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安楽椅子探偵はスパチャで謎を解く ~住所特定班と挑む心霊事件簿~  作者: U3


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第9話 死体は雄弁に語りすぎる

 午後1時。

 私の安息の地であるマンションの最上階リビングに、段ボール箱が置かれていた。


「……持ち帰れ。今すぐにだ」


 私は腕を組み、冷酷な声で言い放った。

 目の前には、岡本純と中野月子が並んで立っている。


「そう言わずにさぁ、Qちゃん! 知り合いのブリーダーさん所でキャンセルが出ちゃって、引き取り手が見つかるまでの数日だけでいいから!」


「無理だ。僕は自分の身の回りの世話だけで手一杯の引きこもりだぞ。命を預かる責任など持てない」


「でも店長、ここペット可の高級マンションじゃないですか。私たちのアパートじゃ規約違反になっちゃうんです」


 二人が拝み倒してくるが、私は首を縦に振らない。

 犬だ。段ボールの中には、犬がいるらしい。

 抜け毛、排泄物の処理、散歩の義務。どれをとっても、私の優雅で静謐な引きこもりライフを破壊する脅威でしかない。


「絶対に無理だ。保健所か動物愛護団体に連絡しろ。……おい、箱を開けるな!」


 私の制止を無視して、月子が段ボールのフラップを開けた。

 中から、小さな、本当に小さな毛玉が顔を出した。


 生後56日の柴犬の仔犬だった。

 まだ耳は少し垂れ気味で、たぬきのようにコロコロとした丸いフォルムをしている。赤茶色の柔らかな産毛に包まれ、黒曜石のようにつぶらで濡れた瞳が、私を見上げた。


「……っ」


 私は無意識に息を呑んだ。

 私が恐る恐る手を差し出すと、毛玉はトコトコと不器用な足取りで近づき、私の指先の匂いをクンクンと嗅いだ。


 ――1秒。


 冷たくて湿った小さな鼻先が、私の指に触れる。


 ――2秒。


 「キュゥゥ……」と、鼓膜の奥をくすぐるような甘ったるい声を上げ、私の手のひらにすり寄りながら、コロンと仰向けに転がった。


 ――3秒。


 無防備なピンク色のお腹を全開にし、ちぎれんばかりに短い尻尾を振りながら、私の指を小さな舌でペロペロと舐め始めたのだ。


 警戒心ゼロ。初対面にして、わずか3秒。

 完全に私を「親」と認識し、全幅の信頼を寄せる絶対的な甘えん坊の姿がそこにあった。


「…………なんという恐ろしい生き物だ」


 私は震える手で、その温かくてもふもふとした命を抱き上げた。

 仔犬は私の腕の中で安心したように丸くなり、喉を鳴らしている。


「名前は『チャイ』だ。……月子、純。今すぐネットスーパーで最高級のオーガニックドッグフードと、低反発のベッド、それにトイレシートを箱買いしろ。経費で落としてやる」


