん、やっぱり貴方だね」
「………?」
答えになっていない言葉が飛んできて、千幸は怪訝な表情をこいしにぶつける。
「貴方でしょ?花火に変なもの擦りつけたの」
こいしの言葉に千雪は目を見開く。
そして次の瞬間には千雪の口が弧を描く。
「確かに花火に付いているのは僕のものだね」
「それなら早く取ってきて」
「理由を聞いてもいい?」
こいしが敵意を見せているのも関わらずに警戒はおろか敵意すら見せない千雪にこいしは目を細める。
「花火がどう思っているかは知らないけど花火は地霊殿の家族だよ。それなのに他人の匂い付けられたんじゃ嫌なの」
こいしの答えに千雪は満足そうに頷く。
そしてどす黒い影を露見し始める。
「家族ねぇ。君じゃあ花火の家族は難しいよ?」
「どういうこと?」
真っ黒な蛇のような物が千雪に纏わり付くのをこいしは感じる。
「その証拠に花火は君たちを家族とは思っていない」
「…………」
千雪が蛇のような視線でこいしを射抜く。
「それに花火に付いている『あれ』は僕がつけたんじゃない」
「………?」
どす黒い蛇が千雪と共にこいしを射抜く。
「花火に呑まれたのさ」
二話連続で短いので連続投稿。
ご意見ご感想お待ちしています。