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安楽椅子探偵はスパチャで謎を解く ~住所特定班と挑む心霊事件簿~  作者: U3


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第7話 クラブ・アンダーグラウンドの耳

 正午。

 私の安息の地であるマンションの最上階キッチンは、東南アジアの熱気と香気に包まれていた。


「……火力が命だ」


 私は中華鍋を煽りながら、額に滲む汗を拭った。

 本日のランチは、タイの国民食『パッタイ』だ。

 ただし、そこらの屋台で出るような代物ではない。


 あらかじめぬるま湯で戻しておいたセンレックは、コシを残しつつもしなやかな食感になるよう計算されている。

 味の決め手となるのは、自家製のタマリンドソースだ。

 タマリンドの酸味、パームシュガーのコクのある甘み、そしてナンプラーの塩気。この三位一体が、完璧な黄金比で調合されている。


 ジュワアアアッ!


 強火で熱した鍋に、プリプリの海老と厚揚げ、干しエビを投入する。

 香ばしい香りが立ち上ったところで、溶き卵を流し入れ、素早く麺と絡める。

 最後に、シャキシャキの食感を残すためにもやしとニラを加え、ほんの数秒だけ煽る。


「……完成だ」


 皿に盛り付け、砕いたピーナッツと唐辛子、そしてライムを添える。

 これに合わせるペアリングは、アルコールではない。

 午後の推理に備え、頭をクリアにするための『アイス・レモングラスティー』だ。

 フレッシュなレモングラスを煮出し、氷で急冷したハーブティー。その清涼感あふれる香りが、濃厚なパッタイの脂を洗い流し、次の一口を誘う。


 私はダイニングテーブルに皿を置き、手を合わせた。


「いただきます」


 フォークで麺を巻き取り、口へ運ぶ。

 甘酸っぱく、そして辛い。複雑な味わいが口の中で爆発する。

 すかさずレモングラスティーを流し込む。


 ……完璧だ。これぞ至高の休日。


 ブーッ、ブーッ。


 まただ。

 なぜ私が箸を持った瞬間に、世界は私を放っておかないのか。

 テーブルの上のiPadが震えている。

 画面には、岡本純の厚化粧の顔がアップで映し出されていた。


「……なんだ。今、タイ旅行の真っ最中なんだが」


 私は不機嫌にタップした。


『Qちゃん! 旅行してる場合じゃないわよ! 緊急事態!』


 画面の向こうの純は、薄暗いコンクリートの通路のような場所にいた。

 またどこかの心霊スポットか。


「手短に頼む。麺が伸びる」


『ここ、S区の地下調整池なんだけど……変な音がするのよ!』


「変な音?」


『そう! 誰もいないのに、ずっと誰かが耳元で囁いてるみたいな……「帰れ」とか「殺す」とか! 特定班も「ノイズが酷くて聞き取れない」ってお手上げなの!』


 私はレモングラスティーを一口飲んだ。

 音、か。

 映像解析なら私の得意分野だが、現場の環境音や反響音となると、専門的な知識と耳が必要になる。


「……純。お前の知り合いに、夜の街に詳しい奴がいただろ」


『え? 誰?』


「以前、お前が酔っ払って電話してきた時に自慢していた、『クラブで一番いい音を出す女』だ」


 純がハッとした顔をした。


『あ! ナオミのこと!?』


「そいつを呼べ。音の謎は、音のプロに聞け」


 午後2時。

