聖律官、来たる
問題は、想像以上に深刻だった。
「……制御が、できていない」
朝の野営地。 セラは腕を組み、いつになく険しい表情でそう断じた。
「聖女スキルは本来、長年の修練を経て扱われるものだ。それが、いきなり完全顕現――しかも男に宿った」
「つまり?」
エルフィアが、焚き火の前で膝を揃えながら問う。
「暴発する前に、制御法を確立する必要がある」
セラが答える。
「副作用として感情と感覚が増幅される以上、近距離で制御できなければ実戦では使えない」
「訓練……ですね」
エルフィアが、どこか緊張した顔で頷く。
セラは自身ありげに話す。
「名付けて――密着制御訓練だ」
僕は黙って天を仰いだ。
⸻
訓練内容は、単純にして気まずかった。
「聖女スキルを最低出力で維持したまま、対象と一定距離以内を保つ」
「一定距離って……」
「このくらいだ」
セラが、一歩前に出る。
……近い。 普通に近い。
「では、発動しろ」
「……はい」
《祝福付与・抑制》《感覚同調・最小》
淡い光が、ゆっくりと広がる。
「……っ」
セラの肩が、わずかに震えた。
「大丈夫?」
「……問題ない」
即答だが、視線が泳いでいる。
「心拍数が上がっている。だが、許容範囲だ」
……本当か?
「次。エルフィア」
「は、はいっ」
エルフィアが、少し緊張した面持ちで近づいてくる。
「テイルさん、その……覚悟はできてます」
「覚悟って何に対してですか」
「副作用、です。昨日のこともあったので……心の準備を」
真剣すぎる。
《祝福付与・抑制》
「……あ」
エルフィアが、息を止めた。
「エルフィア?」
「……大丈夫です。大丈夫、ですけど……」
彼女は真っ赤な顔のまま、きっぱりと前を向いた。
「《聖剣》が、反応しています。制御、できます。できますから、もう少し……」
「無理そうなら言ってください」
「無理じゃないです。ただ、その……顔が、近いので……」
「離れましょうか」
「……もう少し、このままで」
矛盾している。
セラが咳払いをした。
「……次は、二人同時だ」
「待ってください!?」
待ってくれなかった。
⸻
結果から言えば――失敗だった。
二人同時に祝福をかけた瞬間、空気が一気に張り詰める。
セラの剣が、地面に突き立つ。
「……集中する。集中……」
エルフィアは逆に固まっていた。
「《聖剣》が……全開に……止まらない……」
「すぐ解除!」
スキルを切ると、二人は同時に深呼吸した。
しばらく、誰も何も言わなかった。
「……結論だ」
セラが言う。
「聖女本人の感情制御が鍵だ」
「僕?」
「そうだ。テイルが動揺すれば、祝福は連動して揺れる」
エルフィアが、少し困ったように続けた。
「つまり……テイルさんが、慣れるしかない、ということですか」
「こういう距離に」
セラが言い切った。
……地獄じゃないか。
⸻
午後。一対一での制御訓練が始まった。
「まずは私だ」
セラが名乗り出る。
「背中合わせで、一定時間祝福を維持しろ」
「背中……」
「視線を合わせない分、マシだろう」
確かに。
背中越しに伝わる、体温。 呼吸のリズム。
《祝福付与・抑制》
……いける。
「……悪くない」
セラの声が、わずかに和らいだ。
次はエルフィアだった。
彼女は、正面からまっすぐ向き合う形で立った。
「……逃げません」
「別に逃げなくていいんですよ?」
「逃げません」
目が、真剣すぎる。
「ほら……呼吸、合わせてみます」
「急にハードル上がりましたね」
「大丈夫です。できます」
《祝福付与・抑制》
エルフィアの《聖剣》が、静かに光を帯びた。
「……消えない」
彼女が、小さく呟く。
「ちゃんと、ここにある」
「制御できてますか?」
「……はい」
心拍数は高い。 でも、保てている。
「合格だ」
セラが、少しだけ目を細めた。
⸻
訓練を終えて、野営の支度をしていたときだった。
異変は、前触れもなく訪れた。
「……来る」