「陥落早っ!?」

「チョロすぎでしょ店長……」


 こうして、私の要塞に新たな同居人が加わった。

 これが、この日の最初のイレギュラーだった。


 午後4時。

 私は膝の上にチャイを乗せ、ブラッシングをしながらメインモニターを見つめていた。

 画面には、薄暗い山林の風景が映し出されている。


『えー、皆さんこんにちは。JUN様です。今日はT県にある「迷いの森」に来ています』


 純の声は、心なしかいつもよりビビっていた。

 カメラマンの月子、そしてオカルト解説役として同行しているエレナ・ヴァルゴヴァの姿も映っている。

 今日の企画は「コンパスが狂う呪いの森で、隠された祠を探す」というベタなものだ。


「エレナ、現在地の座標は合っているか?」


 インカム越しに問いかける。


『ええ、バッチリよトオル。私の持っている古い郷土史の地図によれば、この先の斜面を下ったところに……あら?』


 映像の中で、エレナが立ち止まった。

 月子のジンバルカメラが、斜面の下をズームする。


『ちょっと純、あそこの土から出てる白いもの、何に見える?』


『え? ゴミの不法投棄じゃないの? 白いプラスチックのボウルみたいな……』


 純がズカズカと斜面を下り、その「白いもの」に近づく。

 そして、それに触れようと身をかがめ――。


「――キャアアアアアアッ!!」


 純の鼓膜を破らんばかりの絶叫が、森に響き渡った。

 カメラが捉えたのは、ボウルなどではなかった。

 土の中から半分顔を出した、空洞の眼窩と、歯の並んだ顎。


 人間の、頭蓋骨だった。


『うおおおおお』

『ガチじゃん!』

『ヤバいヤバいヤバい』

『通報しろ!』


 コメント欄が滝のように流れる。


「月子! カメラを下ろせ! 配信をスタンバイ画面に切り替えろ!」


 私が怒鳴ると同時、月子が素早く操作し、配信画面は「しばらくお待ちください」の静止画に切り替わった。

 ただし、映像と音声のプライベート通信は私に繋がったままだ。


「純、落ち着け! 絶対に触るなよ。月子、すぐに原田刑事に連絡だ」


『り、了解ッス! さすがにこれは……本物ですね』


 月子の声も少し上ずっている。

 いくら肝が据わっていても、突然の白骨死体には動揺するだろう。


 その時だった。


『ヤス! そこのお嬢さんたち、その骨から少し離れてもらえるかしら?』


 現場の音声に、聞き慣れない女性の声が混ざった。

 私がカメラの向きを変えさせると、茂みを掻き分けて一人の女性が現れた。


 森には似つかわしくない、ヴィヴィッドなイエローのドレス。その上から白衣を羽織り、背中には大きなリュックを背負っている。

 エーゲ海の太陽を思わせる眩いブロンドヘアに、宝石のようなブルーグリーンの瞳。ギリシャ彫刻のように美しい顔立ちの女性だった。


『だ、誰!?』


 純が腰を抜かしたまま叫ぶ。


『私はソフィア・アンゲロプロス。K大学病院の法医学研究員であり、監察医よ。今日はこの森に自生する珍しい薬草を探しに来たのだけれど……あら』


 ソフィアと名乗った女性は、純たちを完全に無視して、頭蓋骨の前にしゃがみ込んだ。

 そして、うっとりとした表情で骨を撫でた。


『まぁ……なんて美しい骨ね。見事な白骨化だわ』


「おい、アンタ何者だ! 現場を荒らすな!」


 私がスピーカー越しに警告するが、ソフィアは意に介さない。

 彼女は白衣のポケットから医療用のニトリル手袋を取り出して装着すると、頭蓋骨の周囲の土を器用に払い始めた。


『あーら、スピーカー越しの声の主さん。現場保存は基本だけど、この子はもう随分前からここで眠っているわ。……ふふっ、なるほどね』


「何がなるほどだ。ただの死体遺棄事件だろ」


『いいえ。これはもっと雄弁なメッセージよ』


 ソフィアは頭蓋骨をそっと持ち上げ、カメラのレンズに近づけた。


『見て。左の側頭骨にあるこの微小な陥没痕。これは石や鈍器で殴られたんじゃない。特定の形状のハンマー……そうね、地質調査用のロックハンマーによる一撃よ。そして、第一頸椎の切断面。とても滑らかだわ』


「……刃物で首を切断されたと?」


『ええ。しかも、傷の角度から見て、犯人は左利き。刃物は解体用のノコギリではなく、大型のサバイバルナイフ。……ためらい傷が一切ないわ。犯人は解剖学的な知識があるか、肉を切り裂くことに慣れている人間ね』


 モニター越しに見る彼女の眼差しは、狂気と紙一重の冷徹な知性に満ちていた。

 ただの薬草採りではない。本物のプロだ。


「……特定班、出番だ」


 私は、配信の待機画面にチャットだけを表示させ、リスナーに語りかけた。


「今からプロファイリングの特徴を投げる。過去5年以内、T県周辺で行方不明になった人物を洗い出せ」


 ソフィアがさらに続ける。


『骨盤の形状から、被害者は男性。年齢は40代半ば。……あ、右の脛骨に古い骨折の痕があるわ。チタンプレートが入っていた形跡。歩く時、右足を少し引きずるような癖があったはずよ』