 私の優雅なランチタイムは終わり、リビングは即席の作戦本部となっていた。

 メインモニターには、純がいる地下調整池のライブ映像。

 そしてサブモニターには、ビデオ通話で繋がった一人の女性が映し出されていた。


『Yo, Q! あんたが噂の引きこもり探偵? マジで家から出ないのね、ウケる』


 ナオミ・セント・ジェームズ。

 トリニダード系カナダ人の彼女は、画面越しでも分かるほどエネルギッシュだった。

 輝くようなダークスキンに、ネオンカラーのドレッドヘア。首には巨大なヘッドフォンをかけ、背景にはDJ機材が積み上げられている。


「……初めまして、ナオミ。君の噂は聞いているよ。どんなノイズも聞き分ける『デシベル・クイーン』だと」


『誰が言ったか知らないけど、まあ間違ってないわ。……で? この地下の音が気になるって?』


 ナオミは手元のミキサーを操作し、純の配信音声をサンプリングし始めた。


『純、もう一回その場所で喋ってみて。あと、カメラマンの子……月子ちゃんだったっけ? 彼女に壁を叩かせて』


 現場の純が指示に従う。

 月子が持参した木刀の柄で、コンクリートの壁をコンコンと叩く音がする。


『……OK。波形出たわよ』


 ナオミが画面共有で、複雑な波形グラフを表示させた。


『これ見て。低周波が異常に共鳴してる。……Q、あんたなら分かるでしょ? この地下道の構造』


「ああ。そこは洪水対策のための巨大な地下放水路だ。全長4キロメートル、直径12メートルのコンクリート管が続いている」


『ビンゴ。……でね、この「ささやき声」みたいなノイズ。これ、霊じゃないわ』


 ナオミはニヤリと笑い、ヘッドフォンを片耳に当てた。


『これ、「ウィスパリング・ギャラリー」現象よ。ロンドンのセント・ポール大聖堂とかで有名なやつ。ドーム状や円筒形の壁に沿って音が伝わると、遠くの音が減衰せずに耳元で聞こえるの』


「……なるほど。音の焦点が合ってしまったわけか」


『そう。純たちがいる場所は、ちょうど音の集まるポイントになってる。……でも、おかしいのよね』


 ナオミの表情が曇った。


『この声、ただの反響じゃない。……リズムがあるのよ』


「リズム?」


『ええ。環境音にしては規則的すぎる。まるで……誰かが意図的に「音」を使って、何かを伝えようとしてるみたい』


 私はキーボードを叩き、地下道の詳細な図面を呼び出した。

 純たちがいるのは入口付近。

 音の発生源は、このパイプのずっと奥、恐らく2キロ以上先だ。


「……特定班、出番だ」


 私はインカムに向かって指令を出した。


『現在、S区の地下放水路周辺で、マンホールの点検工事、あるいは不審な車両の目撃情報はないか?』


 コメント欄が流れる。


 『S区役所のHP見たけど、今日の工事予定はない』

 『近くの公園のマンホール、昨日開いてたってツイートがある』

 『Googleマップの航空写真、入口付近に白いバンが止まってる』


「……無許可の侵入者か」


『Q、聞こえる?』


 ナオミが鋭い声を上げた。


『今、微かに聞こえたわ。……「ハコ」「シロ」「15時」。これ、取引の時間よ』


「15時……あと30分もないぞ」


 地下道を使った違法取引。

 麻薬か、拳銃か、あるいは盗品か。

 いずれにせよ、彼らはこの地下道の「音の反響」を利用して、地上からは探知できない通信手段として合図を送っていたのかもしれない。あるいは、単に声が漏れてしまっただけか。


