『明日、君を処刑する』と訳された言葉、本当は『生涯、君を愛する』でした。嘘つき妹が「姉は死ぬ」と嘲笑っていますが、冷徹な戦王様は徹夜で辞書を丸暗記してプロポーズしに来たんですが!?
「明日、おまえを処刑する」
通訳席から落ちたその言葉が、大広間の空気を一瞬で凍らせた。
グラディア王城、謁見の間。 私は、その宣告に足の感覚を失っていた。
ルーメン王国第一王女、フィリシア。 今日、北方の戦王カイルス・ヴァン・グラディアと婚礼を結ぶはずだった女。
隣では、カイルス陛下が低い声で何かを厳かに語り続けている。 私は震える耳を総動員して、その音を拾う。
ガル。 サル。 リア。
知っている。 出発前の二年間、語学の天才である妹イリナから、徹底的に教え込まれた単語だ。 それはグラディアの日常語ではない。王族の婚姻でのみ使われる、難解な『古代グラディア語』。
ガル――『殺す』。 サル――『奪う』。 リア――『終わり』。
ああ、聞き間違いようがない。 陛下は確かに、私を殺して奪い、終わらせると言っている。
「陛下は、あなたの血を明日の祭りで捧げるとおっしゃいました」
柔らかな共通語で、妹の声が宣言する。
通訳席に立つのは、私の妹イリナ。 本来、この場にはグラディア側の筆頭通訳官もいるはずだった。 しかし彼は今朝、何者かに毒を盛られ、意識不明の重体だという。
ゆえに今、この神聖な儀式の言葉を支配しているのは、唯一の通訳であるイリナだけだ。
ざわ、と人々がどよめく。 処刑。血を捧げる。明日の祭り。
私は恐怖に震えながら、カイルス陛下を見上げた。 彼は、灰色の瞳で私をじっと見下ろしている。
さぞ、冷酷な目をしているのだろう。 そう思って見上げた私の目に映ったのは――。
(……え?)
その瞳は、泣きたくなるほど優しく、揺れていた。 そして、組んだ腕の死角で、彼の手が私の指先に触れた。 ぎゅ、と。 痛いほど強く、一瞬だけ握りしめられる。
――待て。 その熱が、そう告げている気がした。
「……姫」
陛下が短く何かを言う。
カル――『愚かな』。 エスト――『女だ』。
イリナが、悲しげに首を振って訳す。
「姫の怯えた顔は見苦しい、あっちへ行け……と」
違う。 直感が叫んだ。 私の手をこんなに温かく握る人が、そんな暴言を吐くはずがない。
壁一面を覆う『証言の水鏡』だけが、静かに青い光を揺らしていた。
◇
「……残念でしたね、姉上」
儀式が終わり、軟禁された私室にて。 部屋に入ってきたイリナは、憐れむような笑みを浮かべていた。
「どうして、イリナ。なぜ陛下は私を殺そうとなさるの?」 「野蛮だからですよ。グラディアは血を好む。姉上の血で国境を清めるつもりなのでしょう」
イリナは優雅に椅子に座り、果実水を口にする。
「でも、おかしいわ。証言の水鏡があるじゃない。あそこで処刑宣言なんてしたら、外交問題になる」
「ふふ、姉上は何もご存じない」
イリナは可笑しそうに笑った。
「古代語の解釈は難しい。私が『文脈上、そう訳すのが妥当』と主張すれば、誰も反論できません。グラディアの通訳官が都合よく倒れた今、真実は私の舌の上にあるのです」
背筋が凍った。 この子は、最初から計画していたのだ。 私を孤立させ、言葉を奪い、死に追いやることを。
「私が、邪魔なの?」
「ええ。不公平ですから」
イリナの瞳が、暗く濁る。
「語学も、魔術も、政治の才も、すべて私の方が優れている。なのに、カイルス様との婚姻も、姉上のものだなんて」
「……あなたが、王妃になりたかったの?」
「あの方に、二年間恋焦がれていました。だから教えて差し上げたのですよ。『姉はあなたの言葉を嫌悪している。野蛮な音を聞くと吐き気がするそうだ』とね」
私は息を呑んだ。
「陛下にも、嘘を……?」
「ええ。カイルス様は優しい方だ。傷つく姉上を気遣って、二年間一度もルーメン語を使わなかったでしょう? 愚かなお二人にはお似合いのすれ違いです」
イリナは立ち上がり、私の耳元で囁く。
「安心してください。姉上が処刑されたら、私が『通訳の責任』を感じて一生カイルス様を支えますから。……さようなら、お姉様」
扉が閉まる。 鍵がかけられる音が、重く響いた。
私は一人、膝を抱える。 明日、殺される。
……本当に?
脳裏に浮かぶのは、あの灰色の瞳だ。 そして、指先に残る、あの強い熱だ。
『姉はあなたの言葉を嫌悪している』 陛下は、それを信じて沈黙していただけ? 私を気遣って?
私は机に向かい、震える手でペンを取った。 イリナに教えられた単語帳を開く。 ここに書かれている意味がすべて逆だとしたら。
ガル=殺す → 生きる? 守る? サル=奪う → 与える? 共に?
