九な呼び出し
チルノじゃないです。
1
暗い夜。
月明かりの届かぬ深い森の中は虫の鳴き声すら響かずただただ暗闇のみがその場を支配する。
気味が悪い暗闇、気持ちが悪い暗闇、それはそこに立つだけで人に不安、恐怖などの感情を抱かせるほどに気味が悪い。
「お父さん…」
音も光もない森に響くは幼き弱々しき声。
そしてその幼子の前には赤い液体を流す一人の男。
赤い液体は男の体から流れ、地面はその液体を歓迎するかのように吸い込んでいく。
「大丈夫だ、お前は早く里に戻りなさい」
男は液体の付いていない手で幼子の頭を撫でながら言う。
その一言一言には慈愛に満ち溢れ、正に命よりも愛おしい存在に語りかけるかのよう。
「分かった、でもお父さんはどうするの?」
幼子はその声を聞き、音も光もない森の不安、恐怖を和らげて嬉しそうに問う。
「お父さんもあとから行くよ、帰ったら早く寝るんだよ」
「うん」
幼子は知らない、見えない。
男の顔が、胴が、四肢が、赤く染まっている事を。
幼子は知らない、見えない。
男の頬を伝う暖かな感情を。
そして森は嘲笑う。
狂っていると。
そして森は嘲笑う。
壊れていると。
そして森は見惚れる。
狂気の沙汰ほど美しいと。
2
さとりの説教を頂いた日から二日後。
花火は眉間に皺を寄せながら人里の商店街を歩いていた。
周囲の人や妖怪は何時ものような元気な花火でないことに気がつき、次々と声をかけては気持ちの印として物を渡す、頭を撫でるなどをする。
無論、花火は物は丁重に断り、頭を撫でられるのは気恥ずかしいが撫でられながらも歩みを進める。
今日、花火が人里に出向いているのは仕事のためではない。
かと言って遊びに来たわけでもない。
花火は人里に入ってから何時もよりも強めに気を配っているが、護衛隊も諜報員も花火を監視してる様子はない。
かと言って聖から連絡が来たわけでも霊夢から連絡が来たわけでもない。
連絡が来たのは九商会からだった。
昨日、地霊殿へ便箋が届いた。
その便箋の封筒を見ただけで花火は焦りの表情を隠しきれなかった。
薄茶色の封筒に大きく九商会と筆で書かれている。
そして内容は拝啓から始まり長々と様々な世間話や季節について書いてあったが要約すると『後日、我が商会に遊びに来てください』とのことだ。
九商会の思惑を知っていると何が遊びに来てくださいだと蹴りたくなるような誘いだが立場上、花火に拒否権は無いのと同然でこれは誘いではなく命令に近かった。
花火がどこまで知っているかは知らないが断れないことを顧慮した上のこの急な誘いなのだろう。
対抗策は自慢じゃないが全くと言っていいほどできていない。
完全に個人対組織なので打てる手立てが殆どないのだ。
そんな中で急な九商会からの呼び出し。
聖からも霊夢からも連絡がない事を見るとかなり極秘に進められた、あるいは連絡が間に合わないほどに唐突だったことが予想できる。
それに見張りが一人もいないことも気になる。
護衛隊は俺など目もくれずに里の警備に勤しみ、諜報員は影もない。
だが花火には何故、九商会が自分を呼び出すのかが分からなかった。
前も言ったが花火はかなり頭が弱い。
頭のキレる者ならば様々な予想をしてそれに見合ったできる限りの対抗策を出すのだろうが花火には到底できないことだ。
結果的に花火は頭に大量のはてなマークを出しながら商店街を歩いている今に繋がる。
商店街を過ぎ、住宅街と商店街を結ぶ真っ直ぐな道にある広場を商店街から見て右に曲がる。
左に曲がれば寺子屋や、子供たちが遊べる手頃な木が生えていたりしている。
そして右には九商会を始めとする様々な商会の蔵などがある。
何でも屋には蔵はいらないので花火は商店街の外れにある事務所だけあれば十分だが、普通の商会は品を保管したりする蔵が必要になる。
蔵などが集うこの場所は『母の押入れ』という正式名称だが、周囲からは『商人街』と呼ばれている。