「純、月子。すぐに撤収しろ。そこは危険だ」


 私が指示を出した、その時だった。


『――誰だ?』


 配信のスピーカーから、野太い男の声が響いた。

 さっきまでの不明瞭な囁きではない。明確な殺意を持った声だ。


『そこで何を聞いていた?』


「ひっ!?」


 純が悲鳴を上げる。

 声は、前方――地下道の暗闇の奥からではなく、背後から聞こえた。


「……嘘だろ。挟み撃ちか?」


 入り口から、作業服を着た数人の男たちが降りてきていた。

 手にはレンチやバールのような鈍器を持っている。

 彼らは点検業者を装った見張り役だったのだ。


「月子!」


『はいっ!』


 カメラが激しく揺れる。

 月子が前に出たのが分かった。


「お取り込み中失礼します!!」


 月子は礼儀正しく叫び、木刀を構えた。

 男たちが襲いかかってくる。


『純、ライトを消せ! 暗闇に紛れろ!』


「消したら何も見えないじゃない!」


『音だ! ナオミ、誘導を頼む!』


『任せな! あんたらの足音と、奴らの足音、完全に聞き分けてあげる!』


 ナオミがDJコントローラーのような機材を操作する。

 彼女は純たちのマイクが拾う音声をリアルタイムで解析し、空間把握を行っていた。


『純、右の壁沿いに走って! そこから5メートル先に分岐があるわ! 反響音が変わったから分かる!』


「わ、わかった!」


 純が暗闇の中を走る。

 月子は殿で男たちを食い止めているようだ。打撃音と男の呻き声が聞こえる。


『月子ちゃん、左後ろから一人来てる! 足音が重いわ、大柄な男よ!』


『了解です!』


 ドゴッ! という鈍い音。

 ナオミの「音のソナー」は、暗闇において最強の目となっていた。


「……Q、こいつら、ただのゴロツキじゃない。動きが統率されている」


 私はモニターを睨みながら分析する。

 地下道を使った取引。統率された動き。

 これは、プロの犯罪組織の仕業だ。


「原田刑事には連絡したか?」


『したわよ! でも「今は手が離せない、10分で向かう」って! あの筋肉バカ!』


 深美は別件の張り込み中らしい。

 10分。

 この暗闇の中で、月子一人で持ちこたえられるか。


『Q! 変な音がする!』


 ナオミが叫んだ。


『高い周波数の……これ、モスキート音? いや、もっと強烈な……』


 キィィィィィィィン!!


 突然、配信から鼓膜をつんざくような高周波音が鳴り響いた。


「ぐあっ!?」


 私はヘッドセットをかなぐり捨てた。

 脳が直接揺さぶられるような不快感。


『きゃああああ! 耳が、耳が痛い!』


 純の悲鳴。

 月子の動きも止まったようだ。


「……音響兵器か!」


 指向性のスピーカーを使った攻撃だ。

 犯人グループは、この地下道の音響特性を知り尽くしている。


『クソッ、私の耳をナメないでよ……!』


 ナオミが歯を食いしばる映像がサブモニターに映る。

 彼女は自身の機材のフェーダーを一気に上げた。


『目には目を、音には音をよ! Q、純のスマホのスピーカー、最大出力にできる?』


「……ハッキングすれば可能だが、壊れるぞ」


『構わない! 奴らの周波数に逆位相の音をぶつけて相殺する! ……純、スマホを敵に向けな!』


 私はキーボードを叩き、純のスマホのルート権限を奪取。オーディオ出力をリミッター解除した。

 ナオミが生成した「逆位相サウンド」が、ネット回線を通じて純のスマホへと送られる。


「いけぇっ!!」


 ドォォォォォン!!


 純のスマホから、空気が震えるほどの重低音が放たれた。

 それは高周波音と衝突し、強烈な衝撃波となって男たちを襲った。


「うわぁっ!?」


 男たちが耳を押さえて倒れ込む。

 音響兵器の効果が消えた。


「今だ月子! 制圧しろ!」


「はいっ! ……耳キーンとしましたけど、やります!」


 月子が復活した。

 そこからは一方的な展開だった。

 聴覚を麻痺させられた男たちは、月子のスピードについていけず、次々と木刀の餌食となった。


 10分後。

 深美たち警察隊が到着した時には、犯人グループは全員、月子によって梱包されていた。

 彼らは海外の窃盗団で、盗んだ高級時計などをこの地下道を使って運び出していたらしい。音響兵器は、侵入者を撃退するための自作トラップだったようだ。


 事件解決後。

 私の部屋のモニターには、まだナオミが映っていた。


『いやー、最高だったわ! あの逆位相ぶち込んだ時の快感、クセになりそう!』


 彼女はハイネケンの瓶を片手に上機嫌だ。


「……助かったよ、ナオミ。君がいなければ、純たちの鼓膜は破れていたかもしれない」


『礼には及ばないわ。……その代わり、一つ頼みがあるんだけど』


「報酬か? スパチャの分配なら……」


『金はいらない。……あんたの声、サンプリングさせてよ』


「……は?」


『あんたのその低音、マジでドープなのよ。次の新曲の素材に使いたくてさ。「犯人はお前だ」って言ってくれない?』


 私はこめかみを押さえた。

 

「……断る。僕はフリー素材じゃない」


『ケチ! まあいいわ、今日の配信の音声から勝手に切り抜くから』


 彼女はウィンクをして通話を切った。

 

 こうして、チームに新たなメンバーが加わった。

 クラブ・アンダーグラウンドの耳を持つ女、ナオミ。

 彼女の加入により、私たちの捜査能力は「視覚」だけでなく「聴覚」をも手に入れた。


 ……ただし、私のプライバシーという代償を払って。


 私は冷めてしまったパッタイをレンジで温め直しながら、深いため息をついた。

 伸びてしまった麺は、今の私の気力のようにふにゃふにゃだった。


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