第12話:境界線上の対話
リュナの感情が爆発した後、医療テントの中は重い沈黙に包まれていた。
エリザベスは、唇を固く結び、何も言わずにテントを出て行ってしまった。その背中は、怒りとも、戸惑いともつかない感情で硬直しているように見えた。
残されたアンナとセレスティアは、泣きじゃくるリュナをただ、なだめることしかできなかった。
響は、黙ってリュナの背中をさすり続けている。
数時間が過ぎ、戦闘の後片付けが進む頃。キマイラ隊と王国軍の兵士たちの間には、奇妙
な交流が芽生え始めていた。
「おい、あんた。確かクラウス、だったか」
ヴァンガードの応急整備をしていた佐藤軍曹が、近くで剣の手入れをしていた、あの若きエース騎士に声をかけた。
クラウスは、一瞬だけ警戒の色を見せたが、相手が先ほど最前線で戦っていたパイロットだと分かると、軽く頷いた。
「ああ。それが私の名だ。何か用かな、異邦の兵士殿」
「あんたらの騎士団長、すげえな。戦闘中、あんたらの団長の檄が、俺のヴァンガードのコックピットの中まではっきり聞こえてきたんだ。どんなマイク使ってんだ?」
その言葉に、クラウスはきょとんとした顔をした。
「マイク……? いや、あれは単純な魔力運用だ。声にマナを乗せ、届けたい相手を念じることで、直接声を届ける。騎士であれば、誰もが習う基礎的な伝達魔法だが」
「魔法……。声まで飛ばせるのかよ」
佐藤は、心底驚いた顔で呟いた。
そして、クラウスが手入れしている長剣に目を移す。
「その剣も、さっきから淡く光ってるな。そいつも魔法か?」
「これは『魔力付与』だ。我ら騎士の基本だな。こうしてマナを循環させることで、切れ味を保ち、邪気を払う」
そのやり取りを、少し離れた場所から響が興味深そうに見ていた。「言葉が通じなくても、伝わるものってあるんですね」と、俺にだけ聞こえる声で呟く。
今度はクラウスの方が、佐藤が傍らに置いたプラズマライフル『ジャベリン』を指さした。
「そちらの鉄の杖も、不思議な力を持つな。引き金を引くと、魔獣を融かす光の槍を放つ。あれも『魔力付与』の一種なのか?」
「こいつはエンチャントじゃねえ。『科学』の力だ」佐藤は、自分の得物を誇らしげに持ち上げた。
「まあ、半年前はこいつですら、奴らには豆鉄砲みたいなもんだったがな。リュナ…だったか、あんたらの世界の嬢ちゃんが協力してくれて、ようやく奴らに通じるようになったんだ」
「……それより、あの巨大な鉄の騎士だ。あれは、中に人が入って動かしていると聞いたが、本当か?」
「ゴーレムじゃねえ、『ヴァンガード』だ」
佐藤は、背後で整備中の機体を見上げた。
「ああ、俺みてえなパイロットが乗り込んで、手足みてえに動かすんだ」
「そっちの世界でも、こっちの世界でも、戦士ってのは、自分の得物が一番だってことらしいな」
二人の間に、短い沈黙が流れる。言葉は通じない。
だが、己の得物を慈しむ「戦士」としての魂は、確かに共鳴していた。
一方、少女たちの間の溝は、まだ深いままだった。
落ち着きを取り戻したリュナが、フィールドキッチンの隅で冷めたスープをすすっていると、アンナとセレスティアが、おずおずと近づいてきた。響も、心配そうにその隣に座っている。
エリザベスの姿はない。
「……リュナ」
セレスティアが、眼鏡の位置を直しながら、静かに口を開いた。
「ごめんなさい。わたくしたち、あなたの気持ちを、何も考えていなかったわ」
「ううん、そんなこと……」
「いいえ」
アンナが、リュナの言葉を遮る。
「エリーは、ああいう性格だから……。でも、あの子も、あなたのことを誰よりも心配しているのは、本当なのよ。ただ、あの子は……ローゼンベルク侯爵家という、大きなものを背負っているから。自分の信じる『秩序』が揺らぐのが、何よりも怖いのよ」
それは、エリザベスなりの不器用な友情の形なのかもしれない。
「……私ね」
リュナは、ぽつりぽつりと語り始めた。
「この世界に来て、初めて『評価』されたの」
「評価?」
「うん。故郷では、私はただの『魔法が少し使える平民の女の子』だった。でも、ここでは、私の力が『必要だ』って言ってくれる人がいて、私の努力を『すごい』って褒めてくれる人がいた。そして、その働きに、ちゃんとお金……『報酬』をくれたの」
アンナとセレスティアは、息を呑んで顔を見合わせた。自分たちが全く知らなかった友の苦悩を、初めて垣間見た気がしたからだ。
(そんなこと……)
アンナは胸が締め付けられるのを感じた。
(気づいて、あげられなかった……)
セレスティアもまた、唇を噛みしめていた。
自分たちは、良かれと思って平民である彼女を貴族の輪の中に招き入れた。
だが、その善意そのものが、逆に彼女を苦しめていたのかもしれない。
「私、嬉しかった。初めて、自分の力で何かを成し遂げて、それを認めてもらえた気がして。だから、あの時も、みんなを守りたかった。私がこの世界で手に入れた、この力で」
リュナは、自分の両手を見つめた。
「でも、エリーには、それが『穢れ』にしか見えなかった……。それが、すごく、悲しい」
「リュナ……」
セレスティアは、それ以上、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。
リュナがこの半年で経験してきたことは、自分たちが生まれ育った世界の常識では、到底測れないものなのだ。
俺は、少し離れた場所から、四人の少女の様子を静かに見守っていた。
リエゾンとして、そして、一人の友人として、彼女たちの間に横たわる溝の深さに、胸が痛む。
その時、響が、泣きじゃくるリュナの隣で、アンナとセレスティアに向かって、静かに頭を下げた。
「ごめんなさい。私が、リュナさんをそそのかした、みたいに思われてるかもしれないですけど……」
「違うわ」
セレスティアが、響の言葉を遮った。
「あなたは……あなたたちは、私たちの知らなかったリュナの心を、ちゃんと見ていてくれたのね。……ありがとう」
その言葉に、アンナも頷いた。
彼女は、俺の方をまっすぐに見つめると、意を決したように言った。
「愁也、さん。あなたは……リュナのことを、どう思っているのですか?」
突然の問いに、俺は少し戸惑った。
彼女たちの言語で、この複雑な想いをどう伝えればいい?