その商人街で最も巨大な建物が九商会の蔵、兼本部である。
一階が蔵として様々な物が保管されており、二回が重鎮達が使う会議室や小規模の催しならば出来る程の大部屋などがある。
この建物を見るだけで九商会の組織としての巨大さが伺える。
「花火さんでよろしいでしょうか」
九商会の護衛隊と思われる男が花火に話しかける。
黒髪を短く切りそろえ、引き締まった筋肉が体を覆っている。
キリッとした瞳には不思議と恐怖は感じさせないような優しさがあり、だがそれでも隙のない武人のような雰囲気を出している。
「ええ、そうです」
「お待ちしていました、ご案内いたします」
護衛隊の男が丁寧な対応で花火を二階へと案内する。
内装は木造の二階建てで、一般の家よりも大きい。
人里外での建物はどれも巨大だがこの建物は人里の中でではかなり大きい方に分類される。
廊下ですれ違う従業員に会釈をしながら先へ進む。
「九様、花火様がお見えになられました」
「いいよ、入ってきな」
護衛隊の男が麩を開けて花火に部屋へ入ることを促す。
「失礼します」
「やあ、貴方が花火さんだね。初めまして、かな?まあ取り敢えず座って」
部屋の中は和風な内装にソファーやクローゼットといった洋風な物が置かれていて、それでも違和感のない和洋が溶け合った部屋だった。
その部屋でソファーから立ち上がりながら花火を迎え入れる茶髪の若い男、年齢は十代半ばだろうか。
花火と見た目ではそこまで歳は変わらないように見える。
白い肌に中性的な少し幼さの残る顔つきは、男と分かっていても可愛らしいと思える。
幻想郷では珍しい…というか殆ど普及していない外界の服を着込んでいる。
黒のジーンズに白に黒い模様が描かれているシャツを外界でも引けをとらない位に着こなしている。
「では私はこれで」
「うん、お疲れ様」
護衛隊の男が一礼して去るのを茶髪の男が労う。
「じゃあ改めて。初めまして、九商会の会長を務めている九千雪です」
「何でも屋の花火です」
互いに短く自己紹介を済ませる。
花火は九商会の会長に会ったこともなければ名前も知らない。
完全な初対面で花火はイメージとは違う千雪の人間性に少し戸惑いを覚えていた。
「それにしても『あいつ』は堅苦しくていけないね、花火さんも少し息苦しかったんじゃない?」
千雪はまるで古くからの友人に話しかけるかのようににこやかに明るい口調で話しかける。
恐らく『あいつ』が示す人物は先ほどの護衛隊のことであると花火は予想を付ける。
「それとさ、どう、これ。花火さんが外界から最近幻想入りしたって聞いて持っていた外界の服を着てみたんだけど」
シャツの襟を引っ張りながら服について今度は話題を振る。
花火はその一方的な会話に戸惑い、完全に固まってしまっていた。
(これはペースを持っていこうとしているのか?それとも友好的に見せかけてるとか?)
表情に出さぬように花火は千雪の本心を探る。
すると千雪は急に真剣な顔になり、テーブルに両肘を立てて手を組む。
「そんな下らない話ししてないでさっさと本題に移れってことかな?」
「いや、予想していた人物像とかなり違かったから少し戸惑っただけです」
花火は素直に答える。
実際に花火が予想していた人物像は、中年の堅苦しい男をイメージしていた。
まさか人里で一番大きな商会の会長がこんなにも幼い人間だと誰が予想できるか。
「うん、よかった。でも直ぐにベラベラと話を脱線させるのは僕の悪い癖でね、じゃあ本題に入ろうか」
千雪はひと呼吸おいてから話を始める。
「単刀直入に言うけどさ、花火さん。九商会と手を組む気はないかい」
鋭い視線で花火を射抜きながら千雪は問う。
花火は意外な持ちかけに戸惑いながらも思案する。
花火の協力者二人からは九商会は花火を潰そうとしていると聞いた。だが実際に今は手を組まないかと持ちかけている。
(俺を食いつぶす気か?)
