帝国の門
国境は、思っていたより静かだった。
王国と帝国を隔てる峠道。
石造りの検問所が街道を塞ぎ、帝国の国境騎士が往来する人々を一人ずつ確認している。
旅商人、行脚の僧侶、出稼ぎの農民――それぞれが書類を差し出し、問いに答え、通過していく。
整然としていた。王国の国境と比べると、無駄な動きがあまりない。
「……思ったより人が多いな」
カグヤが、人の列を眺めながら呟く。
「帝国は貿易が盛んです。商人の往来が多い」
リディアが答えた。
「問題は、あそこです」
検問所の脇に、もう一つの窓口がある。小さな看板が出ていた。
《特殊スキル保有者申告窓口》
「……あれか」
「帝国はスキル保有者を国家資産として管理する方針を取っています。特に稀少スキルや高位スキルは、入国と同時に申告義務がある」
「申告したら?」
「魔導院に情報が伝わります。間違いなく」
セラが腕を組む。
「申告しない選択肢は?」
「不法入国になります。後から発覚した場合、罰則があります。そして」
リディアは、一拍置く。
「聖女スキルは隠せません。帝国はスキル探知の魔導具を国境各所に設置しています。申告しなくても、探知されます」
つまり、どちらにしても知られる。
「どうする?」
カグヤが、テイルを見た。
全員の視線が、集まる。
テイルは、検問所を見た。整然と並ぶ人の列。奥の建物に掲げられた、帝国の鷲の紋章。
「申告する」
「リスクが高い」
セラが即座に言う。
「そうかもしれない。でも」
テイルは、少し考えてから続けた。
「隠れて動いても、結局見つかる。探知されるなら最初から隠す意味がない。それに」
「それに?」
「嘘をついて入るより、自分で選んで入りたい」
セラは黙った。
しばらく、何も言わなかった。
「……わかった」
それだけ言って、列に向かって歩き出した。
申告窓口の騎士は、テイルのスキル申告書を受け取ると、しばらく内容を確認していた。
「《聖女》スキル……顕現例確認済み、か」
「はい」
「王国出身ですね」
「そうです」
「理由は?」
「……諸事情で、帝国に滞在させてもらいたいと思っています」
「諸事情」という言葉に、騎士は少しだけ視線を上げた。それ以上は聞かなかった。
「魔導院への出頭を推奨します」
「推奨、ですか」
「推奨です」
その言葉の意味は、明確だった。
推奨、という形を取っているだけで、実質的に断れる話ではない。
「……了解しました」
スタンプが押され、入国許可書が手渡された。
検問所を抜けると、帝国の空気が変わった。
王国より乾いている。風が違う。石畳の道が続き、遠くに帝都の塔が見える。
「さて」
リディアが言った。
「帝都まで、徒歩で二日ほどです。宿を取りながら進みましょう」
「食料は?」
「次の町で補給できます」
一行は歩き出した。
テイルは、もう一度だけ振り返った。
国境の向こう――王国側の空は、まだ雪雲が垂れ込めていた。
(戻れるか、いつか)
わからない。
でも今は、前を向くしかない。
帝都ヴァルディアに入ったのは、翌々日の昼過ぎだった。
街は、広かった。
王都より広い、というより、作りが違う。
王都が歴史の重なりによって複雑に絡み合った迷路のような街なら、帝都は最初から設計された都市だ。大通りが碁盤の目状に走り、建物の高さが揃えられ、区画ごとに役割が分かれている。
「でかいな」
カグヤが言った。
「軍事都市として建設されたのが起源です。効率を最優先に設計されているの」
リディアが歩きながら説明する。
「あの塔が魔導院です」
中心部に、巨大な塔がそびえている。
白い石造りで、窓の少ない外壁が、どこか閉鎖的な印象を与えた。
「あそこに行く前に、宿を確保しましょう。情報も集めたい」
「食料も」
カグヤが言う。
「空腹では動けない」
「同意見だ」
セラが珍しく即座に頷いた。
宿を取ることにして、大通りの一本裏の街路に入る。商人の多い界隈で、酒場や宿が軒を連ねていた。
そこで声をかけられた。
「傭兵、探してるか?」
振り返ると、建物の壁に背をもたせかけた女が立っていた。
褐色の肌。
長い黒髪を一つにまとめ、腰に大剣を下げている。年は自分より上、十八かそこらだろうか。こちらを見る目が、やけに値踏みしているように感じる。
「……誰ですか」
テイルが聞くと、女は「ライア・ドン」と名乗った。
「元傭兵団副長。今は流れで帝都に来てる。あんたたち、面白そうだから声かけた」
「面白そう、というのは」
「男の聖女と、剣姫が三人。そんな組み合わせ、見たことない」