俺は、リュナと響に教わった単語を、頭の中で必死に組み立てた。
「……リュナは、はじめましての時、俺の……仕事場に、来た。怪我、たくさん。ボロボロで……」
俺は、身振り手振りを交えながら、片言で説明を試みる。
「助けたら、すぐに……化け物。一緒に、逃げた。それだけ。でも、リュナは、一人で、知らない世界で……すごく、頑張った。だから……」
俺の拙い言葉が途切れたのを、隣にいた響が見逃さなかった。
彼女は、俺にだけ聞こえるように、そっと囁いた。
「愁也さん、一番伝えたいことは何ですか? ポイントだけ教えてください!」
「え、ええと……」
俺は、突然のパスに戸惑いながらも、必死に言葉を絞り出す。
「かけがえのない専門家で、大切な、友人だってことだ」
「了解です!」
響は、俺に向かって悪戯っぽくにっと笑った。
そして、彼女はアンナたちの前にそっと立つと、うっとりとした表情で、芝居がかった、
しかし完璧なエルドリアの言葉を紡ぎ始めた。
「『運命の日、私の灰色の世界に、傷ついた一羽の鳥が舞い降りました。それがリュナさんでした。私は、彼女を守るためなら、世界のすべてを敵に回しても構わないと、その瞬間に誓ったのです』と」
アンナとセレスティアは、一瞬きょとんとした後、顔を見合わせてくすりと笑った。
(……なんで笑われてるんだ? まあ、意味は通じたみたいで良かったが……)
俺が一人、状況を理解できずにいると、響が俺に向かって、こっそり片目をつぶって見せた。
「『そして、今では、彼女は私にとって、かけがえのない宝物であり、未来を照らす希望の光なのです』……とのことです!」
その言葉に、アンナは楽しそうに肩をすくめると、響に向かって言った。
「あなた……なかなか、いい性格をしていますのね」
「恐れ入ります」
響は、ぺろりと舌を出して応じた。
セレスティアもまた、眼鏡の奥で面白そうに目を細めていた。
(……あの通訳、かなり脚色しているわね。でも、根底にある感情は本物。この男が、リュナを大切に思っていることは、間違いない)
エリザベスとの間には、まだ深い溝が横たわっている。
だが、アンナとセレスティアの心の中には、ほんの少しだけ、変化の兆しが芽生え始めていた。
この異邦人たちは、自分たちが思っていたような、ただの「野蛮人」ではないのかもしれない。
【同時刻・学術研究技術都市 財務企画部オフィス】
田中は、自室の巨大なモニターに映し出された二つのウィンドウを、満足げに眺めていた。
左のウィンドウには、半年前から続く『魔法少女ミラクル・ラパン』などの杖の購入記録。
『初期投資:合計4850万』。
右のウィンドウには、その「投資」によってもたらされた、インフェルノ・バーストの凄まじいエネルギー放出パターンと、それによって大型魔獣が蒸発する戦闘記録映像が、繰り返し再生されていた。
「……リターン、計測不能。史上最高のギャンブルだったな」
彼は、まるで極上のワインを味わうかのように、そのデータを堪能していた。
「オカルトや偶然に、都市の予算は1円たりとも出せん。だが、これが『技術』であるならば話は別だ」
彼は、承認済みの「空間制御系魔法」の研究予算計画書を呼び出す。
彼の指が、承認額の桁を一つ、静かに増やした。
「さあ、次の投資と洒落込みますか。せいぜい、我々を満足させる『リターン』を見せてくれたまえよ、リエゾン殿」
その口元には、獲物を見つけた投資家の、冷たい笑みが浮かんでいた。