セラが、わずかに視線を上げた。
その言葉と同時に、空気が歪んだ。
白い外套を翻し、三人の人物が道の先に姿を現す。音もなく、しかし圧倒的な存在感を持って。
「――王国教会、聖務庁より通達」
中央に立つ女性が、名乗りもせず告げた。
白銀の髪。感情を削ぎ落としたような瞳。
「聖女スキル顕現者、テイル・カトレア。あなたの行動およびスキル行使傾向について、看過できない兆候が確認されました」
「……行使傾向?」
「戦闘記録および魔力残滓の解析結果です」
女性は淡々と続けた。
「通常の聖女スキルと比べ、あなたの祝福は異常な安定性と過剰な感応性を示しています」
エルフィアが、静かに息を呑む。
「本来、聖女の祝福は距離と精神的隔たりを前提に成立します。にもかかわらず、あなたの祝福は対象の状態に深く干渉しすぎている」
「それは問題ではありません」
セラが即座に前に出た。
「彼の祝福は、実戦で極めて有効だ」
「"有効"であれば許される、という話ではありません」
女性は視線をこちらに向けた。
「私は教会執行官――《聖律官》リディア・エルノア」
その名に、エルフィアの表情がわずかに強張った。
「……知っているのか」
セラが小声で問う。
「王家への講義で、聞いたことがあります。聖女を"聖具"として管理することを主張する方、だと」
リディアは、その言葉を否定しなかった。
「聖女とは、世界の均衡を保つ存在です。個人的な関係性や感情に影響されるべきではない」
「……」
「あなたの祝福には、感情の揺らぎが直接反映されている痕跡がある」
胸が、少しだけ締めつけられた。
「問題なのは――その力が"制御されていない"という事実です」
「制御はできている」
セラが言う。
「少なくとも、被害は出ていない」
「今は、でしょう」
リディアの声は冷たい。
「よって、教会は判断しました。テイル・カトレアを、教会監督下に置く必要があると」
「……隔離、ですか」
僕がそう言うと、彼女は否定も肯定もしなかった。
「保護、と言い換えても構いません」
「それは」
エルフィアが、静かに立ち上がった。
普段の柔らかい声とは違う、真っ直ぐな声で言う。
「本人の意思は、どこにあるのですか」
「聖女に、完全な自由は不要です」
「……それは」
僕は、ゆっくりと息を吸った。
「"聖女"を、人として見ていない言い方だ」
一瞬だけ、リディアの瞳が揺れた。
「……だからこそ」
彼女は言う。
「あなたは危険なのです。自我を持ったまま、世界に干渉しすぎる聖女は」
沈黙。
「条件があります」
僕は、顔を上げた。
「教会の指導は受けます。でも――」
セラと、エルフィアを見る。
「仲間との連携を、切り捨てない」
「……」
「それが"不適切"だというなら、聖女という概念そのものが、もう限界なんだ」
長い沈黙のあと。
「……条件付きで、認めましょう」
リディアが、わずかに頷いた。
「ただし、あなたが制御を失えば――」
「そのときは、止める」
セラが迷いなく言った。
「私も」
エルフィアが、静かに続けた。
「テイルさんが道を外れるなら、私が最初に引き止めます」
リディアは、二人を一度だけ見た。それから踵を返した。
「……また来ます」
白い外套が、道の奥へ消えていく。
残された三人は、しばらく無言だった。
「……行ったな」
「はい」
エルフィアが、ふぅと息を吐いた。
「テイルさん」
「うん」
「さっきの言葉、カッコよかったです」
「……ありがとう」
「本当に、カッコよかったです」
「わかった、ありがとう」
「三回言いたいくらい、カッコ——」
「わかってるから!」
セラが、小さく鼻を鳴らした。
「……悪くなかった」
それが、彼女の精一杯の評価だと思った。
教会、騎士団、剣姫、そして男の聖女。
立場は違えど、もう後戻りはできない。
この選択が、"聖女とは何か"という問いを世界に突きつけることになるのだから。