「まあ戸惑うのも無理はないよね、だってさ聞いてるんでしょ?九商会が花火さんを潰そうとしてるって」
「!!」
暫くの沈黙を千雪が破る。
そしてその言葉は花火が命蓮寺、博麗から情報を入れているということを知っていると意味している。
その言葉に花火は動揺を隠せずに驚愕の表情を出してしまう。
「あ、その反応だとやっぱりそうなんだ。そうすると最近嗅ぎまわってる命蓮寺と博麗が妥当なところかな?」
千雪の言葉に花火は自らが出し抜かれた事を理解する。
そして花火の協力者二人の名前も既に出されてしまった。
最初に正反対の事を言い、それに対して怪しげなリアクションを取れば状況的に最も可能性の高い物を餌に出し抜く。
もし怪しいリアクションを取らなければそのまま契約を交わし、食いつぶす。
完全に自らの組織を理解した上のモノだった。
「でも僕はね、花火さんと手を組めれば潰さないって約束するよ」
「さっき自分を騙した人間を信用しろというのは無理があると思うのですが?」
「あれれ、もしかして僕って信用ない?」
大袈裟に、残ねそうなゼスチャーをしながら千雪は顔を伏せる。
それを花火はじっくりと観察する。
「僕は花火さんは味方ならそれはそれは頼もしいパートナーになってくれると思うんだ」
今度は急に顔を上げて明るい顔で話し始める千雪。
「でもさ、敵になったらこれほど邪魔な存在はないんだよね」
ゾクリとするほど冷たく、低い声で言う。
花火はこの短時間で千雪という人格をなんとなくだが理解していた。
狂人。
自らのペースに相手を巻き込む事がかなり上手い人だ。
紫や聖のように自らのペースを崩さない人とは正反対で、実際に千雪は花火にその狂気っぷりを隠そうとしない。
花火は千雪の狂気の中から別の何かを感じていた。
「千雪さん、貴方がしようとしている『それ』は何ですか?」
コロコロと変わる雰囲気の中で、一つだけ変わらずに千雪に蛇のように纏わり付くどす黒いモノ。
「あ、やっと名前で呼んでくれたね。嬉しいよ」
ぱあっと明るい表情で嬉しそうに言う千雪。
「うん、やっぱり花火さんは『素晴らしい』ね。ますます欲しくなっちゃたよ」
花火に千雪の蛇のような視線に危機感にも似た寒気がゾクリと走る。
「潰すのはやめだね、僕は花火が欲しい」
どす黒い蛇が千雪から花火に向けてその身を伸ばし、飲み込もうと大きな口を開ける。
「今すぐにでも呑み込んで、僕のものにしたい―」
蛇はその長い舌で花火の顔を味見するかのように舐める。
花火は無表情でその全てを受け止める。
「―ところなんだけどさ」
千雪がふっと今まで出していた黒い影を引っ込めて一枚の紙を取り出す。
「博麗と命蓮寺から会合の誘いという命令を受けちゃってさ、今は残念ながら花火さんには手を出せないんだよね」
心底残念そうに会合の招待状をヒラヒラと振る千雪。
花火は無表情のままそれを見守る。
「今日の予定では花火さんと契約を結んで明日の会合に一緒に行こうと思ったんだけどさ」
千雪の口角がニヤリと吊り上がる。
「まさか『これ』までバレてるとは思わなかったよ、そのせいでますます欲しくなちゃったじゃないか」
花火は焦りを一周して落ち着いた思考で模索を再開する。
千雪は命蓮寺と博麗との会合と言った。そんな重大なことを何故、霊夢と聖は花火に伝えなかったのか。
考えられる予想としては花火抜きで九商会の目論みを阻止するためか。それとも元から花火とは両者とも協力など初めからしていなかったのか。
「千雪さん、その会合の主催は博麗ですか?それとも命蓮寺ですか?」
「千雪でいいよ、それと敬語はなしね。僕も花火って呼ぶからさ」
人懐っこそうな笑を浮かべながら言う千雪に花火は少し引き攣る。
この狂人とはできれば親しくはなりたくないというのが妖怪の花火の本音だ。
