浮気が些細な遊びと仰るのなら、誰の前でも続けられますよね?
「俺と婚約できたのだから、些細な遊びくらい大目にみろ」
エルダーは、婚約者であるアイラを前にそう言った。
「わかりました。今日は月が出ておらず足元が見えにくいです、どうかこれを」
アイラはいかにも心配しているのを装い集光鏡を差し出す。暗がりで光を放つ、手鏡に似た魔道具だ。
エルダーはフンと鼻で笑いながらそれをかっさらうと、屋敷の庭園へと向かっていった。今は舞踏会の真っ最中だというのに。
アイラは大きく息を吐き、喧騒を閉じ込めるホールの扉に寄りかかる。エルダーの視線の先には、木陰に隠れて手をふる女性。また新しい女だ。
アイラ・クルスト子爵令嬢はエルダー・ウィルク伯爵令息と婚約を果たした。
エルダーの女遊びは婚約する前から有名であったが、アイラとの式が近づくにつれより拍車がかかるようになった。
「伯爵令息と婚約できたのだから多少のことは大目にみろ」と、アイラの周りの人間は口を揃えて言う。けれど――
クルスト家のためにと我慢し続けていたがもう限界だ。エルダーの行いは許せない。
アイラは自分だけを愛してほしかった。だって永遠の愛を誓う婚約者なのだから。
「些細な遊びなら、皆様の前でも続けられますよね……?」
アイラの消え入るような声が、夜風に攫われていく。エルダーは軽く振り返ってアイラを一瞥しただけで、すぐさま令嬢のもとへ歩みを進めた。
アイラは重厚な扉を開き、熱気に包まれたホールの中に入る。天井で輝く数台のシャンデリアが、貴族たちを華やかに照らしていた。アイラは近くにいた使用人に微笑みかけると、庭園に面した巨大なガラス窓の前までゆっくり歩いていく。
女に飢えたエルダーのことだ、そろそろあの令嬢と抱き合っている頃だろうか。
アイラはホールの中をぐるりと見回す。正面大扉、二階の外窓、そして目の前のガラス窓。配置についた使用人たちがアイラの合図を待っている。
アイラは目を閉じ一度深呼吸する。ニヤリと笑みを浮かべると、静かに右手を上げた。
ギイーッと音を立てて、ホールの全ての扉と窓が開かれる。その瞬間、外から強烈な突風が入り込んだ。
外気との温度差で吹き付ける風は、シャンデリアの火を一気に消し去る。
「なんだ!? 一体どうした?」
「なんで急に灯りが消えたの!?」
オーケストラの音楽がピタリと止み、貴族たちは暗闇の中で動揺の声を上げた。
アイラは開かれたガラス窓から庭園を覗き、驚いたように口を開く。
「エルダー様! ご無事ですか?」
その声に、ぞろぞろと貴族たちがアイラの近くに集まってくる。
ホールから漏れる灯りを失った庭園に、一か所だけ白く光る場所。
身を寄せ合ってこちらを唖然と見るエルダーと令嬢がいた。
「よかった、エルダー様。夜襲でもあったのかと心配で。ご無事そうでなによりです」
エルダーは自身に集められた視線に気づいたのか、両手で令嬢の肩を押して引き離す。
「いけませんエルダー様! 些細な遊びの途中でしたのでは? どうぞ、私のことは気にせず続けてください」
エルダーはピクリと頬を引きつらせた。
「一体何の真似だアイラ! こんな恥をかかせるような……!」
エルダーはアイラを睨みつけると、その視線を令嬢の手元へ移す。彼女が大事そうに手にしているのは、ホールの灯りが消えて輝きを増した集光鏡。婚約者からの気遣いの品を、さっそく愛人に渡すとは。
エルダーは集光鏡を強引に取り返すと、大きく振りかぶって地面に叩きつけた。
パリンと集光鏡が砕け、破片が散らばる。その一つ一つが星のように瞬き、苛立つエルダーの顔を浮かび上がらせた。
「そんな…… 私からの贈り物はお気に召しませんでしたか?」
しくしくとアイラは目元に手を添える。
「アイラ・クルスト嬢。大丈夫ですか?」
一人の男が、アイラの肩にそっと手を置いた。
「これは一体どういうことだエルダー!」
「あ、兄上……」
エルダーはばつが悪そうに唇を噛む。
エルダーの兄、ローエン・ウィルクはアイラの肩に優しく手を添えながら続けた。
「お前の素行の悪さがこれほどだったとはな」
「兄上、私は何も…… ただ談話を」
「いいんですローエン様」
アイラの悲痛の叫びに、口を開きかけたローエンが振り向く。
「私はエルダー様と婚約させていただいた身。たとえ何度不貞行為があったとしても、私は目をつむると決めているのです」
集まっていた貴族たちが、アイラを哀れむ声を漏らす。そして眉をひそめてエルダーを睨んだ。
「だからエルダー様。私のことは気にせずどうか続きを」
まるで矢に射抜かれたように、エルダーの顔が苦痛に歪む。「覚悟はできているな?」と、ローエンの勇ましい声が夜空に広がった。
♢♢♢
貴族たちの前でウィルク家の面目をつぶしたエルダーは、アイラとの婚約を破棄されることとなった。
信用を取り戻したいというウィルク家の申し出で、アイラは誠実なローエンと婚約することになる。
あの一件以来、エルダーは女性から全く相手にされなくなったらしい。
「舞踏会のあの日、使用人たちを買収していたようだな」
「なんのことでしょう? 私はホールにこもった熱を取り除くようお願いしただけですよ」
アイラは涼しい顔で紅茶をすすり、テーブルの上に置く。向かいのローエンは苦々しい笑みを浮かべた。
ローエンの言うことは本当だ。アイラは使用人たちに賄賂を渡し、二つの指示を与えた。
シャンデリアの蝋燭を粗悪品に替えておくこと、合図に合わせ一斉に窓を開くこと。
アイラの望んだタイミングで吹き付けた風はホールの灯りを消し去り、事前に渡しておいた集光鏡が庭園の仲睦まじい男女を照らし出した。
婚約者ならば相手を愛さなければ。たとえ身分違いであったとしても。
「ローエン様は浮気なんてされませんよね?」
「も、もちろんだとも」
アイラの探るような眼差しに、ローエンは胸に手を当てコクコクとうなずいた。
重ねた両手を頬に添え、アイラはにこやかに微笑む。
「私だけを愛してくださいね」