「……聞いたな、特定班。40代男性、右足に障害の残る人物だ」


 数万人のリスナーが、一斉にネットの海へダイブする。

 警察の行方不明者データベース、ローカルニュースの過去記事、SNSの失踪者捜索アカウント。


『Qちゃん、原田刑事に繋がりました! 今こっちに向かってるそうです!』


 月子が報告してくる。深美が到着する前に、決着をつける。


『あった!』


 コメント欄に一つのURLが貼られた。

 3年前に失踪した、T県内の建設会社社長・佐々木の捜索願だ。


「……ビンゴだ。佐々木は失踪の1年前、交通事故で右足を骨折し、後遺症を抱えていた。年齢も性別も一致する」


『すごいわね、声の主さん! たった数分で身元を特定するなんて!』


 ソフィアがカメラに向かって拍手をする。


「驚くのはまだ早い。……犯人も特定してやる」


 私はキーボードを弾き、佐々木の会社の登記簿と過去のニュース記事を掘り起こした。


「佐々木が失踪した直後、会社の経営権を握ったのは共同経営者の副社長、木村だ。……木村の趣味は『アウトドア』と『鉱物採集』。地質調査用のロックハンマーを持っていてもおかしくない」


『なるほど。動機も凶器も揃ったわね。でも、左利きかどうかはどうやって証明するの?』


「簡単だ」


 私は、木村のSNSアカウントを見つけ出し、一枚の写真を配信画面に映し出した。


「これは木村が3年前に投稿した、バーベキューの時の写真だ。……彼が肉を切り分けるためにナイフを握っているのは、左手だ」


『チェックメイトね』


 ソフィアが妖艶に微笑む。


「純、月子。もうすぐ深美が到着する。この推理のデータと、ソフィア先生の所見を警察に渡せ。木村の逮捕は時間の問題だ」


『わ、分かったわ……! 何かあっという間に終わっちゃったけど』


 純が呆然と呟く。

 無理もない。死体発見からわずか15分。

 安楽椅子探偵、数万人の特定班、そして天才監察医のコラボレーションは、警察の初動捜査を完全に凌駕していた。


 数時間後。

 私のマンションのチャイムが鳴った。

 モニターを見ると、そこにはパトカーで現場から戻ってきた深美と、なぜかその隣に立つソフィアの姿があった。


「なぜ君まで来るんだ」


 私がため息をつきながらドアを開けると、ソフィアは目を輝かせてズカズカと上がり込んできた。


「ヤス! 素晴らしい部屋ね! 埃一つない無菌室みたい!」


 彼女は私の顔を見るなり、両手で私の頬を包み込んだ。

 ほのかにホルマリンと、ハーブの香りがする。


「あ、あなた……素晴らしいわ! その頭脳、そのシワの数! 思考のスピード! ああ、あなたの脳を解剖してみたい!」


「……やめろ、近寄るな」


「決めたわ! あなたが死んだら、私が責任を持ってその脳をホルマリン漬けにしてあげる! 最高の標本になるわよ!」


「断る。僕は火葬希望だ」


 私は身の危険を感じ、後ずさった。

 深美が呆れたように肩をすくめる。


「金子、木村は逮捕された。自供も始まっている。……お前たちのハッキングと、このソフィア先生の検視のおかげだ。また貸しができたな」


「貸し借りの計算は後にしてくれ。それより、このマッドサイエンティストを連れて帰ってくれ」


「嫌よ! 私は今日からこのチームの専属医になるんだから! トオル、あなた顔色が悪いわよ? ビタミンDが絶望的に足りてない! 明日から地中海式ダイエットを指導してあげる!」


 ソフィアが私の腕に抱きついてくる。

 その時、私の足元から「ワンッ!」と甲高い声が響いた。

 チャイだ。

 私が攻撃されていると思ったのか、生後56日の小さな体で、ソフィアの足首に果敢に噛みつこうとしている。


「まぁ! 可愛い子犬! この子の骨格も素晴らしいわね!」


「チャイに触るな! 骨格を見るな!」


 私はチャイを抱き上げ、ソフィアから距離を取った。

 チャイは私の腕の中で「キュゥ」と鳴き、私の顎をペロペロと舐めた。


「……はぁ。本当に、僕の平穏はどこへ行ったんだ」


 引きこもり探偵、崖っぷち配信者、大食いカメラマン、スロバキアの魔女、氷の女刑事、デシベル・クイーン、氷の女帝、そして死体を愛するマッドサイエンティスト。

 さらに、一匹の甘えん坊な柴犬。


 私の安息の地は、もはや完全にカオスの渦中にあった。

 だが、腕の中で眠るチャイの温もりだけが、今の私にとって唯一の癒やしだった。


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