だが何でも屋の花火としては親しくしておいて損はない。
「分かった、千雪。…これでいいか?」
今の花火は何でも屋の花火としてここに呼ばれた。そうすれ妖怪の花火の個人的なモノを入れるわけにはいかない。
「嬉しいなぁ、花火に名前を呼び捨てしてもらえるなんて」
感傷に浸っている千雪に花火は怪訝な視線を浴びせる。
「そんな目で見ないでよ、でもそんな花火も素敵だよ」
花火の怪訝な視線に気がついた千雪はニコリと微笑みながら花火を見る。
花火は千雪は狂人であり変態でもあると認識を改める。
「それで、変態。どっちが主催なんだ?」
「変態!?それは心外だよ、僕は好きなものに正直なだけだよ。主催は博麗、命蓮寺両方だよ」
「両方?」
両方となるとこの会合は博麗、命蓮寺両方が何かを企てている可能性がある。
花火は落ち着いた頭で誰がどこを向いているのかを整理する。
九商会、これは花火を取り込むか潰すかこの二択しかない、故に味方ではない。
命蓮寺、前の会合では味方と言っていたが今回の件で信用はかなり下がる。千雪の態度からして九商会と手を組んでいる可能性は低い。
博麗神社、元から味方とも明言しなかったし、情報のみしか与えてきていない。それを考えれば花火を陥れたとして何も違和感はない。
花火はそれぞれの状況と立ち位置などを整理し、誰が今回の騒動で一番得するかを考える。
そして出した答えに花火自信が大きく戸惑うことになる。
「なあ、千雪。頼みたいことがある」
「なにかな?でも料金は取るよ。そうだね、一日花火と地霊殿でデートしたいかな」
「ああ、いいだろう。それくらいならお安い御用だが変なことはするなよ」
「ふふーん、どうかなぁ。それで、頼みって言うのは?」
花火は千雪に頼みの内容を話す。
「それって本気で言ってる?胃袋の中にに飛び込むことって分かって言ってるの?」
「もちろんだ、だがタダで食われるつもりはない」
「ふふふ、いいねぇ。それなら僕がタダで食べてあげるよ」
「勝手に言ってろ」
花火の提案、それは普段の花火からは予想もつかないモノであり、九商会からも考えつかなかったものであった。
3
博麗と命蓮寺との会合を控えた前夜、千雪は自宅でニヤニヤとしながら夜空を眺めていた。
とっつきやすいが心底嬉しそうにすることはほとんど無い。
それが九商会の九千雪を知る者の見解だ。
故に千雪がここまで嬉しさを滲み出すことはかなり珍しいことであり、同時に不気味なものでもあった。
その狂気じみた笑顔の矛先は言うまでもなく花火に向いている。
(最初はタダのお人好しかと思って残念だなんて思ったけど僕の見当違いだったね)
花火を初めて見た千雪は、信頼を得ている秘訣はただのお人好しな人格だと予想を付けた。
それなら最初のうちは上手くいくかもしれないが、将来的に考えるとどこかで確実に躓き、潰れる。
(だけどあの急な変貌ぶり、最初は蛇に睨まれた蛙だったのにね)
最初の花火は完全に千雪の狂気に呑まれていた。
それがどうだろうか、途中からのあの変貌ぶりは。
まるで千雪を脅威と見なしていないかのような落ち着き方。
蛇を眼中に入れない蛙は間違いなく食われ、死に絶える。
だが花火にはその蛇すら近づけようとしない何かがあった。
(僕が初めに見ていた花火は仮面なのか、それとも花火自身なのか)
嬉しそうな表情を更に綻ばせて千雪は笑う。
蛙だと思い、近づいた蛇はそれが蛙でないことに気がつかずに呑み込まれる。
(花火は一体何者なんだろうね)
蛇は気がつく、自らが呑もうとしたそれは蛙の形をした何かだったと。
「僕はもう君に呑まれた。僕はもう君のモノだ」
心底嬉しそうに天を仰ぎながら千雪は言う。
「だって君の方が狂っているのだから」
狂気に呑まれた男、九千雪は花火に対する熱い思いを馳せ続ける。
9なのは私ですね。
ご意見、ご感想お待ちしています。