「……信じる」
私は涙を拭った。 言葉を奪われたまま死ぬなんて、絶対に嫌だ。 あの手の温もりが嘘でないなら、私は賭ける。
◇
翌日。処刑の儀。
大広間は、昨日以上の緊張に包まれていた。 イリナは純白のドレスに身を包み、まるで自分が主役のように聖壇に立っている。
カイルス陛下が現れた。 昨日の鎧姿ではない。黒を基調とした、高潔な礼服姿。 その顔色は、ひどく悪い。一睡もしていないように見えた。
彼が私を見る。 その瞳が、強く、熱く揺れ――そして、わずかに頷いた。
――今だ。
陛下が口を開く。
ガル・サル・リア。
昨日と同じ言葉。 イリナが、厳かに訳し始める。
「王は告げる。この女を殺し、全てを奪い、終わりにする――」
「嘘よ!!」
私は叫んでいた。 イリナが驚愕に目を見開く。
「姉上!? 何を……!」
私は構わず、陛下の目の前まで駆け寄った。 言葉は通じないかもしれない。イリナに嘘を吹き込まれている陛下は、私の言葉を嫌悪するかもしれない。
それでも。
私は自分の胸に手を当て、拙い発音で、けれど魂を込めて叫んだ。
「ガル! ガル! ……あなたを、信じる!」
一瞬の静寂。 陛下は大きく目を見開き、そして――破顔した。 氷が解けるような、美しい笑みだった。
「……よくぞ、気づいた」
陛下が、流暢な『ルーメン語』で答えた。
え? 大広間が静まり返る。 イリナが呆気にとられた顔をする。
「へ、陛下……? なぜ、ルーメン語を……姉上はその言葉を嫌っているはずでは……」
「その嘘も、もう終わりだ」
カイルス陛下は、手にした分厚い辞書をイリナの足元に投げ捨てた。 書き込みで真っ黒になった、ルーメン語の辞書を。
「そなたは私に言ったな。『姉はルーメン語を話す男を野蛮だと蔑む』と。だから私は、フィリシアの前では決して母国語を使わず、密かに学んだルーメン語も封印してきた」
陛下の一歩踏み出す。 その圧力に、イリナが後ずさる。
「だが、昨日のフィリシアの目は、蔑みではなく恐怖に濡れていた。そして今、彼女は私の言葉を信じようとした。……矛盾しているのは、貴様の言葉だ」
「そ、それは……誤解です! 私はただ……」
「言い訳は聞かぬ」
陛下は指を鳴らす。 すると、大広間の扉が開き、車椅子に乗った老人が現れた。 中立都市の「大賢者」だ。
「貴様は外交官特権を持っている。ただの疑惑では裁けない。だから私は、貴様が水鏡の前で決定的な『偽証』を行い、国家反逆の罪を犯す瞬間を待っていた」
老賢者が杖を振るうと、水鏡が眩い光を放った。 たった今、イリナが「殺す」と訳した映像。 その下に、真実の訳が浮かび上がる。
『生涯、君と君の国を守ることを契約する』
決定的な証拠。 イリナの顔から、完全に血の気が引いた。
「ち、違う……私は、陛下をお慕いして……」
「その汚れた口で、愛を語るな」
カイルス陛下は冷たく言い放つと、私の前に膝をついた。
「フィリシア」
愛おしさに溢れた顔で、私の手を取る。
「そなたの妹を罠にかけるためとはいえ、怖い思いをさせてすまなかった。昨日は、そなたの手を握りしめて耐えることしかできなかった」
「……陛下」
「昨日の『カル・エスト』は、『怯えなくていい』という意味だ。そして最初の『ガル・サル・リア』は……」
彼は私の手の甲に口づけを落とす。
「生涯、おまえを愛し、守り抜くという、我が王家に伝わる最古の誓いだ」
涙が溢れた。 殺すと教えられた言葉は、愛の誓いだった。 奪うと教えられた言葉は、守るという約束だった。
衛兵たちがイリナを取り押さえる。 連行されていく妹の叫び声が、扉の向こうに消えていった。
静寂が戻った大広間で、陛下は私を強く抱きしめた。
「もう、二度と放さない。言葉も、心も、すべて私が受け止める」
その腕の温かさに、私はようやく、本当の意味で息ができた気がした。
◇
数日後。 城のバルコニーには、穏やかな風が吹いていた。
「……というわけで、イリナは地下牢で、彼女が燃やした『正しい辞書』の復元作業に従事させている」
カイルス様――私の夫が、少しだけ気まずそうに言った。
「それで、フィリシア。その……」 「はい?」 「私も、一夜漬けではなく、改めてそなたに伝えたい言葉がある」
彼は顔を赤らめ、咳払いをした。 そして、私の瞳をまっすぐに見つめる。
「フィリシア。……アイ、シテ、イル」
たどたどしい発音。けれど、それは彼が二年間、私のために隠れて学び、積み重ねてきた愛の音だ。 私はくすりと笑って、彼の首に腕を回した。
「よくできました、カイルス様」
言葉の橋を渡るたびに、二つの国の距離も、私たちの心の距離も、甘く溶け合っていく。 もう通訳はいらない。 私たちの間には、誰も入り込めないのだから。
お読みいただきありがとうございました!
「処刑に聞こえた言葉が、本当は『守る』という誓いだったら」というところから生まれた物語でした。すれ違った言葉が、ちゃんと届く瞬間を書きたかったです。
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