ライアは顎で一行を示した。
「ちなみに、あんたが例の聖女?」
「例の、というのは」
「噂が早いんだよ、帝都は。国境で申告した男の聖女が入ってきたって、もう街中で話になってる」
テイルは少し頭を抱えた。
「……思ったより普通じゃん」
「"普通"で悪かったですね」
「褒めてんだよ」
ライアは、悪びれずに言った。
「普通が一番長生きする。変に目立つと、ろくなことにならない」
「それはそうかもしれません」
「で、傭兵は要る? 要らない?」
「なぜ私たちに?」
「面白そうだから、と言ったろ」
「それだけですか」
「あと」
ライアは少し間を置いて、続けた。
「聖女の支援ってやつを、実際に受けてみたい。噂は聞いてるが、百聞は一見に如かずって言うし」
「打算込みじゃないですか」
「全部打算だよ。それが傭兵ってもんだ」
セラが、ライアを見た。
「剣は本物か」
「試してみるか?」
「試す気はない。目を見ればわかる」
ライアは少し笑った。
「いい剣士だ、あんた」
「答えを聞かせろ」
セラがテイルを見る。判断を促す目だった。
テイルは、ライアを見た。
打算、と言い切れる正直さ。
腰の剣の、自然な重心。街の喧騒の中でも、絶えず周囲を確認している目。
「……一旦、ご飯食べながら話しませんか」
「乗った」
ライアは、即答した。
宿の食堂で、五人分の食事が運ばれてくる。
ライアは遠慮なく肉に手をつけながら、自分のことを話した。
「傭兵団にいたが、一年前に解散した。仕事はある。でも一人だと、大きな依頼は取れない」
「なぜ帝都に?」
「成り行きかな、特に理由はない」
「仲間は?」
ライアの手が、一瞬だけ止まった。
「……いない。今は」
それ以上は言わなかった。
テイルは追わなかった。
「一緒に動いてもらうとすれば、条件があります」
「何だ」
「僕たちには目的がある。それに従って動いてもらいます。依頼があれば受けますが、最優先事項は仲間の安全」
「当然だろ」
「あと」
テイルは、真直ぐにライアを見た。
「命令じゃなく、自分で選んで一緒にいてほしい。合わないと思ったら、いつ離れてもいい」
ライアは、少し黙った。
「……変な雇われ方だな」
「雇ってるわけじゃないので」
「じゃあ何だ」
テイルは少し考えて、「仲間になれるかどうか、試してみる、ということです」と答えた。
ライアは肉を一口食べて、ゆっくりと頷いた。
「……わかった。乗る」
「ありがとうございます」
「礼は結果が出てからにしろ。まだ何もしてない」
カグヤが隣から口を挟む。
「気が合いそうだな、あたしと」
「どこが」
「遠慮がないとこ」
「あんたは遠慮がなさすぎる」
「そこが同じだろ」
ライアは少し面食らった顔をして、それから笑った。
エルフィアが「賑やかになりましたね」と言い、リディアが「人数が増えると食費も増えます」と現実的なことを言った。
テイルは、六人になったテーブルを見渡して、少しだけ胸が温かくなった。
翌朝。
「行くか」
セラが言った。
魔導院の塔は、近くで見るとさらに大きかった。
正門の前に立つと、中から人が出てくる。白い研究服を纏った、細身の男だった。
長身。眼鏡。表情が、ほぼない。
「テイル・カトレアさんですね」
「そうです」
「昨日、国境から連絡が来ていました。待っていました」
男は、一行を順番に見た。
値踏みではない。確認する目だ。
「私は、帝国魔導院筆頭研究官のゼイン・クロウです」
「……早いですね」
「聖女スキルの顕現報告は、魔導院に最優先で入ります。
特に、男性への顕現は帝国建国以来、初めてのことですから」
ゼインは、テイルをまっすぐに見た。
敵意ではない。害意でもない。
標本を見る目だった。
「あなたのスキルは、研究価値が極めて高い。ぜひ協力をお願いしたい」
「……断ったら?」
「帝国を出るか、不審人物として拘留されるか、の二択になります」
淡々としていた。
嘘をつくつもりも、脅すつもりもない。
ただ、事実として告げている。
テイルは一度、仲間たちを見た。
それから、ゼインを見た。
「条件を聞かせてください」
ゼインは少しだけ、表情が動いた。
拒否されると思っていたのかもしれない。
あるいは、即答されると思っていたのかもしれない。
「……中へどうぞ」
魔導院の門が、静かに開いた。
テイルは一歩踏み込みながら、胸の奥でざわつくものを感じた。
聖女スキルが、微かに反応している。
(ここには、何かがある)
何が、とはまだわからない。
ただ確かに、この塔の中に――聖女の気配がした。




